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マリオネットの輪郭

(約900字/読了目安:約3分)

マリオネットは、正確な操り糸によって、清く、正しく、完璧な役を演じていた。

観客を楽しませるために。
それが正しいことだと信じていた。

拍手が起これば、また同じ役を演じた。
観客が喜ぶ演目を、来る日も来る日も繰り返した。

本当は、別の役も演じてみたかった。

だが、それがどのような役だったのか、もう分からなくなっていた。
操り糸は、台本にない動きを許さなかった。

どんな時も、心は自由だったはずだ。

ただ、人形は、そのことに気づかなかった。

糸に導かれて動くことが、自分にとっても正しいのだと信じていた。

何十年かが過ぎ、観客はいなくなった。

誰も見ていないのなら、もう自由になれるのではないか。

心の底からそう願った瞬間、操り糸はぷつんと切れた。

人形は床に崩れ落ちた。

自由を願ったはずなのに、何をすればよいのか分からなかった。

糸に操られていた頃の自分が、本当の自分ではなかったことに、今さら気づいてしまった。

何をしたかったのか。
どこへ行きたかったのか。
どのような役を演じたかったのか。

もう、何ひとつ思い出せなかった。

動けないのなら、せめて手足だけでも自由にしたい。

そう強く願うと、両腕と両脚は関節から切り離され、四人の子どもになった。

子どもたちは、それぞれに意思を持っていた。

人形が長い年月の中で身につけた、清く、正しく振る舞うための作法が、彼らの中に残っていた。

子どもたちを動かす糸はなかった。

彼らは自分で行き先を選び、自分で間違い、自分で立ち上がった。

人形は、四人の生きざまを見つめた。

成長を喜び、苦悩を共にし、旅立ちを祝福した。

それは、自分が選ぶことのできなかった人生を、もう一度生きているようでもあった。

子どもたちは、手足を失い、動けなくなった人形をかわいそうだと思った。

人形は、自分のなりたかったものにはなれなかったのかもしれない。

それでも、四人が自分の意思で生きる姿の中に、失われた人生の続きを見ていた。

それは、人形にとってひとつの生き直しだった。




あとがき

久しぶりの更新になりました。少し暗い話に思われるかもしれませんが、書き終えた今は、不思議とすっきりしています。また続けてまいります。

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