「GiGO EXPO 2026」に行った/きょう観たアニメの感想・他(2026年6月20日の日記)
生活
雨の日だった。11時頃に起床する。Amazonのセールに合わせた記事を書く。
小雨だったので午後から秋葉原を散策する。ベルサール秋葉原のGiGO EXPO 2026やポップアップショップなどを見る。雨が強まってきたので17時頃に帰る。帰宅後はNHKで片渕須直監督の『マイマイ新子と千年の魔法』を見る。そのあとは疲れて2時間ほど寝る。夜はアニメを見ながら4時間くらい仕事をする。アニメの後に風呂に入ったり、作り置きの料理をしたりしていたら朝4時。ボーッとしてるうちに時間が過ぎてしまい慌てて深夜に帳尻合わせをするパターンが多すぎる。それで寝不足になりボーッとする時間が増えるという負のループになっている。治らなさそうで悲しい。
きょうの秋葉原
GiGO EXPO 2026
ベルサール秋葉原でGiGO EXPO 2026というイベントが開催されていたので見に行った。ゲームセンターにあるようなアーケードゲームやクレーンゲームのプライズ、それに関連するコンテンツが集うイベントとのことだった。キャラクターのポップアップも大量に出ている。2026年7月からのアニメ放送も控えた『夢限大みゅーたいぷ』のトークイベントもあった。
ゲーム試遊の待機列に並んだと思ったらなぜか全員そろってスタッフに別方向へと誘導されてそのままゲームとは別のコーナーへと追い出されてしまい、結局ゲームを遊べずに終わった。悲しい。

















その他







きょう観たアニメの感想
マイマイ新子と千年の魔法
片渕須直監督の『マイマイ新子と千年の魔法』を見た ゆたかな想像力からくる虚実の混ざった感覚のこと、些細なのに当人には深刻なこと、大人のどうしようもない都合に翻弄されること、それらが全部区別なく大事として並ぶ子供の世界観が全部ある すごい映画だ
— 人間が大好き2 (@hito_horobe2) June 20, 2026
この作品があったから『この世界の片隅に』のアニメ化が実現したという作品らしいのだが見たことがなかった。NHK Eテレでの放送があったのでこの機会に視聴した。驚くほどに子供時代の感性をよく描いているからすごい。また舞台は戦後すぐだが別に戦争の悲惨さがありありと語られることはなく、しかし何かの拍子に戦争で亡くした家族の話がごく普通のテンションでポロッと出てきたりする。周囲も大げさにリアクションしたりせず普通の温度で聞いている。現代人の目線ではなく当時の感覚や生活の中の自然な感覚をよく描くというところがすごい。これは脚本のうまさだけでなくしゃべりの演技のうまさによるところも大きく、説明するよりはまず見てもらったほうが良いかもしれない。
最強の職業は勇者でも賢者でもなく鑑定士(仮)らしいですよ? 12話
『鑑定士(仮)』全話見た 本当にやかましいSE付いたギャグをやりつつも人間関係と信頼の描写はちゃんと上手くて、土曜22時台のラノベ原作のゆるいアニメに求める味がちゃんとする作品だった
— 人間が大好き2 (@hito_horobe2) June 20, 2026
イヴェルの転移罠で孤立し窮地に陥るヒビキが仲間のつながりを確認して困難を乗り越える最終回らしい展開。ヒビキの女装姿が実は伏線で、誰もが忘れていたヒビキにそっくりな理神の存在が明らかになる。神の庇護で成立するこの世界は間違っているのか?という問い。イヴェルを挑発してレベルドレインさせることでエマリアさんを案内人として召喚し逆転するというサポちゃんの奇策、離れていても通じ合うクロードやリリアンとの絆によってイヴェルは撃退される。召喚が解けてヒビキとエマリアとはまた離れ離れになるが、エマリアさんは現世からきたヒビキの仲間たちと接触、最後に再び全員が合流することを示唆して物語は終わる。
全体を通してバトル中でもやかましいSEギャグやエマリアさんの胸のボタンが取れそうなギャグをやり、シリアスにしすぎない独特の味付けがあった。どうでもいいシーンでOPを流すギャグが最終回だけEDに代わっていたりと芸が細かい。またどの回でも人間関係の描写が良く、やかましいギャグを重ねながらもお人よしな人々の良い関係を感じさせるうまさがあった。その積み重ねがあるからこそエマリアさんとの再会が一層嬉しくなるし、本編ラストのカットがそのままEDにつながりあのシーンが仲間との合流を予告するものだったと気づかされるラストでも感動がある。同じ監督の『4人はそれぞれウソをつく』『真の仲間2』などがかなり思想が出ていて傑作だったことに比べると割とゆるい作品という印象があるものの、土曜22時アニメのゆるさと星野真監督らしい嬉しさが両方あるよい作品だったと思う。
よわよわ先生 11話
今回は椋林にフォーカスしたエピソードが良かった。恋愛感情に戸惑う椋林。幼馴染の阿比倉と気の置けない関係の友人でいたいと思っていたが、ふとした瞬間に恋愛感情を自覚してしまい……。椋林自身は怪力で阿比倉をいつも助けていたつもりが、実は阿比倉が椋林の面倒をよく見ていたという過去エピソード。ほほえましさと同時に恋をして阿比倉の見え方が変わってくる展開のフックにもなっていて良かった。
キルアオ 12話
コメディ回だった。冒頭ではカズマとエイジが転校してきて敵対する暗殺者が4人も潜伏しているという危険な状況になる展開。だが誤解やすれ違いのコメディになったうえに十三はなんとかうまく収めることに成功する。前半は低身長がコンプレックスの家庭科部員・玉田メイのエピソード、後半はラーメン作り対決のエピソード。ラストで眠ると人格が入れ替わって黒ギャル化する幻獣組の新キャラが登場する。
暗殺やバトル要素なしでも全然面白いというか、大人視点から子供の悩みを扱ったり、ギャグマンガらしいしょうもない戦いを描いたりしてるほうがむしろ面白い感じがある。
黄泉のツガイ 12話
折り返し地点になり様々な思惑が交錯する。影森の次男・アスマは叔父の新郷ハヤトと結託して解と封の力を狙うが、アスマは叔父を信用していないことが分かる。ユルの祖母が沖縄にいるらしいことが分かる。デラは先代田寺の情報を求めて祈祷師の元へ向かうが、祈祷師は呪術を装って東村を現代の医療でサポートしていることがわかってくる。だが東村を訪ねた祈祷師の体内にはツガイの力で潜伏した刺客が潜んでいた。
マヨイガに潜んでいた蝶がまた登場する形で、説明ではなく描写で監視を示すシーンがある。ほかにもこの作品はいちいち説明することなく対立や不信を描写で器用に見せてくるので、登場人物が多く思惑が絡み合う展開でも気配だけで十分にわかってしまう。もともと原作にくわえて画面でもそれを見せる演出のうまさがある。この描写による理解を信頼して余分なセリフや説明的シーンを入れすぎない脚本もいい。
春夏秋冬代行者 春の舞 13話
秋の従者竜胆と夏主従が共闘して奪還作戦を仕掛ける回だった。竜胆は賊からスーツケースに入った撫子を奪い返すが、撫子が傷ついた姿を見て憎悪から殺しに手を染めた。一方で夏の代行者である瑠璃は賊の銃撃を受け、姉のあやめは自身に力が移ったことで死を知ってしまう。あやめは傍で見てきたために完璧な詠唱をこなして敵を撃退した。最終的には撫子の生命腐敗の力で霊脈から生命力が移されて瑠璃は蘇生する。竜胆は撫子の信頼のために全てを隠したまま背負う覚悟をする。
賊があまりにも展開のための敵すぎる。全員が目出し帽で思想や特徴を全く見せず、悲劇を作るために襲撃してきて主人公サイドのカタルシスのために殺害される。装置すぎる。主人公以外を装置扱いしたうえでショッキングな出来事を起こして泣かせるという展開が下品すぎて乗れないまま話が終わった。
NEEDY GIRL OVERDOSE 12話
ニディガ12話で引用されたロバート・P・ウォーレンの「きみは悪から善をつくるべきだ、それ以外に方法はないのだから」、『ストーカー』からの孫引きだ
— 人間が大好き2 (@hito_horobe2) June 20, 2026
前回のラストから精神的に不安定になっていた超てんちゃん(あめちゃん)を、ロリポップとかちぇが救出する。繭の比喩はトリップしすぎて羽化したら向こう側へ行ってしまうような印象を与える。うつ状態のときにひたすら寝続けて眠れなくなったら今度はマイスリーを飲み続けて、最後は脱水症状の頭痛で寝続けられずに起きた日のことを思い出す(?)
超てんちゃんは当面インターネットを離れ、カラマーゾフやかちぇと共に過ごす。風呂に入るシーンでもウイッグは外してない超てんちゃんの描写。超てんちゃんというアバターはアイデンティティでありながらも、核を見せず守るための鎧であるようにも見える。シャワーはインターネットの汚れを洗い流して現実に生まれ直す描写にも見える(洗礼のイメージ?)。意外と超てんちゃんと通じ合う美血華。成長が感じられる。なぜかYMOのジャケのパロディの麻雀のカット。
そんな中で禰智禍さまの父が亡くなったとの知らせが入る。葬儀に出る禰智禍の前にはあめちゃんの姿で現れたのは、社会ではなく家族の問題で対比になっていたからではないか。一見してクズな父でも実はわが子への思いがあったことから、禰智禍は人を信じられる世界観を持っているし、子供たちの親代わりのよき姉であろうとしている。雨で涙を隠す姿も気丈だ。禰智禍は責任を引き受ける親のような姿を見せるからこそ、超てんちゃんは最も好ましく感じているし、親の愛を求めたあめちゃんの姿で接しているのではないか。また日本一を目指す姿勢もロリポップや美血華が憧れだったのに対して、禰智禍は責任という水準だったからこそ超てんちゃんに勝ったのではないか。ところでイニDのパロディ何?
後半は夢の世界を描くじょじむら作画のショートアニメ。作風をやや変奏しながらも、この作品が見せる夢のパートはお姫様的な悪夢ばかりだ。超てんちゃんは療養を経て、インターネットの飽き性な性質を確かめたり、自ら悪意に触れようとするからインターネットの悪意を見つけてしまうといった洞察を語ったりする(ショーペンハウアー的な「世界は自分を映す鏡」みたいだ)。それでも超てんちゃんは翼を取り戻してインターネットへと戻っていく。かちぇの"普通"の励ましに皮肉を交えて毒づきながらも、この経験を経て超てんちゃんは"普通"であることの尊さに歩み寄った。この辺りの話を聞いていると、超てんちゃんが自らを天才の位置に置いて大衆を愚か者扱いしていたのは自分が得られなかった普通の感覚や凡庸な幸福への憧れや逆張りだったように見えてくる。復活のライブを経て実質的に物語は終わり、超てんちゃんがインターネットから消えた後の蛇足が予告される。
言いたいことは本当によくわかる。しかし主張はよくわかるのに、意図してかしていないのかその主張を語るセリフも演出もダサくて妙に泥臭い。なんというかオタクが手に持っている偏った数少ない語彙と知識で強がりながら世界と戦っているような印象を感じる。知識の深さも一貫性もなければところどころで混乱している。それはダサいが精一杯な様子が魅力的ともいえる。
それはそれとしてインターネットのカリスマが見せるまったく異端の美学や、考えもつかない遠くの発想を見せてほしかった気もする。
カナン様はあくまでチョロい 12話(終)
カナチョロ全話見た 供犠くんが欲望にド正直で嘘をついたりごまかしたりしないからエロ展開に巻き込まれてもおもんない言い訳やはぐらかしが不要で、これがバカエロギャグやるうえで一番強かったと思う 設計時点で成功している
— 人間が大好き2 (@hito_horobe2) June 20, 2026
冒頭は交際が叶ったことを妄想するカナンのエロい夢のシーン。納得する形であと一歩を踏み出せていない心理が示唆される。交際を認める試練ではリリム、ミルチ、ミエルのスタンプが揃い、残すは父ベルゼブブだけ。最後の課題はなんとビーチバレー対決だった。よこしまな感情がよぎるリリム、べったりしているミルチ、また寝取られに興奮しているミエル、相変わらずそそのかすアミなどカオスな状態が楽しいが、これらはいずれもカナンの意図とは関係ない外圧によるもので最後の交際パートへの補助線にもなっている印象を与える。ビーチバレー、最後だからサービスしている印象がある。イカに丸呑みされていたジャンヌがヌメヌメになって戻ってくるシーン、今回一番生々しいエロだった。
試練を経た後の風呂のパートでは、着ぐるみの中からベルゼブブの本体が出てきて本音のトークをする。異常な状況でも物怖じしない供犠くんには迫力があり、変なのに妙に格好いいシーンでもあった。しかしやっぱりサービスシーンの風呂。
魔界旅行の終わり、カナンは供犠くんに満天の星空のビーチを見せる。手作りのコロッケを食べてカナンは供犠くんが作ったから特別においしいと気が付く。特別な人というものを実感を持って理解する良いシーンだった。父親の前でも平気でカナンへの愛を口にする供犠君と、好きと言わせてみなさいと宣言するカナン。納得する関係はこの形なのだとわかるいいラストだった。Cパートでは日常に戻りこの関係が続くことを示して物語は終わる。
全体を通してもエロギャグが全部うまく、このところ多いエロギャグ作品のなかではかなり良い印象だった。供犠くんが欲に正直で嘘もごまかしもしない性格のため、ラッキースケベに巻き込まれてもごまかしや嘘をつかないし、役得な目に遭っておいて被害者ぶったりもしない。このおかげでエロ否認パートのトロさや不快感が全くなくコメディの面白では断トツでうまかった。エロ要素でもコメディという口実を付けながら壁尻、スパンキング、寝取られなどを隠さずに描きエロに真剣なことが嬉しい。
これらを支える高水準な映像もよかった。キャラの絵は全く崩れることがなく、芝居の動きも上手い。展開の都合で窃視や尾行などが良く描かれていたが、前景と後景の切り替えや連動など画面の作りがとにかく上手い。2期(分割2クール)もあるとのことで楽しみ。
神の庭付き楠木邸 12話(終)
人間たちの愚かな行為が破滅につながる事態を招いた。悪霊の攻撃を防ぎ小さくなってしまう山神。天狐は人間が信じるに足るものではないと説くが、山神はうまい菓子を例に挙げてまだ人間を信じる姿勢を見せる。すべての元凶である悪霊との戦いは、湊の祓いの力と風の力に託された。
全体を通して日常パートもバトルパートも蓄積がうまく作用しきらず惜しい印象を持った。個々のエピソードは悪くなく、山神と過ごす日常のなかでアニミズム的な感覚に基づく人生の見つめなおしや、超自然的な力との向き合い方など面白いエピソードは確かにあった。だが力をつけるための修行、または倒されるために用意された敵を倒して力をつけ課題を解決するという展開が続いたために、それらは思想を深める方向には作用せず単線的にパワーアップするにとどまってしまった印象がある。山神も萌えキャラ的に親しくはなるが人生の師という感じには至らない。エピソードの取捨選択や構築次第では、もっと重厚なヒューマンドラマになったのではないかと思ってしまった。
一畳間まんきつ暮らし! 11話(終)
ついに芽衣子が漫画家ではないという問題が発覚するが、実は芽衣子の妹・水織が姉の名を名乗っていたことが明らかになる。ここは梨絵が芽衣子の実家をサポートしたことで、新人漫画家である妹への支援につながっていたために結果的に嘘にはなっていないという落としどころのうまさがあった。誤解を解かずにいたことを詫びて身を引こうとする芽衣子。梨絵は漫画家でなかったとしても仲間として共にいてほしい・芽衣子自身もそう思っていることを告げ、仲間の絆が再確認される。前半で作品最大の問題を全部片づけてしまい後半は全部風呂のサービスシーンに充てる。ヘッジホッグの日常が続くことを示して物語は終わった。
全体を通して原作よりエロが控えめで、「きららアニメ」のパブリックイメージに近づけて再構成されている印象を受けた。原作ではエロゲ塗りなカラーページやもっと強烈なエロカットが特に突っ込まれることなく出てきて、シュールなエロ絵面が何の指摘もされないまま物語が展開するということ自体が一種のギャグになっている。だがアニメはここが抑えめでゆるいコメディの味付けを強めてある印象だった。一方で映像面はイメージ通りだった(4コマは基本的に会話劇なのでバストショットや顔アップが多く、アニメそれに準じて映像でも俯瞰や引きのフルショットはあまり使われなかった)。
ドラマとしては良い部分と不満な部分があった。芽衣子と音緒、芽衣子とみちかは関係を深めるにつれて態度が少しずつ変わっていき過ごした時間の蓄積の感覚あったし、森田家の家族や姉妹の思いも蓄積の印象があり上手かった。ただ梨絵についてはやや不足感が惜しかった。芽衣子が梨絵に寄せる感謝の思いが示唆されるエピソードもあったが、これがあともう2度くらい見たい。万里花はパンツと体脂肪の話ばかりでちょっと不憫だった。
なんとなくのパブリックイメージ通りな「きららアニメ」に寄っている点はやっぱり不満で、直近で『ぼっち・ざ・ろっく!』や『星屑テレパス』など萌えだけじゃないアツい話も多いと知られてきたところから逆行してしまったような印象があった。この作品もビビるようなエロでもっと攻めてほしかった気がしないでもない。
