劇場先行版『NEEDY GIRL OVERDOSE』感想—2026年に『lain』をやることの困難 他(2026年3月7日の日記)
生活
昨晩は深夜アニメを見終えた直後に倒れるように眠ってしまい、10時頃にようやく目が覚める。洗濯物の片付け、洗い物、掃除などを済ませたのち、秋葉原を散策する。夜はテアトル新宿に行き、劇場先行版『NEEDY GIRL OVERDOSE -OVERTURE-』を見る。夜は作り置きのカレーを煮込みながら深夜アニメを見る。
劇場先行版『NEEDY GIRL OVERDOSE』感想—2026年に『lain』をやることの困難


テアトル新宿で劇場先行版『NEEDY GIRL OVERDOSE -OVERTURE-』を見た。2026年4月から放送のTVアニメ『NEEDY GIRL OVERDOSE』を編集した先行版で上映時間は62分だった。
冒頭から意味深で衒学的な映像で物語は始まる。星空の下で少女がピアノを弾いていたり、超絶最かわてんしちゃん(超てんちゃん)が宇宙を走る列車の上で謎のバトルを繰り広げていたり、宮沢賢治の『春と修羅』を引用した文字のカットが入ったりする。物語は5章からなり、どうやらこの作品はそれぞれ違った人物の視点から「超てんちゃん」という配信者の偶像を描き出していくものだということが分かってくる。今やろくに活動もしていないバンドマンと交際しながらコンカフェ店員をして疲弊しているかちぇという女性の日常、ライバルの配信者グループであり超てんちゃんのファンでもあるカラマーゾフとの対話、そして超てんちゃんの元の人格であるあめちゃんの生い立ちと人を"救済"するようになった経緯。一貫したストーリーは存在せず、様々な人物の退廃的な日常パート・超てんちゃん&カラマーゾフのコラボイベントのパート・あめちゃんの回想パートをカットアップしながら話が進む。ドラッグ・過度の飲酒・セックス・暴力・低学歴・誹謗中傷・荒んだ家庭などが平然と登場する。超てんちゃんはインターネットで偶像として崇められることについての洞察と思弁と怨嗟を語り続ける。それらは「人々は成功者を対等な人間と認識したら気が狂ってしまうので崇めるか貶すかしかしない」といったインターネット社会にどっぷりと浸かった人間の世界観で、切実なようでもあるし気恥ずかしくもある。度々出てくる語りパートは異様に長いうえに別に気の利いた言い回しというわけでもなくて何を言っているか半分くらいしかわからないが、妙に生々しく、画面を超えてこちらに対しても訴えかけているようだった。インターネット上に遍在して分裂する偶像というコンセプトは明らかに『serial experiments lain』をイメージしているが、インターネットが未知の可能性をもち現実とは違う社会であるとか、何か未知の力が潜んでいるのではないかといった幻想はすっかり失われている。インターネットはこの社会と相似形になっており吹き溜まりのような逃避先でしかないが、まともじゃない人間は逃避先に依存しなければ生きていけない、だから彼らを救済するための偶像になってその存在感で社会の病理を突きつける……というような、諦めと復讐の入り混じった感覚を覚える。
「人々は成功者を対等な人間と認識したら気が狂ってしまうので崇めるか貶すかしかしない」といった作中の批判は、ある程度は納得するのだがメタ的にはあまり嬉しくないという印象を持った。この作品は「超てんちゃん」が本人役で出演していてドキュメンタリー的な性質も持っているし、それらには原作者のにゃるら氏の日頃の発言などとも共通するような箇所が多々あるのでメタな目線と切り離すことができない。仮にこの作品を十分に説得力ある形で分析的に批判したとしても、作品の台詞を引用してそれは嫉妬だと無効化できてしまう。メタな方法で批判から逃げられてしまうという構造は正直フェアではないと思った。またこういうのはあくまで寓話の中で示してたまに画面の向こうを刺す程度ならいいのだが怨嗟を喋り続けるのは物語としてどうなんだろうと思わないでもなかった。
映像はシャフトが作った『serial experiments lain』だな……という印象だった(実際に作っているのはYostar Picturesだが)。前述のとおりコンセプトは明らかに『lain』だし、しかもあめちゃんが岩倉玲音と同じ×字の髪留めをしているシーンがある。デジタル風の文字演出や(今やレトロになってしまったが)ガジェット趣味なども似ているし、陰鬱で思弁的でショッキングなものを見せたいという願望も似ている。また動かないカットと文字演出の繰返し、ときおり挿入されるコラージュや実写やCGといった異物、やたら広々した謎の空間などは『〈物語〉シリーズ』や『魔法少女まどか☆マギカ』などのシャフトアニメを連想させる。他にもヴェイパーウェイブのジャケット(石膏像、ヤシの木、ピンクや水色のグラデーションのCG空間など)、モンドリアンの抽象画みたいな壁(白地に黒い直線が引かれて赤・青・黄に塗りつぶされている)とモンドリアンに影響を受けたリートフェルトのレッドアンドブルーチェア、テレビ番組のシーンに映るボールチェア、ブラウン管や古いWindowsのUIなど、サブカルと衒学趣味があちこちから感じられる。今期だと『死亡遊戯で飯を食う。』みたいなアニメを見ている時と似たような気分になる。ストレートに面白いわけではないが、格好いいような気もするし、変すぎて恥ずかしい気もする。
名作のオマージュをふんだんに取り入れながら格好いいビジュアルが次々と出てくる部分は嬉しく感じるのだが、オマージュの主張が強すぎることや衒学趣味の気恥ずかしさ、倫理観の合わなさが気になった。とにかくセリフが多くて全部喋って説明してしまう箇所が度々あり、文字演出カットは物語シリーズなどに比べると緩慢でキレ感が乏しい。また大人は出ては来るが意図的にフォーカスを外したり顔が見えないようにぼかして描かれていて、不信感の演出なのだとは思うがいくら何でもみな当て馬的に愚かでハリボテのような印象を受ける。2回もセックスの描写がある。男の性欲やミソジニーを批判しつつも、作品全体から愚かな女性を面白がるような願望も感じる。セックスに限らず暴力などショッキングな要素で関心を引きすぎている印象もあった(とはいえこれは序盤の総集編だから編集の都合で濃くなってしまっている可能性もあり、1話ごとのTVシリーズで観たら印象が変わるかもしれない)。
一方で商売としてはかなり上手いんじゃないかという印象を持った。おそらくものすごくデカい予算のアニメではないので凄い作画ライブや凝った芝居を毎度はやれないが、それを様々な演出やオマージュでカバーして衒学趣味の尖った作品にすることで話題性を作り、費用対効果を最大化していると感じる。良く言えば工夫で、悪く言えばハッタリや素人騙しという印象だった。
しかしこれは十年単位でアニメばっかり見ている変なオタクの感想であって、恐らく『NEEDY GIRL OVERDOSE』が好きな若いファンはそう思わずこの奇抜さを工夫や作戦とは思わずに正面から絶賛するだろうと予想する。おれたちが『lain』に対してそうであったように(実はlainも限られた予算のもとで結構いろいろなハックをして作られている)。劇中ではあめちゃんがVHSに録画された平成の魔法少女ものと思しきアニメを見て影響される描写があり、かなり若い世代の感覚を描いている(2026年現在の10代後半~20代くらい?)ので、この作品は若い層の共感を狙っているように見える。そしてその若い層に対して『lain』のようなショッキングな原体験を与えるべく、狙い撃ちして作られているように思われる。実際若い世代向けのターゲティングはある程度成功しているように見える。深夜アニメの先行上映イベントに行くとよく全身黒ずくめの男オタクの集団に遭遇するのだが、今回は全くそうではなかったし年齢も更に若く明らかに客層が違った。
この作品が目指すところは上のオタク世代がカルト的に好んだものを他の幅広い層(下の世代のオタクやサブカル趣味の人、メンヘラ趣味の人、もうオタク的なものに対して全く線を引かない現代のヤンキーやギャルみたいな人、海外のファン(なんと文字演出カットすべてに英語の翻訳がついている!))へと向けて翻案し、継承することであるように思った。あと本放送時にはSNSで考察や元ネタ探しで盛り上がりそうだなと感じるし、賛否で激論が沸き起こりそうな気もする。元のゲームから挑発的な作品なので、放送時に物議を醸せたらビジネスとしては一定の勝利なのではないか。
全体を通してこの作品からは2026年に『lain』をやることの困難を感じた。『lain』では集合的無意識が人の姿を取った存在である岩倉玲音がワイヤード(インターネット)を介して現実世界を浸食していく様子が描かれた。一方で『NEEDY GIRL OVERDOSE』も超てんちゃんの配信があらゆる人々の欲望を解き放って現実社会の秩序を乱しかねない影響を与えているが、その方法は超能力ではなく人の欲望に応えるファンサービス的なコミュニケーションでしかない。インターネットはもう非日常の別世界ではなく資本主義に制圧されて現実と地続きになってしまい、もう誰も世界を転覆させかねない秘密の組織とか集合的無意識とかいったオカルト的ロマンを信じることはできなくなってしまった。ゆえに世界に影響を及ぼすとしても同じように未知の力ではなく現実と地続きのしょうもない方法でしか成し遂げられない(コンカフェ店員とライバーがいずれも似た悩みを持っているように)。しかもこれすらも若さを売っているという自覚の元で行われていていずれ失われる予感があるし、麻薬としては機能しているが人々を社会から完全に脱出させてはくれない。代わりにヴェイパーウェイブやシャフトアニメのオマージュ、古いデザイナーズチェアなどレトロな趣味に失われた良き時代のロマンを求める。思弁に希望らしいものはなく完全に諦観と呪詛になっている。みな現行体制に対してあらかじめ降伏していてインターネットに脱出こそするが誰も社会の変革を目指したりしない。2026年に『lain』をやるうえでの最大の困難は、この社会のオルタナティブな可能性を誰も見いだせなくなっていることではないかと思った。
きょうの秋葉原






















きょう観たアニメの感想
お気楽領主の楽しい領地防衛 9話
アルテの傀儡の魔術への偏見を解く前半、視察に来た国王が驚く後半。よくある異世界ファンタジーなら「あまりにも露骨に偏見や差別的な振る舞いをする使い捨ての悪役キャラ」を倒して主人公の正しさを証明する作者のマッチポンプみたいなパターンになりがちだが、この作品は偏見を解くイベントでも国王が感激するイベントでも当て犬的な敵キャラを使わず、バトルで株を上げる描写も害獣撃退イベントになっていて偉すぎる。
転生したらドラゴンの卵だった 9話
状態異常になったドーズはリトルロックドラゴンに村を襲わせようと卵を奪って誘導。それを追うイルシアとミリアだが、そこでかつて自分に槍を向けた村人たちと対面する。今度はミリアの説得もあり意思疎通ができると伝わり、村を守るために共闘することになるが……。
生き残るためにドーズを先に殺しておくべきだったか、自分が生き残るためには村を見捨てないといけなかったのか、今ここで村を守るために何に進化したらいいのか、といった犠牲の選択のエピソードだった。テーマ自体は面白くはあるのだがドラゴンも記憶喪失だし村人も描写が少ないしでバックグラウンドをあまり知らない状態でこのエピソードに入ってしまったのでいまひとつ共感しきれない感じがある。
TRIGUN STARGAZE 9話
方舟の侵略を逃れてオクトヴァーンに集まっていた難民たち。だがナイヴズは地球からの移民船団をオクトヴァーンに墜落させて一気に人類を殲滅させるという計画を練っていた。ロスト・ジュライの再来を防ぐための最終決戦がはじまろうとしていた。
決戦前の最後の日常エピソードという印象だった。原作なら死んでいるはずのキャラが生存してヴァッシュたちに何かを託していくという展開、トゥルーエンドすぎる。
Fate/strange Fake 10話
真アーチャー・アルケイデスがバーサーカーの宝具を奪い、決着かと思われたその時にフラットは令呪で転送して脱出。フラットはキャスター・デュマの支援によってバーサーカーと共に逆転の策に出る。ギルガメッシュが投げつけた剣をすべてエクスカリバーにしてしまうリチャード。その無尽蔵の魔力をサヤカが供給しているということに気が付いたハンザは、サヤカの正体が人間ではないと気が付く。そして死んだと思われたジョンは突如として蘇り、ヒュドラの毒でアルケイデスに一矢報いるが……。ギルガメッシュとアルケイデスの戦いのクライマックス、突如現れたイシュタルはなんとギルガメッシュの宝物庫を封印してしまう。
アルケイデスの因縁・街を覆う黒い霧・サヤカの秘密・番狂わせ的な展開、と複数のストーリーのラインがめまぐるしく同時進行する高密度な展開。また普通にしていたら強すぎて他の陣営を圧倒してしまうであろうギルガメッシュをシナリオ上でいかに制御して隙や弱点を作るかという部分についても上手く、宝物庫の鍵という納得のいく回答がされていてすごい。
グノーシア 20話
セツのループを終わらせるためにユーリはラキオの協力を得る。セツと再会する方法とは電脳化によって二重存在のパラドックスを解消し、もう一度銀の鍵を満たして別の宇宙への扉を開くというものだった……。
OPが流れて再びループに突入する演出がアツい。ループのダイジェストでは今までのループでも見たことのない展開が多数描かれていて見応えがある。
東島丹三郎は仮面ライダーになりたい 22話
サンダーライコにフラれた中尾は様子がおかしくなり、東島と一葉と3人で最強を決める謎のバトルを始める冒頭。マジでバカすぎる。だが三葉から蝙蝠男のショッカー増員計画の動向を知らされてバトルどころではないと正気に戻る。合流した東島たちはライダーたちはクライマックスで結束したと語り、怪我から復帰したユリコは原作ではタックルは死んでしまったが2代目としてその場に加わると宣言、蝙蝠男が主催するドームイベントに潜入する。
なんで常人がありえない力を発揮するのか不思議に思っていたが、八極八郎が言うにはその人間がもつ"芯"が重要らしいことがわかってくる。今までは執着やどうしても捨てられない信念のような手に負えないもの扱いだったのが「芯」としてポジティブに再解釈されているのが凄い。
多聞くん今どっち!? 10話
夏休み明け、育休に入った担任に変わり副担任の飛鳥先生がうたげのクラスの担任になる。実は先生も熱心なF/ACEファンでうたげと推し活仲間になるが、先生には秘密があった……。放課後、うたげは偶然ドラッグストアでナツキと遭遇する。ナツキは新曲の作詞作曲を担当していたはずだが行方不明になったり、あざとい表向きのキャラとは異う荒んだ態度をを見せたりする。なぜかナツキだけ活動に力が入っていないらしく……。
担任の先生がコメディタッチで良いキャラ。しかし今って先生でも推しの話をして良い時代なんだ、と隔世の感を覚える。今回はアイドルをやっているときと素ではメイクで顔が全然違うという一件アニメに向かなそうなシーンを意外にも上手く表現している。
メダリスト 20話
ジャンプを専門とする魚淵翔によるハーネスを使った指導のおかげで、いのりはすぐトリプルフリップとトリプルルッツが跳べるようになる。だが司は慣れないハーネスに苦労して負傷し、いのりもハーネスなしの練習は上手く行かない。そこで魚淵先生がいる新潟へと車中泊で弾丸出張して観てもらうことに。
新潟へ向かう車内のシーン、運転する司先生越しに後部座席から話しかけるいのりを映すショットが全部いい。諏訪湖SAでの休憩パート、話が楽しくていのりが中々眠らない様子、ルームミラー越しに2人の目線が合う、いのりを背負って車まで戻るシーンでいのりの言葉に救われる司先生……と、このパートは本当に全部が上手かった。
人外教室の人間嫌い教師 9話
今年も卒業試験の時期になり、上級クラスでは全員がそれぞれの卒業課題に挑む。何かと騒がしい万智に右左美はつい大声で怒鳴ってしまい、右左美は自分の弱さゆえに周囲を傷つけてしまうことに思い悩んでいたが……。一咲は作品の感想文を、右左美はクラスのみんなへの手紙を書くことに。
手紙のシーンでは一咲だけでなくもう一人の人格・いさきも含まれていたし、卒業を認めるシーンでは一咲といさきの両方の名前が呼ばれる。2つの人格を尊重する、いい演出だった。
