我(が)が有ることに気づこうとする|霊的探究の道のり|世界平和|
我(が)有ることに気づかないと、一人一人の平和は訪れません。戦争のない世界平和が訪れるには、世界中のすべての人が、我(が)有ることに気づかないといけません。
我(が)有ることに気づいたら、今度は、その我(が)を思う存分出して、自分の中から出し切って、無くすことです。
我(が)が、何であるかに気づかないと、何を出し切るのかもわかりません。
そのために、体験があります。いろんな体験をすることで、我(が)に気づきます。素直な人は、それが、我(が)で有ることに気づきやすいでしょうが、素直でない人は、いつまで経っても、死ぬまで、死んでも、気づかないでしょう。
すべての人が、ほとんどの機能・構造が変わらない、神の能力をたずさえた生命体です。神の能力をたずさえていなければ、存在すらしていないでしょう。存在していることが、神の能力をたずさえている証明です。
神の能力をたずさえているのは、あなたという我(が)ではありません。すべての人の根源であるワンネスが、神の能力をたずさえています。我(が)有るうちは、神の能力を使えていません。
我(が)でいるのか、神でいるのか、どちらを選択するかは、あなたの選択です。我(が)は、我(が)を選択するでしょう。
動機は、2つしかありません。愛が動機か、怖れが動機か。
我(が)は、怖れの動機を選択します。
プライド、虚栄心は、我(が)です。虚栄心に対する解毒剤は、報恩、感謝、そして満足感です。偉業を成し遂げても、満足感に満たされることで、謙虚に立てます。
弁護士職務基本規程の六条に、廉潔(れんけつ)と出てきます。清廉潔白(せいれんけっぱく)からきているそうです。廉潔とは、心が清く、私欲がないさまです。
頭の良い人たちが、政治を引っ張ってきました。廉潔とは、ほど遠い、真逆の現実です。
一人一人が、我(が)有ることに気づいて、素直に認めないと、始まりません。
生きているうちに、みんなで、世界平和をやり遂げましょう。
そろそろ、スタートです。
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今回の記事が、157記事目です。言葉を数字にする数霊/かずたまで、157は、あるがまま、山川海(やまかわうみ)、神社、前途洋洋、ヤタガラス、求心力。※157は自然なるものを愛でる数霊です。神社という意味も持ちます。自然の気と交流してあなたのエネルギーを高めましょう。自然のリズムを身体に取り入れることで、前途洋洋の未来への展望が開けます。無理をしない。あるがままのあなたは素敵です。
翌日、音声を録音して発信できました。
