「説明=正義」 の世界が罪である
説明=正義 の世界が罪である
説明できることが、正しいこと。
そんな空気の中で、私たちは生きている。
理由を言え。
根拠を示せ。
論理で説明しろ。
それができないものは、
未熟だとか、怠慢だとか、
どこか欠けているものとして扱われる。
けれど、
説明できないことは、罪だろうか。
言葉になる前にある感覚。
胸の奥に沈んでいる確信。
説明しようとした瞬間に、
こぼれ落ちてしまうもの。
それらは、
存在しなかったことになるのだろうか。
本当は、
説明は正義ではない。
説明は、ただの手段だ。
それを「正義」にしてしまった瞬間、
説明できない人は裁かれる。
沈黙は怠慢とされ、
戸惑いは否定され、
言葉を持たない誠実さは消されていく。
説明=正義の世界は、
静かに人を傷つける。
私は、
説明できないまま残しておく選択を、
罪だとは思わない。
言葉にしないことにも、
ちゃんとした理由がある。
それを守る自由が、
あっていいと思っている。
