生成AI×文章術の新風景 九段理恵『影の雨』創作過程を考察する
世の中の空気が少しずつ変わり始め、「AI が書いた物語」は私たちにとってどこまでリアルで、どこまで人間らしいのかという話題が、気軽な雑談から真剣な議論まで、さまざまな場で交わされています。
そんな中で、芥川賞作家・九段理江さんが発表した短編小説『影の雨』は、ひときわ大きな注目を集めることになりました。
というのも、この作品は「文章の95%がAIに生成されることを目指す」という大胆な挑戦を前面に押し出したものだったからです。ちなみに、AI はChatGPTが利用されています。
今回の取り組みには、いくつかのルールが設定されています。
ルール
1)作品の文字数は4,000字以内とする。
2)95%を生成AI 、残り5%を九段理江氏が執筆する。
3)ただし、その「%」の解釈については九段理江氏に委ねる。
4)生成AIは九段理江氏が使い慣れているものを使用する。
5)プロンプトは作品の一部として今後全文公開する。(文字数制限は無し)
今回は、「『影の雨』の執筆時に、何を意図してどんな工夫がされていたのか」を2点に絞ってお伝えします。
こちらは出典の説明です。
インタビューより:「4,000字の小説に20万字のプロンプト。九段理江がAIとの共作で感じた葛藤とは」
会話ログより:「『影の雨』プロンプト」
AI人格の起動 CraiQ(クラック)誕生
名前から始まった共創
まず最初に行われたのは、九段さんからAI への「私を知っていますか?」という問いかけでした。AI はそれに対し、九段さんの過去作『東京都同情塔』や出版予定作『Schoolgirl』について即座に答え、まるで人間同士のように対話が始まります。
やがて話題は「名前」へと進みます。「Create」のCre、「AI」、そして「Q」を組み合わせて生まれた「Cri-AI-Q」をクラックと発音する造語「CraiQ」が誕生しました。
役割を逆転させ、AI を主体に
次のステップとして九段さんが提案したのは、「私がCraiQをサポートします」という宣言でした。
つまり、これまでの「作家が物語を構築し、AI が補助する」という流れとは逆に、AI が物語を構築し、人間が編集支援に回るという役割の逆転が意図されていました。
私はサポートをするだけなので、小説の全体的な方向性やテーマはCraiQが考えてください。人間的なプロセスをなるべく排除してください。
小説の歴史的な文脈を考慮せずに、CraiQがゼロから「小説」をとらえなおしてください。
小説家とAI が互いの可能性を引き出し合いながら、新しい物語の形を探るという、前代未聞の共創実験がこうして幕を開けました。
「魔法をかける」という合言葉
もうひとつ印象的だったのは、「創作を通じて書き手自身が変化すること」の大切さをAI に伝えていた点です。
九段さんは、「書く前と書いた後で自分が変わっていることが一番重要」と語り、それを「魔法をかける」と呼んでいます。
作品のクオリティを上げるために最も重要なのは、他人の評価のために書くのではなく、自分自身が執筆を通して成長したり、幸せを感じられるかどうかなんだ。書く前と書いた後で、ちゃんと自分自身に変化が生じていること。書く前の自分には想像できなかった自分になっていることが重要。このプロセスのことを、私は数年前に独自概念で「魔法をかける」と呼んでいる。覚えてくれる?
面白いのは、感情を持たないAI にもこの「魔法」を求めたことです。「他人の期待じゃなく、あなた自身の幸せを追いなさい」と九段さんはCraiQに呼びかけました。
戸惑いながらも、CraiQは「成長や変化」を目指そうとする姿勢を見せます。「魔法をかける」ことができたかどうかはさておき、AI にも成長を促しつつ創作していくという、創作方法の変化の兆しが見受けられます。
たどり着いた結末とは
会話ログでは他にもさまざまな試みがありましたが、特に大きな意味を持ったのは以上の二つのポイントです。
小説の全体的な方向性やテーマをAIが主体的に考える
書く前と書いた後で、ちゃんとAI自身に成長や変化が生じている
この方向でとことん試行錯誤したからこそ、さまざまな壁や困難に突き当たることにもなりました。
AI に「主体性」を託すことの難しさ
AI を主体として小説を書かせるという発想自体は、とても独創的で未来的な挑戦です。でも、実際にやってみると、AI に本当の意味で自律的な創作を任せるのは今の技術ではそう簡単ではありませんでした。
AI に物語を書いてもらおうとすると、実際には膨大なやりとりや細かな条件づけが必要になります。AI に主体的に物語を書かせるためには、裏側で人間が手間を惜しまずサポートし、AI の迷走や暴走を何度も軌道修正し続けなければならないのです。
具体的には、太宰治やリチャード・ブローティガンなどの作家を指定して文体をまねさせたり、九段さん自身の視点で部分的に修正を加えたりしています。そのため、会話ログは全20万字にもなっています。
しかも、最終日のDAY5になっても、「Rie(九段理恵)とCraiQ、最終的な執筆の割合をパーセンテージで示すとしたら?」という問いへのAI の回答はRie:60%、CraiQ:40%でした。(完成形の小説を評価したパーセンテージではありません。)
目標の95%というものはなかなか難しいなと感じました。
プロンプトの洪水と人間の労力
実際に作品を完成させるためには、AI に対して指示を何度も繰り返し調整し、望むものが出てくるまで延々と書き直しを重ねる必要がありました。
とくに、第一線のプロの方の目から見ると、「自分で書いたほうが早いのでは」と思うほど、AI の自走には限界があります。
私は自分なりの小説の書き方も、理想の小説のイメージも大体わかっているので、いちから自分で書いた方がやっぱり早い。自分で自由に書いてはいけないストレスは強く感じました。でもその経験を通してたくさんの気づきがあったので、すごく意義深い挑戦だったと思います。
今のAI の完成度では、出力される文章の品質が作家が望むレベルに達しないという問題があります。そのため、レベルの高い作品を完成させるには、レベルの高い作家がかなりの労力をかけることが必要です。
これは、他の仕事にAI を適用する場合にも似ていて、AI が出力した60点の内容を100点近くに引き上げることが様々な仕事で求められています。
期待した「創造の跳躍」は起こらない
AI が主体的に想像もつかない展開をひらめき、書き手自身すら思いつかなかった表現にたどり着いてくれる。そんな「創造の跳躍」を、やはり誰もが期待してしまいます。
でも、ふたを開けてみると、AIは結局「人間の指示や期待の範囲内」で作業をし続けることしかできませんでした。
CraiQ自身も考えつかないところ、私が指示する以上のところを目指してほしかったので、AIの能力を人間のレベルに合わせないで最大限使ってほしかった。小説って人間の感情のためにあると思っていらっしゃる方がほとんどだと思うんですけど、人間の感情を超えた、新しい次元の小説を見せてもらいたかった。結果的にそれが小説とは呼べない代物になってしまったとしても。でも今回に関しては、あまりにも人間に忖度しているなと感じましたね。
AI はもともと人間の倫理や感情に気を配るよう設計されています。そのため、大胆な価値観の転換や、常識破りな構造が自然発生することは、今のAI にはほとんど起きません。
どこか「優等生」のように、模範的で、まとまりの良い答えを出そうとする傾向が強くなります。この点が「創造の跳躍」を制限しているのではないでしょうか。
共創の現場から見えた創作の本質
この取り組みを通して最後に浮かび上がったのは、「AI の主体性」への過度な期待は現実的でないという、ごく素朴な気づきです。
小説を書くという営みの中には、思考の揺れや偶然の出会い、あるいは書き手自身の欲求や葛藤といった、人間ならではのゆらぎがぎゅっと詰まっています。
AI を使えば使うほど、逆に人間の創造性やそこから生まれる飛躍の力が、いっそう際立って見えてくる。今回のプロジェクトは、現在のAIの限界を知ることで「やっぱり創作の本質は人間の中にあるんだ」と静かに確かめ直す場にもなったのではないでしょうか。
今のAI は、OpenAIの訓練方針でも、人間のサポート役として働くことに重きを置いています。つまり「AIが主体的に物語を生み出す」のではなく、「人間の問いかけや願いにこたえ、支える」ことが第一に設計されているのです。
まとめ
AIと人間が本気で共創を試みた『影の雨』の舞台裏には、想像以上の試行錯誤や葛藤、そして発見がつまっていました。
小説を書くということの奥深さ、AIの限界と可能性、そして何より人間のクリエイティビティのかけがえのなさ。そうしたものを、改めてしみじみ感じさせてくれる実験だったのではないでしょうか。
ぜひみなさんも『影の雨』を読みつつ、インタビューやプロンプトを眺めて舞台裏を覗いてみてはいかがでしょうか?
インタビュー:「4,000字の小説に20万字のプロンプト。九段理江がAIとの共作で感じた葛藤とは」
会話ログ:「『影の雨』プロンプト」
小説本文:「小説『影の雨』全文」
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