「禁断」の丘に初めて足を踏み入れた日——聖武天皇陵と幻の多聞山城が交差する地を科学が照らす

2026年2月27日、奈良市に静かな歴史的転換点が訪れました。日本考古学協会など研究者団体が、宮内庁の管理下にある聖武天皇・皇后陵に「初めて」立ち入り調査を実施したのです。
宮内庁が管理するのは一帯の約3万平方メートルで、研究者たちは午後1時ごろから普段は立ち入れない二つの陵墓の外周などを約1時間20分かけて調査しました。この数字を聞いて「たった1時間ちょっと?」と思うかもしれません。しかしここは何十年も研究者が足を踏み入れることすら叶わなかった場所。その扉がついて開いたのです。
調査後、日本考古学協会の青柳泰介陵墓担当理事は「地図では計り知れなかったことを観察できた」と語りました。この一言に、すべてが凝縮されていると感じます。
「天皇陵の中に城がある」という奇妙な真実
なぜここが考古学者の注目を集めるのか。その鍵は、この場所が奈良時代と戦国時代という二重の歴史を抱えていることにあります。
一帯は戦国武将・松永久秀が築いた多聞城跡と重なっており、研究者は土塁の可能性がある地形の起伏を確認しました。
聖武天皇陵には段状の帯曲輪のような地形が観察でき、出曲輪の役割を果たしていたと想定されています。両陵墓ともに多聞山城の城郭の一部であったとする説もあります。
つまり、今回の調査地は「奈良時代の天皇の陵墓」であり、同時に「戦国時代の最先端城郭の遺構」でもある、まさに二重の「聖域」だったのです。
松永久秀という異端の建築家
多聞山城を語るとき、その築城者・松永久秀を避けることはできません。
城郭はかなり先進的なもので、後の天守に相当する四階櫓が築かれたことが記録に残っており、塁上に長屋造りを設けたことが多聞櫓の始まりとされています。さらに屋根は火矢による攻撃から守るために国内のお城では初めて瓦葺きが用いられ、城壁も鉄砲の攻撃を防ぐよう漆喰塗りとなっていました。
永禄2年(1559年)から翌年にかけて築かれたこの城は、日本の城郭史における技術的な跳躍点でした。防火のための瓦、銃撃に備えた漆喰壁——これらは当時の「最新技術」の結晶です。今で言えば、耐震構造やスマートビルに相当する革新性です。
さらに見逃せないのが文化的な側面です。イエズス会の宣教師ルイス・デ・アルメイダは永禄8年(1565年)に多聞山城に招待され、「都でもこれほど美しいものを見たことがない、世界中にもこれほど美しいものはない」と書簡に記しました。特に庭園とそこに植えられている樹木を高く評価し、その内容はルイス・フロイスの『日本史』に残されています。
ポルトガル出身の宣教師が世界水準で評価した城。16世紀の奈良にそれが存在したという事実は、改めて驚くべきことです。
わずか16年で消えた名城——そして「発掘禁止」の二重の壁
多聞山城は築城後わずか16年で破却されました。久秀が信長に背いた後、天正4年(1576年)に信長が破却を命じたためです。ちょうど安土城が完成した時期と重なります。
信長が安土城の参考にしたと伝わる多聞山城を、自分の手で消し去った——歴史の皮肉としか言いようがありません。
その後、昭和23年(1948年)には跡地に若草中学校が建設され、昭和53年(1978年)の新校舎建設工事で残っていた土塁跡も失われてしまいました。
こうして多聞山城の遺構は表向き「ほぼ消滅」したとされてきました。ところが——宮内庁が管理する聖武天皇陵のエリアだけは、誰も手をつけられないまま静かに残り続けていたのです。
宮内庁は「現に皇室において祭祀が継続して行われている」「静安と尊厳の保持が最も重要」という理由で、学術調査の認可に対して厳しい制限を設けています。研究者にとって、天皇陵は「近くて遠い聖域」でした。
地図では見えない地形——科学がいよいよ動き出す
今回の立ち入り調査が意味するのは、単なる「見学」ではありません。「地図では計り知れなかった」という言葉が示すように、現地に立って初めて読み取れる地形情報があります。
現代の考古学は、地上歩行調査にLiDAR(光検出・測距技術)や地中レーダー(GPR)を組み合わせることで、土の中の遺構を非破壊で捉えることができます。マヤ文明の「消えた都市」や、カンボジアのアンコール周辺に眠る未知の都市群がLiDARによって発見されたのは、記憶に新しいところです。
日本の天皇陵でも、同様の技術が活用される日は近いかもしれません。今回の「初立ち入り」は、まさにその第一歩。研究者たちが目でとらえた地形の起伏が土塁の痕跡であれば、次のステップは精密な地形測量やリモートセンシングによる検証になります。
二つの時代が重なる場所に立つ意味
聖武天皇(701〜756年)は、奈良時代に東大寺の大仏建立を命じた天皇です。その陵の上に、800年後の戦国武将が「日本一」とも評された城を構えた。そしてさらに450年後の私たちが、初めてその土地に科学の眼差しを向けた。
歴史は教科書の中で完結しているように見えて、実はまだ動いています。今回の立ち入り調査が示しているのは、「まだ知られていない事実が、私たちの足元に埋まっている」という静かな可能性です。
多聞山という丘の下に何が眠っているのか。その答えは、これから始まる科学的調査が少しずつ教えてくれるはずです。
参考記事
〇聖武陵を初立ち入り調査 奈良、多聞城跡の遺構も(共同通信)(2026年2月27日)
〇【奈良県】多聞山城の歴史 大和国支配のために松永久秀が築城、のちの近世城郭の先がけとなった!(戦国ヒストリー)(2022年5月25日)
〇多聞山城(Wikipedia)
〇天皇陵(Wikipedia)
