【真の謙虚さ】愛と平和の啓蒙/Enlightenment of Love and Peace
更に厳しく追及すれば、プライドは自己存在の「至高の源」としての神に献身することを拒否する姿勢でもあると言えます。つまりそれは、支配権をめぐって神を相手に密かに競い合っているということです。また虚栄心は、謙虚さを否定することでもあります。というのも、自我は謙虚さを、降伏や劣等感、あるいは屈辱だと誤解しているからです。本当の謙虚さは、屈辱感とは無縁です。誤った謙虚さも、同じ誤解から生じています。真の謙虚さは、正確な評価から生まれ、そこに価値づけはされません。真に謙虚で的確な科学者は、理論を含めた科学的研究方法の長所と短所、限界をしっかりと認識しています。真の謙虚さを持つ人は、たとえ偉大な功績を上げたとしても、うぬぼれずに深い満足感を得ることができます。したがって、謙虚さを装った虚栄心を持たずに、素直に賞賛を受けることができます。虚栄心に対する解毒剤は、報恩、感謝、そして満足感です。真の謙虚さは、プライドを介さなくても、事実をただ事実として伝えることができます。謙虚さを持ちながら、少なくとも今は、自分がその分野において最高の偉大な功績を上げたことについて、「はい」と認めることができます。ところが、それに肥大化した自我が介在すると、謙虚であるべきだということで、見せかけだけの謙虚さを示します。プライドをひけらかさなくても、世間は素晴らしい実績とその偉大さ、立場を評価してくれます。本当に偉大であれば、うぬぼれなくても、相応の地位と成果を受け取ることができます。そのためわたしたちは、個人的な自己を役割や地位、職務から切り離さなければなりません。自己陶酔的な自我が肥大化したプライドが基盤となった人格は、往々にして自らの実績とは無関係に、”資格のある”態度をとるようになります。
今回が、175記事目です。霊的探究を続けていて、とても大事だと思うことは、真の謙虚さだと思っています。誤った謙虚さ、見せかけだけの謙虚さであるかは、自分自身が一番知っていることです。出来ることしか出来ないのが当然で、得意なことや趣味は千差万別で、それぞれの役割を全うすることだと思います。それを知っているのは、自分の内側ですので、真理を受け入れる、霊的探究の道をともに進んでいきましょう。
