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お城マニア垂涎! 茨城の城跡と珈琲

昔の常陸国や下総国北東部、
今の茨城県のあたりは、なかなか
地域を統一する戦国大名が現れませんでした。

1590年、後北条氏の滅亡。

豊臣秀吉の後ろ盾を得た佐竹氏が
その大部分を一気に統一していくのですが、
それまでは各地に実力者が割拠して
複雑な戦いを繰り広げていた
のです。

…ゆえに、茨城県の各所には
戦いに使われた「城跡」が点在しています。

鎌倉~室町~戦国時代あたりのお城は
とても「実戦的」です。
天守閣があるような華美な城が生まれるのは
織田信長以降、天下布武・天下統一以降の話。
それまでのお城はいかにも武骨で、
敵兵を寄せ付けなさそうな城が多い…。


本記事ではそんな城跡を、
珈琲とともに四つ、紹介していきます。
現地で「おおっ!」と思った城跡ばかりです。

◆一つ目は【ディープダンジョン小幡と珈琲】

小幡城(おばたじょう)という城の跡が
茨城県の茨城町にあります。
案内板の説明文からかいつまんで引用しましょう。

『小幡城は室町時代に築かれた、という説と
鎌倉時代に築かれた、という説の二つがある。
現在の城域が整備されたのは1570年代と思われ、
水戸城の江戸氏が、府中城(石岡)の大掾氏を
攻める拠点として重要な役割を果たしている。

1590年、豊臣秀吉の権力を背景にした
佐竹義宣により江戸氏は城を奪われ、落城した。
その後、小幡城は佐竹氏の直轄地となり、
家臣が管理している。
佐竹氏が秋田移封された時、その役割を終えた』

城の場所は、県庁所在地の北の水戸と、
昔の国府である南の石岡の中間地点です。

人呼んで『究極の土の城』
なかなか本丸にたどり着けない…。
攻める通路をよく分かっていないと
袋小路に追いやられ、殲滅させられます。
防御力が異常に高い。迷路のようなつくり。
そのさまは、まるでディープなダンジョン…。

城跡を存分に堪能した私は、
ディープエスプレッソ、濃厚な珈琲で
冷めやらぬ興奮を落ち着かせたのでした』

◆二つ目は【南方三十三館と島崎城と珈琲】

『平安時代に「平将門の乱」が起こった常陸国。
将門を討ち破った軍勢もまた平氏一門でした。
常陸に残った「常陸平氏」は、
各地方に分かれ、それぞれで勢力を伸ばします。

一方、平氏のライバル、
源氏の勢力も常陸国に進出していく。
特に有名なのが北のほうで
勢力を伸ばしていった「佐竹氏」です。

…つまり、常陸国では「源平の戦い」
鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、戦国時代と
ずっと続いていくことになります。
この争いに終止符を打ったのが、
秀吉を後ろ盾につけた佐竹氏でした。

常陸国の南部にいた国人、領主たちを
まとめて『南方三十三館』と呼びます。

北の佐竹氏にとっては統一を阻む勢力…。
1591年、佐竹氏は北の太田城に
この南方三十三館の領主たちを招きました。
「観梅の宴」を催し、同時に
領地について分け合う相談をするから来い、と。

…真相は藪の中ですが、
この人たちは帰らぬ身になりました。

領主を失った南方三十三館は、
佐竹氏によって制圧されていきます。
これを戦国ゆえの非情な策と見るか?
被害を最小限に留めるやむを得ない策か?
首謀者は佐竹氏? あるいは秀吉サイド?

そんな三十三館の国人たちの有力者の一人が、
島崎安定という武将。
彼は「島崎城」という城に拠っていた。
この島崎城跡が、圧巻のつくり…。

私はこの城跡をぐるりと回った後で、
美味しい満足の一杯を味わったのでした』

◆三つ目は【すっきりとした城跡、山方氏と珈琲】

山方城「やまがたじょう」と読みます。
茨城県の常陸大宮市の北部にある城です。
その城跡に、山方氏の歴史に関する展示物がある。

『東北は久慈川の断崖、南は皆沢川を自然の堀、
西に険阻な高館山を控えて
防備の上からは無双の要害であります』

確かに、防御力抜群…!

『山方氏は七代にわたり佐竹氏の重臣として
献身的な努力を続け、数度の合戦に加わり、
内乱を鎮め、南方三十三館を滅ぼし、
佐竹の版図を広げるなど忠勤に励みました』

山方氏は元をたどれば
美濃国の山方郡にルーツがあります。
室町時代、上杉憲利という人が治めていた。

…ところがこの憲利の子ども、盛利は
東の鎌倉で騒ぎを起こしてしまうのです。
彼は、従兄弟の子である一族の
上杉憲定を頼って武蔵国に逃げました

この頼った先の憲定が、
後に常陸の佐竹氏の第12代当主として
養子に入るんです。わずか九歳。1408年。
幼い親戚が不案内な国に養子に向かう際、
上杉盛利も後見役&補佐役として
常陸に向かったのでした。


◆上杉憲定:佐竹家養子になる
◆上杉盛利:補佐役として同行

「竹に杉は接げない。佐竹に上杉は不要!」

古参の山入家はこの養子に反抗し、
佐竹宗家に対して反乱を起こします。
以降、100年の長きにわたって
「佐竹の乱」というお家騒動が続くのです。

◆上杉憲定:佐竹義人と改名
◆上杉盛利:山方盛利と改名


山方氏は新生佐竹氏の忠臣として
この無双の要害を本拠地にして東奔西走、
佐竹家の隆盛に全力を尽くした一族です。
山方氏の歴史を、
この山方城跡は語り継いでいます。


ノンシュガー、後味すっきりの珈琲のように、
眺めの良い展望台です。ぜひ、どうぞ』

◆四つ目は【風魔一族もいた城のオリジナル】

『「逆井」と書いて「さかさい」と読みます。
茨城県の坂東市には『逆井城』の跡があり、
今では公園になっています。

ここに城ができたのは、室町時代の頃。
関東の名門の武家「小山氏」の一族である
小山常宗が築城し、地名から名前を取って
逆井常宗と名乗るようになりました。

…しかし、ここに強大な敵が登場します。
関東地方の統一をもくろむ「後北条氏」です。

1536年、逆井古城は
後北条氏に攻められ、あえなく落城。
1577年、北条氏繁が当時の最新の技術を用いて
新たに城を築き上げます。

「後北条氏が、本拠地である小田原城から
茨城県まで勢力を伸ばしてきた…!?」


そう、逆井の地は後北条氏の覇業の最前線。
一説によると「風魔一族」という忍者集団
この城に駐屯していた、とも言われています。

ところがここに西からさらに強大な敵が現れる。
天下人、豊臣秀吉です。

…1590年、後北条氏、滅亡。
関東を任せられた徳川家康は、
逆井城(飯沼城)を廃城にしました。

オリジナルの歴史を大事にしながらも、
時代に即して新しい城がつくられたり
公園になって歴史を伝えたりしてきた逆井城…。
私はダイドーブレンド・オリジナル
味わいながら、戦い抜いてきた
この城の歴史に想いを馳せたのでした』

最後に、まとめます。

本記事では小幡城、島崎城、山方城、逆井城
四つの(ちょっとマニアックな)城跡を
珈琲とともに紹介しました。

秀吉の天下統一、江戸時代の泰平の世の中で、
戦国の記憶は薄まり、
中世の城跡は存在感を無くしていきます。

…しかし、現在にも残る城跡は、
昔、命を賭けて戦った武士たちが
各地に点在していたことを
黙々と伝え続けている
のでした。

◆小幡城跡
茨城県東茨城郡茨城町小幡

◆島崎城跡
茨城県潮来市島須530

◆御城展望台(山方城跡)
茨城県常陸大宮市山方313

◆逆井城跡
茨城県坂東市逆井1261

合わせてぜひどうぞ!

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