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|覚醒《意識レベル600~1000》第21章 霊的調査 /2024年大晦日

Q:覚醒意識レベル600~1000しているかしていないかのふたつの対照的な状態があるのではないとすれば、「覚醒意識レベル600~1000した」という言葉をどのように理解すればよいのでしょうか?

A:覚醒意識レベル600~1000には段階的なレベルがあります。今ではそのレベルを測定することができますし、また伝統的に使われてきた言葉を測定することもできます。しかし、これらのレベルは「真実」のレベルではなく、「真実」への気づきのレベルだということを銘記しておいてください。
また、各レベルはそれ以下のレベルより”優れている”わけではありません。それはただ観点の違いを表しているだけで、成層圏の異なる層から観察した地球が違う様相を呈していたり、水深レベルが異なると海の特徴が変わってくるのと同じことです。次項に挙げた測定値は、ワークショップでの調査で明らかになったものです。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P446
I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P447

Q:では、意識の測定レベルは参照の基準を示しているだけで、はっきりとした真実のレベルの違いを表しているわけではないということですね。

A:測定値は意識のレベルを簡潔に表す手段にすぎず、各レベルのコンテント(内容/中身)とコンテクスト(文脈/状況)の両方を明らかにするという特徴があります。各レベルにはそれぞれ真実や価値に、対する視点があります。その違いによって、異なる動機や価値観、生活様式、霊的立ち位置が生まれてくるのです。各レベルは、それまで通過してきた道のりと、これからの課題を示しています。学校の学年の違いにたとえるとわかりやすいでしょう。中学二年生で学ぶことは、中学一年生で学んだことよりもレベルが上がりますが、三年生レベルには及びません。霊的な成長もこれと同じで、意識レベルの上位になってくると大学、大学院、博士課程が控えており、さらに博士課程修了後の研究・発見へと続きます。
霊的な学びが学術研究と違うのは、学びの対象が生徒自身の自己自我(エゴ)であり、真理が発見されるにしたがって生徒は変化し成長し、最終的には自己自我(エゴ)がなくなって「自己」本当の自分が現れるという点です。そして、霊的なインスピレーションによって「自己」本当の自分の気づきは成長し続け、それに伴ってコンテクスト文脈/状況も拡大し、最終的に、「神の真実」の表現としてのあらゆる次元を超えていきます。自我エゴが創造する現実は、意識レベル600に達したところで超越されます。それは、ニュートン的な線形的二元的パラダイムの現実から、霊的真理の非線形非二元的領域に移行することを意味しています。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P447~P448 

Q:では、より高い意識レベルがそれを下回る意識レベルよりも優れていると思うのは、単なる自我エゴの投影なのでしょうか?

A:はい、その通りです。ある測定レベルが他のレベルより優れているということはなく、それらは異なる主題を示しているにすぎません。歴史を通して、人類は覚醒意識レベル600~1000にあこがれ抱き続けてきましたが、究極の視点に立てば、それははじまりにすぎないのです。
同様に、高校生の目には大学を卒業することは難しく思われますが、博士課程を修了した研究員にとって、それは最低限の資格となります。
確かに、意識レベル600に達する人はごく稀で、1000に達するのはさらに稀ですが、大天使は50000を超えています。わたしたちの肉体次元でそれを認識することはできませんが、そのきわめて高いエネルギーは万物にあらゆる形で影響を与えています。ですから、わたしたちが人間の視点で霊的なマスターと見る存在は、より高次の次ける元では発展途上の生徒なのです。このように、霊的な生徒は後継者の教師であるのと同時に、先達せんたつの生徒なのです。
真の教師として役立つためには、その教えを受ける聴衆にぴったりと符合した教師である必要があります。宗教の開祖となるようなアバターは、長きにわたって大勢の聴衆に教えを広められるだけの、教える能力を与えられていました。なかにはきわめて高い意識レベルに到達したにもかかわらず、教えることが定めではなく、また教える才能にも恵まれなかったために、何も言葉を残さなかった存在もいます。とはいえ、人類の意識レベルに影響を与えるために、必ずしも言葉は必要ではありません。
したがって、覚醒意識レベル600~1000とは段階的に実現されるものであり、完成品でも最終段階でも、霊的な進化の終焉を告げるものでもありません。過去の偉大な霊的マスターたちは、意識レベルが100に満たない民衆に語りかけていました。現代の人類の意識レベルは207まで飛躍しました。これは、確実に異なる意識のフィールドが浸透していることを意味しています。
無数の次元が無限に拡大し、無限の可能性の中に出現する無数の宇宙の中に存在しています。ひとつひとつの潜在的可能性が顕在化していくことによって、さらに自動的に無数の潜在的可能性の進化を生み出し、それぞれがそれに続く無限の進化の中核となります。これが、量子論が示唆する無限の潜在的可能性です。言葉の限界により、この説明は完璧ではありませんが、それを感覚的に伝えようとするものです。神の本質は「創造」の触媒となって働いているので、すべての創造物には同じ特質が宿っています。したがって、神の究極のコンテクスト文脈/状況とは、無限の可能性や潜在性の無限の進化であり、それぞれがさらに無限に進化し、さらなる無限の進化を生み出しています。完全に満足できるものではありませんが、これは「創造主」と一体になった「自己」本当の自分の視点を説明するものです。
意識レベル600以上、とりわけ1000を超えると、完全に自我エゴから自由になり、自我エゴを、動物的本能を超越しようとする人類の未解決の問題と見るようになります。人間とは、「非顕在」が顕在として現れた潜在的可能性のひとつにすぎません。ですから、自我エゴを超越するのは、意識レベル1000やそれ以上にとって、幼稚園レベルのことかもしれません。
人類は、科学、テクノロジー、産業、物理、医療といった、あらゆる分野において目覚ましい進歩を遂げてきました。霊的な気づきが同じようなペースで進化しているとしても何ら不思議ではありません。むしろ、今後さまざまな分野における進化の触媒となることもあるでしょう。進化という点では、それぞれの種は極限まで進化するとそこで停止します。進化の木の幹からは、より進化した新たな種が出現します。ホモ・エレクタスもホモ・サピエンスもそれぞれ異なった枝であり、クロマニオン人やネアンデルタール人がただ進化した形なのではありません。真理や宇宙の法則は不変ですが、それに対する人間の認識はあらゆる方面で革新的に進化していきます。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P448~P450

Q:「自己」本当の自分は他の次元ではどのように表現されているのですか?

「自己」本当の自分は、さまざまな意識レベルにおいて、その異なる特性が知覚されているというのが最もわかりやすい説明と言えるでしょう。たとえば意識レベル600を下回ると、自己は自我エゴとして体験されます。しかし600を超えると、自己は「神の愛」の「自己」本当の自分となります。そのレベルでは、はじめのうちは「臨在」の輝きは申し分のない至福の体験となりますが、しだいに、「存在するものすべて」の「神性の本質」である原初的な平和、安らぎ、静けさの中に溶け去っていきます。さらにそれを超えると、「十全性」の存在が放射する「輝き」として「臨在」が認識されます。そしてさらに「真実」は存在と顕在を超え、「自己」本当の自分”原基”は、意識が生まれる前の「非顕在」の究極的な全能性としての姿を開示すると同時に、意識そのものの本質であることを明かします。
全宇宙、全次元は、たったひとつの思考から誕生することができます。したがって、無数の次元の中に無限の宇宙、次元、領域があるのです。すべての潜在的可能性は無数の潜在的可能性を生み出し、今度はそのすべてが一連の無数の潜在的可能性を無限に創造していきます。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P452~P453

Q:それは理解を超えるものでしょうか?

A:それは「創造」の本質である「自己」本当の自分の”知っている状態”によって知ることができます。すべては自発的で自己創造的です。「神性」の本質は、すべての「創造」の中に「創造」そのものとして存在しています。「十全性」の無限の多様性が持つさらなる無限性は、自己創造的なのです。
宇宙は外側の何ものかによって創られるのではなく、自らの本質に内在するものによって創られます。宇宙、領域、次元は自己創造的で自己発展的です。なぜなら、「神性」があまねく存在しているからです。
「至高性」は、潜在的可能性と存在をもたらす生得的な生まれ持った特質や能力にたとえることができます。したがって、「究極」は、形や存在、顕在を超越しているということができます。さらに、”is-ness”や”beingness”、意識や気づき、「十全性」や「虚」に加え、あらゆる描写、定義、特質を超越していると言えます。言葉とは言葉にできないものを表現しようとする手段にすぎません。言葉にできないものは、ただそのものになることによって知り得るのです。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P453

Q:こうした真理は本質的に発見可能なものでしょうか?

A:はい。生徒たちは”今”にとどまるために格闘していると言います。答えは、わたしたちはすでにそうであるものを求める必要はないということです。それが唯一の現実なのですから。それに対して、「わたしのマインドは常に過去にあるか、未来を思い煩っているのです」と反論が返ってくるかもしれません。けれども、それはマインドコンテント内容/中身について論じているにすぎません。たとえマインドが過去や未来をさまよっているとしても、それは今この瞬間に行っているのです。意識が常に今にあるからこそ、マインドは過去を振り返ったり未来を予期したりすることを選択できるのです。
時間は単に立ち位置であり、真実ではありません。自覚は、時間と同一化するものを自分だと認識することから生まれます。けれどもそれは知覚にすぎず、意識は永遠で非人格的なものです。仮に今あなたが中国について考えたとしても、それはあなたが中国にいることを意味してはいません。あなたの「自己」本当の自分はいつも”ここ”にいます。また、”ここ”や”今”という立ち位置も定着しがちですが、それらも実はコンテント内容/中身とは無関係です。わたしは”宇宙の中に”存在しているとか、”宇宙の一部”であると思い込んでいるのも立ち位置です。時間や空間、次元と同一化すること自体が誤りであり、それらは制限にすぎません。「自己」本当の自分は”今”を体験しているのではなく、その永遠性と”常時性”を実現しているだけなのです。
”あなた”も”ここ”も”今ここ”もありませんし、”この次元”さえもないのです。「究極の真実」は、存在や記述的用語でいう”意識”や”気づき”に取って代わるものです。「自己」本当の自分はそこにいるか、いないかではありません。覚醒は状態でもなければ条件でもなく、意識レベルでもなければ悟りでもありません。と同時に、そのすべてでもあるのです。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P453~P454 

Q:キネシオロジーテストは、意識レベルが200以上で動機が統合性のレベルを満たしている人々にのみ使用が限られていますね。

A:それがこの調査方法に内在する保護手段であることは明らかです。統合的であることのみが、真理への接触を可能にするのです。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P457

Q:自己分析などの霊的作業の中で起こってくる動揺は、どのように減らすことができるでしょうか?

A:古典的精神分析学の中で学ぶ、「患者の問題は、はじめに超自我(良心)の側面から取り組むこと。はじめから無意識の領域の解明に乗り出してはいけない」というルールに沿ってみることです。これは頑な良心(善悪の判断)をやわらげることを意味し、何にでも白黒、善悪をつけたがる価値判断をやめさせて、柔軟性を持たせようとするものです。超自我や良心は、飼いならさなければ、ひどく残酷で獰猛どうもうになることもあります。この自我エゴの領域から、罪悪感意識レベル30による自己嫌悪意識レベル20や自殺が起こります。
白か黒かという価値判断に陥りがちな融通のきかない人は、自らも人間であるというコンテクスト文脈/状況の中で物事を見ることを学ばなければなりません。もっと温和で寛容で、慈しみ深い姿勢を培わなければならないのです。合理的な自我エゴは、もっと気楽で受容的でいることを覚える必要があります。というのも、無意識の最深層部には、動物的なマインドから発する禁断の衝動があるからです。無意識の最深部、すなわち「イド」は、極端に考え、極端なシンボル化を行います。率直に言えば、その領域では敵を憎むだけでなく、殺したいのです。
同様に霊的スピリチュアル作業ワークでは、自我エゴ生得の生まれ持った性質や、その構造と進化を学ぶことで、それが受け継がれた非個人的な機能であり、やわらげる必要があるものだということがわかります。探究者は、人間のマインドは真偽を見分けられないということをしっかりと認識しなければなりません。深部を掘り起こす前に、赦しと愛、慈しみの想いを進んで培う必要があるのです。
無知は、人間が生まれながらに受け継いだものです。また、ほとんどの人類が今なお非常に未熟です。たとえば西洋社会では、人々は自らのカルマ無意識的な継承とその甚大な影響にまったく気づいていません。彼らは、ただ個人的な”わたし”自我(エゴ)がいて、この人生で選択や決断をしていると思っているのです。同様に、宗教と霊性の区別がつかないという無知が蔓延しています。
マインドは立ち位置を使って働くということを理解することで、罪悪感意識レベル30や自己攻撃を未然に防ぐことができます。また、霊的な求道者も、人間の意識は集合意識やエネルギーフィールドの支配を受けやすいと認識することで、自己非難意識レベル50を軽減する必要があります。
その本質から言って、本当の自分への道は容易ではありません。それは相当の勇気意識レベル200と不屈の精神力、意欲意識レベル310、忍耐を必要とします。こうした特性は、謙虚さと温和な良心を持つことで強化することができます。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P462

2024年12月31日KIN177 大晦日。2025年は、人類のさらなる進化と創造を願って投稿します。


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