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2026年春アニメ総評『春夏秋冬代行者』『ニディガ』『よわよわ先生』『キルアオ』他(2026年6月27日の日記)


生活

 寝不足がたたり12時頃に起きる。台風の影響でまだ雨が降っており、気温が低いわりに湿気で不快な日だった。昨日見たアニメの感想を3時間くらいかけて書く。他に何もしてないのに夕方になってしまった。雨が弱まってきたので秋葉原に散歩に行き、ポップアップショップを見たり、ヨドバシカメラ1階でやっていたビールサーバの紹介イベントでタダ酒を飲んだりする。帰宅後はカレーを食べ、『奇妙な物語’26 夏の特別編』を途中まで見る。22時30分からは全身筋トレしながら深夜アニメを見る。ようやく過酷な土曜夜アニメが終わった。全身筋トレを終えた後は風呂に浸かり、アニメの感想文を書く。書きあぐねているうちに朝4時になってしまった。残りは明日書く。

きょう観たアニメの感想

よわよわ先生 12話(終)

 体育祭恒例の大縄跳び大会に向けて鶸村先生と阿比倉たちが特訓する話、体育祭当日にメチャクチャになったり怖がられたりしながらも成功する話、打ち上げの焼肉での一幕。普通にいい総括だと思ったら最後はトイレでのエロハプニングをやり物語は終わった。
 原作1、2巻あたりまで読んでいたが、当初は鶸村先生の弱さや無知からエロい目に遭い続けるという毎回の流れが気がかりであまり好みの作品ではなかった。しかしアニメで中盤以降まで見ると印象が変わり、エロ部分を無視すると互いに尊敬しあって成長していく真っ当なヒューマンドラマだと感じられるようになった。頻出するエロコスプレは手段を間違えているだけで、いずれも阿比倉を励ましたり応援したりしたいという善意に基づいての行動であることが強調されるようになってくる。鶸村先生と写真部のドタバタに巻き込まれるうちに、何事もほどほどがモットーだった阿比倉が積極的な性格に変わる。これはかなり感心した。ラブストーリー要素もエロに翻弄される形ではなく、敬意や親密さに基づいて進展するというのもよかった。
 クライマックスらしくない締めで2期がありそうな終わり方だったのに発表されず残念。原作ストックができたら続きを見たいと思った。

キルアオ 13話(終)

 マリンスポーツ全般の才能を持つ幻獣組・乙姫舞がミツオカ決闘を申し込んでくる。だが狙いはノレンではなく十三だった。決闘の話はいったん保留になり、三者面談や将来の話題が描かれる。未来がある中学生に対して、十三はすでに自由な将来がないおじさんになってしまっていることに悩むが……。最終的には割り切りが付き、この先も今の中学生のフリをする生活への前向きな期待で物語は終わった。2期前提の終わり方だと思ったら2期制作が発表された。
 全体を通して大味な作品という印象があった。人生のやり直し、暗殺者とのバトルアクション、大人になろうとする少年少女との交流、みたいな要素を接合するために人間離れしたすごすぎる中学生が大量に投入されている。強引だしパワータイプの解決策すぎる。暗殺者がうっかり中学生になってしまう話でフィジカルエリート集団や現役中学生殺し屋が続々出てくるってありえなさすぎる。納得がいく要素の繋ぎこみを見たかった気がするが、しかし強引でもやたら面白いので文句を言えなくなってしまった。
 序盤は暗殺という要素に苦手意識を感じたが、とにかくガンアクションが上手くてインパクトがあった。銃を出してから即座にビシッと腕を伸ばす構え方などの所作、勢いあるカットの割り方、ふっとんだり爆発したりするのを見送るクールな態度など、とにかくアクションの緩急が効いている。
 それはそれとしてアクションより人間ドラマのほうが断然よかった。暗殺アクションのエピソードだともっぱら主人公の内面しか深掘りできないが、中学生らしい人間ドラマやオッサンの感覚とギャップの話をやっている間は主人公以外のいろいろなキャラも深堀りされていく嬉しさがある。途中からは暗殺要素が抑えられて人間ドラマの割合が増えてなじめるようになった。

春夏秋冬代行者 春の舞 14話(終)

 雛菊とさくらが観鈴と直接対決して決着するまでの話、賊の脅威が去った後の後日譚が描かれた。観鈴は自身が救われなかった経験から、代行者をもっと上手く利用して世界をよくできる、そのために体制を転覆させるという野心に基づいてテロを起こしていた。憎しみではない形で戦うことを決意したさくら、操り人形ではなく自分の意志で行動する雛菊の姿勢がこの思想を破り、駆け付けた狼星の力もあって事態は解決する。

 最初から最後まで不気味な作品だった。代行者という制度がいびつなので内部から批判すべきなのに、その制度のいびつさを保留したまま、物語上の都合で出てきたモブの襲撃者を使って被害者ポジションを取る形で話を回しすぎている。
 この国の季節は季節ごとに1人の代行者が各地で儀式を行って巡らせている、という設定を聞くと最初に思い浮かぶのは心身への負担の重さや代行者へに依存したシステムの弱さで、仮に真っ当に運営されていても問題が大きいとしか思えない。1話のような季節への期待や憎しみ、大きな力があるのに全体のためにしか使えないことの葛藤、自ら行った季節顕現が誰かの人生を左右してしまうことなど、敵に頼らないでも十分にドラマを作れたのではないかと思う。敵を登場させるにしても、そうして内部的に批判を十分に重ねてから行うべきだったのではないか。賊または腐敗した幹部が敵として次々と登場して、制度そのものへの批判は結局なされず終わってしまった。
 泣かせるための設定もかなり気に障る印象があった。代行者にはひとりだけパートナーの護衛官が付くというカプ厨とか関係性のオタクすぎる設定。あざとすぎる。雛菊の誘拐監禁、レイプ未遂に遭っていたという過去編なども、つらい過去を描くためだけに性暴力を持ち出す安易さがいやすぎる。あざとい回想の数々が、被写界深度表現や彩度高めの夕焼けなどの分かりやすい「神作画」で描かれ、絶叫を繰り返す邦画みたいな演技で演じられる。胸焼けしそうな感じがあった。賊が賊を自称する(敵が敵を自称しないだろ普通)、護衛がすぐ金銭で買収されて裏切る、テロリストが巡航ミサイルを打ってくるなど、ディテールのおかしさが目立ち、なんだかコスプレっぽさもあった。
 しかし話のことを全部忘れて絵を見ると、萌えアニメをやってるときも本当に上手いしエモアニメをやってるときもすごい技量だと感心する。多分話に引っ張られて見落としている絵のすごさがあり、冷静にもう一周する必要がありそうだと思った。

NEEDY GIRL OVERDOSE 12話(終)

 冒頭では現実から逃げてインターネットにのめりこんだというモノローグ。前回でおおむねハッピーエンドを迎えたのに、後日譚の冒頭では全キャラの破滅的な人生のイフがオムニバスで描かれる。超てんちゃんがいなかった世界では、かちぇは悪い男を引きずり、ロリポップはひきこもりから脱せず、美血華は美しいままの死を選び、禰󠄀智禍さまは自殺した父の後を追う。これは超てんちゃんの影響を示しつつ、みなハッピーエンドをつかんだのは偶然にすぎず転落する可能性も十分あったことを示すようだった。モノローグは次第にインターネットを脱して新しい場所を見つけていったと語る。ロリポップは映画スターになりロックな姿勢で世間を騒がせ、美血華はモデルとしてありのままの自分を見せつつゴシックのアイコンとして成功、禰󠄀智禍さまは表舞台から姿を消したのち超てんちゃんの本来の姿に触れる。かちぇは結婚式を挙げてもっとも普通の幸福を手にする。イメージ空間でリズムゲームをするのに合わせてEZ DO DANCEが流れ、クソみたいなモブのやつらも含めて全キャラが集合する。超てんちゃんは「約束」を果たしに行く。
 ある日の夕暮れ、生活が行き詰まり閉じこもっていた男のもとに超てんちゃんが現れる。チェンソーでドアを開けて男を強引に外に連れ出し、超てんちゃんと自転車の2人乗りをするシーンで物語は終わる。エンディングでは超てんちゃんのキャストが天城サリーであるとついに明かされた。「超てんちゃん」は演じられていたものだと示して架空の存在を解体する、最後の一手のようだった。EDの後には画面を飛び出すように黒い超てんちゃんが現れる。作り手の意識なのかもしれない。視聴者に向けて画面越しこれは数あるエンディングのひとつだと語り、どんな結末でも幸福であり不幸だと説く。天使のいない現実を示すゲームオーバーのカットで物語は締めくくられた。

 インターネット、ドラッグ、サブカル、パロディ、自傷行為などをちりばめたクールで挑発的な作品であるかのような事前のイメージ戦略に反して、思想は硬直的で、視野や語彙は狭く、方法はどこまでも泥臭く不器用で、しかし正直すぎる作品だった。ネットで有名人になり期待を一身に背負うことの快感・辛さ・浮遊感、人を人とみなさず軽薄で飽き性な振る舞いをする衆愚への怒り、それを救済したいという誇大妄想のような精神、だが救済を掲げながらもやってることは自我を捨ててインターネットの集合意識と一体化した「現象」のフリに過ぎないということ。それらの経験を経て、過去を肯定しつつも「本当の自分を受け入れ現実を生きろという」当たり前の結論に落ち着く。ちりばめた挑発要素を無視すれば、昔ながらの荒れていた不良が立ち直るタイプの話にインターネットと現実が代入されているような印象だった。

 ちりばめられたパロディや挑発の数々は、クールというよりもオタクが数少ない手持ちの語彙で必死に何かを語ろうとする不器用さに近い印象を持った。オタクは趣味のことしか知らなくて人生がないから、趣味じゃない真面目な人生の話をしようとするとすぐコンテンツやネットミームを引用して的を外したようなことを言ってしまう。でも人生をやろうとしているから、オタクの不格好な人生語りがされている。そういう泥臭い前向きさとして、好意的に受け取ることができた。

 「インターネットをやめろ」というような表現が繰り返し出てくるが、インターネットと現実の二項対立という考え方は現代では正直あまりクールではないように思った。部屋に引き籠ってデスクトップのパソコンからインターネットにつないでいた時代には、時間的にも空間的にも現実から切り離されたインターネットが確かにあった。しかしモバイル端末が普及してSNSを誰もがやるようになってからは、みなが現実をリアルタイムで反映する現実の鏡映しの場所でしかなくなってしまったように思う。それでもこの作品が「インターネット」という表現を選んだことにはある程度共感ができる。複雑さを排した一側面的な消費、飽き性で無責任な一瞬だけの付き合い、恥知らずなバカのふるまいなど、「インターネットによって暴き出される人の軽薄さ」を指して「インターネット」と呼んでいるのではないか。それに対して複雑なまま受容しなくてはならないものごと、長く責任をもって向き合うべき物事を指して「現実」と呼んでいるのではないか。

 視聴が本当に疲れる作品だったし、映像も格好つけようとしてダサくなった感が恥ずかしく、思想的に何か新しいものを得られたわけでもなかった。しかし不器用なまま本心からの話をしようともがき続けるこのアニメのことを嫌いになりきれない。

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