『2013年・福島での除染作業が教えてくれた、“絶望の中の希望”』― 航海四部作 第三章
これは、現役の船乗りである私が、10年前に“除染作業員”だった頃の記録です。
10年以上前、除染作業員として過ごした1ヶ月。その記憶が、波に揺られる今も、静かに胸に残っています。
※この体験は2013年2月当時の記録に基づきます。
WBCと聞いて、最初は野球の大会かと思った。
でも違った。
ホールボディカウンター(Whole Body Counter)―体内の放射線量を測定する検査。
除染作業員として、入社時と退職時に必ず受ける決まりだった。
きっかけは、ネット掲示板で見た求人。
「日給16,000円、寮あり、福島除染作業」
当時お金に困っていた自分には、これが一筋の光に見えた。
でも、現実は違った。
朝4時半に起き、草をむしるだけの日々
朝4時半に起き、簡単な朝食をとり、片道2時間の送迎車で現場へ。
ただ、自分は眠かったので朝食を食べずに出発していた。
寮長は「まあ、いいよ」と言ったが、内心では不満そうだった。
現場で待っていたのは――草むしりだった。
除染作業と聞いて防護服を想像していたが、実際は民家の庭の草むしりや表土のはぎ取り。
別の班では、チェンソーで木を切った後の丸太運びを担当していたところもある。
現場には、体力的に「当たり」と「外れ」がはっきり存在していた。
「外れ」の班に回されたのは、上から嫌われていたリーダーだった、そんな噂もあった。
10人暮らしの寮、風呂は争奪戦
住まいは、除染作業員専用の一軒家。10人以上が共同生活。
風呂は順番制で、誰かがドアをノックすれば、すぐに出なければならない。
作業着は自前ではなく、黒い作業服一式を1万円で購入(給料天引き)。
支給ではない。
安全のためだと言われれば、納得するしかなかった。
額面では日給16,000円だったが、寮費・食費として1日6,000円が差し引かれ、実質の支給額は1万円ほど。
社会保険には加入しておらず、月に26日働いても、手元に残るのは25万円程度だった。
しかも日曜日は休みだが、食事の提供はなかった。
つまり「ただの休み」であり、日給は当然発生しない。
「ここは刑務所かよ」と叫び、もめた夜
風呂の順番や生活ルールが厳しかった。
ある夜、つい「ここは刑務所かよ」と口にしてしまった。
それが寮内の料理人の怒りを買った。
「規律を乱すな!」
大喧嘩になり、空気は最悪に。
寮は“共同生活”ではなく、“集団管理”の場だった。
除染特需と、人夫出しの現実
地元の建設会社は、除染特需で売上が10倍になったという。
現場には新車の軽トラ、高級作業着。
誰が一番儲かっているのかは、何となく見えた。
寮にいた定年退職後のおじいさんが、ぼそっと言った。
「これ、人夫出しだよな。会社は、1人出せばいくらって仕組みだろうな。」
あの日、俺たちは『汚染』じゃなく『値札』で扱われてた。
除染現場で、俺の人生も『解体される木』と同じだと知った。
あの日、ドクターヘリが飛んだ
ある日、作業が突然ストップした。
正式な理由は告げられなかったが、死亡事故の噂が流れた。
ドクターヘリが現場に飛んできたのを、誰もが目撃していた。
翌朝から、作業員たちは次々に辞めていった。
僕もそのひとりだった。
「金を貸してくれ」と言われた夜
寮を出る前夜、同じ除染作業員の若い男から声をかけられた。
「少し金、貸してくれないか」
直感で分かった。返ってこないと。
だから、そっと首を横に振った。
彼は、笑ったような、泣いたような顔をして、それ以上何も言わなかった。
あの時「金を貸してくれ」と言った彼は、今どうしているんだろう。
僕は今でも、あのとき断った自分が正しかったのか、時々思い返す。
そして、WBC検査へ
退職後、郡山駅で待っていた社員に1万円を手渡した。作業着代だった。
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