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2026年春アニメ総評『じしょあく』『ポンスカ』『日本三國』『異世界のんびり農家2』他(2026年6月22日の日記)


生活

 朝から洗濯をする。湿気があり日も出ていないので乾きにくいし、気温の割には湿気のせいで窓を開けると暑い。雨が降ってなくても梅雨は不快で困る。朝10時くらいから始業する。障害の再現をしたりプルリクエストを出したりする。休憩時間に昨日の日記を書く。手持ちのタスクを全部消化して19時半くらいに終業する。
 終業後は生活用品の買い物のため秋葉原まで歩いて向かう。ついでにアトレ秋葉原の三省堂で新刊チェックをしたり、街頭広告を見たりする。帰宅後は30分ほど仮眠をとったのちアニメを見る。

 アニメを見た後に感想を探していたら「最終回発情期(ファイナルファンタジー)」というおれの最も嫌いな語の一つが目に入ってしまった。しかも1回ではなく何度に出てくる。これは空知英秋『銀魂』74巻が出典で、最終回付近でカップルが多数成立する展開を揶揄する表現としてミーム的に知られているらしい。この言い回しが嫌いな理由はいくつもある。第一に人を動物の発情期になぞらえるというかなり強い侮蔑表現であるという点。人間に発情期というものはないのに、動物のように理性が乏しく性欲ばかりがあると言っているように聞こえる。人を猿とか豚とかメスとか呼ぶのに近い。ハード目のエロ漫画で使われるような侮蔑的表現が日常の語彙であるかのように使われている現状はさすがに何かが麻痺しているような感じがする。エロ漫画や下ネタ系作品の感想だとか本当に発情期があるオメガバースの感想ならともかく(オメガバースも正直あまり好きではないが……)一般作品の感想に使うなら下品さに自覚したうえで使われてほしい。こういう極端な言葉に対してはもうすっかりモラルハザードになっている。前にある仕事相手と会話したときに「鬼畜」とか「メスガキ」とか平気で言う人がいて職場でその単語出していいわけないだろって思ったけど実際はおれしかそう思ってなかったことがある。本当にイカれた時代だと思う。第二に読み方。「ファイナルファンタジー」は全く無関係で風評被害を受けている。関係ないものに下品な意味を付けないでほしい。これが全く気にされていないならいずれ第二第三の被害者が出る。最後にオタクがこの語を持ち出すときには空知英秋の威を借りている場合がよくある点。下品な見立てをするときくらい自分の責任で言ってほしい。
 嫌いなものの話をしてたら深夜3時を回ってしまった。無益な時間だった。

きょうの秋葉原

ムーランAKIBA中央通り店 ヘブンバーンズレッド 新イベント「熾天臥龍演義」広告(李映夏、シャルロッタ・スコポフスカヤ)
秋葉原中央通り交差点 ブルーアーカイブ 新イベント「嵐過天晴」広告(水着キサキ、水着シュエリン、水着シュン)
秋葉原中央通り交差点の様子

きょう観たアニメの感想

自称悪役令嬢な婚約者の観察記録。 12話(終)

 卒業式から2年が時間が経ち、結婚式を控えたセシルとバーティア。周囲の人々が2人の結婚に際してどう思っているのかが描かれる。本来ゲームなら生まれるはずがなかった弟アネス。2人の関係の契機のような存在でもある。シスコンに育った弟をセシルは説得する。バーティアの「結婚式にしたいリスト」をかなえる形で、自分らしい形で結婚式は進んでいく。祝福を受け、馬車に乗って旅立つシーンで本編は締めくくられる。Cパートでは懐妊を予感させるシーンを挟んで物語は終わった。
 ゲームのNPCではなく血の通った人間を描くというコンセプトとそのための設定はかなり良かった。転生者として知識を持っているバーティアと優れた能力でシナリオを変えるセシルの立場を分けたことで、転生者が他人を人間と思わずチートで自由に操るような傲慢さを持たないようにしてある。この出会いがセシル自身の中にあった人間らしさを発見させる。この蓄積を8話くらいまでやっていて、ここまでは全部素晴らしかった。これはこの世界の人を人と思っていないヒローニアとの対比にもなっている。
 しかしヒローニア周辺の詰めが甘かった点で評価が大きく下がってしまった。もう一人の転生者であるはずのヒローニアが人を人とみなさず攻略対象扱いする性格になってしまった理由が全く描かれず、最後になるまで不自然なほど成長も改心もしない。さながらヒローニアがNPCの敵キャラみたいな描写になっている。それを時間をかけていたぶるようにギャフンと言わせて倒して終わってしまう。バーティアにたちはだかる本来の正ヒロインという存在が物語上不可欠であるとはいえ、登場人物をキャラでなく人間として扱うというコンセプトのなかで、ヒローニアだけが人間扱いしないでよいという例外になってしまっていたのではないか。筆者は性善説的な発想をするので、バーティアの素朴な優しさなら持って生まれた性格だと納得できるが、ヒローニアの性格が生まれつき悪かったとは思えないし成長しないことにも納得しない。最後に本当に大事なものはシナリオと関係なく献身してくれたピーちゃんの愛情だったと気が付くのはいいが、そのまま退場して終わってしまったのも用が済んだ後の厄介払い的に感じてしまう。あと一歩のところで精彩を欠いて、後半で嬉しくなくなってしまったことが悲しい。しかし途中までは間違いなく良いアニメだった。

涼宮ハルヒの憂鬱(2006年放送版) 13話 「涼宮ハルヒの憂鬱V」

 ハルヒは失踪した朝倉の痕跡を探すべくキョンを連れてマンションへと乗り込む。誰かが外に出るのを待ち、自動ドアに足を挟んで強引に入るシーン。人が立ち去るのを待つ長めのカットといい、勢いよく挟まる靴のカットといい、キョンを引っ張って押し込むようなオーバー気味な挙動といい、緩急が効いた映像が気持ちいい。マンションの管理人に質問をする際には意外に礼儀正しい対応をするハルヒ。エキセントリックだが根底に常識があることがわかる。このシーンはその直後の独白や、超常現象を望んで実際起こしているのに気が付かないことのフックになっている。すれ違った長門の警告。
 日が暮れはじめた帰路、ハルヒは自分のことをちっぽけな存在だと感じた経験をキョンに語る。球場を訪れた際にあれほどの人数の中で自分がたった一人であること、球場の人数ですら全人口のごくわずかであること、これほどの人がいて面白い人生を送っている人もいるはずなのになぜ自分ではないのかということ。よく考えているようでいて、やや凡庸でもあり、切実でもあるこの長台詞は結構上手い。すぐ傍らで聞いていたところから方向を変えて2人は別れ、線路と踏切がキョンとハルヒを分断する。後の閉鎖空間の展開へとつながる印象を与える良いカットだった。
 後半は古泉が接触してくる。タクシーの中でのキョンと古泉の会話。人間原理=「宇宙が人間に都合よくできているのは、そうでなければ人間が存在せず観測しえないから」という説を例に挙げ、ハルヒには願望を実現する能力があり、そう願ったために長門も朝比奈さんも小泉も存在しているのだと言うがにわかには信じがたい。タクシーの車内は日常に対して異化効果を与え、違う世界へ2人を運ぶ印象を与える。この世界を面白く思っていないハルヒが世界を作り変えてしまうかもしれないし、この世界も何度も作り直されているかもしれない。車線変更するトラックは世界の作り変え、連続する街頭は繰り返された世界などを連想させる。
 タクシーを降り、古泉に招かれ閉鎖空間へと入ったキョン。閉鎖空間に紛れることはめったにないというセリフも今思うと完全にフラグだった。古泉たちが神人を倒して閉鎖空間は解け、日常に戻って一旦このエピソードは終わる。
 前半はハルヒの内面、後半は世界を改変する力について完全に種明かしをしている。アニメに向かなそうなほぼ全部台詞のシーンが2度もある。最終回に向けての前振りに必要なものを全部入れているような回だった。それでも面白い映像に仕上がっているからすごい。

とんがり帽子のアトリエ 12話

 アガット、リチェ、ユイニィの3人が監督のアライラの指示を受けつつ、第2の試験「騎士の忠誠」を受ける。重力が乱れていて道も途切れている洞窟を会場に、海獣鳥(メルフォン)に正体を知られず護送するというのが試験内容。だが合格のために手段にこだわらず様々な魔法に挑戦しようとするアガットに対し、リチェは自分のやりたい魔法にこだわり対立する。リチェには以前の先生から自分の魔法を否定されて頑なになった過去があった。リチェは手持ちの魔法だけでは困難に見える場面でも課題を変形させて解いてみせた。自分にはできない、嘲笑されると思っているユイニィも、誰もバカにしておらず自分だけが自分に呪いをかけていたと気が付く。マントをかぶって引き籠ってしまうが、その中に書き込まれた魔法陣を見て新たな発想を得る。
 自分も関心が持てない物事がうまくできない傾向があり、人の目線が苦手で感覚過敏でもあるので、今回のリチェやユイニィを見ていると他人事とは思えなかった。それをただちに矯正するわけではなく、そのままでもうまくやっていく方法を見つける。発達特性に合わせた働き方のことを連想した。

ポンコツ風紀委員とスカート丈が不適切なJKの話 12話(終)

 ついにプロムダンスパーティーが始まる。同じ作者の『背すじをピン!と』からのゲスト出演パート。あとでマジック・ザ・ギャザリングのカードもちらっと出るが、これも『すべての人類を破壊する。それらは再生できない』のオマージュっぽい。
 不純異性交遊だと考え取り締まりたい副会長(なぜか『シャイニング』のドアを破って顔を出すあのシーンみたいになっている)だが、今までの浮かれた振る舞いを指摘されてなし崩しになる。秋名は出淵に近づきたいと思いながらも、出淵が探している白衣の人を見つけられるようにとアシストを出す。体育館でようやく出会う桜大門と微笑。微笑は桜大門が風紀委員の仕事をしていただけなのに怒ってしまったのは甘えだったと謝罪し、桜大門も納得がいかないまま不純異性交遊を取り締まろうとしていたことを正直に詫びる。背中からの2人のショット。微笑に触れてみたい、しかし嫌われるのではないかという桜大門の葛藤。そこに微笑が思い切って距離を詰めて桜大門と手を繋ぎ、おい!嫌いになったかよ!と迫る。足元のダッチアングルのカメラで微笑が一気に距離を詰めるところをドラマチックに見せたり、身長差で微笑が見上げる構図になっていて近さが感じられたり、繋いだ手のアップが繰り返し映されたりする。ここ一番のラブコメの山場のテンションだった。背中側からの2人のショットが繰り返されるが、今度は手を繋いでいるという差異が嬉しい。水平の構図に戻り2人の仲直りや関係の安定も印象付けられる。Aパートの終わりが今回の最大の山場だったように思う。
 後半は予定調和に対するカウンターのような展開が繰り返される。生徒会長と副会長が(出来レースで)プロムクイーンとプロムキングに選ばれて堅物な副会長を納得させたのに、副会長はその配慮にも気が付かないし会長の変装も知らずに終わる。出淵は桜大門の父とは出会わず(桜大門父は気付いているような示唆がある)白衣のアイテムカードを使っていま出淵の白衣を着ている秋名に元へ戻ってくる。それなのにその後のデートで大失敗をかましてしまう。本の趣味が合って急速に近づく月島と田崎だが、後日余りもの同士をカップルにする風潮の批判で意気投合して友人関係にとどまる。肌寒くない?という微笑の遠回しな手を繋ぎたいアピールは額面通りに心配されてしまう。それでもこのズレを抱えたままのハッピーエンドを迎えて文化祭は終わる。最後の帰り道のシーンで桜大門と微笑がようやくまた手を繋いで物語は終わった。

 とにかく明るくて楽しいラブコメ作品だった。とにかく映像の水準が高く、緩急のきいたコンテや心の距離を象徴するような構図の数々、普段のビビッドな色遣いに対してロマンチックなシーンで劇的に画面の色を変化させる大胆な映像が上手かった。特に桜大門のルーツに迫る回想や告白を描いた江ノ島編(8話)とそれに対する回答(9話)のエピソードは2つ合わせて特に良かった。いずれも話数単位での年間10選候補に入りそうな回だった。
 これほどいい作品に対して文句の付け所は基本ないのだが、強いて言えば原作から時間が経ちネタにやや古さがあったこと、最後のプロムは展開のためのイベントすぎること、プロムのダンス自体はあまり描かれなかった点だけがやや惜しい。しかしプロムを経てもアンチ・クライマックス的な方法を選んで日常を続けるラストを選んだことが嬉しかった。

LIAR GAME 12話

 「密輸ゲーム」のエピソード。ナオとアキヤマが所属する昼の国チームと、ヨコヤが支配する夜の国チームが対決する。ダウトの要領で密輸かパスかを当てていくことになる。ナオの必勝法は空振りするが、夜の国側は密輸を成功させてしまう。流れを変えるべく策を講じるアキヤマの前に強敵・ヨコヤが立ちはだかる。
 原作からの変更点が印象的だった。もともとは北の国と南の国だったが、どう見ても南北朝鮮なのでおそらく名前を変えたと思われる。あと紙幣が新札に代わっている。原作では面白いがやや難解な印象があったこのゲームだが、アニメの限られた時間でしっかりと要点を把握させるうまさがあった。

日本三國 12話(終)

 前回のあらすじを紹介する特殊演出OP。大和と聖夷の対決が決着する回だった。青輝は帝を動かして勅書を得ることで戦争継続をはかる殿器に競り勝って撤退の方針を進め、芳経も龍門将軍に勅書を送り届けたうえで殿をつとめる。 一方で聖夷側も、大和に対して「冬将軍作戦」で迎え撃つ。病を押して賀来軍師は最後の助言をする。廃車を用いた作戦は聖夷に決定的な打撃を与えて戦争は終結に向かった。ここで殺戮自体は直に描かず結果とその後を語る方法を選んでいるのが歴史書っぽいし大河ドラマみたいな味付けを感じる。和平の会議が開かれ、三国統一への一歩となる条約が結ばれるかと思われたその時、殿器はひそかに暗殺者を仕向け輪島桜虎を暗殺する。その責を負わせる形で龍門将軍や青輝たちを投獄、さらに帝からも主権を奪ってしまう。クーデターの描写はたった4分程度なのに全部まとめて説明してしまうからすごい。すべてを失った青輝だがここからの再起を予感させる展開で完結する。聖夷西征編という副題が明らかになり、続編が作られそうな気配で終わった。
 架空の歴史大河ものとして見ると複雑さを排してエンタメに振り切っているが、大河をこのスタイリッシュでまじめそうな絵柄で見せるという戦略で穴があるように見せない堂々とした雰囲気が出ており、これがかなり成功しているように感じた。『論語』の引用も教養ハッタリとしてはかなり効いている。処刑のシーン、殿器の独裁者ぶり、帝の小心者具合など、そのままでは悪趣味で胸焼けしそうな要素は敢えてキッチュに描き、表面的には絵面の格好よさを消費しつつ内心では悪趣味さは味わいたいという願望によく答えていて上手い。これは原作から感じていたがアニメでは一層このキッチュさが誇張されていたように感じた。しかし途中からこの作品の上手すぎるマーケティング的な手法が気になりだし、ただ見ていると自己批判なく悪趣味さを味わって堕落してしまうのではないかと心配になってしまい没入があまりできなくなってしまった。

異世界のんびり農家2 12話(終)

 前回から描かれてきた太陽城で勇者の剣を授かってしまい魔王ガルガルドを倒す使命が……という話は全くの肩透かしになったうえにあっさり問題が解決し、悪魔や夢魔たちが暮らす城を四ノ村として受け入れることになる。住環境の整備、畑づくり、作物の品種改良などに取り組み、城での暮らしは改善した。
 後半では仲間たちが増え続ける村で皆が同じ仲間であることを示すために、共通の象徴となる旗を掲げることを提案する。ヒラクは叙勲も仰々しい肩書も拒み、等身大のリーダーであることを望んだ。最終回らしく各村の住人が集まる大宴会が開かれ、旗のもとでの緩やかなつながりを描いて物語は終わる。
 1期と全く同じ味がする嬉しいアニメだった。明確な倒されるための敵キャラを作らず、敵対しても1話程度で和解して解決して親しくなる形で問題が解決される。この平和主義的姿勢がよかった。あれだけキャラもいるのに忘れられることなく何人も登場するし、いかに様々な特徴をもった住民を上手く受け入れていくかに関心がある。バトル大会でも救護やサポートをしっかり描写する。包摂とやさしさの行き届いたアニメだった。格闘大会のエピソードは作画の見どころも多々あり映像的にも満足だった。


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