Q:自我や社会は数え切れないほどの罠に囲まれています。霊的な浄化はあまりにも困難そうですし、やる気がそがれてしまいます。障害が多すぎるのではありませんか?
【Q:自我や社会は数え切れないほどの罠に囲まれています。霊的な浄化はあまりにも困難そうですし、やる気がそがれてしまいます。障害が多すぎるのではありませんか?】
A:すべてに共通する解決策があります。単純に、すべての背後にある立ち位置や幻想、原動力を見抜くことです。そして、それらを明け渡すことです。そうすれば、問題に見える多くのことは崩壊します。よくある原動力や、自我が好むのは、快楽を求めることです。したがって、問題は、自己中心性や虚栄心そのものではなく、自我が虚栄心や独りよがり、成功、優越感などを表現するときに感じる快楽です。同様に、復讐心や憎しみが問題なのではなく、それを実行したときに得られる快楽や満足感が問題なのです。
無執着のレベルでは、欲望や期待、欲求を満たすことに煩わされることはありません。物理的な喜びは一過性のものとして、活動そのものから自然にわき起こり、たとえ中断されても突然奪われても、喪失感や失望感を味わうことはありません。というのも、一瞬一瞬が完璧で完結しているからです。これは音楽が止まったからといって、失望したり、不完全な経験として喪失感を感じたりしないのと同じことです。経験が継続しようと終了しようと関係ありません。すべては、内在する本質の表現として自然に起こります。何かを起こす”原因”となるようなものも人もありません。
たとえば、中東での争いに関わる兵士を観察していると、彼らがそこから途方もない満足感と快楽を得ていることが分かります。そして、終わりなき争いと暴力を生み出し続けています。彼らは相手を憎み、罰し、報復し、殺すことに密かな喜びを覚えます。優越感を抱き、自らを高潔な殉教者であると思うことができるからです。また、罪のない犠牲者になりすますために、攻撃を誘発することにも密かな快楽を覚えます。愛国心や誤った宗教的、民族主義的スローガンによって美化され正当化されるので、憎悪の念を持っていても何ら罪の意識はありません。
【Q:そのような激しい興奮や魅力、誘惑という”実りの多い”原動力の固まりを、どうすれば手放すことができるのでしょうか。】
A:さまざまな複合的原因に加えて、歴史の前例から、自我は争いを好み、それを蔓延させようとする一種の中毒状態に陥っています。社会的紛争に関わる人々の自我は、両サイドともに大きくなり、メディアが注目することによって余計に増長します。報道は、狂言主義者の火に油を注ぎ、自殺的攻撃という不条理極まりない行為にまで駆り立てます。これこそ”不条理劇”の骨頂と言えるでしょう。
あたかも平和が、このメロドラマと、その意識的、無意識的な恩恵を台無しにしてしまう脅威に見えます。平和はまた、争いに関係する無数の利益(お金、知名度、その他の価値など)や指導者にとっても脅威です。そのため、両サイドとともに分裂化を大事に進め、平和がゲームを脅かしそうになると、あわててどちらかが”常軌を逸した挑発”を引き合いに出し、お決まりの報復を呼びかける怒号を発するのです。こうしたメロドラマはすべて、騙されやすい一般大衆やメディアを食い物にし、終わりない惨劇の詳細を視覚に訴えることによって、感情を大いに刺激します。これもまた、センセーショナルな演出によって、民衆の感情を意図的に操作しているにすぎません。
幼児の亡骸と泣き叫ぶ母親という痛ましい映像は、効果的なものとして頻繁に登場します。メロドラマのシナリオはすべて大々的な操作であり、人々の感情に火をつけ、ドラマを過熱させるために設計されています。しかし、この芝居がかった大掛かりなトリックも、最後には自己破壊の道をたどります。というのも、内なる統合性を欠いているからです。
【Q:非常に詳細な説明、分析だったと思います。】
A:そうですね。今のは自我がどのように働くのか、大きな規模で説明したものですが、同じことを自我の密かな計画や物語にも当てはめることができます。自我が密かに抱いている願望は、外界のドラマと本質的に変わりありません。自我はぞっとするような快楽や満足感を、プライド、怒り、欲望、罪悪感、羞恥心といった非統合的な苦痛から得ています。苦痛から得る密かな快楽には中毒性があります。多くの人々は全生涯をそれに費やし、他の人もそれに倣うように勧めるのです。このメカニズムを停止させるには、快楽の正体をはっきりと認識し、それを進んで神に明け渡す決心をしなければなりません。自我は羞恥心から、その試みを顕在意識から閉め出します。特に、”犠牲者”のゲームを暗に演じているときはそうです。
絶え間ない惨事や疾病などの慢性的な被害者、犠牲者、殉教者があとを絶たないのは、同じような災害が繰り返されるからです。監獄も、犯罪常習犯であふれています。住民は、水が引いたらすぐに、洪水危険地帯に家を再建し始めます。また、火山地帯や地震断層の真上や、ハリケーンが通り過ぎた海辺、泥流地、ダム下流域にも家を建てます。危険な労働も労働者が不足することはありませんし、スカイダイビングなどの過激なスポーツも熱狂的なファンを欠かしません。数限りない登山家が山で命を落としたり、救助を要請したりしています。このように、ネガティブ性は快楽をもたらし、人はその中毒になります。自我のこうした奇跡から、人はリスクを冒し、身体や命を危険にさらすことに快楽と興奮を覚えます。自我にとって、恐怖がもたらす密かな快楽は魅力的であり、それを追求することによって、個人的な資質や価値が得られると思い込んでいるのです。
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Q:わたしたちはこうした悲劇をどのように防止することができるでしょうか?
A:従順と忠誠、献身は、唯一、神に向けるという霊的な真理を順守することです。心は真偽を見極めることができないので、この真理が唯一信頼できる安全な指針と言えるでしょう。
今日は、佐賀 鍋島藩の藩祖 鍋島直茂公 1538/4/12 KIN104の誕生日です。鍋島直茂公は、日峯さんの愛称で親しまれており、今日、明日は、佐嘉神社・松原神社で春の日峯さん祭りが開催されています。明日、15:30~ セカヘワ/SEKAHEWAで、初出演させていただきます。


非線形領域の霊的な真理を理解するのは当然の如く容易ではありませんが、情報は積み上げていってますので、ご活用ください。無償です。
