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Q:善悪という一見対極に見えるものは、実際は何なのでしょうか?

生まれ持った真理の入り口 見える化

Q:善悪という一見対極に見えるものは、実際は何なのでしょうか?

A:善と悪は対極のものではなく、代替物であり、共通の選択基準上にあるグラデーションにすぎません。気温と同じで、程度の違いです。”冷”対”温”は存在しません。ーーそれは対極ではなく、グラデーションなのです。人間が心地よく感じる程度に応じて、温度計のどこかの点に形容詞がつきますが、それは恣意的で、求められる条件に左右されます。たとえば、華氏五十五度12.777・・・℃はひんやりとしていて寒いほどですが、冷蔵庫の設定温度として、安全に食品を保存するには温かすぎることになります。

悪は「愛」の対極ではなく、「愛」の不在です。「意識のスケール」は、「愛」の臨在の程度を表します。

意識の特徴を分析すると、意識が非二元的な原初の状態源に繋がっていることを思い出すに戻ることで、救済が起こることが明らかとなります。それはただ、自我エゴのわがままと意図の二元性を、非二元的な「神の真理」に明け渡す源に繫がっていることを思い出すという”従順さ”によって成し遂げられます。自我エゴの二元性からスピリットの非二元性への回帰は、非常に困難で稀有なため、「神性の恩寵」によってのみそれは可能です。したがって人間は、導き、インスピレーションを与え、自我エゴの苦痛から救い出してくれる、支柱となる救い主を必要とします。

”誘惑者”とは人間の好奇心であり、この好奇心が基本的な弱点です。それが無知(真偽を識別することができない)という生得生まれつきの欠陥と結びつくと、低い意識レベルの罠に陥ってしまいます。好奇心が無垢な人間の意識を二元性の世界に導くと、その人物はその世界にとらわれてがんじがらめとなり、連続ドラマに中毒になっている人のようになります。メロドラマの幻想の虜になると、自我エゴはドラマと一体化してしまい、「自己」本当の自分の気づきは、自己自我を夢中にする映画の中で見失われてしまいます。すると、あらゆる虚構、アイデンティティ、魅惑の対象への執着が湧いてきます。

少数の人だけが、このような泥沼から抜け出したいと思います。さらにわずかな人だけが、自分がそのような窮地に陥っていることに気がつきます。そしてさらに少数の人だけが、自我エゴの罠から逃れる道を見出すのです。自我エゴの世界はあたかも鏡の部屋のようで、次々に移り変わる鏡の中のイメージを追いかけて、自我エゴはさまよい、迷子になり、混乱します。人生は、迷路から脱出するための絶え間ない試行錯誤にたとえることができます。そして時として、多くの人にとってーーおそらくほとんどの人にとってーー鏡の世界は恐怖の家となり、ますます恐ろしくなっていきます。遠回りの放浪から抜け出す唯一の道は、霊的な真理を探究することです。

「I<わたし>真実と主観性」デヴィッドRホーキンズ著 P476-477

根源の目覚めチャンネル たい・じろうさんオススメします。

今回が、199記事目となります。あと一つで、200記事おめでとう~120。


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