しなやか全力生活 #32 理解するとは、許すことではないと知った話
上司が部下にハラスメントをしていて、その相談が私に来ている。
この上司、これは初めてではない。少なくとも、ハラスメントとして相談にエスカレしたのは、今回が初めてだ。
厄介なのは、その上司が通報窓口でもあること。
仕組みに穴が空いている。(その仕組みに変えたのはその上司だ。今考えるとわざと変えたのだろう)
この穴は後で塞ぐとしても、いまは一次対応をしないといけない。ここが逃げられない。
昔の私なら、ここで怒りが主役になっていた。
自分勝手、ボケ老人、頭おかしい、権限濫用、器じゃない——そういう言葉が内側で燃えて、結局、身動きが取れなくなる。
怒りはエネルギーのはずなのに、私の場合は足を止める熱にもなっていた。
でも今回、怒りはある。あるのに、判断に感情を使わなかった。
淡々と、やるべき順番を並べられている。
なぜか。
理由の一つは、その上司を「理解」してあるからだ。
ただし、ここが重要で、理解=許可でも承認でもない。
理解とは、相手を免罪する行為じゃない。むしろ逆で、構造が見えるぶん、逃げ道が減る。
•なぜ本人はハラスメントに気づかず暴走するのかねと
•なぜこの配置(窓口=加害側になり得る)が危険なのか
•仕事で感情を握ったまま動くと、何が歪むのか
ここを切り分けたら、対処がしやすくなった。
怒りは燃料として残しつつ、ハンドルは握らない。握るのは、原則と手順だ。
たぶん私は今、「外部評価はデザートで、主食は意思決定」という感覚に近いところにいる。
誰かに良く思われるためじゃなく、正義感で気持ちよくなるためでもなく、
必要なことを、必要な順でやる。それだけ。
理解するって、優しくなることじゃなかった。
相手の事情を抱きしめることでもない。
“どう扱うべきか”が見えるようになることだった。
あなたの中にも、こういう場面はあるだろうか。
「許せない」まま動けるか。
「わかる」けど引かない、という立ち位置を持てるか。
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