「平和」は誰を守り、誰を見捨てるのか
クリスチャンとして戦争を望まず、それに反対することは倫理的に正しいのではないか——。わたしは保守メノナイトだったこともあり、絶対平和に立ちたいという思いはいまも心の中に残っている。
だからこそ、戦争に抗おうとする声には、今もなお深く共感してしまう。
しかし今回の戦争ほど、「戦争に反対する」というスタンスが、あらゆる状況に適用できる万能薬のようなものではないのだということを、自分の中にこれほどまでに突きつけられたことはなかったように思う。
なぜか。それは、目の前の戦争への「ノー」が――「平和」への善意が――意図せずして、もう一つの暴力構造を見えなくしてしまうからだ。
見えなくするだけでなく、それに対する外部からの圧力や関心を弱めることで、その中で続く殺戮を結果的に支え、永続化させてしまうという、おそろしい逆説を目の当たりにしてしまったからである。
それは、一キリスト者としての倫理的ジレンマでもあったし、この生々しい現実のなかで、私の中の何かが崩れ、死に、地層の奥深くで新たな位相へと変容していくのを感じた。
今回の戦争の背後には、並行して存在してきた、もうひとつの「戦争」、すなわち、一つの巨大な暴力があるように思う。
それは、神権の名のもとで正当化される、民間人への拘束、恐怖政治、処刑の連鎖であり、武装した側と無防備な市民とのあいだにある圧倒的に非対称な暴力――すなわち、革命政権による自国民および周辺諸国の民間人に対するテロ戦争である。
米・イスラエルがイスラム共和国に攻撃を加えるはるか以前から、イスラム共和国は自国民に対して事実上の「戦争」を続けてきた。武器を持たない自国民、そして周辺諸国の民間人に対し、この47年間、暴力を行使し続けてきたのである。
そのあいだに、いったいどれだけの一般市民が街頭で、あるいは獄中で殺害されてきたのだろうか。
過激な武装勢力が国家を掌握し、9000万の国民を人質に取っている——そのような表現が国民自身によって語られる。現実を見れば、それは単なる誇張ではない。
米・イスラエルによる対イラン作戦に対し、あるキリスト教指導者が一貫して「神はいかなる紛争も祝福しない」「暴力の連鎖を止めよ」といった趣旨の強い非難を行っている。こうした言説の中には、確かにクリスチャンの良心に訴えかける大切なメッセージが含まれているように思う。
しかし一方で、1月にイスラム革命防衛隊(IRGC)がイラン国内で大規模な弾圧を行い、4万人以上の市民が殺害されたという報告が出ていた時、同指導者およびその周辺から、少なくとも広く可視化された形での緊急声明や強い非難は、私の見る限りほとんど見られなかった。
当然のことながら、こうしたダブルスタンダード的な言動に対し、中東やアフリカといった——イスラム過激派から現在進行形で攻撃を受け続けている地域——の人びとから強い批判がなされている。
あるラビは、歴史的経験を踏まえながら次のように指摘する。ユダヤ人に対するナチスの暴虐を知りながら、当時の教皇ピウス12世は声を上げず「沈黙」していた、と。そのうえで、紛争当事者間を道徳的に同列化する語りは、侵略者と自衛者の区別を曖昧にしうる危険をはらむと警告する。
そして彼は、ホロコーストの教訓とは単なる漠然とした「平和」の呼びかけではなく、破壊のイデオロギーに対して明確に立ち向かう姿勢を求めるものではないか、と問いかけている。
多くのイランの若者たちもまた問う。「1月に私たちが虐殺されていた時、なぜあなたは沈黙していたのか。なぜ今になって突然、『戦争反対』と声上げするのか。なぜ、独裁者をあたかも外部から理不尽に攻撃されている被害者であるかのように語るのか」と。
こうしたあり方は、遠くから語られる「平和」という言葉が、現地の現実――血を伴う鎮圧、処刑、テロ、暴力の連鎖、そして地域的な緊張構造――をどこまで捉えきれているのかという問いを、私たちに投げかけるのではないだろうか。
ある「戦争」に対しては強い非難の言葉が向けられ、国際的な関心が集まる一方で、別の文脈で行われる弾圧やテロといった別の「戦争」には、ほとんど声が上がらない。
この「選択的な沈黙」と「選択的な声上げ」は、たとえ意図的でなくとも、抑圧構造の側に加担してしまう結果を生み出す——。少なくともそれが、革命政権によって実際に命を脅かされてきた中東の人びとの、当事者としての偽ることのない実感だろうと思う。
実際、革命政権側はこうしたキリスト教指導者の言説にいち早く反応し、その訴えを自らのナラティブに取り込み、自らを寛容な存在であるかのように演出しつつ、対外的な支持の獲得に利用している。そのこと自体が、この懸念が決して杞憂ではないことを示している。
とはいえ、キリスト教指導者の配慮も並大抵のものではないと思う。そこには、過激な勢力とも何とか対話の「テーブル」に着き、暴力の連鎖を止めようとする牧会的な姿勢や、中東にいる信徒たちをさらなる迫害や報復から守ろうとする意図があるのかもしれない。(*注1)
しかしその一方で、もし自分の守るべき「霊的な子どもたち」が、すでに日常的な暴力や虐待、あるいは死に至るような危険の中に置かれているとしたらどうだろうか。
たとえば父親が、ある人物と「平和のテーブル」で向き合いながら、その人物が家の中で子どもたちに深刻な危害を加えていることを知ったとする。しかも、その人物が明確な殺意を抱き、ナイフを忍ばせ、子どもたちの命が現に脅かされているとしたら——。
もちろん現実の国際情勢はこれほど単純ではないが、そのような場面で、なおも「話せば分かる」と対話を優先し続ける親がいるだろうか。それは、暴力の被害者である虐待児を、二重にも三重にも傷つけることにならないだろうか。
本気で子どもを守る立場にあるならば、いまこの時に必要なのは対話の継続ではなく、その危害そのものを止めるための明確な対応ではないか。
もしも私が、裏表のある残虐な人物から長く虐待を受けてきた立場にあるとしたら、父に望むのは、その人物との交渉ではない。そうではなく、その人物を一刻も早く家から追い出し(警察に引き渡し)、二度と危害を加えられないようにするための、確かな保護と力強い対応——断固とした対応——、それを私は求めるだろう。
深刻な虐待を受けている子どもにとって、あるいは今まさに命の危機にさらされている人にとっての「平和」とは、加害者がその人の生活圏から取り除かれることであって、加害者が正体を隠しながら「平和のテーブル」に着き続けることではない。
中東やアフリカで民間人に対して行われてきたこの「巨大な暴力」――一般市民を標的とする弾圧的な戦争――に対し、もし世界が、より早く、より明確に、毅然とした姿勢を取り続けていたならば、現在のような暴力の極端な肥大化は、異なる展開をたどっていた可能性もあったのではないか、という思いが残る。
在日イラン人のサラルさんは日本の私たちに次のように懇願している。
「遅かれ早かれ、現体制は転覆する。それでも日本政府は、イスラム革命防衛隊の味方を続けるのか。革命防衛隊は欧州でテロ組織に認定されている。私たちは日本のことも大好きで、愛している。ただ、私たちが苦しんでいる時に、イスラム共和国と外交し、味方だったというのは嫌なんです。イランの政府側ではなくイランの国民側に立っていただきたい。」
第二次世界大戦中、リトアニアの日本大使だった杉原千畝は、ドイツ政府側ではなく、ナチスに迫害されていたユダヤの民衆の側に立ち、日本外務省の訓令に背き、通過ビザを大量に発給した。その「命のビザ」の発給(1940)により、約6,000人のユダヤ人の命が救われた。杉原は虐待され殺害されているユダヤの民を守るために、日本・ナチス政府間の「平和」をあえて破った。
加害者を加害者として名指しし、被害者の命と自由を守るために立つこと。破壊のイデオロギーに対して明確に立ち向かい、それとの「平和」を断固として拒むこと。声を上げること。
それは対立をあおる行為ではなく、沈黙によって隠された悪の現実を明るみに出す行為でもあるはずだ。
現実の痛みに向き合う言葉は、それに対する責任と実行力を伴わなければならないと、私は痛感している。
今この瞬間も、無実の市民たちが、革命政権によって拷問され、命を奪われている。
悪やサタン的現実を直視するならば、この世における「平和」を維持するための継続的な闘いは――たとえそれが「神の義」には遠く及ばない不完全な義であったとしても――避けられない。人質をとり建物を占拠した不法勢力から被害者たちを救出する最後の手段は、やはり強行突破しかないのかもしれない。
神ではない人間に物事の全貌を見極めることはできない。私たちは皆、限られた情報の中で何が真実であるのかを求めているのだと思う。私自身もまた、その途上にあり、なお確信しきれない部分を抱えている。だからこそ、「平和」や「戦争」をめぐっての、互いの意見や立場の相違に対する寛容は大切だと思う。私たちは「悪」に対して寛容であってはならないのであって、善意の人びとに対してはキリストの愛をもって互いにとりなし祈り合えたらと思う。
どうかすべてをご存知の神が、私たち一人ひとりを憐れんでくださり、「平和」に対する私たちの善意が、悪の欺きによって誤用されることなく、みこころに沿って用いられますように。杉原大使が迫害されている民衆の側につき、「命のビザ」を発給したように、私たちもまた、それぞれの置かれている環境の中で、霊的な「いのちのビザ」を支え、それが人びとの救出につながることを祈り求めることができますように。
注1
擁護的な見解によれば、当時、教皇庁はナチスよりもソ連の共産主義を欧州における最大の脅威とみなし、ナチスが共産主義の拡大を防ぐ「防波堤」となりうるという認識があったと分析されています。また、公然とした批判がかえってナチスの報復を招き、カトリック教会や保護下にあるユダヤ人を危険にさらす可能性があったため、あえて沈黙を保ちつつ、水面下でユダヤ人の保護・救出活動を行っていたとも指摘されています。
実際、ユダヤ人の修道女であったエーディット・シュタインを迫害から逃れさせるため、ケルンのカルメル修道会がオランダの修道院へと避難させるなど、具体的な救助の試みも行われていました。
また現在においても、個々の修道会や聖職者、信徒の中には、それぞれの立場から、迫害や暴力にさらされている人びとに対して救助の手を差し伸べている方々が多くおられることも付記しておきたいと思います。
関連記事:教皇の希望がより暗い現実に直面するとき――レバノン、ナイジェリ ア、そして厳しい真実(ギャビン・アシェンデン博士)
