「無念の深さ」
こんばんは。見習い占い師のことのはです。
今日は、天神様のことを少し考えていました。
菅原道真公といえば、学問の神様として知られています。
菅原道真は、若くから才能があり、あっという間に出世してしまった。
そんな真っ直ぐな力を、煙たがる人々がいた。
菅原道真は、その後、失脚し、遠く太宰府へ送られ、都へ帰ることなく亡くなったという。とても残酷で、痛みのある出来事がありました。
そして、その後に祟りが起きたと語られる。
こういう話を聞くと、私はいつも少し不思議に思ってしまいます。
以前、道真公の残した和歌をひとつ読んだことがあります。
とても繊細で、美しい歌でした。
そんな歌を詠む人が、本当に雷を落とすのだろうか、と。
もちろん、本当のところは分かりません。
けれど、祟りというものは、亡くなった人の無念だけでできるものではなくて、そこに関わった生きている側の恐れや、罪悪感や、後ろめたさが、より大きくしてしまうこともあるのかもしれません。
あまりに優秀で、あまりに目立って、だからこそ邪魔された。
そういう人は、きっと昔も今もいたのだと思います。
けれど、名前が残るほどの人は少ない。
多くは、声も記録も残らないまま消えていったのかもしれません。
そう思うと、道真公という存在は、ただ特別なひとりというより、
本当はたくさんいたかもしれない「理不尽に折られた人たち」の象徴のようにも見えてきます。
もちろん、その無念がどれほど深かったのかは、私には計り知れません。
ただ、自分の力を持っていた人が、
その力ゆえに遠ざけられ、人生の途中を折られてしまう。
その痛みは、簡単に言葉にできるものではないのだろうと思います。
天神様の怖さは、雷を落としたことよりも、
それほどの無念を抱えた人が、確かにいたかもしれないと思わされることなのかもしれません。
なんだか、今日はそんな事を思ってしまいました。なんでだろう?
それではまた、月の下で🌕
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