手軽に書けるからといって、手軽に書いていいわけではない
書くの、もうやめよう。
そう思った瞬間は何度もある。上手い人の文章を読んだ時、記事が掲載されなかった時、書きたい企画が通らなかった時。つい忙しくなって、連続記録が止まってしまい、いつの間にか書かなくなってしまっていることもある。
今回もそうだ。藤原華さんという、日本一の編集者の本気を、
書くことのすごさを見せつけられたからだ。
これを読む前は、どこか心の中で、こんなにも書くことをやっている自分はすごいんじゃないか、という思いがあった。ライターとして書けているし、ライターと名乗ることですごいとどこか勘違いしていた。なんなら「副業はライターやっています!」と自分から名乗ってしまっている。
今すぐ消したい。
恥ずかしい。
今まで、文章を書くことは好きだった。だから、三日坊主を何回も繰り返しながら、書くことを続けている。
昔はmixiやアメブロに始まり、今はWordPressで自分のブログを作り、
noteでも書いているし、なんならメルマガも発信している。
書いていると楽しいと思える時があるから続けられていた。好きだからこそ、本業とは別に副業としてライターを選び、取材に行って話を聞いて記事にした。
記事が公開されると、いいねの数、コメントの有無、インプレッション数がいくつに伸びているのか確認するのが嬉しくて、それが書き続ける原動力、ガソリンになっていった。
もうレギュラーガソリンじゃ満足できずに、常にハイオク満タン状態!
起きてすぐにチェックし、歯磨き、通勤時間、立ち寄ったカフェ、始業前のちょっとした時間もスマホを触る。仕事中だってスマホを触る。読んでくれる人の反応が気になり絶えずチェックしている。トイレに入っている間、ご飯を食べている時も、手放せなくなっている。
ガソリンが無くなると補充し続けるように、つぎつぎにみんなの反応を欲していった。
もはや、承認欲求の依存症だ。
どこかでやめようと思っていても、何かを書いた後はその反応がどうなっているのか気になって仕方がない。どこかのタイミングでやめなくては思うのだが、同じことの繰り返しが止まらない。
手軽に書くことができるようになった時代が故の弊害、なのかもしれない。
でも、言葉を吐くたびに、自分の薄っぺらさをさらしているのに気づかなくなっている。そこに言葉の重みはあるのか。書くことによって、自分の文章が誰かに届くその時。発した言葉に責任を負えるのか。
そうではない、と分かってしまった瞬間、
自分の文章が
薄っぺらなのがわかってしまった。
慎重に書く言葉を選んで、書かなくてはいけない。そうなると、途端に書くことが止まってしまった。あれだけ書くことが好きだったのに、できなくなった。怖くなった。前に進まない。
いっそのこと、
AIに書くことを任せてみよう
とも思った。
今、AIがライティングの世界でも、すごい勢いで進化している。
確かにAIに任せてしまえば、どんな文字数だってあっという間に出来上がる。読みやすさだって覚えさせてしまえば、クリアできてきている。誤字脱字なんて少ないだろう。いろいろなことをAIに覚えさせてしまえば、自分と同じように書いてもらえる、
現代版ゴーストライターのできあがりだ。
それに、AIがやっている間に、他のことができるから、コスパの面ではいうまでもない。
でも、それって楽しいの?
確かに最先端の技術を使いこなして、出来上がりまでもっていくのは楽しいし、仕事で使いこなすようになれれば、いいのかもしれない。
手書きの感覚まで忘れてない?
パソコンで打つのもいいが、手書きの感触が楽しいのだ。この文章も始めは手書きから下書きを始めた。
手軽にパソコンで書く(打つ)前に、
この下書きが大事なのだ。

筆記用具、紙やノートを用意する。最初の一文字目をどうしようか、どこの位置から書き始めようか。思っているきれいな字が書けなかったり、大きさ、漢字のバランス配置はどうだろうか?
決してきれいな字ではないが、
そんなことを瞬時に
確かめるのが楽しいのだ。
筆記用具と紙がすれる音。とめ・はね・はらい。それぞれに音がする。文字を書いているときは、それらがオーケストラの楽器、弦楽器や木管楽器・金管楽器・打楽器、のように音を重ねてくれる。
少しの力の入れ具合で、同じ筆記用具でも、そのとき出てくる音は違う。
オーケストラの演奏会が同じものはふたつとないように、文字を書いているときの音も一期一会だ。
この音を聞きたくて書いている。
ペンで書いている時なんて、
消しゴムが使えないから、
間違えたらシャッシャッと線で消す。
あの瞬間も気持ちいい。
文字を手で味わいながら書く。
もう極上の料理よ。
書く道具が筆や鉛筆からパソコンへ変わり、今や音声やAIなどテクノロジーが書く時代を生きている私たち。
でもそれでは味わえない、「筆が進む」感覚を感じられるのは、手書きの特権でもある。
手書きがあるからこそ、
楽しくて書き続けられている。
それが、私が書く理由なのだ。《おわり》
