真理とは、唯一主観的に体験することによって実証可能なのです。
ここで、「真理」とは証明可能なものではなく、また、証明の対象ともならず、「論理」の主題のように、測定可能な知識のカテゴリーに属しているものではないと認識することがきわめて重要です。真理とは、唯一主観的に体験することによって実証可能なのです。”証明可能なもの”とは単なる命題にすぎませんが、例えば空間のような実在のものは、”is(在る)”状態なので、ここに議論の余地はありません。わたしたちは記述に対して挑戦することはできますが、主観性という真実に対しては無力です。
宗教は、神を理解することは普通の人間には不可能だということを前提にしています。まして、神の真理を経験することなど到底あり得ないわけです。こうして歴史的に、宗教が、「神性」の本質について知ることのできる民衆の主な情報源となりました。
神の本質↓

真理を、たくさんの人達と共有できれば、地球人類の意識レベルは上昇すると思っています。そうなることで、世界平和が実現可能となります。
しかし、「真理とは、唯一主観的に体験することによって実証可能なのです」ということなので、各個人の気づきや、意欲がないと成立しないのだろうなと思っています。
なかなか伝わらないし、簡単には共有できないことを体験して分かったので、歌と共に伝えることを今やっています。映像や音だけではなく、リアルなエネルギーで、セカヘワ/SEKAHEWAの音楽活動で、できることをやっています。
一人よりも二人、二人よりも三人、数が増えれば、エネルギーは増えていくはずなので、あきらめずにやり続けようと思います。
全ての人が、必要な体験をして生きている事が、真理の一つと思います。一見ネガティブな出来事も、起きたということは必然であるため、それを、どう受け入れ、反応し、行動するか、のシンプルな世界だと思います。それが体験であり、みんなそれぞれ必要な体験であることを受け入れたうえで、「真理とは、唯一主観的に体験することによって実証可能なのです」と言う、実証をすることで、意識レベルも上昇するのだと思います。
気づいている心の気づきは、自律的で、考えたり解明したりするのではなく、知っている状態を基盤にしています。愛が基盤です。
今回が、181記事目です。祝い(181)。
