間違った大義名分を信じていませんか?従順と忠誠、献身は、唯一神に向けるという霊的な真理を遵守することです。
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大義名分
読み方:たいぎめいぶん
大義名分とは、大義名分の意味
大義名分とは、行動の根拠や口実を意味する四字熟語である。大義名分の「大義」には人として守るべき事柄、 重要な意義という意味がある。また、「名分」には立場、身分に応じて守らなければならない正しい道という意味がある。すなわち、「守るべき正しい道」を表す語である。
大義名分の語は、元々は儒教に由来する孔子の言葉で、主君への忠誠を重んじる言葉だった。王への敬意を表し、臣下としての守るべき節度やふるまいを表していた。今も残る、正しい道を歩むという意味に繋がっている。
英語では、原因を表す cause や正当な理由を表す good reason などが当てはまる。
大義名分の類語
大義名分の類語には、行動の根拠や口実を意味する「名目」「建前」などが挙げられる。例文としては「お見舞いという名目で都心に買い物に行く」のような使い方をする。また、守るべき正しい道を意味する「正義」「モラル」も類語として挙げることができる。例文は、「道端にたばこを捨てるなど人としてのモラルがなっていない」となる。
大義名分の例文
家族の体調不良を大義名分に仕事を早退する
家業を継ぐといえば退職の大義名分が立つ
大義名分の語は、上記のように建前という意味合いで使われたり、正当な理由という意味合いで使われることがある。大義名分は使い方によっては、良い意味にも悪い意味にもなる。表現によっては、言い逃れをしようとしている、言い訳をしているようにとられることもある。
『I<わたし>真実と主観性 デビッドRホーキンズ著』P308~P313
耳で聴いて学習
【Q:自我(エゴ)や社会は数え切れないほどの罠に囲まれています。霊的な浄化はあまりにも困難そうですし、やる気がそがれてしまいます。障害が多すぎるのではありませんか?】
A:すべてに共通する解決策があります。単純に、すべての背後にある立ち位置や幻想、原動力を見抜くことです。そして、それらを明け渡すことです。そうすれば、問題に見える多くのことは崩壊します。よくある原動力や、自我(エゴ)が好むのは、快楽を求めることです。したがって、問題は、自己中心性や虚栄心そのものではなく、自我(エゴ)が虚栄心や独りよがり、成功、優越感などを表現するときに感じる快楽です。同様に、復讐心や憎しみが問題なのではなく、それを実行したときに得られる快楽や満足感が問題なのです。
無執着のレベルでは、欲望や期待、欲求を満たすことに煩(わずら)わされることはありません。物理的な喜びは一過性のものとして、活動そのものから自然にわき起こり、たとえ中断されても突然奪われても、喪失感や失望感を味わうことはありません。というのも、一瞬一瞬が完璧で完結しているからです。これは音楽が止まったからといって、失望したり、不完全な経験として喪失感を感じたりしないのと同じことです。経験が継続しようと終了しようと関係ありません。すべては、内在する本質の表現として自然に起こります。何かを起こす”原因”となるようなものも人もありません。
たとえば、中東での争いに関わる兵士を観察していると、彼らがそこから途方もない満足感と快楽を得ていることが分かります。そして、終わりなき争いと暴力を生み出し続けています。彼らは相手を憎み、罰し、報復し、殺すことに密かな喜びを覚えます。優越感を抱き、自らを高潔な殉教者であると思うことができるからです。また、罪のない犠牲者になりすますために、攻撃を誘発することにも密かな快楽を覚えます。愛国心や誤った宗教的、民族主義的スローガンによって美化され正当化されるので、憎悪の念を持っていても何ら罪の意識はありません。
【Q:そのような激しい興奮や魅力、誘惑という”実りの多い”原動力の固まりを、どうすれば手放すことができるのでしょうか。】
A:さまざまな複合的原因に加えて、歴史の前例から、自我(エゴ)は争いを好み、それを蔓延させようとする一種の中毒状態に陥っています。社会的紛争に関わる人々の自我(エゴ)は、両サイドともに大きくなり、メディアが注目することによって余計に増長します。報道は、狂言主義者の火に油を注ぎ、自殺的攻撃という不条理極まりない行為にまで駆り立てます。これこそ”不条理劇”の骨頂と言えるでしょう。
あたかも平和が、このメロドラマと、その意識的、無意識的な恩恵を台無しにしてしまう脅威に見えます。平和はまた、争いに関係する無数の利益(お金、知名度、その他の価値など)や指導者にとっても脅威です。そのため、両サイドとともに分裂化を大事に進め、平和がゲームを脅かしそうになると、あわててどちらかが”常軌を逸した挑発”を引き合いに出し、お決まりの報復を呼びかける怒号を発するのです。こうしたメロドラマはすべて、騙されやすい一般大衆やメディアを食い物にし、終わりない惨劇の詳細を視覚に訴えることによって、感情を大いに刺激します。これもまた、センセーショナルな演出によって、民衆の感情を意図的に操作しているにすぎません。
幼児の亡骸と泣き叫ぶ母親という痛ましい映像は、効果的なものとして頻繁に登場します。メロドラマのシナリオはすべて大々的な操作であり、人々の感情に火をつけ、ドラマを過熱させるために設計されています。しかし、この芝居がかった大掛かりなトリックも、最後には自己破壊の道をたどります。というのも、内なる統合性を欠いているからです。
【Q:非常に詳細な説明、分析だったと思います。】
A:そうですね。今のは自我(エゴ)がどのように働くのか、大きな規模で説明したものですが、同じことを自我(エゴ)の密かな計画や物語にも当てはめることができます。自我(エゴ)が密かに抱いている願望は、外界のドラマと本質的に変わりありません。自我(エゴ)はぞっとするような快楽や満足感を、プライド、怒り、欲望、罪悪感、羞恥心といった非統合的な苦痛から得ています。苦痛から得る密かな快楽には中毒性があります。多くの人々は全生涯をそれに費やし、他の人もそれに倣(なら)うように勧めるのです。このメカニズムを停止させるには、快楽の正体をはっきりと認識し、それを進んで神に明け渡す決心をしなければなりません。自我(エゴ)は羞恥心から、その試みを顕在意識から閉め出します。特に、”犠牲者”のゲームを暗に演じているときはそうです。
絶え間ない惨事や疾病などの慢性的な被害者、犠牲者、殉教者があとを絶たないのは、同じような災害が繰り返されるからです。監獄も、犯罪常習犯であふれています。住民は、水が引いたらすぐに、洪水危険地帯に家を再建し始めます。また、火山地帯や地震断層の真上や、ハリケーンが通り過ぎた海辺、泥流地、ダム下流域にも家を建てます。危険な労働も労働者が不足することはありませんし、スカイダイビングなどの過激なスポーツも熱狂的なファンを欠かしません。数限りない登山家が山で命を落としたり、救助を要請したりしています。このように、ネガティブ性は快楽をもたらし、人はその中毒になります。自我(エゴ)のこうした奇跡から、人はリスクを冒し、身体や命を危険にさらすことに快楽と興奮を覚えます。自我(エゴ)にとって、恐怖がもたらす密かな快楽は魅力的であり、それを追求することによって、個人的な資質や価値が得られると思い込んでいるのです。
【Q:では、密かな快楽を得ないのであれば、自我(エゴ)のプログラムは継続しないということですね。】
A:それがまさに秘密の種明かしです。自我(エゴ)は、心地よい満足感という報酬を得ています。また、生き残るために非常に巧妙になりました。自我(エゴ)はどんなことでもしますし、自己欺瞞やカモフラージュも厭(いと)いません。わたしたちが見ている世界は、物質と時間という知覚の舞台で、自我(エゴ)の集団が演じるドラマにすぎないのです。
何世紀にもわたって、人間のドラマは、虚偽という非統合的なゲームから得られる密かな快楽の上に成り立つ感傷的な物語でした。けれども、長い間人間の意識レベルが200以下であったことがわかれば、それも納得がいきます。しかし、207まで上がった現在では、偽りのゲームもその仮面がはがされようとしています。現代まで人類には、真偽を識別するための最も基本的な能力さえありませんでした。人生という壮大な虚偽が、いま暴かれようとしています。
一九九〇年代の前半までは、世界人口の八十五%の自我(エゴ)は、ネガティブ性から利益を得、それを継続させていました。しかし二〇〇三年までに、そのすうじは七十八%まで落ちました。これは、真理が虚偽に取って代わっていることを意味しています。
【Q:ネガティブな虚偽のゲームは、自己永続的な性質を持っているのではないでしょうか?】
A:だからこそここまで広がり、続いているのです。ほとんどの人類は、大なり小なりそこから恩恵を受けています。自我(エゴ)の満足感は、人命や尊厳を守ることよりも、中毒性があって心地よいのです。例によって、数回の行進と煽動化(せんどうか)の仰々(ぎょうぎょう)しいレトリックに魅力的なスローガンを添えれば、すぐさま四千万人の観衆が飛びつき、自らを破壊し死に至らせるために行進するでしょう。民衆は自らの命を犠牲にするだけでなく、家や家族までをも巻き添えにするのです。
”大義のために死す”というのは、ハメルンの笛吹き男が盲目のネズミを崖まで誘導した際の誘いの言葉でした。不幸なことに、狂言者は自らを犠牲にするだけでなく、道連れをつくります。最近、ある女性革命家が、騒乱で殺された罪のない犠牲者に対して罪の意識を感じないのかと聞かれたところ、「残念なことに、大義には犠牲はつきものです」と答えました。しかし、この大義とはあくまでも、”彼女の”大義です。独裁者は誰でも、民衆がスローガンのために命を投げ出すことにこの上ない喜びを感じます。世界は未だに、本物のリーダーと誇大妄想にとらわれた独裁者、あるいは真の政治家と虚栄心の強い政治屋の区別をつけられないのです。
【Q:わたしたちはこうした悲劇をどのように防止することができるでしょうか?】
A:従順と忠誠、献身は、唯一、神に向けるという霊的な真理を遵守することです。心(マインド)は真偽を見極めることができないので、この真理が唯一信頼できる安全な指針と言えるでしょう。
【Q:何が世界の幻想を存続させているのですか?】
A:それは、政治にも精通しているカリスマ的なゲームプレイヤーたちが、利益や権力、特権、お金から得ている快楽です。そうしたプレイヤーたちは、民衆の自我(エゴ)を思いのままに操る方法を学び、幻想を作り続ける人間の無知を利用しているのです。また、最新のゲーム台であるメディアを操ることによってさらに力を得て、映像を通して視聴者を誘惑し、支配しています。メディアは、画面の背後に真実は必要ないということに気が付いています。いわゆる”非線形”(ここでは、前述のものとは異なる意味で使っています)のイメージ操作の技術は、人間の理性や知性を簡単に素通りし、邪魔されることなく大衆の心(マインド)をプログラミングすることができます。今では、真実かどうかは重要ではありません(最近の議論では、ある話題の対象が果たして実在しているのかという冗談さえ出ていました)。パブロフの条件付けによって、ナイーブな心はあっという間にプログラミングされ、プログラミングされたことにも気がつきません。非統合的な人間にとって、平和や誠実さ、思いやり、純粋さ、愛情は、単に利用すべきイメージにすぎません。近年最もよく使われる操作は歪曲です。映像は理性を素通りするので、それも可能なのです。
【Q:よく社会現象や歴史を話の例に挙げていますね。】
A:はい、社会現象や歴史は大変参考になるからです。社会とは、自我(エゴ)が集団的に活動する場です。わたしたちは、容易に社会を観察したり研究したりできますし、社会はまさに、自我(エゴ)が外界に反映された場であり、ドラマを繰り広げているところなのです。わたしたちは、”内面”よりも”外側”で犯された間違いについて、より簡単に気づくことができます。しかし、気づきと見識、慈愛をもって見ることで、同じ過ちを不必要な罪悪感や羞恥心を持つことなく、自分自身の内にも見ることができます。自我(エゴ)は、単に人間の条件にすぎません。それはある種の構造物であり、わたしたちがそれを”わたし”だと定義しないかぎり、個人的なものではないのです。
ここの文章を使って創ったショート動画です。↓
政治にも精通しているカリスマ的なゲームプレイヤーが、西側諸国のエリートです。そうしたプレイヤーたちは、民衆の自我(エゴ)を思いのままに操る方法を学び、幻想を作り続ける人間の無知を利用しているのです。
是非、プーチン大統領演説を、よく聴いてみてください。↓
人間は忘れる生き物ですので、しつこいぐらい繰り返し繰り返しが必要です。繰り返し繰り返し、愛と平和の啓蒙を楽しく喜びでやっていきましょう。
