八幡製鉄所の製錬と精錬
◆「鉄は国家なり」
日本で官営八幡製鉄所ができたのは1901年。
その火入れ式で初代内閣総理大臣の
伊藤博文がこう言ったそうです。
明治維新で中央集権の国家ができた。
富国強兵政策を採ります。
その結果の一つが1901年の八幡製鉄所!
本記事では1901年の「前」と「後」に分けて
日本の製鉄の歴史の一端を書きます。
古代より「たたら場」は各地にあって、
映画『もののけ姫』で出てくるように
鉄製の武器などがつくられていました。
しかし規模は小さい。ハンドメイド的。
そこで近代的な製鉄業が日本に導入されます。
「そもそもの疑問なんですが、
…鉄鋼ってどうやってつくるんですか?」
鉄は元素記号だとFe。ラテン語だとferrum。
これは「堅い」「強固」という意味の
firmusという言葉から来たと言われます。
フェライトと呼ばれる酸化鉄の
磁石の材料がありますが、
これはferrumに「化合物」という意味の
iteをつけた言葉。
「アイアンやアイロンではないの?」
英語ではiron。
カタカナ英語ではアイロン。
でもこれはオランダ語由来の読み方です。
英語の発音は[áiərn]でアイアァンと読みます。
ドイツ語ではEisen。アイゼン。
漫画『葬送のフリーレン』の
頑丈な戦士であるアイゼンも
ここから名付けられていますね。
米大統領の「アイゼン」ハワーの名前も
このドイツ語由来。
ドイツ帝国のビスマルクの有名な演説の中に
「sondern durch Eisen und Blut」
という一節が出てきます。
これは『鉄と血』こそが
国家の重大問題を解決するという意味。
…日本の初代総理の伊藤博文は
ビスマルクの演説を念頭に置き、
八幡製鉄所で皆を鼓舞するために
鉄は国家なりという言葉を使ったんでしょう。
ただし、鉄は、自然界では
酸化鉄など化合物として存在していることが多い。
純粋な鉄としては採れません。加工が必要。
そうしないと脆くて使えない。
鉄鉱石などに含まれる酸化鉄から、
しっかりと酸素を除去して還元して
純粋な鉄(Fe)にしていく必要があります。
鉱石から金属を取り出すことを
製錬(smelting)と言います。
ここからさらに金属の純度を
高めることを精錬(refining)という。
具体的な製錬は、例えば溶鉱炉(高炉)に
酸化鉄(Fe2O3)とコークス(C)と
石灰石(CaCO3)を入れて、
約1,300度ほどの熱風を吹き込みます。
コークスとは石炭を蒸し焼きにした炭素の塊。
化学式で言えば以下の通り。
酸化の逆の『還元』ですね。
①Fe2O3+3CO→2Fe+3CO2
②Fe2O3+3C→2Fe+3CO
昔ながらのたたら場では
「砂鉄」を主な原料に使っていました。
幕末の1858年には、盛岡藩の
大島高任(おおしまたかとう)が
盛岡に西洋式の高炉を建設し、
日本初の「鉄鉱石」からの製錬を行っています。
人呼んで『日本近代製鉄の父』。
しかし、技術の世界は日進月歩です。
実は同時期の1855年、ヨーロッパでは
ベッセマーという人が
とんでもない発明を生み出していた。
それが『転炉』です。
実は、高炉でFe(鉄)を還元しただけだと、
コークスに含まれる炭素が
できた鉄に染み込んでしまって、
また炭素が含まれてしまうんです。
転炉とは「転がる炉の鍋」のイメージ。
高炉で溶かした鉄を入れて、
そのまま傾けて精錬することができます。
溶けた銑鉄に酸素を吹き込むことで、
不純物が取り除かれ、さらに純度の高い鉄、
つまり「鋼鉄」ができる仕組み。
◆C+O2→CO2
◆C+FeO→CO+Fe
「炭素に酸素で二酸化炭素になりますよね…!」
この転炉を使うことで、
「酸素を吹き込むだけで燃料を使わず」に、
ものの数十分で純度の高い鋼(鋼鉄)を
大量に作ることができます。
◆それまでの鉄鋼のコスト:1トン/40ポンド
◆それ以後:1トン/7ポンド
不安定な品質の鉄を、例えば鉄道の橋に使うと
安全性に疑問が残ります。
そもそも鉄鋼を作るコストが高い時には、
もったいなくて橋には使えなかった。
しかし転炉によって
鉄鋼を大量に生産できるようになったために、
鉄道網を全国に広げることができた…!
「では、八幡製鉄所ができた後は
すぐ鉄鋼がガンガンできた、と」
いえ、それがすぐにはうまくいかない。
日清戦争で得た賠償金を、
明治政府は製鉄所の建設につぎ込みました。
北九州の八幡は筑豊炭田が近くにあり、
コークスをつくりやすかった。
技術者も高い給料でドイツから呼んでいます。
1901年に火入れ。操業開始! ところが…。
コークスをつくる炉が間に合わず、
鉄鉱石の品質も悪かったために、
生産量は予定の半分以下に留まる。
1902年には操業停止します。ストップ。
しかし1904年、日露戦争が勃発します。
早くつくらなきゃ!とコークス炉ができると
すぐ操業再開しましたが、うまくいきません。
何と17日間で再び操業停止…!
「ダメダメだ…」
そこで、一人の男に白羽の矢が立った。
(プロジェクトXっぽい口調で)
その名も野呂景義(のろかげよし)です。
彼はロンドン大学に私費で渡欧して留学、
工学や鉱学を学び、さらに
各地の製鉄工場に赴き職工まで経験している。
筋金入りの学者&技術者です。
「そんな人を、なぜ後から呼ぶんですか?」
実は1895年、製鉄事業調査会が発足した時、
彼は「本格的な製鉄所をつくるより
地道な技術開発を重ねるべき」と主張したため、
調査会を追い出されてしまっていたのです。
…しかし、操業停止とあっては
過去の経緯は水に流すしかない。
呼び出された野呂は高炉の不具合を調査し、
改良して、再び操業させます。
そこからは順調な生産が進んでいきました。
創業後の約10年、日本の鉄鋼の9割以上は
八幡で生産されていたそうです。
大島高任、ベッセマー、伊藤博文、野呂景義。
様々な人のトライ&エラーによって、
近代的な製鉄業は徐々に製錬され、
精錬されていったのでした。
最後にまとめます。
本記事では日本の製鉄業について書きました。
…八幡製鉄所はどうなったのか?
4回にわたる合理化を経て規模を縮小。
戦後日本も「軽薄短小」へと主要産業を転換。
最多で12基もあった八幡の高炉は、
1988年からは1基のみになりました。
遊休地には1990年に「スペースワールド」
というテーマパークが作られます。
※注:2018年閉園。
2026年4月、日本製鉄は
九州製鉄所八幡地区の高炉を「電炉」に
置き換えるための起工式を行いました。
電気式の炉。オール電化。
つまりカーボンニュートラル、
「脱炭素化」の試みですね。
鉄を1トン生産するのに
CO2が2トン排出されていた既存の高炉…。
これも時代の流れに沿った転換でしょう。
古代から幕末、近代化、現代へと
形を変えて進められていった日本の製鉄業。
これからどう進んでいくのか
注目していきたい、と思います!
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◆日本製鉄業の聖地・八幡製鉄所が
電炉へ転換で「第2の創業」↓
◆官営八幡製鐵所 旧本事務所 眺望スペース
福岡県北九州市八幡東区東田5
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