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情報資本論

情報資本
22世紀を生きる読者には当たり前の概念でしょう。
しかし、私がこれを書いている2026年時点ではまったく語られることのない概念です。

概念   主戦場  搾取商品
資本   貨幣経済  労働
情報資本 情報経済  人知

資本と情報資本では搾取しているものが異なる。

「資本」と似ているが異なる概念である「情報資本」ですが、2026年時点においてはもっぱら資本と同列に扱われています。
22世紀の利発な読者は早くも「ピキーン‼︎」と来たことでしょう。
「資本と情報資本を同列に扱っていたから21世紀は混迷していたのだな」とピキーン‼︎と来ちゃったことでしょう。
「21世紀の奴らは30世紀級のバカばっかだな」とすら思っていることでしょう。
実際、そういうことになるでしょう。
しかしながら、現代21世紀には現代21世紀なりの苦労というものがあるのです。
ちょっと変わった人たちが急に爆撃してきたり、コロナに皆んなして騙されたり、W杯で怪我人が続出したり、ちょっと変わった人たちが急に内輪揉めを始めたり、兎にも角にも色々と大変なのですよ。
本書は情報資本という概念を言語化し、混迷している21世紀を22世紀につむぐことを至上の命題とします。
22世紀の皆さんにとっては当たり前のことが多いかもしれませんが、なぜ22世紀の素晴らしい平穏の中を皆さまが暮らせているのかを思案しながら読んでもらえれば筆者として幸甚に堪えません。
それでは情報資本についての講釈を始めましょう。


第一章 情報資本_現代の錬金術師

「情報資本_現代の錬金術師」と仰々しい中見出しにあるように、本書は21世紀を現代として扱っていきます。
ここで本書が論述していく時代を鳥瞰しておきましょう。

1795年 産業革命
      労働の商品化
     「近代20世紀」開始
      貨幣経済の拡大
1995年 IT革命
      人知の商品化
     「現代21世紀」開始
      情報経済の拡大
      貨幣経済の縮小(失われた30年)

簡易年表

簡易年表のように、産業革命以降の世界を述べていきます。
その中で、産業革命によって「労働」が商品化されていった時代を「近代20世紀」と表記することとしましょう。
さらに、IT革命以降において「人知」が商品化されていった時代を「現代21世紀」と表記することとしましょう。
いま22世紀の読者は前段までをスラスラと読みましたが、現代21世紀の人類は何のこっちゃよく分かりません。
「人知の商品化?」
「情報経済?」
と21世紀の頭の中はハテナばかりになっています。
22世紀においては当たり前の概念も、2026年時点ではうまく言語化されていないのですよ。
ここでやはり22世紀の読者は不思議に思っていることでしょう。
「インターネットが解禁されたのが1995年なのに、21世紀の人類は自分たちの『人知』が商品化されていることに気付かなかったの?」
「インターネットが解禁されたのが1995年なのに、21世紀の人類は『情報経済』の中で生きているという自覚がなかったの?」
「IT革命という言葉があったのに、IT革命で何が起こっているのか分かってなかったの?」
と22世紀の頭の中もハテナばかりになっていることでしょう。
尤もな疑問ですが、全ての質問に答えは一貫して「イエス」です。
21世紀の人類はインターネットの解禁によってスタートした世界変遷を「IT革命」と名付けましたが、それによって何が起こっているのかをうまく言語化することが出来なかったのです。
22世紀の人達はここでも「21世紀はバカばっかだなあ」と思うかもしれません。
だがしかし、現代21世紀においては新進気鋭のITすなわち情報技術によって世界に起こっている大切なことが覆い隠されているのです。
世界というものが情報の塊であり、ITとAIによってその情報の塊である世界そのものがズラされ、21世紀の人類は大切なことが隠れていることに気付けていないのですよ。
したがって、2026年時点の人類は世界に起こっている大切なことを上手く言語化して解釈できていないのです。
言い訳じみて聞こえるかもしれませんが、22世紀の人達には是が非でも分かってもらわなければなりません。
だから、これから筆者は現代21世紀と22世紀のズレを縮めて行く訳ですね。

情報資本とは?

22世紀においては当たり前のことでも現代21世紀においては当たり前ではありません。
情報資本とはAIを高度化し、高度化したAIを売る・貸す・或いはそれ以外の方法論によって利益を創造する企業セグメントを指す。
こうした22世紀には当たり前のことであっても、本書はそこから言葉の意味を整えていくことになります。
22世紀の読者にとってはまどろっこしいかもしれませんが、まあ、子供の頃に読んでいたマンガを読み返すような感覚であたたかく見守って下さい。
上述したように、情報資本とはAIを商売道具とする企業セグメント全般を指します。
ここでAIとは人工知能であり、人類の知性ないし知能を再現するプロジェクトです。したがって、AI開発のためには人類の知性にまつわる情報が不可欠となります。
人類の知性にまつわる情報、ここからはこれを読者の読み易さだけを考慮して「人知」と表記することとしますね。
1950年頃からAI開発はスタートしましたが、人知を上手く蒐集することができずAI開発は遅々として進みませんでした。
AI開発に分水嶺が訪れたのは1995年。
インターネットが解禁されたことで、膨大な人知を蒐集することが可能となったのです。
世界中からデジタルデータで人類の知性にまつわる情報を、世界の一極にいながら蒐集することが可能となったため、AIが高度化を開始したのですね。
つまり、1995年のIT革命によってAIの高度化がスタートしたのですね。

1995年 IT革命
      人知の商品化
     「現代21世紀」開始
      情報経済の拡大
      貨幣経済の縮小

簡易年表

ここから現代が始まります。
本書ではAIが高度化する時代のことを「現代21世紀」と呼びます。
それを受けて22世紀の世間知らずな読者は「じゃあ、僕たちの時代は何なんだ?」というかもしれませんが、答えは簡単です。
22世紀の読者が生きている時代は広範において「現代21世紀」です。
不満があるかもしれませんが、悔しかったら、自分の筆の力で世の中の解釈を変えてやればいい。
先に進みましょう。
IT革命によってAIが高度化を開始し、AIが高度化している時代のことを現代21世紀と呼ぶ。
ここまではいいでしょう。
そして、現代21世紀において重要な事柄があと一つあります。
それは「人知の商品化」です。
人知を蒐集し、人工知能たるAIが高度化を開始したのですが、この人知の蒐集のことを「人知の商品化」と呼びます。

   人知
   →→
利用者  ネット/情報資本
   ←←
  サービス

人知の商品化イメージ図

上図のように、インターネット利用者はネットに繋ぎネットサービスを獲得する代償として「人知」を献上しています。
これが2026年時点においては盲点になっている現象なのですよ。
信じられないかもしれませんが、現時点では人々の多くが「タダ」でネットサービスを獲得していると思っています。
そんな筈はありませんよね。
22世紀の人々にとっては当たり前のことですが、「情報資本」はインターネットを利用して「人知」を蒐集して人工知能たるAIを高度化させています。
ネットの深奥に潜んでいる情報資本サイドから見れば、人々から人知を蒐集する対価としてネットサービスを人々に譲渡しているのです。
つまり、情報資本は「人知」を商品として買い取って、その対価としてネットサービスを人々に売却しているのですね。
この時に「人知が商品化」されているのです。
人々がネットに繋いでネットサービスを獲得するたびに、人知が商品化されて情報資本の手に渡っているのです。
このようにして人知を蒐集し、人工知能たるAIを高度化させ、高度化したAIを売る・貸す・或いはそれ以外の方法論によって利益を創造する企業セグメント。
それが「情報資本」なのです。

情報資本のビジネスモデル

人類の知性にまつわる情報の蒐集→AI高度化→利益の創造

情報資本のビジネスモデル

そして、ここまで書いた流れがそっくりそのまま情報資本のビジネスモデルとなります。
2026年現在において、情報資本は儲かって儲かって儲かって笑いが止まらない状態にありますが、その「二つの理由」を本項では説明していきましょう。
まず一つ目の理由が「人知」をタダ同然で買い叩けているということ。
2026年時点の人類にはネットに繋ぐと人知が商品化されちゃうという認識がほとんどないため、情報資本は「ウッヘッヘッ」とほとんどタダ同然で人知を獲得することが出来ています。
確かに、情報資本が人知を蒐集した時にはその対価としてネットサービスを利用者に提供していますが、はっきり言ってボッタクリもいいところです。
「誰が」「いつ」「どこで」「何を」「どのように」「あんなことや」「こんなことや」・・・といった人々の貴重な貴重な情報をこれでもかと事細かにパクっているのに、その対価に情報資本サイドが支払っているのは天気予報だったり言葉の意味だったりで全くもって価値が釣り合っていません。
しかも、天気予報や言葉の意味なんてものはコピペするだけなのでまったくコストがかかっていませんから、情報資本サイドはまさに「エビでタイを釣る」感覚で人知を蒐集できているのです。
これが情報資本が儲かって儲かって儲かって仕方のない一つ目の理由です。
次に2つ目の理由が「構造がそうなっている」ということ。
人知の蒐集によってAIが高度化するところまでは述べましたが、そこには続きがあります。

人知の蒐集→AI高度化→雇用減少→人類貧困化→ネット利用時間増加→人知の蒐集→AI高度化→・・・♾️

上のチャートを眺めながら読んでくださいね。
人知を蒐集してAIが高度化すると雇用が減少しますよね。AIは人類の雇用を奪うのです。これは流石に21世紀のおバカな人類も気付いていますが、22世紀の読者ならばもっとよくわかる切実な問題でしょう。
雇用が減少すると貨幣経済の中でカネを得る機会が減るので人々が貧困化してしまいますよね。
そして、貧しくなると安いサービスを求めるようになります。
結果として、人々はネット利用時間を増やしますよね。
そんでもって、ネット利用時間を増やすということは、ネットサービスを利用する機会が増えるということであり、とりもなおさず情報資本が人知を蒐集することになりますわな。
情報資本が人知を蒐集してAIを高度化させるんですわ。
さて、ここまでで「人知を蒐集してAIが高度化する」という事象がまたもや「人知を蒐集してAIを高度化させる」という事象に戻ってきてしまいました。
どうやらこれは無限スパイラルを形成しそうですね。チャートにしてみましょう。

人知の蒐集→AI高度化→雇用減少→人類貧困化→ネット利用時間増加→人知の蒐集→AI高度化→・・・♾️

1995年体制 AI高度化と人類貧困化の無限スパイラル

現代21世紀初頭の日本において「大切なことなので二回いいました」という言い回しが流行りました。
現代21世紀においては、AI高度化と人類貧困化が連鎖しながら無限スパイラルを形成しているのです。
1995年にインターネットが解禁されてからこのスパイラルが回り始めたことから、この無限スパイラル構造のことを「1995年体制」と呼ぶこととしましょう。
22世紀の人々は当たり前だと思っているかもしれませんが、この無限スパイラル構造は2026年6月19日(金)時点において3人しか語れるものが存在しません。
この無限スパイラル構造にしたがって、一旦人類を貧困化させてしまえば、半永久的にAIが高度化する状態になっています。
この構造を利用して、情報資本はAIを高度化させて人類を貧困化させAIを高度化させ人類を貧困化させAIを高度化させ人類を貧困化させ・・・利益を創造ならびに増大させているのです。
このように、情報資本が儲かって儲かって儲かって仕方がない二つの理由があります。
一つ目は人知をタダ同然で買い叩けているということ。
二つ目は1995年体制という構造があるということ。
この二つの理由をドライビングフォースとして情報資本は今この時も利益を増大させているのです。

すべての道は情報資本に通ず

21世紀に入ってから何だか愉快な出来事が沢山起こっていますが、ここでは一つだけ述べておきましょう。
21世紀に入って、急に個人情報の扱いが厳しくなったとですよ。
22世紀の読者は絶対に信じないでしょうが、1995年前後まではプロ野球名鑑やら将棋年鑑に選手や棋士の「住所」が掲載されていました。
血液型だったり家族の名前だったり、タバコは何本吸うのか?と言ったトップシークレットに至るまで個人情報が赤裸々に掲載されていたのです。
ところが、21世紀に入ってからすっかり個人情報の扱いが厳しくなり、そんなことは言語道断の時代になっています。
これによって、人々の個人情報の価値が高騰していきました。
その一方で、ネットの爛熟にともなって情報資本は人々の個人情報をいとも容易く蒐集できるようになっています。
「人知の商品化」によって情報資本は「誰が」「いつ」「どこで」「何を」「どのように」「あんなことや」「こんなことや」・・・と言った個人情報以上のものを濡れ手で粟で獲得できるようになったのでしたね。
この情報資本が保有している個人情報の価値が、国家政府が個人情報の規制を強化することによって高騰しているのです。
これはどういうことでしょうか?
確認すると、国家政府が規制を強化したために、情報資本が蒐集し保有している個人情報の価値が高騰している訳ですよね。
これは国家政府による情報資本への利益誘導に他なりません。
非常に簡単な構造であり、22世紀の人々は「先輩たちはそんなことにすら気付かなかったの?」と思っていることでしょう。
実は気付かなかったのですよ。
情報資本への利益誘導は何も個人情報規制だけではありません。
ポリコレ、コンプライアンスの徹底、SEO・・・
21世紀に入って生じた潮流のほとんどが情報資本への利益誘導となっています。
その潮流を作り出しているのは何をいわんや情報資…
…詳細については後章に譲ることにしますが、現状は兎に角「すべての道は情報資本に通ず」といった有り様になっているのです。

産業革命の衝撃

ここから産業革命に遡って、資本と情報資本の違いについての解像度を上げていきましょう。
18世紀の末に始まった産業革命によって、人々の生活スタイルが大きく変遷していきました。
それまで、人々の大多数は農村で田畑を耕し、主にボランティア無償贈与や物々交換によって生活を成り立たせていました。
ところが、産業革命によって人々は工場や会社で働いてカネを稼ぐようになっていったのです。
近代に入ると人々は工場や会社で働きカネを稼ぎ、そのカネで様々なサービスを購入して豊さを完成させるようになったのです。
「カネ」貨幣というものが生きるために不可欠な時代になっていったのですね。
カネがぐるぐると回ることで世の中が豊かになる「近代貨幣経済」の時代に変遷していったのです。
この貨幣経済の肝が「労働の商品化」でした。
下図を眺めながら話しを聞いてください。

   労働
   →→
労働者  会社、工場/資本
   ←←
   カネ(労働所得)

労働の商品化イメージ図

産業革命以降の人々は、会社や工場に行って働くことでカネを獲得するようになっていきました。
この時にタダでカネをもらっている訳ではありません。
労働しているからカネをもらっているのであり、労働という概念を売却しているからカネを獲得できているのです。
労働とカネの等価交換。
つまり、労働が商品化されているのです。
この「労働の商品化」は世の中を豊かにするための大発見でした。
生物学的人類であれば誰であっても働くことは出来ますよね。
したがって、誰でも労働という商品であれば持ち合わせがあります。
刀だったり鎧だったり原油だったり、そうした商品はごくごく一部の人しか持っていませんが「労働」という商品であれば誰でも持っているのです。
「誰でも持っている概念」
ここに労働という商品の特徴があったのです。
誰でも持っている労働が商品化されたことで、誰でもカネを獲得することが可能になりました。
その結果、誰もがカネを獲得できるようになって世の中にあまねくカネが供給されていったのです。
そして、カネがぐるぐると回るようになっていき、貨幣が世の中を豊かにする貨幣経済が実現したのです。
つまり、労働が商品化されたことで貨幣経済が機能するようになったのです。

労働の商品化→貨幣経済が機能
人知の商品化→情報経済が機能

もう一つ大切なことがあります。
会社や工場などがカネを労働の対価として労働者に支払うようになったから貨幣経済が機能し始めた訳ですよね。
ここで会社や工場は「資本」と呼ばれます。
会社や工場はビジネスの本体であり主体であることから資本と言われるようになったのです。
つまり、貨幣経済の主体は資本であり、資本が労働を買い取ってカネを人々に供給することで貨幣経済が機能するようになったのです。

      基軸商品 主要経済 経済主体
近代20世紀 労働  貨幣経済  資本
現代21世紀 人知  情報経済 情報資本

ここまでをまとめると、誰もが持っている労働という概念が商品化され、労働の対価として誰もがカネを獲得できるようになり、カネが末端の人々にまで行き渡ったから近代貨幣経済が機能するようになった訳です。
そして、そこで主体となっていたのは間違いなく「資本」です。
なぜならば、資本が労働を蛇口弁としてカネを供給したから世の中にカネが行き渡ったからです。
商品の引換券になるカネがなければ貨幣経済は回りません。
もし仮に、資本が物々交換の原理で現物を労働者に支給していたら、そこから先も物々交換が続いて貨幣経済の発展はありませんでした。
労働が商品化され、資本によって労働がカネに変えられるようになったから近代貨幣経済は機能するようになったのです。

近代20世紀と現代21世紀

本書では産業革命からIT革命まで期間を「近代20世紀」と呼びます。

1795年 産業革命
      労働の商品化
     「近代20世紀」開始
      貨幣経済の拡大
1995年 IT革命
      人知の商品化
     「現代21世紀」開始
      情報経済の拡大
      貨幣経済の縮小(失われた30年)

産業革命が始まった1795年からIT革命が始まった1995年までの期間を「近代20世紀」と呼ぶわけです。
そして、IT革命以降を現代21世紀と呼ぶこととします。
この区分にどういう意味があるのかをざっくりとここで解説させてください。
産業革命からIT革命の間は、人々は働くことのみで豊かになっていきました。
先ほど述べたように、人々は会社に行って労働を商品化売却しカネを得て豊かになっていったのです。
しかし、1995年のIT革命によって新しい豊さが創造されました。
人々はネットに繋いで豊かになることが可能となったのです。
ここから人々は二つの異なる方法論で豊かになっていきました。

       豊かさの方程式     経済
近代20世紀   働く       貨幣経済
現代21世紀 働く+ネットに繋ぐ 貨幣経済+情報経済

会社に行って働くことと、ネットに繋ぐこと。
IT革命以降の人々は、この二刀流で豊かになることが可能となったのです。
ここで豊かさというものは人類にとって不可欠な概念です。
そして、豊かさを創り出す経済というものも不可欠な概念です。
豊かさも経済も人類にとって不可欠な概念であり、不可欠であるが故にとても根源的な存在であって、それが変遷すると人々の暮らしは根本から大きく変化することとなります。
だから、豊かさと経済が変化した場合には、それぞれの時代をしっかりと区分した上で、両者の違いをよく観察しなければならないのです。
そうすることで初めて、見えてくるものが無数にあります。
現代21世紀初頭の人類はこれを怠りました。
IT革命が起こった起こったと囀りさえずりながら、何が変化したのかを言語化せず、人々の生活が根本部分から変化しているのにそれに気付かず、情報資本に無制限の搾取を許してしまっています。
つまり、近代20世紀と現代21世紀を区分することで、搾取しているものの変遷に気付けるのです。

       経済主体 搾取主体 基軸商品 搾取商品
近代20世紀  資本   資本   労働   労働
現代21世紀 情報資本 情報資本  人知   人知

先ほど、IT革命によって経済主体が資本から情報資本に変遷しつつあることを匂わせましたが、それはとりもなおさず搾取主体の変遷でもあります。
かたや近代20世紀においては、資本が貨幣経済の中で人々の「労働」を安く買いたたき、つまりは労働を搾取して莫大な利益を創造していました。
かたや現代21世紀においては、情報資本が情報経済の中で人々の「人知」を安く買いたたき、つまりは人知を搾取して莫大な利益を創造しているのです。
このように、近代20世紀と現代21世紀を区分することで、極めて体系的に語ることが可能となるのです。
読者の皆様にとって分かりやすくなる。
これが両者を明確に区分する本当の理由なのですね。
また、これから先において、読者の分かり易さをさらに重視して、資本のことを「一般資本」と表記することとしましょう。

IT革命の衝撃

1995年のIT革命は世界を変えました。
ここから先については、2026年現在において今だまっとうに言語化解釈されていません。
世界初公開の解釈です。
IT革命が始まって31年を経てようやく「IT革命とはなんぞや?」が明らかにされる訳です。
厳しい言い方になるかもしれませんが、21世紀の人類はこの作業をサボったために混迷の最中におり、それは完全に自業自得だと言えます。
ここから21世紀の人類は本書をよく読んで、世界を22世紀の人類にしっかりと継承しなければなりません。
では、IT革命によって世界がどう変わったのかを解説していきましょう。

1795年 産業革命
      労働の商品化
     「近代20世紀」開始
      貨幣経済の拡大
1995年 IT革命
      人知の商品化
     「現代21世紀」開始
      情報経済の拡大
      貨幣経済の縮小(失われた30年)

導入で少しだけ述べたように、IT革命は「人知」を商品化しました。
インターネットの解禁によって、人々はネットに繋ぎサービスを獲得できるようになったのです。
その時、ネット利用者がサービスを獲得する対価として人知を搾取されています。

   人知
   →→
利用者  ネット/情報資本
   ←←
  サービス(情報所得)

知の商品化イメージ図

   労働
   →→
労働者  会社、工場/一般資本
   ←←
   カネ(労働所得)

労働の商品化イメージ図

このように二つのイメージ図を並べて観ると分かりやすいでしょう。
20世紀の一般資本は「労働」を搾取することによって利益を創造しましたが、21世紀の情報資本は「人知」を搾取することによって利益を創造しているのです。
さらに一般資本が「貨幣経済」を主戦場としているのに対し、情報資本は「貨幣経済」を主戦場としているという違いもあります。
この2つの違いによって、一般資本と情報資本では利益のスケールが蟻と象のように異なります。

     搾取商品 活動経済 ネタバレ 利益率
一般資本  労働  貨幣経済  有り   小
情報資本  人知  情報経済  無し   大

一般資本と情報資本の比較 ビジネスモデルをネタバレされている一般資本は苦戦を余儀なくされているが…

まず、一般資本が貨幣経済の中で労働者から「労働」を搾取して利益を上げているメカニズムは、近代20世紀から人々に知れ渡っており、労働者は搾取されないように警戒してきました。
そのため、この労働搾取型のビジネスモデルでは利益を創造するの難しくなっており、一般資本は苦戦を強いられているのです。
次に、情報資本が情報経済の中でネット利用者から「人知」を搾取して利益を上げているメカニズムは、2026年現在においても全く知られておらず、ネット利用者は搾取され放題で警戒の素振りもありません。
そのため、この人知搾取型のビジネスモデルは莫大な利益を創造することが可能で、情報資本は我が世の春を謳歌しているのです。

知の境界線の蒐集

人知の商品化、人知の蒐集、人知の搾取と言われてもいまいち「ピキーン‼︎」とこない読者も多いことでしょう。
「確かにネットに繋いだ時に大切な何かをパクられている気がするけど、何なのかはわからない」というのが読者の最大公約数といったところでしょうね。
本項で読者が情報資本に何をパクられているのかのイメージをはっきりさせましょう。
例えば、読者が検索エンジンを利用する時。
読者は知っている言葉を用いて知らない概念を調べますよね。
「情報資本論 若い頃🔎」
「情報資本論 単体🔎」
といった塩梅で、知っている言葉を組み合わせて、未知なる何かを知ろうとする訳です。
この時、読者の知っていることと知らないことの「境界線」が剥き出しになって可視化されます。

知 | 無知
知 | 無知
知 | 無知

「|」 検索エンジンは知の境界線を搾取している。

上図でいう「|」の部分が情報資本に可視化されて搾取されていくのです。
これはどういうことになるのでしょうか?
読者が知っていることでもなく、かといって知らないことでもなく、その間にある「知の境界線」だけを蒐集して情報資本はいったい何をしたいのでしょうか?
まず、エリートの読者が知っていることは膨大でありほぼ無限ですよね。
さらに、エリートの読者といえども知らないことは膨大であってほぼ無限ですよね。
したがって、情報資本が読者の「知」をすべて蒐集しようとしてもそれは現実的に不可能です。
同じように、情報資本が読者の「無知」をすべて蒐集しようとしてもそれは現実的に不可能です。
だから、エリートたる読者の人知をすべて蒐集して再現しようなんて傲慢もいいところに思えちゃいますよね。
でもね、裏技があるのです。
「|」だけであれば比較的容易に蒐集できるじゃないですか。
知的好奇心旺盛な読者が夜な夜な検索エンジンにあれやこれやを打ち込むことによって、知の境界線だけが情報資本によってバッチリ蒐集されていたのですよ。
この知の境界線部分だけを情報資本が蒐集して再現したらばどうなると思いますか?
エリート読者を模した読者AIが出来上がります。
あくまでも即席ではありますが、読者がどこまでを知っていてどこからを知らないかを再現したAIにはなりますよね。
このように、検索エンジンは知の境界線を蒐集して効率的にAIを開発するのに利用されています。
ネットには検索エンジンだけではなく様々なサービスがあるわけですが、似たようなやり口で読者の何かしらの「知」を蒐集してAI開発に利用しているのです。
これが人知の商品化、人知の蒐集、人知の搾取のイメージです。

情報資本_現代の錬金術師

「先輩方はどんな苦労をなさっていたのだろう?」
22世紀の人達は本書で21世紀に思いを馳せたことで、21世紀の人類の生き様に俄然興味が湧いているはずです。
第一章も終わりますので、21世紀の人類がどんなに滑稽な生活をしていたのかを紹介しておきましょう。

通勤電車でスマホを触る→会社で働く

21世紀の基本形

これが21世紀の基本形です。
恐ろしいですよね。
見事なまでに21世紀の人類はブレーキを踏みしめたままアクセルを吹かしています。
そして、そのことに全く気付いていません。
22世紀の人々は腹を抱えて笑っていることでしょうが、野暮を承知でツッコミどころを解説していきますね。

通勤電車でスマホを触る→人知の商品化→AI高度化→雇用減少→給与減少

スマホを触ると給与が減少するメカニズム

まず、スマホを触るという行為はネットに接続する行為とイコールであり人知が商品化されますよね。
人知が商品化されて情報資本によって蒐集されるとAIが高度化して雇用が減少します。
雇用が減少すると仕事の取り合いが起こって給料が減少していきますよね。
つまり、スマホを触ると給与に減少バイアスが加わります。
ここまでが上図で示した内容ですが…
21世紀の人類はここまでを朝イチで済ませた上で、会社で働いているのですよ。
スマホを触り自分たちの給料を減らして、さあ会社で働くぞとなっている訳ですね。
そりゃあ真っ当な給料は望めません。
これが1995年から2026年の日本で繰り広げられている失われた30年の簡易メカニズムです。
22世紀の人々から見ると滑稽に映るかもしれませんが、21世紀の人類にも相応の言い分があるのです。
先ほどのチャートの続きを考えてみましょう。
次のチャートを見てください。

雇用減少→給与減少→安いサービスを求める→通勤電車でスマホを触る

給与が減少すると人々がスマホを触るメカニズム

雇用が減少して給与も減少している。
流石にこれぐらいは21世紀の人類も認識できています。
ただし、言い換えればこれぐらいしか認識できていないから問題なのです。
さてさて、給与が減少すると人々は安いサービスを求めるようになります。
結果、表向き無料のサービスがてんこ盛りのスマホを触る機会が増えるのです。
これが給与が減少すると通勤電車でスマホを触る人が増えるメカニズムです。
簡単に言い換えれば、働いて稼げなくなったからネットに繋いで稼ぐようになっている訳ですね。
では、せっかくだから2つのチャートを合体させてみましょう。

給与減少→安いサービスを求める→スマホを触る→人知の商品化→AI高度化→雇用減少→給与減少→・・・♾️

人類貧困化とAI高度化の無限スパイラル 1995年体制

給与減少とスマホを触るという現象が連鎖しながら無限スパイラルを形成していることが判明しました。
何だか知らないけど給与が減少して、仕方ないからスマホに触って無料のサービスをこれでもかと活用するようになり、そしたら人知を蒐集されちまってAIが高度化し、雇用が奪われてまたもや給与が減少しちゃったから明日からはもっともっとスマホを触らなきゃ…
こういう流れになっているのですね。
この流れを書き換えれば、次のチャートになりますね。

働いて稼げなくなる→ネットに繋いで稼ぐ→働いて稼げなくなる→ネットに繋いで稼ぐ→・・・♾️

21世紀人類の基本形

このスパイラルをグルグルと回しながら、21世紀の人類のほとんどが会社に行って働いているのです。
わざわざ朝イチからスマホに触りまくって自分たちの給与をこれでもかと減少させてから会社に行っているのですよ。
「ネットに繋がなければいいじゃん」
22世紀の人々は当然こう思いますよね。
しかしながら、21世紀のど真ん中を生き抜いている者の肌身感覚で言わせてもらうと、「何だか魔法にかけられたかのように皆んなが電車でスマホを触っていた」といった風情なんですよ。
「何だろう、世の中の情報すべてがスマホを触れといっているように聞こえる」といった塩梅かもしれませんね。
今やこれは日本だけでなく世界全体で見慣れた光景になっています
スマホばっか触って自分たちを貧しくして、貧しくなったからもっともっとスマホを触ってますます貧しくなって…
やっぱり、21世紀の人類はどいつもこいつも救いがないですね。
救いがあるとすれば、こんな世の中でもしっかりと莫大な富を蓄えているモノがいるということです。
それが情報資本です。
人類がスマホを触って貧しくなった分だけ情報資本は利益を増大させています。
知の商品化、知の蒐集、知の搾取によってAIを高度化させて情報資本は一人たくましく利益を増大させているのです。

AI高度化→AIによる情報誘導→ネット接続時間増加→人知の商品化加速→AI高度化→AIによる情報誘導→・・・♾️

情報資本のビジネスモデル

これは本章で形を変えて何度も何度も何度も出てきた情報資本のビジネスモデルですが、もっとも興味深いところを示しましょう。
情報資本の商売道具はAIとITであり、どちらも情報をイジるための技術です。
したがって、AIが高度化すると情報による誘導力が強くなっていくんですね。
今や高度化したAIで人々がスマホを触るように仕向けることも余裕のよっちゃんでしょうねえ。
人々は通勤電車の中でずっとスマホを触っているので、彼らを洗脳することは極めて容易です。
これが「何だか魔法にかけられたかのように皆んなが電車でスマホを触っていた」の正体です。
だから、現代21世紀の人類はネットに繋がないで生きるという選択肢を奪われ、今日も朝イチからスマホを触って自分たちを貧しくしているのです。
このようにして、AI高度化と人類貧困化の無限循環スパイラルの中で情報資本は今この時も利益を増大させています。
人知という本来かけがえのない価値のある概念を、タダ同然で人々から搾取することで、情報資本は途方もない利益を創造しているのです。

第二章 情報グローバル化

       主要経済 経済主体 基軸商品 
近代20世紀 貨幣経済 一般資本  労働
現代21世紀 情報経済 情報資本  人知

情報資本とは情報経済の搾取主である。

第一章では「情報資本とは何なのか?」をテーマにざっくりと語らせてもらいました。
近代20世紀から現代21世紀にかけて世の中に大きな変遷が生じ、新しい情報経済が台頭してくる中で、人々の人知を搾取する「情報資本」がこの情報経済の主体として君臨するようになりました。
そして、情報資本は情報経済の中では人々に豊かさを付与しながら、従来の貨幣経済においては人々に貧困をもたらすという何とも奇妙な存在になっています。
第二章では「現代21世紀はなぜこうなってしまったのか?」を掘り下げて解説していきます。

情報の国境を無視した移動

1795年 産業革命
      労働の商品化
     近代20世紀スタート
      貨幣経済の拡大
1995年 IT革命
     情報グローバル化
      人知の商品化
     現代21世紀スタート
      情報経済の拡大
      貨幣経済の縮小

簡易年表

インターネットが解禁されIT革命が勃発したことによってAIが高度化を開始しました。
第一章ではこのように述べましたが、実のところそれだけではAIは高度化しません。
膨大な人知の蒐集ならびに解析が出来て初めて人工知能たるAIは高度化するため、わずかばかりの人知を蒐集しただけではAIを高度化させられないのです。
そのためAI高度化のためには、世界から広く・多くの人々の知性にまつわる情報を蒐集できる体制を構築しなければなりませんでした。
情報が国境を無視して移動する。
こうした状況がAI高度化のためには不可欠だったのです。
そして、1995年のIT革命にともなって情報が国境を無視して移動を開始しました。
1990年の冷戦終結と前後してインターネットインフラの整備が急ピッチで進行し、インターネットが解禁された1995年に情報が国境を無視して移動する時代が始まったのです。
この情報が国境を無視して移動している状態のことを本書では「情報グローバル化」と呼ぶこととしましょう。
情報グローバル化は世界の一極にいながらにして、世界中の人々の膨大な情報を蒐集することを可能にしました。
さらにそれまではアナログだったデータが電子によって送信・受信できるデジタルデータに変換されたことで、圧倒的に速く、圧倒的に手軽に、圧倒的な量の情報を、圧倒的に低コストで蒐集することが可能となったのです。
これによって、膨大な量の人知を蒐集することが可能となり、AIが高度化を開始したのです。

情報一極集中

情報には、特に人々の知性にまつわる情報には「一極に集中する」という性質があります。
これを本項では解説しましょう。

人知の蒐集→AI高度化→ネットサービスの質が向上→サービス利用者増加→人知の蒐集→・・・♾️

情報一極集中のメカニズム①

本項では少し趣きを変えて情報資本の視点からも解説していきましょう。
まず、情報資本はネットサービスを餌にしてネット利用者から人知を蒐集します。
ここでは仮に、検索エンジンというネットサービスを餌にして人知を蒐集する場合を試考していきましょう。
検索エンジンに様々なフレーズを人々に打ち込ませることで、情報資本が知の境界線を蒐集していることは既に述べました。
利用者から見れば検索サービスを得る代償として人知を差し出しているわけですが、情報資本から見れば検索サービスを与える対価として人知を蒐集しているわけですね。

   人知
   →→
利用者  検索エンジン/情報資本
   ←←
  検索サービス

検索エンジンによる人知の蒐集スキーム

人知を蒐集した情報資本はそれを利用して人工知能たるAIを高度化します。
そして、高度化したAIを利用してネットサービスをさらにグレードアップしていくのです。
ここでは検索エンジンというネットサービスの質を高めることとなります。
人々の知の境界線を蒐集していくことにより、より高精度に検索行為を先回りして予想することが可能となっていくのです。
「コロナ🔎」→「コロナ禍🔎
「コロナ」と検索エンジンに打ったらば「コロナ禍」と予測検索が表示されますが、これは人々がコロナと打ったら高い確率でコロナ禍を検索することを膨大なデータからAIが学んだ成果です。
このようにして、人々が検索エンジンを利用すれば利用するほどAIが高度化して検索エンジンは便利になっていきます。
そして、便利になった検索エンジンを人々は利用したがるため、ますますその検索エンジンサービスに人知が蒐集されていき、その検索エンジンAIだけが高度化していきます。

あるネットサービスが便利になる→利用者増加→あるネットサービスが便利になる→利用者増加→・・・♾️

ネットサービスに限らずどんなサービスであっても、便利なサービスに人々が群がっていくトレンドはありますが、そのトレンドは物理的な制約によって限定的にならざるを得ません。
例えば、新聞宅配サービスというものは移動上の制約によってアメリカから日本に宅配することは困難です。
例えば、手相占いサービスというものは移動上の制約によって東京から大阪に届けることだって出来ないでしょう。
このように、従来型の貨幣サービスの場合には上述した利用者が増加していくトレンドは極めて限定的だったのです。
翻って、ネットサービスはそうではありません。
情報が国境を無視して移動してしまうため、世界中の人々がもっとも便利なネットサービスに群がることになります。
検索エンジンサービスであれば検索エンジンサービスの中でもっとも利便性の高いサービスに世界中の人々が群がり、その検索サービスの中のAIだけが高度化して、より利便性が高くなってますます人々が群がるようになってAIが高度化し、さらに優れた予測検索を提示できるAIを中枢に据えた検索サービスにより多くの人々が群がって・・・
こうした一人勝ちの潮流が生まれて、あるネットサービスにおいて勝ち残れるのは一つの情報資本だけになりがちです。
実際、2026年時点においてはこの一人勝ちのトレンドが極めて顕著です。
例えば、検索エンジンサービスには多くの情報資本が参入していますが、事実上利用されているのは一つの検索サービスだけといった状況です。
その結果、人知がその検索エンジンだけに「一極集中」し、その検索エンジンを運営する情報資本のAIだけが高度化し、その情報資本が運営する検索エンジンだけが便利になって、ますます人知がその検索エンジンだけに「一極集中」し・・・

A社の検索エンジンが便利→利用者が群がる→情報一極集中→A社の検索エンジンが便利に→利用者が群がる→情報一極集中→・・・♾️

情報一極集中の無限スパイラル

このようにネットサービスにおいては、一度利便性の差が生じると、情報一極集中が止まらなくなってある情報資本の一人勝ち状態も止まらなくなってしまいます。
この情報一極集中という現象は、情報が国境を無視して移動してしまうために生じている現象です。
さらに、1995年以降に台頭した情報資本は既に一般資本を凌ぐスケールとなっていますが、その理由もこの情報グローバル化にあります。
情報グローバル化によってAI開発の原材料である人知を世界中からくまなく蒐集できるようになったため、情報資本のビジネスは自ずと世界を股にかけた巨大なものになるのです。
かたや、一般資本は「労働」という基軸商品を周辺からしか調達できません。
そのため、常に安価な労働を搾取できるとは限らないために利益は限定的となります。
かたや、情報資本は「人知」という基軸商品を世界中から調達できます。
そのため、常にタダ同然でなおかつ膨大な人知を搾取できるため、利益はおよそ無尽蔵となります。

     主戦場  搾取商品 搾取制約 利益
一般資本 貨幣経済  労働   有り  限定的
情報資本 情報経済  人知   無し  無尽蔵

このように、貨幣経済を主戦場とする「一般資本」と情報経済を主戦場とする「情報資本」ではそのスケールもその利益の大きさも桁が異なります。
情報グローバル化の恩恵によって、世界中から人知という原材料を無尽蔵に調達出来ている「情報資本」はその利益もまた無尽蔵になっているのです。

情報一極集中と東京一極集中_貧困への2つの抗い

現代21世紀に入って都市部への人口の集中が取り沙汰されています。
特に日本では東京一極集中が深刻ですが、この都市部への人口一極集中現象は実のところ情報一極集中と表裏の関係にあります。

情報一極集中→AI高度化→人類貧困化→ネット利用時間増加+人口一極集中→情報一極集中→AI高度化→・・・♾️

まず、情報一極集中によってAIが高度化しますが、それが人類に貧困バイアスを加えるところまではもう読者の皆さんならば大丈夫でしょう。
ここで貧困化した人類は2つの対処法を取ることになります。
一つ目の対処法はこれまで縷々述べてきたようにネットに繋いで無料のサービスを獲得する対処法ですね。
二つ目の対処法は「集住」することで貨幣経済の効率を上げる対処法です。
例えば、集まって住めば新聞配達コストが安くなるため、貨幣経済の効率が上がって新聞配達サービスが機能するようになります。
例えば、集まって住めば占い師の皆さんも相応のお客さんを確保できるため、占い師という職種が再び機能するようになります。
このように一極集中による「集住」は貨幣経済の効率を高めてテコ入れすることが出来ます。
かたや、ネットに繋いで無料のサービスを獲得するのは「情報経済」で豊かさを補填するという方法論ですね。
かたや、集住するという方法論は再び「貨幣経済」で豊かさを取り戻そうという方法論ですね。
貧困化していく人類はこの二つの方法論を合わせて用いることで生活レベルを保とうとするのです。
つまり、ネット利用時間を増加させながら人口が一極集中していくことになります。
しかしながら、やはりネット利用時間増加にともなって人知の蒐集がなされAIが高度化するのは致し方のない趨勢です。
どんなに都市に一極集中して集住しても、貨幣経済のサービスは無料になってくれないので、表向き無料であるネットサービスの利用が増加する趨勢は止まらないのです。
したがって、人々がより便利なネットサービスを利用することで情報の一極集中が加速し、AIが高度化してしまうのです。
このようにして「情報一極集中→人口一極集中→情報一極集中→人口一極集中→・・・♾️という無限スパイラルが形成され、現代21世紀は情報が一極集中しながら人口が一極集中するという事態が世界全体で進行しているのです。
特に1995年以降において貨幣経済の縮小が顕著な日本では、貧困バイアスに抗うために東京への一極集中は凄まじいものがあり、それと同じぐらい日本人の情報一極集中すなわちネット接続時間の増加は凄まじいことになっていると予想されます。

失われた30年と情報グローバル化

情報が国境を無視して移動する。
情報グローバル化は1995年以降の事象であり、これは日本におけるいわゆる失われた30年の期間とドンピシャ合致します。
この合致は偶然などではありません。
本項では失われた30年と情報グローバル化の関係を掘り下げていきましょう。
情報グローバル化によってAIが高度化を開始しましたが、それによって現代21世紀がどうなっているかといえば下図のようになりました。

情報一極集中→東京一極集中→情報一極集中→・・・♾️

上図は前項で示したチャートですが、これが何をいっているかといえば、次のように書き換えれます。

情報経済の拡大→貨幣経済の縮小→情報経済の拡大→・・・♾️

かたや、情報一極集中とはすなわち情報流通の活況化であり情報経済の拡大を意味しますよね。
情報経済の中で人々がより多くのネットサービスを得てより豊かになっているわけです。
かたや、東京一極集中とはすなわち貨幣流通の停滞の結果であり貨幣経済の縮小を意味しますよね。
貨幣経済の中で人々が豊かになれなくなっているというわけです。

情報一極集中→東京一極集中→情報一極集中→・・・♾️
情報経済の拡大→貨幣経済の縮小→情報経済の拡大→・・・♾️

両者は同じことをいっている。

つまり、1995年以降の日本では「情報経済の拡大」と「貨幣経済の縮小」が連鎖しながら無限スパイラルを形成しているのです。
簡単に言い換えれば、「ネット利用時間の増加」と「日本人の貧困化」が連鎖しながら無限スパイラルを形成している訳ですね。
少しだけ難しく言い換えれば、「人知の商品化」と「労働の非商品化」が連鎖しながら無限スパイラルを形成している訳ですよ。
これらを確認していきましょう。

貨幣経済の縮小・不景気→→労働商品が売れなくなる→日本人の貧困化→ネット利用時間増加→人知商品が売れる→情報経済の拡大・情報経済の好景気→→AI高度化→貨幣経済の縮小・不景気→→・・・♾️

1995年体制 貨幣経済の縮小と情報経済の拡大の無限スパイラル このスパイラルが回るためには何かしらの「きっかけ」が必要だった。

1995年のIT革命と同時に情報グローバル化がなされ、人知をはじめとする情報が国境を無視して移動するようになりました。
これによって、人々がネットを利用することでAIが高度化し雇用が減少して貨幣経済が縮小してしまうという状況が出来上がりました。
そこから先は例の無限スパイラルがグルグルと回ってしまいます。
世界中でこういった状況になっていたのです。
しかし、このスパイラルが回るためにはある条件がありました。
強力な貧困バイアスが必要だったのです。
強力な貧困バイアスがかかることで初めて、人々はインターネットという海のものとも山のものとも分からない「藁」に縋ることになります。
誰も好きこのんで得体の知れないインターネットなんてものを利用する気にはなりませんでした。
よっぽどの事情がない限り、人は急激にライフスタイルを変化させることはないのですよ。
世界ではインターネットというものが広がって行きましたが、特に皆さん困っておられなかったので、積極的にインターネットを利用することはありませんでした。
したがって、例の無限スパイラルはなかなか回転を始めなかったのです。
しかし、日本だけは違いました。
1990年代の中葉に金融バブルが弾け、強力な貧困バイアスが日本中に吹きふさびました。
結果、日本では貨幣経済が1997年から縮小を開始し未曾有の長さの不景気に苛まれ、日本人はインターネットという「藁」に誰よりも早く飛びついてしまったのです。
・・・貨幣経済が不景気になったために商品やサービスが売れなくなり、当然、「労働」という商品も売れなくなって日本人は貧困化し、貧困化した日本人はネット接続を増やして無料のネットサービスを出来る限り利用し、その際に「人知」という新しい商品を情報資本に売ってAIの高度化を許し、高度化したAIが更に日本人から雇用を奪うため、さらに日本人は貧困化し・・・
ここから、日本において世界に先駆けて「貨幣経済の縮小」と「情報経済の拡大」の無限スパイラルが回り始めてしまったのです。

バブル崩壊→→→貧困バイアス→ネット利用時間増加→人知の商品化→AI高度化→雇用減少→労働の非商品化→貧困バイアス→・・・♾️

バブル崩壊のタイミングで何故かインターネットが解禁され、日本人がその「藁」に縋ってしまったがために、この無限スパイラルが回り始め、失われた30年に今も日本人は苛まれているのですね。

情報グローバル化と奪われた30年

本項ではちょっとだけ細かいことを述べますが寛大な心で許してくださいね。
きっと本項で「情報グローバル化の何がいけないのか?」が明確になるはずです。
ところで、「失われた30年」と日本人は呼びますがこれではダメです。
「失われた30年」と言っている間は、ずっと日本人が貧乏になってしまうということです。
本項で「失われた30年の終わらせ方」を伝授しましょう。
結論からいえば、これは「奪われた30年」と呼ぶべきです。
その大前提に立ってもう一度例のスパイラルを眺めてみましょう。

人知を奪われる→AI高度化→雇用を奪われる→豊かさを奪われる→仕方がないからネットに繋ぐ→またもや人知を奪われる→またもやAI高度化→・・・・♾️

1995年体制

こうしてみると、この30年間で奪われたものが簡単に見つかるはずです。
人知を奪われ、雇用を奪われ、豊かさを奪われ・・・
日本人が多くのものを奪われてきたことがわかりますよね。
ところが、日本人は「失われた」と言っています。
ここに原因があるのです。
日本人は「失われた」という大前提に立ってこの30年を過ごしてきました。
「勝手になくなっているんだ」という大前提に立って日本の不景気を眺めてきたのです。
それでは原因が見つかりません。
何故ならば、明確に外部から奪われているのですから。
情報資本によって、人知と雇用と豊かさを奪われてきたのです。
そして、ここで重要なことがあります。
日本国内には有力な情報資本がありません。
情報資本は日本の外部にあり、そこで情報グローバル化の恩恵を受けて、外部にありながら日本人の人知と雇用と豊かさを奪い続けているのです。
情報が国境を無視して移動するため、日本の情報は外部にいても簡単に蒐集できますからね。
そのため日本国内から豊かさがどんどん抜けていってしまいました。
まだしも、日本国内に情報資本があれば国内に富はとどまりますが、日本国内に情報資本がないため富がどんどんと外国に抜けていってしまったのです。

AI高度化→貧困化→AI高度化→・・・♾️

1995年体制

その結果、1995年体制の中で日本人はひたすらに貧困化していき、AI高度化における恩恵にはまったくあずかれず、何もいいことがないまま、ただひたすらに奪われ続けて30年間を過ごしてきたのです。
この状態のことを日本人は何故か「失われた30年」と呼びます。
まるで何者かによってミスリードされているかのように、誤った認識のもとに30年を奪われ続けているのです。
このように、情報グローバル化は奪われ続ける国家と民族を作り出します。
インターネット情報経済における人知の搾取に始まり、貨幣経済における雇用と豊かさの搾取へと連鎖していき、悪魔の無限スパイラルの中でその民族が貧困化し尽くすまでこの一連の搾取は続くのです。
この搾取から逃れるためには、まずはこの搾取構造をしっかりと認識しなければならないでしょう。

情報グローバル化と主権国家体制の有名無実

情報グローバル化が「奪われた30年」を演出している現状を述べました。
本項では、情報グローバル化が主権国家体制を形骸化させている現状を示しましょう。
まず、主権国家体制とは国家が国境線の中で国民の財産を守ることを「是」とする体制です。
国家は国民の財産を守り、その見返りに国民は国家に納税の義務を負う。
これが主権国家体制の根幹部分となります。
ところが1995年以降、主権国家体制は形骸化しています。
1995年にIT革命が起こり、情報グローバル化によって「国民の情報」が国境を無視して移動を開始しました。
これによって、国境線が意味をなさなくなっています。
ここで情報というものは国民の重要な財産です。
個人情報の取り扱いが国内で厳しく規制されていることからも明らかなように、国民の情報というものは重要な財産であり、国家が守らなければならない財産です。
だが、この大切な財産である国民の情報が国境線を無視して情報資本にパクられるようになってしまったのです。
ここに国家は国民の財産を保護するという義務を果たさなくなりました。
主権国家がその義務を放棄してしまったのです。
したがって、1995年以降の世界では主権国家体制というものは形骸化の一途を辿っています。
考えて見て下さい。
日本という国家が義務を果たさず、日本人の人知にまつわる情報を海外の情報資本にパクらせたことで何が起こったのかを?
海外でAIが高度化し、日本国内で日本人の雇用を奪い、日本人の豊かさは30年間にわたって減衰しています。
つまり、情報グローバル化を放置したために奪われた30年はもたらされたのです。

情報グローバル化とイラン戦争

情報グローバル化には戦争を頻発させるという弊害があります。
本項では情報グローバル化が戦争を頻発させるメカニズムを示しましょう。

情報グローバル化→→AI高度化→貧困化→資源の奪いあい→騒乱→人知の蒐集→AI高度化→・・・♾️

AI高度化と騒乱の無限スパイラル 1995年体制

情報グローバル化が世界中から人知の蒐集を可能にしてAIを高度化させました。
その結果、現代21世紀の世界には常に貧困バイアスがかかっており、資源が不足しがちになっています。
情報資本に富が一極集中する分だけ、それ以外の富が不足して資源の奪い合いが起こる訳ですね。
こうして騒乱が起こります。
騒乱が起こると、人々は非常時の情報や新しい情報を求めてネット接続を増やします。
この時に人知が蒐集されてさらにAIが高度化するのです。
こうして上チャートに示した無限スパイラルが完成を観ました。
現代21世紀にあっては、AI高度化と騒乱が連鎖しながら無限スパイラルを形成しているのです。
AI高度化が騒乱を引き起こし、騒乱がAIを高度化させ、AIの高度化がまたもや騒乱を引き起こし・・・
なんともAIの高度化というのは罪深い現象だということがわかりますね。
特にAIの高度化ペースが飛躍したコロナ以降において、それに伴って騒乱の規模も大きくなっています。
2022年に勃発したロシアとウクライナの騒乱、そして2026年に勃発したイラン戦争と明確に規模が大きくなっていることがわかります。
さらに目下(2026.6/20時点)継続しているイラン戦争は人々の耳目と生活を大いに騒がせており、世界中の人々がイラン戦争にまつわる反応をネットに拡散させています。
その結果、情報資本は新しい人知を蒐集しさらにAIを高度化させることとなります。
その先において、高度化したAIが人々から雇用を奪い、人類が貧困化して資源の奪い合いが生じ、新しい騒乱が起こるのは残念ながら間違いのない未来でしょう。
このように、情報グローバル化というものは戦争の原因にもなるのです。
しかも、情報グローバル化が継続すればするほど戦争の規模が大きくなり、やがてそれは人類を破綻に導く「大戦」になると予想されます。

情報グローバル化

情報が国境を無視して移動する。
情報グローバル化は現代21世紀の人類にわずかばかりの便益ととてつもない不幸をもたらしています。
確かに、情報グローバル化はAIを高度化させ、ネットサービスの質を高めてそれを利用する人々の豊かさを増しています。
しかし、情報グローバル化は人々から人知を奪い、雇用を奪い、豊かさを奪い、挙句に戦争を引き起こし、人々を大いなる不幸の中に引き摺り込もうとしているのです。
ここでIT革命と情報グローバル化の関係をまとめておきましょう。

IT革命 = ネットの解禁+情報グローバル化

1995年に勃発したIT革命とは、インターネットの解禁と情報グローバル化の足し算だったといえましょう。
ネットの解禁によって人知が商品化されましたが、それだけでは人知が国内だけで循環して国外に流出しないため、体系的な人知の蒐集によるAIの高度化は起こりませんでした。
そこで情報が国境を無視して移動する情報グローバル化がどうしても必要となったのです。
情報グローバル化によって、アメリカ西海岸ないし中南海に情報が一極集中する状況を作り出し、AIが高度化する現代21世紀がスタートしたのです。

1795年 産業革命
      労働の商品化
      貨幣経済の拡大
1995年 IT革命
      人知の商品化
      情報経済の拡大
      貨幣経済の縮小

ネットの解禁によって人知が商品化され、情報グローバル化によってその人知が一極集中を開始し、AIが高度化する現代21世紀が始まったのですね。
だが、情報が国境を無視して移動する情報グローバル化はそれ自体が主権国家体制を真っ向から否定するものでした。
主権国家は国民の財産を国境線の内部で守らなければならない。
この主権国家体勢の原理原則を明確に否定し、国民の財産である人知にまつわる情報が海外の情報資本によって蹂躙搾取され始めたことで、現代21世紀は混迷の境地に向かっています。
人知が奪われ、雇用が奪われ、豊かさが奪われ、戦乱を押しつけられ・・・
その見返りに与えられるのは子供騙しのネットサービスだけ・・・
これでは間尺が合いません。
特に日本では30年にわたって「奪われた30年」が継続しており、今や日本の奪われた30年が次々と世界各国で再現されようとしています。
しかも、他国ではそれが「戦乱」という凄惨なイベントとして降りかかるケースが増えており、情報グローバル化とIT革命のとてつもない弊害が明確に可視化されるようになっています。

第二章では情報グローバル化という現代21世紀ならではの現象を解説しました。
現時点において「グローバル化」といえば、モノ・カネ・ヒトの国境線を無視した移動だと語られることが専らです。
しかしながら、グローバル化における最も重要な概念は「情報」です。
情報が国境線を無視して移動するからこそ、ヒズボラのポケベルが一斉に爆発するなど、国家安全保障はまったくもって形骸化してしまっているのです。
これはやはり主権国家体勢の形骸化といっても差し支えないでしょう。
このように、グローバル化において「情報」のグローバル化は避けてはならない現象です。
ところが2026年時点において情報グローバル化について語ることの出来る人間は世界に3人しかいません。
これこそが大問題であり、情報グローバル化がどんな弊害を世界にもたらしているのかをもっともっと議論していかなければならないのです。

第三章 情報資本主義

近代20世紀は資本を優先する資本主義の時代でした。
翻って、現代21世紀は情報資本を優先する情報資本主義の時代になっています。
第三章では「資本主義」から「情報資本主義」への変遷について解説していきましょう。

頭の中と世の中

22世紀の人々には当たり前のことでも現代21世紀には当たり前でないことが多々あります。
頭の中と世の中の峻別がその典型例でしょう。

       頭の中    世の中
近代20世紀 資本主義   貨幣経済
現代21世紀 情報資本主義 情報経済

近代20世紀と現代21世紀における頭の中と世の中の違い

近代20世紀の人々の頭の中は資本主義であり、世の中の状態は貨幣経済でした。
こんなものは22世紀の人々にとって当たり前ですよね。
ところが現代21世紀に入っても、頭の中と世の中は混同されています。
「資本主義の世の中」という言い回しが大手を振るっているのが現実なのです。
「民主主義政治」というヘンテコな言い回しも一向に衰える気配がありませんね。
兎にも角にも現代人は頭の中と世の中をうまく峻別出来ていないのですよ。
「資本を優先する価値観の持ち主が多くなっていくから、企業を中心に据えた社会が構築されていき、近代貨幣経済が実現したんだ」
と、なんとなく分かっていても、現代人はそれをうまく言語化できません。
その代わりに「資本主義の世の中」などといってしまうのですね。
確かに楽チンでしょうが、何をいっているのか分からないので可及的速やかにやめるべきでしょう。
これを翻訳すると「資本を優先する価値観の世の中」となりますが、それでは価値観の話しをしているのか世の中の話しをしているのか分からないので、議論は空回りを続けてしまいます。
おっと、愚痴が続いてしまいましたね。
そろそろ本編に入りましょう。

資本主義と貨幣経済

       頭の中    世の中
近代20世紀 資本主義   貨幣経済
現代21世紀 情報資本主義 情報経済

近代20世紀において人々の価値観は資本主義でした。
人々は「資本」を優先して思考し行動するクセが身についていたのです。
例えば、労働者は会社(資本)に行って働きましたが、会社(資本)が労働者のもとにやってきてくれたことは一度たりともありません。
これは資本が優先されていたことの証左であり、人々がそれを受け入れていたことの証左でもあります。
例えば、パン屋さんは困っているお婆さんがやってきたらパンを少し安く販売しますが、お婆さんにボランティアでパンをあげたりはしません。
これは資本金儲けが優先されていたことの証左です。
このように、産業革命以降の近代20世紀においては資本を優先する価値観が人々の頭の中に染み付いていたのです。
そして、資本主義の価値観が染み付いていたために、ボランティアではなく貨幣活動が盛んになっていき、近代貨幣経済が機能するようになったのです。
つまり、近代20世紀の人々の頭の中は資本主義であり、近代20世紀の世の中は貨幣経済だったのです。

情報資本主義と情報経済

翻って、現代21世紀。
人々の頭の中も世の中のあり方も変遷しています。

       頭の中     世の中
近代20世紀 資本主義    貨幣経済
現代21世紀 情報資本主義  情報経済

頭の中は「情報資本主義」に変遷し、世の中は「情報経済」へと変遷しているのです。
例えば、現代21世紀の人々は辞書をほとんど買わず、検索エンジンで言葉の意味を調べますよね。
これは一般資本の販売する商品ではなく、情報資本の提供するサービスを利用するという点において情報資本を優先する行動です。つまりこれは「情報資本主義」だといえましょう。
例えば、現代の人々は占い師は高いのであまり相談しなくなり、生成AIに気軽に相談を持ちかけますよね。
これも一般資本の販売する商品ではなく、情報資本の提供するサービスを利用するという点において情報資本を優先する思考です。つまりこれは「情報資本主義」だといえましょう。
このように、現代21世紀を生きる人々は知らず知らずのうちに情報資本を優先する行動をやらかしてしまっているのです。
つまり、「情報資本主義」の頭の中価値観に染まっているのです。
またこのプロセスにおいて、人々は貨幣経済の中で商品やサービスを買わなくなっており、その代わりに情報経済の中でサービスを獲得するようになっているのは明らかです。
このように、現代21世紀を生きる人々は知らず知らずのうちに情報経済を利用するクセがついているのです。
つまり、「情報経済」の世の中へと移行しているのです。

静かなるパラダイムシフト

       頭の中    世の中
近代20世紀 資本主義   貨幣経済
        ↓↓                        ↓↓
現代21世紀 情報資本主義 情報経済

こうして、現代21世紀においてはいつの間にか頭の中も世の中も新しいものに変遷が起こっているのです。
しかしながら、人々の認識はこれに追いついていません。
2026年時点の人々はその大多数が自分たちの価値観を「資本主義」だと認識し、自分たちを豊かにしている経済を「貨幣経済」だと認識しています。

      価値観    経済体制 
人々の認識 資本主義   貨幣経済
  現実  情報資本主義 情報経済    

2026年時点において、人々の認識と現実には大きな齟齬があり・・・

上図のように認識と現実に齟齬が生じているのですね。
検索エンジンばっか使ってるくせに、自分たちは貨幣経済で豊かになってると認識しているのだから、相当に図太いというか鈍いというか…、現代21世紀の人々は「泰然自若」としている訳ですね。
だが、ワタシがこよなく愛する22世紀の人々のために、この齟齬を看過することは絶対に出来ません。
なぜならば、この齟齬こそが情報資本の一人勝ちを許し、このままいくと人類文明を破綻させてしまうからです。
次項から上図の齟齬が人類文明を破綻させてしまうメカニズムを解説しましょう。

情報資本による搾取メカニズム

      価値観    経済体制 搾取商品
人々の認識 資本主義   貨幣経済  労働
  現実  情報資本主義 情報経済  人知   

2026年時点の人々は経済体制を「貨幣経済」だけだと信じて疑いません。
流石に会社に行ったら「労働」が搾取されてしまうということは知っていますが、それだってマルクスの解説本の解説本(マンガ版)で覚えたニワカ知識に過ぎません。
したがって、情報経済の中で情報資本が「人知」を蒐集しているなんて微塵ほども思わないのですよ。
だから、ばんばんばんばんネットに繋いで情報サービスをどんどんどんどんゲットして、その裏側で自分たちの「人知」がガッポガッポ盗まれているなんて気付く素振りすらないのです。
ましてやその先で、情報資本がパクった人知を活用してAIを高度化しやがって、高度化したAIが雇用を奪って自分たちが貧乏になっているなんて夢にも思わないのです。
だから、情報資本は人知を搾取し放題なのですよ。
タダ同然で情報資本が人知をパクれているのは、人々の無知ゆえなのです。
労働が搾取されていることは皆さんマンガでなんとなく知っているので、細心の注意を払って給与明細と睨めっこしますが、人知の搾取についてはまったく無関心なので、ゲットしているネットサービスと自分たちがネットに差し出している人知の価値のアンバランスについては気付けないのです。
したがって、情報資本はタダ同然で人知を仕入れ、それを原材料としてAIを高度化させ、まさに濡れ手に粟で法外な利益を創造しているのですね。
そんでもって、その情報資本の法外な利益の分だけ人々は貧しくなっていると…
こういった現実が見えていません。
もし仮に、この現実が見えていたら、人知が蒐集されていることに対してもっともっと慎重になるのでしょうが、今はこの現実を認識できていないので人知を蒐集され放題なのですね。
よしんば真実に気付いたとても賢しい日本人がいても、情報グローバルのせいで海の向こうの奴らにパクられてるものだから、文句を誰に垂れていいのかわかりません。
消費者センターに文句をいっても相手にしてもらえませんでした(実話)。
このように、情報資本が人知を搾取出来ているメカニズムとは、「人知が搾取されていることに気付かれていない」ということに尽きます。
裏返せば、人知が搾取されていることに少なくない人々が気付けば、彼らのビジネスモデルは一気に瓦解する…ような気もします。

情報資本主義のすゝめ

      価値観    経済体制 搾取商品
人々の認識 資本主義   貨幣経済  労働
  現実  情報資本主義 情報経済  人知  

上図の齟齬が人類文明を破綻させてしまうメカニズムを解説している真っ最中です。
現状では人々の自己認識は「資本主義者」であるため、現実に情報資本を利する行動ばっかりしていることに気付けていません。
現にいまも読者の多くはネットに繋いで「タダだから」というなんとも俗物的な理由で本書を読んでいますよね。
その裏側で情報資本が読者の「誰が」「いつ」「どこで」「何を」「どのように」・・・といった人知をコッソリと蒐集していることを意識出来ていません。
つまり、読者はタダ同然で人知を売り飛ばすという行動をしているくせに(情報資本主義に則った行動ですよね)、自分自身が情報資本主義の価値観で動いていることに気付けていないのです。
その結果、人知をこれでもかと蒐集されてAI高度化と人類貧困化の無限スパイラルを強く強く後押ししてしまっています。

人知の蒐集→AI高度化→人類貧困化→人知の蒐集→AI高度化→・・・♾️

1995年体制 AI高度化と人類貧困化の無限スパイラル

現代読者の認識と現実がズレているがためにこの悪魔のスパイラルが回り、新しい時代の制度設計が間に合わないままに雇用が激減し、人々の大貧困問題を解決できないままに人類文明は資源の奪い合いに終始し、早晩において破綻に至ります。
つまりこのままいくと、現代読者の認識と現実の間に齟齬があるために人類文明は破綻に至るのです。
そうなりたくないのであれば、情報資本主義の価値観で動いているという現実を受け入れるべきでしょう。
スマホを肌身離さずに持ち歩き、「自分がどこにいるのか」を常に情報資本に晒している大胆不敵な行動が一体誰を利するものであるのかを今一度考えるべき時が来たのです。
駅前の商店街はスルーするくせに、ネット通販は常にチェックして商店街をシャッター通りにしたのは一体誰なのかを今一度問うべき時が来たのです。
今や読者の行動のほとんど全てが情報資本を利する行動になっているはずです。
情報資本主義の価値観に則って行動していることを今一度確認して先に進もうではありませんか。

資本主義と情報資本主義

と言ったものの、これはなかなかに難しいことです。
なぜならば、「資本主義の価値観で行動していた」という認識すらも現代人は希薄だからです。
資本主義という言葉がありますが、多くの人がこの資本主義という言葉を「貨幣経済」と混同しているのです。

          価値観  経済システム
近代20世紀の現実 資本主義 貨幣経済
近代20世紀の認識 資本主義 資本主義

価値観も資本主義、経済システムも資本主義・・・

本来、主義とは頭の中にある価値観であり、世の中と明確に区別して用いるべき語彙です。
ところが、どこで間違ったのかは分かりませんが、資本主義という言葉が近代経済システムをも指すようになってしまったのです。
そのために、近代20世紀においては人々の価値観はもとより「資本主義」であり、なおかつ世の中の経済システムも「資本主義」になってしまい、何が何だかわからない状態になってしまったのです。
それが現代21世紀に入ってからも継続し、今だに経済システムのことを「資本主義」と呼ぶ人が多数派を形成しています。
「資本主義」
やはりこの文言はどう見ても経済システムではなく価値観を指すべき文言でしょう。
野菜主義という文言が世の中のあり方を指すのではなく「人々の好き嫌い」を指すのと同様、資本主義という文言も「人々の好き嫌い」、すなわち価値観を指すべき文言なのですよ。
かたや、資本主義とは貨幣経済を主戦場として労働を搾取することで利益を創造する一般資本を優先する価値観。
かたや、情報資本主義とは情報経済を主戦場として人知を搾取することで利益を創造する情報資本を優先する価値観。
両者は明確に異なる価値観です。

価値観    優先するもの その結果実現する経済
資本主義    一般資本    貨幣経済
情報資本主義  情報資本    情報経済

資本主義と情報資本主義の差異

確かに近代20世紀においては、大多数の人々が一般資本を優先して行動しており、その結果として近代貨幣経済が実現しました。
しかし現代21世紀においては、もはや人々は一般資本を優先して行動しておらず、人々は知らぬ間に情報資本を優先して行動しており、その結果として情報経済への移行が進んでいます。

このことを認識する必要があるのです。
その証左に、いまこの時も、読者の皆さんは情報資本主義の価値観に則って、情報資本へとスマホ経由で人知を売り渡しているではないですか。

21世紀の地図

          価値観    経済システム
人々の認識     資本主義   資本主義
現代21世紀の現実 情報資本主義 情報経済

21世紀において人々の認識と現実には大きな齟齬がある。

長年こびりついた認識というものを簡単に変えることは難しいものです。
固定観念と言われたりステレオタイプと言われたりするものは、変えるのが難しいからこその揶揄表現ですからね。
しかしながら、30年間経っても変えられないというのは考えられないことです。
人々の頭の中にある価値観が現代21世紀に入ってからまったく変わらない。
これには理由があるはずです。
情報資本はITとAIのサイキョウの使い手ですが、そのことがこのことに関わっているのでしょうか。
ITとAIは情報を思うがままに操る技術ですが、そのことがこのことにどのように関わっているのでしょうか。
ワタシには分かりかねますが、何かしらの関連があるはずです。
さて、2026年時点における人々の認識は「自分達の価値観は資本主義」「経済システムも資本主義」というなんとも怠惰な認識です。
このままでは、先述した理由によって情報資本に蹂躙され続けてしまいます。
現代21世紀の現実は「価値観=情報資本主義」「経済システム=情報経済」になっています。
この現実を認識して向き合った上で、情報資本による人知の搾取に立ち向かわなければならないのです。

第四章 コロナ事変とイラン事変

第一章「情報資本_現代の錬金術師」では、情報資本というまったく新しい資本の存在を記しました。
第二章「情報グローバル化」では、情報が国境を無視して移動することこそが情報資本を台頭させたことを記しました。
第三章「情報資本主義」では、人々の認識の未熟さが情報資本による人知の搾取を許している現状を記しました。
第四章「コロナ事変」では、コロナ禍とイラン戦争を題材として情報資本主義についてより深い理解を読者諸賢に促します。
21世紀の人類が情報資本にとってとてつもなく都合の良い行動をとってしまっている事例を示します。

AIの高度化メカニズム

「コロナ禍とはなんだったのか?」
22世紀の人々はこの答えをよ〜く知っていることでしょう。
しかしながら、2026年現在においてはコロナ禍について語ることはタブーになっています。
その原因はおおよそ一つに収斂します。
「間違いなく騙された気がするのだが、どのように騙されたのかがわからない」
こうした大多数の人々の思念が世界中に充満して、騙された面映さと考えることの面倒臭さが積分されて、現代人類はコロナについて語ることをやめてしまったのです。
いけませんね。
第四章では情報資本主義とコロナ禍の関係性を大いに語っていきます。
ここでは、その前準備としてAIの高度化メカニズムから説明していきましょう。

平時の人知→平時AIの高度化
有事の人知→有事AIの高度化

平時の人知からは平時の人類を模したAIが高度化し、有事の人知からは有事の人類を模したAIが高度化する。

まず、平時の人類の知性にまつわる情報を蒐集すると、それを再現することで平時の人類を模したAIを高度化させることが出来ますよね。
他にもありますが、まずはこれだけを抑えて下さい。
これがAIの高度化メカニズムです。

1995年 IT革命 
      平時の人知の蒐集
      平時AIの高度化

2019年 5Gインフラへの刷新
2020年 コロナ事変
      有事情報への相転移
      有事の人知の蒐集
      有事AIの高度化

簡易年表

そして、1995年のIT革命によってインターネットが解禁されたことでAIが高度化を開始します。
それから2019年まで、世界は往々にして平穏を享受してきました。
イラク戦争や原子力発電所の事故などはありましたが、これらは極めて限定的な混乱であり、この期間の世界は「平時」にあったと言えます。
したがって、この期間においてインターネットを介して蒐集された人知は概ね平時の人知に限られることになりました。
当然、先ほどのセオリーに則って、平時の人知からは平時AIが高度化していきました。
2019年の時点では平時AIだけが高度化し尽くしていたと言ってよい状況になっていたのです。
だがし、これだけではAIが不完全です。
ここで思い出して下さい。2019年時点におけるAIのダメっぷりを。
イラストを書かせれば、浜ちゃんのようなヘンテコなコンテンツを書きやがり、人生相談を持ちかければ、インチキくさい日本語で学校の先生でも言わないような綺麗事ばかりを並べ倒して辟易させてくれました。
このように、2019年時点のAIのレスポンスはまだまだ不自然であり、到底使い物にならない代物だったのです。
なぜでしょうか?
この時点のAIは人間の知性の半分しか再現できていなかったためです。
人間は大きく分けて「穏やかな顔」と「慌てている顔」があり、その内の「穏やかな顔」だけしか2019年時点のAIは再現できていなかったのです。

人間の穏やかな顔を再現→ 平時AI
人間の慌てている顔も再現したいが・・・

2019年時点

そのため、人間らしいレスポンスを返すことが出来ず、AIはダメっ子扱いされていたのです。
このままではAIは使い物になりませんよね。もう一つの人間の顔を再現してAIに付け加えなければならなかったのです。
そして、そのためには「有事の人知」を蒐集する必要があったのです。

「どうにかして『有事の人知』を蒐集できれば、AIの能力を飛躍させられるのだが…」

2019年時点におけるAI開発はこのような状況にありました。
そこに神風が吹きました。
コロナ禍です。

コロナ事変コロナパラダイムシフト

1995年 IT革命 
      平時の人知の蒐集
      平時AIの高度化
2019年 5Gインフラへの刷新
2020年 コロナ事変
      有事情報への相転移
      有事の人知の蒐集
      有事AIの高度化

簡易年表

2020年1月に勃発したコロナ禍は、新型コロナウィルスにまつわる情報を世界に拡散。
世界は有事に包まれました。
全人類80億があまねく、2年半にわたってくまなく、24時間フルタイムで有事の中で暮らすことを余儀無くされたのです。
人々がインターネットに差し出す情報はすっかり有事のものへと相転移し、膨大な有事における人間の情報がネットを駆け巡りました。
これによって、有事の人知が瞬く間に蒐集されたのです。

平時の人知→平時AIの高度化
有事の人知→有事AIの高度化

コロナ禍によって、有事の人知が蒐集されて有事AIが高度化を果たした。

そして、先ほど述べたメカニズムによって有事の人知を蒐集した情報資本は有事AIを高度化することが出来たのですよ。
しかも、あらゆる情報が有事のものとなったため、有事の情報と平時の情報をふるいにかけて有事情報だけを取り出す必要すらなく、限りなく少ない労力で有事の人知を蒐集できたため、瞬く間に有事AIが高度化を果たしたのです。
つまり、コロナ禍というものは有事AIを安上がりに高度化させたイベントだったのですね。

生成AIの時代

コロナ以降、高度なAIが出現しました。俗にいう生成AIと言われるものですね。
そこにはコロナ以前のおバカなAIはもういません。
AIに絵を書かせればプロ顔負けの流麗なイラストを書き、悩みを相談すれば占い師顔負けの実践的な人生指南を施してくれます。
非常に自然で尚且つ役に立つレスポンスを返してくれるようになったのです。

コロナ前  平時の人知→平時AIの高度化
コロナ期間 有事の人知→有事AIの高度化
コロナ以降 平時AI+有事AI=超高度AI

コロナ前に高度化した平時AIと、コロナ期間に高度化した有事AI。
この両者をコロナ以降に足し合わせることによって超高度なAIが誕生したのです。
この超高度なAIは人間の「穏やかな顔」と「慌てている顔」の両者をともに再現しており、これを臨機応変に使い分けることで自然なレスポンスを実現しました。
だから、非常に自然で尚且つ役に立つレスポンスを返してくれるようになったのです。
コロナが収束に向かった2022年後半。
ここら辺りから出現したAIが以前とはまるで別人のようになっているのにはこうした了見があったのです。

情報資本主義に侵された人々

このコロナ禍において、人々は情報資本を利する行動に終始しました。
ノーマスク飛行機搭乗男、マスク自粛警察、マスク買い占め・・・
有事において人間がどんな風に振る舞うのかがガラス張りになり、情報資本は労せずして有事の人知をパクってAIを高度化させたのです。
つまり、全ての人類は情報資本を利する行動に終始したのです。
この時、全ての人類がどんな価値観で行動していたのかわかりますか?
情報資本を優先して行動していますよね??
すなわち、全ての人類は「情報資本主義」の価値観に則って行動していたのです。
その一方で、人々はコロナが怖いからと貨幣経済における経済活動を極力控えるようになっていましたが、これは「一般資本」を苦しめる行動ですよね
つまりこれは「資本主義」の価値観に則った行動ではありません。
少なくともコロナ禍の期間において、人々は「資本主義」ではなく「情報資本主義」の価値観に則って行動していたことが分かりますよね。

コロナ禍の落し物

コロナ禍でAIが超高度化したと述べましたが、私に言わせればまだまだ物足りなさがあります。
PC8800シリーズからのヘビーユーザーである私がいうのだから間違いないでしょう。
「無幻の心臓」は面白かったなあ…
さて、コロナ以降においてAIが超高度化したと言っても「粗」はあります。
現時点における生成AIが創造した文章にはユーモアなどの「人間らしさ」が明確に不足しています。
まだ、AIは人間を完全に再現できていなかったのです。
なぜでしょうか?
実はAIが人類の最も大切な部分をまるで再現できていないからです。
平時の人知、有事の人知、これまでこの二つを蒐集しましたが、これだけでは人類の大切なものを再現できなかったのですよ。
人類の最も大切な部分というのは、人類がここまで殷賑を極めるにあたって役立った生物としての「特性」です。

ヘタレ

これが人類の最も大切な部分です。
人類は誰よりも慎重であったがゆえに、知性を磨き、この地球で生きとし生けるものの長として威張り散らしているのです。
このヘタレという特性が現時点のAIには反映されていません。
情報資本はヘタレな人知を未だに蒐集できていなかったのです。
ここでヘタレとは何かと言えば、自分は安全地帯にいながら危険なところにいる人々を傍観する態度です。
言い換えれば、平時から有事を眺める態度ですね。
とても嫌な奴ですが、人間の本質はそこにこそあるのですよ。
こうした、平時から有事を眺めているヘタレな人間の情報を蒐集しなければ、人間の本質を蒐集したことにはならないのですよ。
「有事の情報であれば、コロナ事変とやらで蒐集できたのではなかったか?」
ここではエリート読者からこのような質問が予想されます。
確かに、コロナ禍によって有事の情報をこれでもかと情報資本は蒐集することができました。
しかし、コロナ禍は世界全体を有事設定にしちゃったために、世界の中に平時がなくなっちまったんですよ。
全体を有事にしちゃったために、その有事を観測するヘタレが存在できなくなってしまったんですね。
だから、コロナ禍においては「ヘタレ情報」を蒐集できなかったのですよ。
ヘタレというのは外聞が悪いのでここからは「傍観者」と呼ぶことにしましょうか。
平時(安全地帯)から有事を傍観する者たちのことを「傍観者」と呼んで議論を進めることにしましょう。

平時の人知蒐集→平時AI高度化
有事の人知蒐集→有事AI高度化

傍観者の人知蒐集→傍観者AI高度化

傍観者の人知を蒐集し、傍観者AIを高度化させなければAIを人間に近付けることは出来ない。

この傍観者の情報が不足しているため、現時点のAIは完全から程遠い状態にあるのです。
人間の最も大切な要素であるヘタレ成分のないAIなんてものは、気の抜けたサイダーみたいなものです。
つまり、全くもって本物とは言い難く、そのレスポンスも本物の人間のそれとは大きく乖離しているのです。
確かにコロナ禍によって有事AIが高度化し、それを足し算することで少し人間に近付いたのは事実でしょう。
だが、まだまだ完全には程遠かったのです。
完全なAIに近付けるには「傍観者の人知」を蒐集する必要があったのです。

「どうにかして『傍観者の人知』を蒐集できれば、今度こそAIの能力を飛躍させられるのだが…」

2026年1月時点におけるAI開発はこのような状況にありました。
そこに神風が吹きました。
イラン戦争です。

イラン事変イランパラダイムシフト

2026年2月28日
アメリカ・イスラエル連合軍いわゆるAI連合がイランを狂襲。
世に云うイラン戦争は全世界に傍観者を創造しました。
中東の片隅で起こっている諍いに世界80億人の関心が集中したのです。
安全地帯から慌てふためく人々を冷たく眺める。
傍観者が世界中に創造され、その傍観者の情報がインターネット情報空間を駆け巡っています。
戦争当事者のアメリカ人でさえ、その99%が戦場から遠く離れた安全地帯から事態を傍観しており、世界のほぼ全てが傍観者になったと言って過言ではない状態です。
さらにAI連合指導者のエキセントリックな性格によって、目の離せない展開の連続であり、人々の関心を24時間体制で惹きつけています。
またホルムズ海峡という貨幣経済実体経済の要衝が強く関わっているため、好むと好まざるとに関わらず人類はそれを注視せざるを得ないという状況になっています。
全人類80億の概ねがあまねく、2ヶ月半にわたってくまなく、24時間フルタイムで傍観者として暮らすことを余儀なくされたのです。
人々がインターネットに差し出す情報はすっかり傍観者のものへと様変わりし、膨大な傍観時における人間の情報がネットを駆け巡っているのです。
これによって、傍観者の人知が凄まじいペースで蒐集されています。

平時の人知蒐集→平時AI高度化
有事の人知蒐集→有事AI高度化
傍観者の人知蒐集→傍観者AI高度化

イラン戦争によって、傍観者の人知が蒐集されて「傍観者AI」が高度化しようとしている。

そしてコロナ禍の時と同じメカニズムによって、傍観者の人知を蒐集し、情報資本は傍観者AIを高度化させることになります。
人類の最も大切な部分であるヘタレ改め「傍観者の顔」を再現した傍観者AIが今まさに高度化しようとしているのです。
かたやコロナ禍においては、世界全体を有事にしてしまったが故に、有事を傍観するべき平時がなくなってしまいました。
その結果、傍観者の人知を蒐集することが出来ず、AIの高度化が不完全に終わったのです。
かたやイラン戦争においては、世界のほんの一部だけが有事になったので、有事を傍観する平時とその平時に付き物の「ヘタレ」傍観者が世界中に創造されました。
その結果、この膨大な傍観者の人知を蒐集することによって、AIが飛躍的な高度化を魅せようとしているのです。

イラン戦争に観る情報資本主義

このイラン戦争は現時点(2026.6/22)において終結したわけではありません。
今朝だって停戦合意がなされたとか停戦合意が覆されたとか攻撃が再開されたとかで、相変わらず傍観者を惹きつける情報への工夫が満載です。
このイラン戦争においても、人々は情報資本を利する行動に終始しています。
人々は情報資本が喉から手が出るほどに欲しい「傍観者の情報」を、これでもかと発信し続けているのです。
いつもよりスマホで株価をチェックする機会を増やしてみたり、「ナフサ🔎」とナフサを知ったかぶりするために検索してみたり、ポータルサイトのコメント欄に「いいね!」目当てで思ってもいないことを書き込んでみたり・・・
安全地帯にいる冷たい傍観者がどのように行動するのかの情報を、これでもかとネットに向けて発信しているのです。
情報資本が欲しいのは、平時と傍観時において人々の行動にどんな違いが生じるかであり、いま人類の大多数がまざまざとその情報を情報資本に向けてタダ同然で献上しているのです。
その結果、傍観者AIが高度化し、早晩において情報資本の利益が増大することになります。
すなわち、世界人類は今般のイラン戦争において情報資本を利する行動に終始しているのです。
これは情報資本を優先して思考ならびに行動する「情報資本主義」の価値観に他なりません。
つまり、コロナ禍に引き続きイラン戦争でも人々は情報資本主義に則って行動している訳です。

コロナ事変とイラン事変

1995年 IT革命
      人知の商品化
      平時の人知の蒐集
      平時AIの高度化
2019年 5Gインフラへの刷新
2020年 コロナ事変
      有事情報への相転移
      有事の人知の蒐集
      有事AIの高度化
2026年 イラン事変
      傍観者情報への相転移
      傍観者の人知の蒐集
      傍観者AIの高度化
2026年 ◯◯◯事変
以降    〜〜〜情報への相転移
      〜〜〜の人知の蒐集
      〜〜〜AIの高度化

簡易年表とトレンド分析

不足している人知が明確になるたびに、世の中にビッグイベントが起こって不足している人知が降ってくる。
なんともラッキーなことで、情報資本は順調にAIの穴を埋めています。
だが、ビッグイベントに振り回される庶民にとってはたまったものではありません。
しかも、ビッグイベントが起こる周期がどんどんどんどん短くなっているのです。
まず、平時の人知を蒐集する期間は1995年から2019年の「25年」かかりましたよね。
次に、コロナ禍で有事の人知を蒐集する期間は2020年1月からおおよそ2022年半ばまでで「2年半」かかりましたよね。
そして、イラン戦争で傍観者の人知を蒐集した実質期間は2026年2月末からおおよそ5月半ばまでで「2ヶ月半」かかったと推定されます。
あたかも創ったかのように綺麗な規則性で並んでいますね。
とにかく、コロナ事変やイラン事変などというビッグイベントが起こり、庶民の生活スタイルが変遷させられる周期がどんどんどんどん短くなっているのです。
そして、そのたびに人類の様々な重要な情報が何者かによってパクられていることを忘れてはなりません。
蒐集した人知を用いてAIを高度化して、高度化したAIで世の中の情報を秀逸に誘導して新しい人知を炙り出し、新たに蒐集した人知を用いてさらにAIを高度化して、さらに高度化したAIで世の中の情報を秀逸に誘導して新しい人知を炙り出し・・・
この循環構造の中でAIは完璧に向かっています。
その裏側で人々は貧困にむせび、人類文明は破綻に向かっているのです。
なぜこうなってしまうかと言えば、人類が情報資本主義の価値観で行動しながら、情報資本主義の価値観に気付けていないからです。

        価値観    主要経済
人々の現状解釈 資本主義   貨幣経済 
21世紀の現実 情報資本主義 情報経済

2026年時点において、人々の解釈は現実と乖離してしまっている。

21世紀の人々は、四半世紀の星霜を経てもなお、自分たちが資本主義という価値観で行動していると信じて疑いません。
ところが現実には情報資本主義の価値観で行動させられています。
本章で述べたように、コロナ禍ではまんまと有事の人知を献上し、イラン戦争では傍観者の人知をこれでもかと献上してしまいました。
例えそれが情報資本によって誘導された結果だったとしても、あまりに情けない。
このまま行くと、人類に22世紀は訪れないところでした。
「間違いなく騙された気がするのだが、どのように騙されたのかがわからない」
コロナでまんまと騙されたことに薄々気付きながら、それについての探求を早々と打切り、それが故にイラン戦争でも同じパターンで騙され・・・
騙され続けて人類文明を破綻に導くところだったのです。
22世紀の可愛くて可愛くて仕方のない読者は誕生することがなかったのですね。

第五章で、このどうしようもない21世紀をなんとかして22世紀へとつむぎましょう。

第五章 情報資本論

最終章では情報資本との共存について語っていきましょう。

ハードシンギュラリティ

このままいくと人類文明が破綻する。
そう述べてきましたが、具体的にどのような理路で破綻するのかを本項で解説しましょう。
現状において、AIが高度化しながら人類が貧困化しています。
貧すれば鈍するで、貧困化は教養水準を頽落させますよね。語彙などが貧弱になっていくわけです。
語彙が貧弱になると「レジェンド」「リスペクト」「ワンチャン」「ターンオーバー」「カットイン」・・・といったカタカナの俗語が増えてしまいます。
これは1995年以降の日本において顕著な現象です。
つまり、情報が単純化する訳ですね。
そして、情報が単純化するとAIが情報を蒐集するのが容易になります。
結果、さらにAIが高度化しやすくなっちゃいました。
ここまでを図にしてみましょう。

AI高度化→人類貧困化→低教養化(人類の低度化)→語彙の脆弱化→情報の単純化→AI高度化→・・・♾️

AI高度化と人類低度化の無限スパイラル 1995年体制

現代21世紀においては、AI高度化と低教養化(人類低度化)が連鎖しながら無限スパイラルを形成しているのです。
これは日本に限った話しではなく、世界のどこであれ、21世紀に入って語彙の陳腐化・英語化が進行し、それと同時並行で低教養化(人類低度化)が進行しています。
つまり、現状においてはAIが高度化するのと同時並行で人類の知的能力が低度化しているのです。
これを図にすると次のようなイメージになります。

人類↓低度化
  ↓
  ↓
 💥💥
  ↑
  ↑
 AI↑高度化 

ハードシンギュラリティ イメージ図

現下世界ではシンギュラリティなるものが問題視されています。
シンギュラリティとはAIの総合能力が人類の総合能力を凌駕する瞬間のことを言います。
ここで一般的に、シンギュラリティはAIの能力が向上することで人類の能力を追い抜くという文脈で語られます。
もし仮に、そうであるならば、まだ時間的余裕が見込めるので、AIが人知を凌駕する時代における社会制度を再構築する余裕があります。
しかし、実際にはそうではないのですよ。
現代21世紀においてはAIが高度化しながら、人類が低度化しています。
したがって、このままいくとAIの高度化と人類の低度化が正面衝突するイメージでシンギュラリティが起こってしまいます。
上図で示したように激しい衝突が起こるイメージですね。
こうなると、それまでに時間的猶予は見込めず、社会制度をAI上位の時代に向けて再構築する余裕も見込めません。
何も備えがないままにAI上位の時代を迎える訳です。
人類が低度化して、人が世の中を解釈する力を失っていき、「これまでどうだったのか?」「いまどうなっているのか?」「これからどうすればいいのか?」のすべてを分からなくなっている現状において、シンギュラリティというビッグイベントを迎えるのはあまりに危険です。
なぜならば「誰の差し金で?」「何のために?」「どういったメカニズムで?」の全てがわからないものですから、やられたい放題です。
目下世界では、情報資本が皆さんの人知・雇用・豊かさをわんさかと搾取していますが、そんなことがどうでも良くなるような凄まじい搾取が待ち受けています。
そもそも、人々の大多数が「解釈」を失ってしまうのですから、「解釈」を武器としてここまでのしあがって来た人類文明にとってそれは破綻と言えるでしょう。
人類の解釈なき世界というものは、人類文明なき世界と同義語なのです。

解釈なき世界

現代21世紀においてAIが高度化しながら人類が低度化している。そう言っても、それを受け入れたくない現代人は多いことでしょう。
だが、資本主義と市場経済を混同し、民主主義と民主政治を一絡げにして語り、IT革命から30年経っても情報経済を体系立てて言語化出来ず、今だに資本主義の価値観に囚われて自分達が情報資本を優先して行動していることにすら気付けない。
そんな現代人のどこに高度化要因を見つけられるでしょうか。
現代21世紀の人類は間違いなく知的レベルを頽落させています。
これも人知が商品化された現代21世紀ならではの現象なのです。

AI高度化→人類貧困化→低教養化→人類低度化→情報単純化→AI高度化→・・・♾️

1995年体制

AIが高度化し貨幣経済の中に貧困化バイアスが生じている現代においては、人類が低教養化ならびに低度化していくのはやむを得ない趨勢なのです。
そして、現状において問題になっているのは「あまりに早くそれが起こっている」ということです。
AIがあまりに速く高度化し、人類にあまりに強い貧困バイアスが加わって、解釈を奪われていくスピードが速すぎるために人類は「今」を解釈できなくなっています。
世の中の変遷を人々が解釈で追えなくなってしまっているのです。
特にコロナ以降のAI高度化ペースは凄まじく、人類にかかっている貧困バイアスとそれに伴う人類低度化バイアスも凄まじいものがあります。
結果、完全に人々は世の中の変遷を解釈で追えなくなってしまいました。
「コロナ禍とはなんだったのか?」
こういったとても重要な問題に現代人が匙を投げてしまっているのは、人類が低度化して解釈する力を失っているからに他なりません。

情報グローバル化の罪

AIがあまりに速く高度化して、人々の世界解釈が「今」に追いつかなくなっている。
ここにこそ現代21世紀の問題点があることがわかりました。
もし仮に、AIの高度化ペースを抑制することが出来れば、人々は「今」を解釈を出来るようになり、「今」に対して有効な対策を打てるようになります。
言い換えれば、AIの高度化ペースを抑制することによって、来るべきAI上位の世界に適応した社会制度を再構築することが出来るのです。
そのためには、AIの高度化ペースを抑制するべきです。
いまさらAI開発を完全に取りやめるのは難しいでしょうが、高度化ペースを抑制するぐらいならば出来そうです。
では、どうやってAI高度化を抑制すれば良いのでしょうか?
現下においてAIが超速で高度化しているのは、ひとえに情報グローバル化の恩恵です。
情報が国境を無視して移動する。
そのために、世界中の人々の知性にまつわる情報が世界の一極に集中し、凄まじい勢いでAIが高度化してしまっているのです。
情報グローバル化によって、アメリカ西海岸あるいは中南海ないしアメリカ西海岸へと情報の一極集中が起こり、ごく限られた情報資本だけがAIを高度化させて利益を増大させています。
それ以外の国々では、ただひたすらに人々は「人知」と「雇用」と「豊かさ」そして「解釈」を蒐集され、貨幣経済の中で貧しくなっていますが、解釈を奪われているためにそのことに気付ける者はほとんどいないのが現状です。
こうした「それ以外の国々」が貧困化した分だけ、情報資本が利益を増大させているのです。
この状態をよくよく考えてみると、情報グローバル化という仕組みは「それ以外の国々」にとってなんのご利益ももたらさないことがわかります。
「人知」を奪われ、「雇用」を奪われ、「豊かさ」を奪われ、挙句に「解釈」までも奪われて、この搾取構造を認識することも許されない。
これでは何のために情報グローバル化を甘受しているのかわかりません。
確かに1995年当時は、情報の集積率が低かったため、世界中から情報をかき集めなければAIを高度化できませんでした。
しかし現状においては、大いにITインフラの整備がなされたため、世界中から情報をかき集めなくともAIを高度化させることは可能です。
人口が1億人以上いる国家であれば、国内の人知を蒐集するだけで十分にAIを高度化させられるはずです。
世界中から人知をかき集めている現状に比べれば、AIの高度化ペースは落ちますが、現状においてはAIの行き過ぎた高度化が問題となっているので悪い話しではありません。
むしろ、AIの高度化ペースを抑制して人類文明に持続可能性をもたらすことが出来るのですから、とても良い話しだと思われます。
つまり、情報グローバル化を抑制することが人類に良い未来をもたらすのです。

主権国家体制の再構築

国境を無視して情報が移動する。
情報グローバル化の抑制は主権国家体制を復活させます。
現下世界では国民の情報が国外の情報資本によって好き放題に蹂躙されています。
その結果、ポケベルが突如爆発したりして、国家安全保障が瓦解しつつあるのです。
国民の情報というものは国民の財産であると同時に、国家安全保障の勘所でもある訳ですね。
情報グローバル化はこの掛け替えのない国民の情報を情報資本に売り渡します。
だから、1995年以降の世界では主権国家体制が瓦解し、安全保障体制が脅かされているのです。
逆に情報グローバル化を規制すればどうなるでしょうか?
国境を無視した情報の移動を止めるとどうなるでしょうか??
まず、ポケベルが爆発しなくなります。
なぜならば、「誰が」「いつ」「どこで」「何を」「どのように」・・・と言った情報がリアルタイムで海外に搾取されることを防げるからです。
次に、国民の貧困がマシになります。
なぜならば、アメリカ西海岸や中南海やアメリカ西海岸などで情報を一極蒐集することが出来なくなり、AIの高度化ペースが落ちるため、それに引き攣られて貧困化ペースも落ちるからです。
これまでは人知が一極にて蒐集されていたため、AIの高度化ペースが「MAX」になっていたのですよ。
情報の国境を無視した移動を規制すれば、AIの高度化が各国ごとに分散して起こり、緩やかな高度化ペースに戻すことが出来ます。
それにしたがって、AIが雇用を奪うペースも遅くなり、国民にかかる貧困バイアスも随分と緩くなるはずです。
このように、情報グローバル化を規制すると、ポケベルが爆発しなくなるわ、国民の貧困がマシになるわで良いこと三昧です。
言い換えれば、国家による情報安全保障が保たれ、なおかつ国家による経済安全保障も保たれる訳です。
つまり、情報グローバル化を規制することで、国家が国民の安全を物理的にも経済的にも保つことが再び可能となるのです。
これは主権国家体制の復活に他なりません。
すなわち、情報グローバル化をやめれば主権国家体制を復活させることができるのです。

情報主権

いま述べていることは「情報主権」という言い回しを用いるのが分かりやすいでしょう。
国家Aの情報は国家Aのものですし、A国の国民の情報はA国が守らなければなりません。
これは主権国家体制において当たり前のことです。
だから、「情報主権」などという言葉はこれまでなかったのですよ。
ある国家の内部にある情報はある国家のものであり、主権国家には情報主権が備わっている。
あまりに当たり前すぎて、これを示す「情報主権」という言葉はいらなかった訳ですね。
しかし、今や国内にある情報は海外の情報資本に好き放題に蹂躙されており、国家は情報主権を失っています。
そして、その延長線上で世界は主権国家体制を有名無実化させています。
したがって、国家が主権を取り戻すためにも、世界が主権国家体制を取り戻すためにも、情報グローバル化を規制しなければならないのです。

情報資本の内製化

情報資本は群雄割拠しているように見えて、実際には僅かしか存在していません。
実質「2つ」しかないと言って過言ではないでしょう。
現下世界では、2つの情報資本に情報一極集中が起こり、破滅的な速度でAIが高度化しているのです。
それは人類を幸福にするのではなく、人類を奴隷にするための高度化です。
人々の解釈を置き去りにしてAIが高度化し、なおかつ高度化したAIが情報をイジって追い縋る人々の解釈を遠ざける。
この繰り返しによって、人類の解釈が及ばない世界が構築されようとしているのです。
知の生物である人類が解釈を奪われれば、それは単なる奴隷にすぎないでしょう。
したがって、奴隷になるのを避けたいのであれば、現状をなんとかしなければならないのです。
情報の国境を超えた移動を規制し、情報資本への情報一極集中を防ぐ。
やはり、これが最も具体的かつ実践的な方法論になります。

200 * 99%  = 198
200 *  1%  =  2 

198の国家は人知を搾取されている・・・

かたや、いま世界の99%の国家は、すなわち198の国家は人知をただひたすらに搾取されています。
かたや、世界の1%の国家は、すなわち2つの国家は人知をひたすらに搾取しています。
その結果、実質2つの国家だけがAIが高度化させているのです。
こんなバカな話しはありません。
人の知性というものは人類の宝物であり、誰かが独占して良いものではありません。
しかも、人知を蒐集している情報資本は人類の雇用を奪うことにいささかの躊躇もありません。
つまり「それ以外の国々」を貧困させることになんの呵責すら持とうとしないのです。
このままこれを放置すると、豊かさの還元が国境を超えて行われることは未来永劫に渡ってありません。
ひたすらに、人知、雇用、豊かさ、そして解釈を奪っていき、人類の99%が何も分からなくなるまでこの搾取は続きます。
この事態を避けるためには、情報資本を内製化する必要があります。
「それ以外の国家」もそれぞれ情報資本を保有するのです。
現状においても情報資本らしきものが各国にありますが、情報資本らしきものが蒐集した情報はすべて「2つ」に吸い上げられてしまっています。

99%の貧困化→ネット利用時間増加→知の蒐集→海外でAI高度化→99%の貧困化→・・・♾️

その結果、国内でAIを高度化させることが出来ず、海外で高度化したAIが国内の雇用を奪い、国民は貧困にあえいでネット利用時間を増やし、国外の情報資本が知を蒐集し、海外でまたもやAIが高度化し・・・
このようにして無限スパイラルが回り、豊かさが海外に抜ける構造が構築されてしまっているのです。
国内に情報資本が育まれていないからこうなっているのです。
なぜ国内で情報資本が育まれていないかといえば、情報には一極集中してしまうという性質があるからです。
情報経済を主戦場とする情報資本には「一人勝ち」が起こってしまうという摂理があり、先行した情報資本しか生き残っていません。
この状況を打破するには、情報流通の根本部分を覆す必要があるのです。
情報が国境を超えて移動する。
この根本部分を覆す必要がある訳です。
情報グローバル化を規制して、情報が国外に抜けることを防止し、情報とくに人知の「国内循環体制」を構築し、AIを国内で高度化させるのです。
そして、AI高度化のペースを抑制し、人が解釈できるスピードまで落とし込む。
「いまどうなっているのか?」を人々が解釈できるようになるまで、AIの高度化ペースを抑制するのです。
そうすれば「いまどうなっているのか?」が分かるのですから、対応策の一つや二つは捻り出せますよ。
現状においては「いまどうなっているのか?」が分からないものですから、AI高度化社会における社会制度を再構築できないだけです。
「いまどうなっているのか?」を言語化できたならば、AI高度化社会における社会制度の再構築は余裕のヨッちゃんなのです。
情報資本の内製化・内国化によって様々な良いことが生じます。
1つ目は、人知が外国にパクられなくなるということ。
2つ目は、雇用が外国によって奪われなくなるということ。
3つ目は、豊かさが外国に搾取されなくなるということ。
4つ目は、国内でAIが高度化するようになるということ。
5つ目は、「いまどうなっているのか?」が分かるようになるということ。
6つ目は、1つ目から5つ目に人類が気付けるということ。
7つ目は、6つ目までの結果として社会制度の再構築がなされるということ。
8つ目は、人類文明が22世紀に継承されるということ。
このように、情報資本を内製化することの効用はおよそ無尽蔵なのです。

金融資本と情報資本

近代20世紀においては「金融資本」が世の中に強い影響力を保持していました。
現代21世紀においては「情報資本」がそれ以上に強い影響力を保持しています。
ここでは両者のメカニズムを比較してみましょう。
まず、金融資本。
金融資本はカネを貸す・手形を割り引く・あるいはそれ以外の方法論によって貨幣経済の流通を把握します。
貨幣経済というものは人の営みがカネのやり取りで完結する世の中ですから、貨幣流通を把握すれば間接的に人の営みを把握することが可能となります。
金融資本はカネを貸すことによって、
「誰が」「いつ」「どこで」「何を」「どのように」・・・といった情報を部分的に把握できるようになるのです。
個人だったり企業だったりの情報を把握することで、他者よりも世界の予測精度を高めて儲ける。そしてその富を用いてさらにカネを貸して情報を把握し・・・
これが金融資本が近代20世紀に強い影響力を保持した方程式でした。
次に、情報資本。
情報資本はダイレクトに情報経済の流通を把握します。
情報経済というものは人の営みが情報サービスのやり取りに置き換わっていく世の中ですから、情報経済を把握すれば直接的に人の営みを把握することが可能となります。
情報資本は直接ネット利用者から情報を獲得し、「誰が」「いつ」「どこで」「何を」「どのように」・・・といった情報をつまびらかに把握するのです。
個人の行動ならびに知性にかかわる情報をリアルタイムで継続的に把握することで、世界の予測精度で他者を圧倒して儲ける。その傍でAIを高度化させたり人類を貧困化させたり・・・
これが情報資本が現代21世紀に強い影響力を担保している方程式です。

     活動経済 何を把握 情報把握精度
金融資本 貨幣経済 貨幣流通   低い
情報資本 情報経済 情報流通   高い

両者はともに情報を把握することで強い影響力を担保しているが、情報資本の情報把握力は桁違いだ。

かたや、近代20世紀の「金融資本」は極めて部分的にしか情報を把握することが出来ませんでした。
それでも、金融資本の陰謀と揶揄されるほどにとても強い影響力を保持し続けてきたのです。
かたや、現代21世紀の「情報資本」は全世界的かつ継続的に情報を掌握することが出来ます。
したがって、情報資本は金融資本が束になっても敵わないレベルで情報を掌握してコントロールすることが出来ます。
その力は情報資本がとっくの昔に情報を掌握しちゃったことを誰にも悟らせないほどの強大さです。
このように、金融資本と情報資本のビジネスモデルは根幹部分で同じです。
情報を把握して儲けるという根幹部分は全く同じ同じなのですね。
しかし、両者の把握精度は桁違いであり、情報資本は頭のてっぺんから爪先までの一挙手一投足すらも掌握しようという勢いです。
そして、何よりもそうした凄まじいまでの情報掌握を行いながらも、それについての情報を完全に「消せている」ことが恐ろしいのです。
その証左に、2026年時点において「情報資本の陰謀」なんてものは全くもって語られないではありませんか。
今だに人々は「金融資本の陰謀」でお茶を濁していますが、それこそ情報資本の思う壺なのですよ。

情報主権の奪還

前項の内容を踏まえると、情報資本を内製化・内国化した場合には、国民の情報が情報資本によって掌握されることとなります。
日本人の個人情報が日本国内の情報資本によって保有される訳ですね。
由々しき問題のようにも思えます。
ですが、現状においては海外の情報資本によって日本人の個人情報が蹂躙されています。

海外の情報資本によって日本人の個人情報が蹂躙
     ↓↓情報グローバル化を規制
日本国内の情報資本によって日本人の個人情報が…

情報グローバル化によって、情報主権を取り戻せる。

日本の法律は日本国内でしか適用されないため、一度、海外に出た日本人の個人情報は海外の情報資本によって好き放題に扱わてしまうのです。
個人情報に対する規制を日本政府がいくら強化しようが、海外の情報資本は知らぬ存ぜぬで何でもありな訳ですね。
その点、日本国内の情報資本が日本人の個人情報を保有した場合はまだ救いがあります。
情報資本が日本国内にいる訳ですから、日本の法律で「それはアカンで」と言うことが出来るからですね。
つまり、情報グローバル化に規制を加えて情報資本を内製化すると、いま蹂躙されている日本人の個人情報が日本人のコントロール下に戻ってくるのです。
言い換えれば、情報グローバル化に規制を加えれば、日本人が「情報主権」を取り戻すことが出来る訳ですね。

情報グローバル化と戦乱

さらに情報グローバル化に規制を加えることで戦乱を抑制することも出来ます。

1995年 IT革命 
      平時の人知の蒐集
      平時AIの高度化
2019年 5Gインフラへの刷新
2020年 コロナ事変
      有事情報への相転移 
      有事の人知の収集
      有事AIの高度化
2026年 イラン事変
      傍観者情報への相転移
      傍観者の人知の蒐集
      傍観者AIの高度化

簡易年表

図のように、現状はAI高度化のために戦争やそれに類する惨事が繰り返されています。
自分たちのAIを高度化させるために、「外部」で戦争を引き起こし、そこから様々な情報を蒐集している訳ですね。
なぜそんなことが出来るかといえば、自分たちとは無縁の「外部」が存在しているからです。
情報グローバル化に規制を加えて、それぞれの国内だけで情報が循環するようにすると、その「外部」が消滅します。
「大惨事の情報」にまつわる人知を蒐集したくなったら、自分たちの国内で「大惨事」を引き起こさなければならなくなるのです。
これは明確に戦争の抑止力になります。
誰だって自分に被害が及ぶような惨事は起こしたくないですからね。
まさか日本の情報資本が日本国内で大惨事を起こすことはないでしょう。
情報が国境を無視して移動する。
情報グローバル化を規制すれば、情報資本が好き放題出来る「外部」が消滅するため、戦乱が抑制される訳です。

情報資本との共存⑴

まるで情報資本を悪の権化のように叙述していますが、そうではありません。
情報資本はITすなわち情報を処理する技術を保有する企業ですから、それを縦横に用いて利益を増大させるのはごくごく自然です。
情報グローバル化の現代21世紀において、情報資本が無双しているのは自然の成り行きなのです。
問題があるとすれば、情報グローバル化を許した者の側にこそあります。
情報が国境を無視して移動する。
そんな現代21世紀においては、世界を股に掛けて情報資本として活動することこそ合理的だったのです。

AI高度化→人類貧困化→AI高度化→人類貧困化→・・・♾️

AIが高度化し、人類が貧困化して、またもやAIが高度化し、またもや人類が貧困化し・・・
この際限ない無限循環構造の中で人類が貧困化した分だけ情報資本が儲かる。
非常に分かりやすく尚且つ簡単に巨万の富を得られるビジネスモデルです。
銃を持ったら撃ちたくなるように、このビジネスモデルが見えたら回したくなりますわな。
そして、このビジネスモデルを支えている大前提こそが情報グローバル化なのですよ。
情報グローバル化によって、世界のすべての貧困がごくごく一部の情報資本に豊かさとなって還元してしまうから問題なのです。

情報資本との共存⑵

情報資本を国内限定で活動させれば状況は一変します。

AI高度化→国民貧困化→AI高度化→国民貧困化→・・・♾️

高度化したAIによって、国内で雇用が減少して国民が貧困化することになります。
しかし、先程までとは違って情報資本が国内にあるため、情報資本の利益を煮るなり焼くなり好き放題できます。
それは言い過ぎかもしれませんが、「お前ら、ボロい商売やねんから、税金多めに払え」ということぐらいは許されるでしょう。
「情報資本から少しだけ多めに徴税させてもらって、それを雇用を失った人々に再分配する」という方法論が可能になります。
これは国内でのカネの循環なので、海外に富は抜けず、奪われた30年のように日本全体が貧しくなっていくことはありません。
上図では「国民貧困化」とありますが、それを穴埋めできるカネが国内に循環して残っている訳ですね。
また、蒐集できる人知が国内に限定されることも良い影響をもたらします。
確かに、人知の蒐集量が減るためAIの高度化は抑制されますが、抑制されるから人々がAIの高度化並びにそれに伴う社会変遷を再び捉えられるようになるのです。
現時点ではあまりに速くAIが高度化してしまっており、それに伴う社会変遷も凄まじいこととなっていて、人々がそれを解釈するのが難しい状態になっています。
したがって、人類が解釈を取り戻すという意味においても、情報グローバル化への規制は有用なのです。
そして、ハードシンギュラリティの問題も解決できます。
覚えていますか?
AIが高度化しながら、人類が低度化することで起こるハードシンギュラリティ。
これは人類が「今どうなっているのか?」「どのような問題があるのか?」を言語化解釈できず、社会制度を変遷させることなくAI上位の時代を迎えて・・・という事態でした。
情報グローバル化を規制して情報の国内循環を完成させれば、AIの高度化を抑制しつつ、尚且つ人類の低度化をも抑制できるため、人類は再び解釈を取り戻すことが出来ます。
つまり、「今どうなっているのか?」「どのような問題があるのか?」を解釈できるようになる訳です。
問題点が分かってしまえば、あとは現代の人類がなんとかしてくれるハズです。

情報資本との共存⑶

「今どうなっているのか?」の解釈とは、より具体的にいえば次のようになります。

        価値観   主要経済 経済主体 基軸商品
近代20世紀 資本主義   貨幣経済 一般資本  労働
現代21世紀 情報資本主義 情報経済 情報資本  人知

・・・
かたや近代20世紀は、人々が「一般資本」を優先して思考ならびに行動する「資本主義」の価値観を携えていた時代です。
そこでは人々が「労働」を商品化して売却しカネを獲得し、カネが世の中に行き渡って人々が豊かになっていく「貨幣経済」が拡大していきました。
価値観は資本主義、経済は貨幣経済というタッグが近代20世紀の200年間続いたのです。
かたや現代21世紀は、人々が「情報資本」を優先して思考ならびに行動する「情報資本主義」の価値観を携えている時代です。
そこでは人々が「人知」を商品化して売却しサービスをダイレクトに獲得し、情報が世の中に行き渡って人々が豊かになっていく「情報経済」が拡大しています。
価値観は情報資本主義、経済は情報経済というタッグが現代21世紀の半ばにかけて本流になろうとしているのです。
にもかかわらず、21世紀の人々は近代20世紀の価値観を引き摺っています。
価値観は資本主義、経済は貨幣経済という思い込みのままに、自分たちが生きている現代21世紀をうまく解釈できていないのです。
そのため、情報資本という21世紀の魔物が自分たちの人知・雇用・豊かさ、そして解釈をパクっているなんて夢にも思わないのです。
・・・
と言った具合に一席ぶてるようになれば完璧です。
そこまで行かなくとも、次の図を描いて伝えることが出来れば十分に及第点でしょう。

1795年 産業革命
      労働の商品化
      貨幣経済の拡大
1995年 IT革命
      人知の商品化
      情報経済の拡大 
      貨幣経済の縮小(奪われた30年)

簡易年表

まず、ピタリ200年差であるところが興味をそそりますし、何よりも分かりやすいじゃないですか。
次に、貨幣経済の縮小(奪われた30年)とさりげなく書いてあるところも心憎い演出です。
「ああ、そうか、俺たちは奪われたんだ!」と特に氷河期世代には効果覿面でしょう。
人知を奪われ、雇用を奪われ、豊かさを奪われ、そして何よりも「解釈」を奪われ、こうした社会変遷を言語化できなかったんだと自己弁護ができます。
こんな風に、楽しく他人様に伝えてもらえれば嬉しい限りです。
そして、現状は極めて厳しい局面だということも伝え忘れてはなりません。
しかし、情報グローバル化を規制し、国内で自前の情報資本を育成する方針に切り替えればこの難局を乗り越えられます。
別段、全世界がそうしなくとも構いません。
やらなければやらなかった国が情報資本の食い物になって滅びてしまうだけで、やった国が存続するだけの話しです。
「今どうなっているのか?」すらも分からない連中は滅びて当然でしょう。

情報資本論

いま世界を席巻している情報資本は圧倒的です。
自分たちに対する解釈を他者に許さないという一点においてのみ圧倒的なのです。
だが、それを裏返せば、解釈さえ出来てしまえば現状打破が出来るということなのです。

「情報資本とは何なのか?」というテーマで本書は5万文字時間を読者と共にしてきました。
22世紀の読者にとっては知っていることがほとんどだったかもしれませんが、ここまで読み進めてくれたということは何か得るものがあったはずです。
現代21世紀の読者にとっては知らないことがほとんどだったかもしれませんが、ここまで読み進みてくれたということは何物にも変え難い示唆があったはずです。
間違いなく、今や読者の解釈は現実を捉えられているはずです。
現代21世紀を22世紀につむぐための解釈と叡智が育まれたはずです。
それをうまく活用してもらえるのであれば、筆者として幸甚に堪えません。
ありがとうございました。

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