見出し画像

封緘のエクリチュール【2】#創作大賞2025 #エンタメ原作部門

前回までのあらすじ(第一話)
  帝国ホテルの舞踏会に澤田中尉は婚約者の律と部下の榊少尉を帯同する。どよめきの中、上司の折笠大尉が現れ、フランス人の恋人を紹介される。律は語学能力を活かして国際的な交流を深め、澤田と榊は顔つなぎに奔走。パーティが終わる頃、折笠は日本人ともフランス人とも違う、二人の男に忍びよられていて。


2 冷徹な客人


  野営の白い布がはためく上、周りに何もない戦地では満開の星だけがきらめていた。


「はぁ。もっとあのパーティで食べて来るんだったな」
  さかきは、ポツリと弱音を吐いた。
  干しいいは腐食し、塩蔵の小魚を二人で分け合ってポリポリとかじる。残りはもう余りなかった。俺は残った乾パン一つを、榊に手渡そうとした。

「え? いいっすよ。大尉の分です」
「君の方が若いから。腹が減るだろう」
「ダメですよ。遠慮しちゃ。大尉の方が偉いんですから、これは俺のだ、って分捕るくらいじゃないと」
「......そういう性格にはなれないんだ」
「知ってますよ。だから、お慕いしてます」


  小さな声が二つ。あとは虫の音だけ。どれくらいこうして過ごしただろうか。仲間の幾人かは命を落とし、幾人かとははぐれてしまった。

「でも、食べて下さい。帰ったら、その......彼女と、元気な赤子を作るんでしょ? 俺はまだ、恋も知りませんから」
  榊の言葉に、俺の心にふっと明るいものが灯った。

「ああ。帰ったら、きちんとプロポーズして、結婚する」

  俺はその後いくつか手柄を上げ、今では大尉になっていた。榊はもうすぐ中尉になるのではないかと思う。皆を率いる立場でしっかり勤めを果たさねばいけない。そうでなければ、故郷の彼女に顔見せできない。思い出しすぎないようにしていたが、改めて言葉にすると、恋しさがつのった。 

  がさっ、と近くの茂みが動いた。俺と榊は、身体を強張こわばらせ、臨戦態勢を取った。

  「郵便です」

  声はまぎれもない日本語だった。俺と榊は顔を見合わせ、体勢を緩める。

  軍服を着た人物が一通の真っ白な封筒を差し出した。検閲の印がびっしりと並びいかめしい。
  裏返すと、表に不釣り合いな愛らしい封緘シールで閉じられていた。すぐに、彼女だとわかった。

  「ご苦労様です」
  「はぁ、軍事郵便も大変っすねぇ。こんな状況じゃあ」

  郵便員は、すぐに夜闇に消えていった。

  俺は、手元の封筒をランプにかざす。開けてしまうのが勿体なくて、まるで火にくべて温めるかのようにそうしていた。

「俺、あっち見張っときますから。ゆっくり読んで下さいよ。戦地にいても心は届くんっすね」

  榊は、そっと立ち上がると、テントの反対側に向かって行った。
  残された俺は、指でそっとシールを剥がす。
  ランプに、紺色のインクで記された丁寧な字が浮かび上がる。


――おかわりありませんか。私は元気にしています。

必ずそう始まる手紙を、彼女はもう何十通も送ってくれていた。せめて、百も溜まる前に、戦が終わるといいと思っていた。そうして、時折来る便りに、心をほぐすのだ。

  しかし、一つ気になることがあった。いつもと違って近況がない。戦時中とはいえ、遠く離れた日本の街中は普通のようだった。友達と映画にもカフェにも行ける。娯楽は増え、以前は、封緘シールをデパートで悩みながら選んだ話など、些細な日常が綴られていた。彼女がそうやって過ごして居てくれるなら、幾分かマシに思えた。

  だが、今回は、そういった日常が何も書いていなかった。あったのは、先日、屋敷でパーティを開いた。お父様は準備に必死で、私は最初部屋に籠って、お父様たちの話が済むのを待っているつもりだった。という記載だ。ただ、そこで話が終わっている。いつもなら、パーティがどう楽しかったのか、どんなお料理が出たのか、どんな人と会ったのか、彼女の感性を通してつづられる瑞々みずみずしい言葉が続いた。しかし、今回はない。
  俺は一抹いちまつの不安に駆られた。


  するとその時、向こうから榊の声がした。
「すみません、お邪魔して。ただ、あの人が戻ってきましたよ」

   榊の後ろにはもう一つの人影があった。途中の岩場で足を滑らせ、はぐれた部下だった。
  俺は慌てて手紙を懐にしまい、彼の無事を喜んだ。どこで、どう過ごして居たのか、その数日を聞き、中には敵の情勢に触れる情報もあった。

  彼はひどく体力を消耗しており、俺は、先ほどの乾パンと水を渡した。榊が、あ、それは......と言ったが、気にしなかった。実際、戦で命を落とすのではなく、飢えで死にゆく仲間がいた。この時代、まだ、携帯食は十分でなく、兵糧ひょうろうが尽きることは、生命が尽きることを意味した。

  そして、彼の話を聞いている間に夜は更け、俺たちは、交代で眠りについた。そんなことがあったから、手紙の違和感をすっかりわすれ、ただ、届いた手紙に彼女の心を抱くような心持で、静かに眠った。

* * *

  パーティは初めからおかしかった。財閥家当主のお父様の元に要人が訪ねて来ることはよくあるが、そのためにパーティなんて普段はしない。私のお誕生日パーティを開いてくれたり、何か華やかな機会を設けることはあるけれど。
  あの、澤田さんが発つ前に同伴したパーティのように、情報交換を目的としたパーティを私の屋敷で開くようなことはない。そういったものは、別の要人の家で開かれ、お父様は招かれる立場だった。
  しかし、今回、折り入って、私の屋敷を会場にして欲しいと書状でお願いがあったらしく、お父様は張り切って、屋敷の使用人を全員動員して準備を進めていた。お母様も客人のリストを手に、挨拶を考えたりしているらしかった。

   しかし、その日、客人は来なかったのだ。あの人、一人を除いて。

  私は自分の部屋にこもって本を読んでいた。パーティが始まったら、客人に挨拶するように、と言われて用意したドレスが、壁にかかっている。別に、見せるような相手もいないのに。
  私は客人リストを見せてとお母様に頼んだが見せてくれない。秘密にするように言われているのよ、と。
  それからお母さまは気がついた顔をした。ああ、あの方が来るか気にしているのね。大丈夫よ。もうあなたは澤田さんと婚約しているのだから。

  あの方、というのは、とある貴族の家の息子で、澤田さんと付き合っていた当時から、執拗しつように社交場で口説かれていた。よほど気に入ってくれているのはありがたいのだけど、私にその気がない。私は、既に澤田さんという素敵な人と出会ってしまっている。説明しても、彼は私が出る社交場にやってきては、声をかけてきた。
  でも、そうよね。お母様の言う通り、もう婚約しているのだもの。私は、薬指にリングを嵌めた指をぎゅっと握りしめる。


  バン。

  という乾いた音がした。誰かお盆でもひっくり返したかしら、と思った時、

  バン。バン。...バン。

  とそれは立て続けに聞こえた。何かしら。私は本を閉じ、階下に耳を澄ませる。すると、バタバタと人々の慌ただしい足音がした。

  おかしい。 

  私は立ち上がった。けれど、立ち上がってどうしたらいいかわからなかった。外の様子を確かめにいけばいいのに、ドアの前に立つと足がすくんでいた。

  どうしよう。

  私は部屋の中をぐるぐる歩き回る。部屋の中なら平気で歩けるのに、ドアの向こうに行く勇気が出ない。

  そうしていると、音はやがて止んでいった。あれ?大丈夫なのかしら?

  と、思った時、急に近くの階段を駆け上がる音が聞こえて、私の部屋のドアがけたたましくノックされた。びくりと体が跳ねる。

  「お嬢様!」

  知っている、使用人の声だった。ドアを開けようと近づく。

  「お逃げ下さい!どうか、お逃げ下さませ!ここを開けてはなりません。窓から、何か、掴んでお逃げ下さい!」

  その必死の叫びが脳内でゆっくり木霊する。まだ飲み込めない。

  窓から逃げる?
  そんなこと考えてみたこともなかった。


  「きゃあ」

  鋭い叫び声と、先ほどの乾いた音が間近で聞こえた。
  そして、音がなくなる。

  あ......。私一人なんだ。

  なぜだろう、はっきりとその時、それがわかった。

  すると、鍵のかかったドアが、室内に崩れ落ち、女性が倒れ込んできた。さっきの、使用人だった。近づこうとして、はっと、そこに広がってゆく鈍い赤色に気がつく。

  ドアは、蹴破られたのだった。あの人によって。


  そう、そこに立っていたのは、軍服に身を包んだ男だった。すぐに顔に見覚えがあることに気づいた。でも、どこで? 私の頭は混乱で、回らなくなっていた。
  冷たい顔をした男性はゆっくり室内に入り、近づいてくる。左手に、銃を持って。

  さっきの音の正体をさとって、心臓が凍り付きそうになる。あれは、銃声だった。目の前の彼女は、恐らく生きていない。階下の音は、すべて止んでいる。私は、一人なんだ。

  男性がじりじりと間合いを詰めて来る。無表情な顔で、私をじっと見つめながら。
  その時、ふと男性の腕に、ドイツ帝国の国旗を見て取った。

  ――ドイツ軍?

  澤田さんは今、中国でドイツ軍と戦っているはずだった。この時世、日本はドイツに宣戦布告し、敵対関係にあった。

  私は、咄嗟に、言葉を使った。

 "Was ist dein Ziel? Warum tust du so etwas?"
 (あなたの目的は?どうしてこんなことをするの?)

  彼は、それまで無表情だった目を瞬かせ、口を開いた。

 "Sie kann auch Deutsch? Was für eine beeindruckende junge Dame."
 (ドイツ語も話せるのか。たいしたお嬢さんだ)

 彼は、そのまま私に近づき、左手を取られた。

――殺される。

  私は、目をつぶりたい気持ちをなんとか抑えて、彼を見つめる。目が潤みそうになるくらい、強く。

  彼は、私の薬指の金属に触れた。その時、私の中にも、あっと閃いた。
  こうして、手を取られたことがある、と。
――あの、舞踏会の日。


「なるほど。あのお嬢さんか。英語にフランス語にドイツ語。他に何ができる?」

  彼が日本語で話してくると、あの舞踏会の日の"折笠さん"の声そのものだとはっきりわかった。

「あと......スペイン語が......」

私はとりあえず目の前の問いに答える。それしかできなかった。

「マルチリンガルだな。上出来だ。それにこの屋敷。相当良い教育を受けてきたと見える」

  彼は室内を見渡して、ベッドの天蓋てんがいに目を留め、ふっと溜息を吐いた。

「幼いころから、家庭教師を雇ってくれたから」
  恐る恐るそう答える。

「ちょうどいい。これを読め」
  彼が懐から手紙を取り出す。震える手でそれを受け取った。


――ああ、フランス語。彼に読めない言葉。

  私は中の便箋を取り出す。

明朝みょうちょう五時。埠頭ふとうにて。一人で来られたし。あれを忘れないこと」

    文字を忠実に読み上げる。

「埠頭ねぇ。また、きな臭い」
  男は、ふっと口端を上げて笑った。
「まぁ。夜は未だ深い。五時なら簡単だ」

  私はその時気がついた。この手紙が変なことに。
「あの、この手紙、変です」

「変?どう変なんだ?」
  彼は怪訝けげんな顔をした。


「埠頭、と言えば、新港ふ頭ですが、今、政府はその時間には取り締まって閉鎖をしているはずです」

「......財閥筋の情報か?」
「......はい。そういう情報はうちに入ってきますから」
「では、手紙の埠頭は?」
「別の場所を指しているかと」
「"隠語"というわけか?」
「おそらく」
「ふん。なるほど。それで、もし、新港ふ頭に五時に行ったら、奴らにやられるってわけか。罠ってことだな」
「おそらく」


「......語学もできる。......財閥筋情報を握っている。......勘もいい。女にしとくのはもったいないな」
彼の瞳がぎらりと光った。

「あの、みんなは?」
  私はそれを聞いてしまった。誰もここへ駆けてこないのだから、わかっているだろうに。前に澤田さんと共に会った、澤田さんの上司だから、そんなことないって思いたかった。


「俺が殺した。おまえの家族も使用人も、全員」


  その色のまるでない言葉は、どこか遠くで聞こえた。とても真実には思えなかった。

  「じゃあ、あと、私だけ?」

  私は、なぜだか、笑ってしまった。涙よりも先に、可笑しかった。壊れていたのかもしれない。

「ああ」

  私は、ぎゅっと目をつぶる。
  銃口がこちらへ向く前に、もう、全部わかっていた。

  気配が近づいてくる。ぎゅっと瞑った目に力を入れる。

  唇に冷たいものが触れた。
  冷たいが、柔らかかった。

「おまえはいい。俺の言うことを聞くなら、生かしておく。他国の通信文はもちろん、暗号解読にも使えそうだ。さっき、この目で見たからな」

  そう言ってポケットから取り出されたのは鎖付きの手錠だった。
  彼は、放心気味の私の両手に、いとも簡単にそれを嵌めて、錠を閉める。

「自由というわけにはいかないが、まぁ、悪くはしない。たぶんな」

  私は腕に嵌められたそれを見下ろして、それからぼうっと彼を見た。

「あと、女としても悪くない」

  私はまだ、その意味を知らなかった。

(つづき↓)


ひとこと

  前半では野営の前線を、後半は屋敷での一夜の事件。一気に緊迫感ある場面に。この話の主演は澤田役の予定なのですが、いや、主演は折笠役だろう?どう考えても、と思い始めました。ヴィランが主演になってはいけないのか?
  そうそう、ちょうど、ハリーポッターの舞台で、ドラコ・マルフォイ役を初代俳優さんが演じるという情報を見ました。ええ!めっちゃ好きだった!あの意地悪なベビーフェイス。今は随分と渋くなられましたね。でも、喜んでるのは日本だけで、海外では作者さんの発言を唯一批判しない俳優さんで、同調していると非難されているとか。あと、当時からヴィラン役で子供たちから嫌われてたとか。俳優の宿命とはいえ、憎まれ役で嫌われるのは可哀想すぎる。
  日本人はヴィラン好きらしいです。いいよね、わけあって悪の道に染まっちゃう!っていうのめっちゃ好きです。

いいなと思ったら応援しよう!