【小説】〈隻翼の竜の書〉碧空の鷹 1
あらすじ
父を亡くし、ラルティウス公家に世継として引き取られた少年、シェイス。彼は、魔法戦士となることを望み、修行を続けていた。しかし、祖父であるラルティウス公ガイウスは、それを快く思わず、シェイスが魔導士となることを望んでいた。
ある日、館にガイウスの弟、シェイスの大叔父ティビウスが白鷹を連れて訪れる。その鷹の自由に焦がれる姿に己の境遇が重なり、シェイスは、鷹を空へと解き放ってしまう。
祖父はシェイスを厳しく罰した。しかし大叔父はシェイスの心情を察し、また彼が自ら責任を取ったことを認め、彼を許し、彼が魔法戦士になる修行を続けられるよう、兄に頼む。従妹イリスも、シェイスの心に寄り添い、彼の願いが叶うことを祈る。そのイリスの思いが、息も詰まりそうだったシェイスの胸に、羽ばたいていくための風を吹かせたのだった。
本作は、『霜夜の星』の外伝ですが、本作のみでもお読みいただけます。
シェイスがラルティウス家に引き取られて間もない頃のエピソードです。
全10話。
1 ラルティウスの新たな世継
涼気を孕んだ風が、緑濃い樹冠を渡っていく。その強い風は、高い木の梢近くの枝に腰を下ろしていた少年の長い銀の髪を、いささか手荒くなびかせた。けれども少年は、それを気に留める様子はなく、むしろ心地よげに、風のなすままにまかせていた。まだ日中の日差しは強い。それでも、この風には、確かに、秋の気配が含まれている。そして、空。
澄んだ木漏れ日に惹かれるように、少年は、木々の葉が織り成す帳の間から、空を透かし見た。空は、どこまでも高く、抜けるような青色に染まっていた。
その空を映す、より深い青色の少年の瞳が、不意に、僅かに見開かれた。視界の青を、何か白い影が、横切ったのだった。その影は、一度視界から消えた後、程なく戻ってきた。鳥だ。猛禽。鷹のように見えた。しかし、降り積もったばかりの雪のように白い。
――白鷹。
それは、この辺りには生息しない、このジディア王国全土においても希少な鷹だった。
その鷹を、少年は、かつて一度だけ目にしたことがあった。
鷹は、この辺りを旋回しているようだった。視界に入っては消える鷹の姿に目を凝らしながら、少年は、そのときのことを思い起こしていた。
四年前の盛夏のことである。午前の半ば頃に、狩猟用の白鷹を一羽引き連れた客人一行が、ラルティウス公の館を訪れた。客人、とはいっても、その一行は、ラルティウス公の身内だった。ラルティウス公ガイウスの弟、ティビウス。そして、その二人の孫息子である。
魔導士団副団長の座にあるティビウスの訪問の目的は、表向きは、ジディアの魔導士の双璧の一人と称えられる兄ガイウスの許での、魔法の研鑚のためということにされていたが、真の目的は、別にあった。一人の、子供だ。
その子供は、館の広間で、ラルティウス公一家とともに、ティビウスらを迎えた。その子供も、公家の一員――先頃、新たに公家に引き取られた子供だった。ただ引き取られたのではない。この子供は、ラルティウス公ガイウスの長子ガイスの、忘れ形見。即ち、この子供は、次代のラルティウス公となるべき者、ラルティウスの世継として、迎えられたのだった。
極めて美しい少年であると、聞いていた。際立った魔法の才を秘めているとも、いわれている。しかし、その子供の母親は、身元すら知れぬ、異国の女であったという。
子供の父親、ガイスは、政を嫌い、また、弟ラゼスの恋を成就させるため、アスラル公の助けを得て、ラルティウスを出奔した。その後、世界各地を巡る中、その女と出会い、結ばれ、子を設け、しばし隣国ミリスリィに身を落ち着けた。が、間もなくその妻を亡くし、やむを得ぬ事情により、二度と戻らぬつもりであった生国ジディアへ帰還し、アスラル公の許に身を寄せたのだという。そうしてアスラルで九年の歳月を過ごした後、ガイスは、暗殺された。そして遺された子供が、ラルティウス家へと引き取られたのだった。
今、眼前にいるその子供を、ティビウスは、品定めするように、仮借なく見据えた。
子供、少年は、怖じることも、動じることもなく、真っ直ぐに、静かな視線を返してきた。礼儀正しく、挨拶する。
「初めてお目にかかります、ティビウス大叔父上。シェイスと申します」
澄んだ水晶を思わせる声は、落ち着いていた。一礼した動作は、はっとするほど優雅で、洗練されていた。第一位貴族ラルティウス家の世継として、申し分のないものだ。
このような、自ずと気品の滲み出る、堂々たる振舞いは、一朝一夕で身につくものではない。権謀術数渦巻く貴族社会を厭い、ラルティウス家を去った甥ガイスは、しかし、息子には、一位貴族の者に相応しい教育を施していたというわけだった。
それにしても、なんと美しい少年であろうか。この少年の父親、ガイスも、端整な容姿をしていたが、その父親には、似ていない。おそらく、母親に似たのであろう。非の打ち所なく整った、中性的な顔立ち。しなやかに、すらりとのびる肢体。美の女神の寵愛を一身に集める子供がいるとするならば、まさしく彼こそが、その子供だろう。
このような子供は、そうそういるものではない。だが、ラルティウスには、もう一人、そのような子供が、いるのだった。
少年の隣に、同じ年頃の少女がいた。ジディア一の美貌の主と謳われる女性を母に持つその少女は、母親によく似ていた。いずれは、母親のように、その並ぶ者なき美を称えられることとなろう。
その美しい少女、イリスこそ、ガイウスの次子ラゼスの一人娘であり、ラルティウス家の、ラゼスに続く継承者と目されていたのだった。シェイスが、引き取られるまでは。今や、ラルティウス家の一位継承権を保持するのは、ラゼスではなく、シェイスだった。そして、ガイウスにより、シェイスは、将来、この少女、従妹にあたるイリスと婚姻し、二人でともにラルティウス家を継ぐものと定められていた。
この二人の少年少女と、ティビウスの孫息子のうち上の子、リティスは、同い年、九歳だった。自分が挨拶すべき順番が来てもそ知らぬ様子で、不躾な視線をイリスに向け、かつ尊大にシェイスを睨みつけているリティスを、ティビウスは、苛立たしげに見た。
「これ、リティス、そなたもシェイスに挨拶せぬか」
祖父に言われ、リティスは、いかにも不機嫌な口調で、小馬鹿にしたように、言い放った。
「リティスだ。再従兄殿。まさか、本当に、混血の親戚を持つことになるとはね。それも、本家の世継殿だなんて。実際に目にしても、まだ信じられない、いいや、信じたくない気分だな」
これ見よがしに、肩を竦める。
ティビウスは、思わず天を仰ぎたくなった。なんと無作法な、愚かな子供だろう。
この不器量な孫息子を、ティビウスは、好いていなかった。いったい、誰に似たものだろう。父親にも、母親にも似ていない。いや、容姿など、本来、大した問題ではない。何より、この孫息子の性質が、厭わしかった。それでも、息子は、それなりにこの子供を愛し、ゆくゆくはイリスと婚姻させ、本家の跡取りにできぬものかと、内心願っていた。
その父親の願いを、リティスも薄々察しており、いずれ美しい少女イリスを我がものとし、ラルティウス家を継がんとの野望を、その小さな胸に抱いていたのだった。だが、父子のその願望は、打ち砕かれた。まさに、眼前の少年の登場によって。
だから、リティスが面白からぬ様子であるのも、無理はない。しかし、公の場でこのように振舞うことは許されない。
ぴしりと、笞打つように、ティビウスは孫を叱りつけた。
「リティス! 無礼な口を利くでない」
祖父の錐のような視線に、渋々ながら、リティスは謝罪した。
「はい。申し訳ありません」
シェイスは、僅かに眉を上げたようだったが、それだけだった。答えた声は、冷静だった。
「いいえ、どうか、お気になさらず」
この年頃で、実に見事な自制心だった。ティビウスは、感心した。この少年の父親、ガイスも、忍耐強い子供であったことを思い出す。この少年は、案外、父親に似ているのかもしれない。
一方、リティスを見たイリスの藍色の瞳には、嫌悪と軽蔑が、ありありと浮かんでいた。彼女がリティスへと向ける眼差しは、いつも冷ややかだった。たとえシェイスが現れずとも、彼女の好意がリティスへと向けられることは、決してなかっただろう。
そして、二人の美しい子供の祖父、ガイウスの両眼にも、イリスと同様の、いや、さらに厳しい色が、滲んでいた。
「ティビウスよ。そなた、鷹狩などにうつつを抜かしておる暇があるならば、孫の教育をもっとしっかりしてはどうだ。その子供は、このままではラルティウスの恥となろう」
屈辱に、リティスの顔が、紅潮した。抗弁しようと、開きかけたその口は、しかし、大伯父の峻厳な目の前に、一言も発することなく、閉ざされた。
その様子に、ティビウスは、情けない気持になった。反省するそぶりがないばかりか、なんと肝の小さいことであろうか。苦々しい思いで、ティビウスは、兄の苦言を受け止めていた。兄の言は、正しい。たとえシェイスの存在がなかったとしても、兄がリティスをラルティウスの世継として迎えることは、決してないだろう。少なくとも、今のままでは、無理だ。
「仰せのとおりです、兄上。息子夫婦にも、よく言い聞かせます故、この場は、どうかお許しください」
ガイウスが頷いたところで、ティビウスは、気を取り直したように、まだ幼いもう一人の孫息子を見て、促した。
「さあ、そなたもシェイスに挨拶しなさい」
もじもじしながらも、幼い男の子は、一生懸命にまだ舌足らずの言葉を紡いだ。
「はじめまして、シェイスにいさま。ぼくは、メリウスです」
シェイスは、優しく微笑した。
「よろしく、メリウス」
イリスも、柔らかい表情で、メリウスを見ている。
メリウスは、嬉しそうに、ぱっと顔を輝かせた。
かねてより、メリウスはイリスに懐いており、イリスの方でも、この年少の再従弟を可愛がっていた。どうやら新たな世継、シェイスとも、メリウスは、うまくやっていけそうに見えた。ティビウスは、少々ほっとした。内気ではあるが、メリウスは、素直で、兄リティスのようなひねくれたところがない。顔立ちも、美しいとはいわぬまでも、母親に似てふっくらとして、愛嬌があり、愛らしい。リティスに期待できぬとあれば、この子に、家の未来を担ってもらうよりほか、ない。
そうして一通り挨拶がすむと、ティビウスは、早速、兄ガイウスと魔法の訓練用の部屋へと向かった。ほかの大人たちもそれぞれの務めに戻り、その間、イリスとシェイスが、リティスとメリウスとともに過ごすこととなった。ティビウスの鷹匠、キンマルスが、白い鷹とともに、子供たちの守り役として付き従った。
続く
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