頭の中の声─「リペアレンティング」と父親としてのあり方について考えた父の日の夜
「お前はダメだ」「だからお前はいつもそうだ」子どもの頃、父に言われた言葉が、いつのまにか自分の“内なる声”になっていた。でもある日、それに気づいた。そして変わり始めた。
ひとりで静かにしているとき、あなたの頭の中の声はどんなふうに話しかけてきますか?
「早くして!もっと頑張らないと!遅れてるよ!」
そんなふうに、急かしたり、不安をあおってきたりしませんか?
それとも、「大丈夫。ちゃんとやってるよ。よくここまできたね」
そんなふうに、やさしくて希望に満ちた声でしょうか?
失敗したときはどうですか?
「お前はダメだ。ほんとに役に立たない」
そんなふうに責め立ててきますか?
それとも、「うまくいかなかったね。でも大丈夫。ここからまた学べるよ」
と、励ましてくれる声でしょうか?
1. 父の日にふと思ったこと
先週の日曜日、父の日でしたね。
その日の夜、ふと、こんなことを考えていました。
「自分の頭の中の声って、いつから変わったんだろう?」
今の僕は、昔に比べて、ずっと穏やかで、やさしい声で自分と話せるようになりました。
それって、自分の内側の世界だけじゃなくて、人との関係や生き方全体にも影響している、大きな変化だったと思っています。
でも昔は、そんなふうじゃなかった。
むしろ、真逆でした。
僕の中にずっと響いていたのは、冷たくて、きびしくて、容赦のない声。
「お前はダメだ」「もっとやれ」「なにやってんだよ」
そんなふうに、いつもどこかで責められてるような感じがありました。
でもそれ、最初から“僕の声”だったわけじゃないんです。
あれは、誰かの声をそのまま、無意識のうちに引き継いでいたんだと思います。
2. 僕が育った“声”
僕の父は、体罰や暴言のある人でした。
イライラすると、手が出る。
うまくできなかったときは、「使えない」「怠け者」「どうしようもない」と怒鳴られる。
僕には、ADHDとアスペルガー(今でいう自閉スペクトラム症)があったんだと思います。
でもその頃は、誰にもわかってもらえなかった。
ただ、「落ち着きがない」「集中できない」「期待に応えられない子」と見られていた。
そして、そんな自分を「壊れている」「問題児だ」って、だんだん自分でも思い込んでいきました。
子どもって、自分を守るためのフィルターをまだ持っていません。
だから、大人の言葉や態度をそのまま吸い込んでしまうんです。
気がついたら、父の怒りの声が、僕の中の“自分の声”になっていました。
3. 父親になったけど、手本がなかった
自分が父親になったとき、正直すごく戸惑いました。
特に、いちばん上の娘とうまく関われなかったんです。
「どうすればいい父親になれるのか」
まったくわかりませんでした。
やさしくするって、どうやればいいのか。叱るときって、どう伝えればいいのか。
本を読んでも、どこか“作りもの”みたいに感じて、自然にできなかった。
特に彼女が思春期に入って、自分の意志や距離感を大事にするようになってきたとき、僕は完全に戸惑ってしまった。
気づけば、僕はまた“慣れたやり方”に戻っていました。
批判したり、コントロールしたり、黙り込んだり ―
まるで、父が僕にしていたように。
娘を傷つけてしまった。
そして僕自身も、すごく苦しかった。
そんなとき、やっと気づいたんです。
「まず、自分自身との関わり方を変えないと、子どもとの関わり方も変えられない」って。
なぜなら、僕が自分に向けていた言葉や態度 ―
それがそのまま、娘にも向かっていたからです。
4. “いない父親”が残したもの
でも、これは僕だけの話じゃありません。
日本でも、世界でも、似たようなことが起きているのを感じます。
産業化が進んで、「仕事=自分の価値」みたいな考え方が当たり前になって。
その流れで、多くの男性が“家庭から心を切り離す”ようになっていった。
「仕事が忙しいから」「家族のために働いてるから」
そんな言い訳で、子どもたちと向き合わないままになってしまった父親たち。
宗教の世界ですら、優しさよりも「支配やコントロール」を選ぶ男性たちも少なくなかった。
それって、実は彼ら自身も「ちゃんと愛された経験」がなかったからなんですよね。
本来、父親が果たすべき役割って、あたたかさ・導き・見守る力だと思うんです。
でもその姿を、僕たちはどこかで失ってしまった。
もちろん、男らしさの押しつけに対して、世の中が「それは違う」と声をあげたのは、とても大事なことでした。
でも同時に、「本当に健やかな父親像」まで見失ってしまったようにも感じます。
父親としての役割を放棄したり、暴力でしか関われなかった男性たち ―
彼らもまた、誰かに愛されることなく育ってしまった、傷ついた子どもだったのかもしれません。
父親がいない家庭、もしくは“いても心が不在”の家庭で育った子どもは、心のどこかにぽっかりと穴が空きます。
そしてそのままだと、その空白は次の世代へと、無意識のうちに受け継がれてしまう。
この「連鎖」を、どこかで断ち切らなきゃいけない。
僕はそう思うようになりました。
5. 父を“人間”として見たとき、初めて許せた
僕が変わり始めたきっかけのひとつは、心理カウンセリングやセラピーでした。
その中で、父のことを少しずつ別の角度から見るようになっていったんです。
それまでは、「怖い存在」「傷つけてきた人」としか思えなかった。
でも、カウンセラーとの対話の中で少しずつこう思うようになりました。
「あの人もまた、傷ついた子どもだったのかもしれない」と。
父もまた、自分の幼少期に暴力や無関心の中で育った人だった。
誰にも甘えられず、自分の感情をどう扱っていいのかも知らずに大人になった人。
もちろん、だからといって彼が僕にしてきたことが“正当化”されるわけじゃありません。
でも、僕は赦すことを選びました。
なぜなら、それが自分自身を自由にする道だったからです。
憎しみにとらわれたままだと、僕は一生その痛みの中から抜け出せない。
そして何より―
今でも、父を愛している気持ちが、どこかに残っていたから。
6. いい父親ってどんな人?
完璧な父親なんていません。
だけど、ここだけは外せないと思うことがあります。
いつでも“そこにいる”こと
見守る目線、ちょっとした声かけ、時間を共有すること。子どもは「あなたは大切だ」と感じたい。
守り、支え、導くこと
危ないときに手を差し伸べ、困ったときに背中を押し、迷ったときに手本を見せる。威圧ではなく、愛情をもって。
遊ぶ・聞く・教える・正す
一緒に笑い、一緒に泣き、自分で考えるヒントを与え、ときに優しく、ときに厳しく。でも常に「信じている」という土台の上で。
自分の在り方を示すこと
言葉ではなく、行動で。約束を守る姿勢、困難に立ち向かう姿勢、誠実に向き合う姿勢―――それが何よりの教えになる。
父親としての役割が欠けていると感じるとき、その穴は自信のなさや不安として子どもの心に残ります。
でも、こうした小さな行動や意識の積み重ねが、「自分は大丈夫だ」と思える安心感を育むのです。
7. “リペアレンティング”って何だろう?
大人になっても、私たちの心の中には、子どもの頃に親から聞かされた声が残っていたりします。
ずっと責められ続けてきた人は、自分にもそうやって話しかけてしまう。
何かに失敗したとき、落ち込んだとき、「だからお前はダメなんだよ」って、心のどこかで自分に言ってしまう。
でも、あるとき気づくんです。
「このままじゃ、ずっと自分を傷つけ続けることになる」って。
そこで僕が出会ったのが、「リペアレンティング(reparenting)」という考え方でした。
簡単に言うと、“自分の中に、新しい親を育てること”です。
子どものころにもらえなかったもの―――
やさしさ、理解、安心、そして健全な導き―――
それを、今の自分が、自分自身に与えてあげる。
たとえば、落ち込んだときにはこう言ってあげるんです。
「そっか、うまくいかなかったね。でも大丈夫。今はまだ途中だよ。またやり直せばいい。ちゃんと見てるから、一緒にがんばろうね。」
これは、ただ自分を甘やかすってことじゃありません。
厳しさの中にやさしさがある。導きの中に信頼がある。
そんな“親”を、自分の中に育てていくこと。
そしてその声が変わっていくと、まわりの人との関係も、少しずつ変わっていくんです。
家族も、子どもも、友人も。
あなたの中のあたたかい変化を、ちゃんと感じ取ってくれるようになります。
8. やさしい声を育てるには、“自己規律”が必要だった
リペアレンティングで「自分にやさしい声」をかけられるようになってきた。
でも実は、それだけじゃ足りなかったんです。
僕にとって、その“やさしい声”が本当に育っていったのは―――
自分を律しながら、やるべきことにちゃんと向き合ったときでした。
たとえば、楽な方に逃げたくなったときに、踏みとどまる。
怒りを爆発させそうなときに、深呼吸して抑える。
「今日は休んでもいいや」と思った日も、小さな行動を積み重ねる。
そういう日々の小さな選択の中で、だんだんと自分に対する信頼が生まれてきたんです。
たぶん、父親や男性としての役割って、「強さ」と「真実」に立つことだと思うんです。
でもそれは、人を支配する強さじゃなくて、自分を整える強さ。
その強さの源って、どこにあるんでしょう?
僕はこう思っています。
9. 男の中にある“野性”を、内側から手なずけるということ
どんな男の中にも、言葉にならない“野性”があると思うんです。
本能的な衝動、暴れたくなる衝動、欲望に流されそうになる衝動。
それが外に向くと ―
怒りっぽさ、浮気や依存、暴力、無関心、無責任。
そんな形で出てきてしまうこともある。
でもね、これは誰かに「抑えて!」と言われてどうにかなるものじゃない
自分自身の中で手なずけていくしかない。
だからこそ、自己規律って、単なる“我慢”じゃなくて、
「自分の力をちゃんと扱えるようになる訓練」だと思っています。
たとえば…
感情に飲まれそうになったとき、立ち止まって考える
パートナーに誠実でいようとする
子どもと約束したことをちゃんと守る
他人との約束だけじゃなく、自分との約束も大切にする
こういう積み重ねが、“自分って信頼できる”という感覚につながっていくんです。
そしてある日、ふと気づくんです。
自分の中の声が、変わってる。
「よくやったね」
「ちゃんとこらえたね」
「約束、守れたね」って。
誰にも見られてないところで、自分を裏切らなかった日。
そんな日に、少しずつ自分への“静かな自信”が育っていきます。
10. 静かな力―――日本と西洋、それぞれの“男らしさ”
この“自分を整える力”について考えるとき、文化のちがいって、実はすごく大きいと思います。
たとえば日本には、昔から「武士道」とか「宮本武蔵の教え」みたいに、静かな強さを重んじる伝統があります。
声を荒げたり、威張ったりすることじゃない。
むしろ、黙って自分を律する人こそ強いとされてきました。
「真の力は、表に出さないところにある」
そんな感覚が、日本の“男らしさ”にはずっとあったんじゃないでしょうか
一方、西洋でも最近「ストア哲学(Stoicism)」が見直されてきていて、
そこでもやっぱり、衝動をコントロールし、芯を持って生きることが大事にされています。
結局、どの文化でも本質は同じなんだと思います。
「自分をどう扱うか」が、その人の品格を決める。
大きな声で何かを主張するより、誰にも見られていないところで、自分をどう律するか。
それが、ほんとうの“強さ”なんだと思います。
11. 規律は“罰”じゃなくて、“自分を育てる訓練”だった
「自己規律」って聞くと、なんとなく「自分に厳しくしろ」とか「がまんしろ」っていう印象があるかもしれません。
でも本当は違うんです。
自己規律は、罰じゃない。訓練なんです。
ちゃんとした力を持ちたいなら、それを扱うための訓練がいる。
やさしさを本当の意味で発揮したいなら、自分をコントロールする力が必要になる。
そしてそれは、日々の小さな選択から育っていくもの。
たとえば:
カッとなったときに、怒りをぶつけずにひと呼吸おく
目の前の誘惑に負けず、自分の軸に立ち返る
パートナーとの約束をちゃんと守る
「今日は面倒だな」と思っても、やると決めたことを一つだけでもやる
こんなふうに、「今できる“正しい選択”を、目の前の一つずつで積み重ねる」。
それが、自分を尊敬できる土台になるんです。
そして、いつか心の中の声がこうささやくようになる。
「よく耐えたね」
「約束、守ったね」
「信頼できる自分でいられたね」
他人から認められるより先に、自分で自分を認められるようになること。
それこそが、本当の自信の始まりなんだと思います。
12. 本当の“父”と出会ったとき
最後に、個人的な話をさせてください。
僕はクリスチャンとして信じていることがあります。
それは ― この「内なる声」のいちばん深い源には、神という“父”の存在があるということです。
たとえそれに気づいていなかった時期があっても、 神はずっと、そばにいてくれた。
そう感じています。
残念ながら、日本では「キリスト教=厳しいルールや宗教的な義務」というイメージを持たれがちです。
でも、イエスが伝えた本当のメッセージはそうじゃありません。
中心にあるのは、“神は愛に満ちた父である”ということ。
遠くから裁くだけの存在ではなく、近くにいて、やさしく、見守ってくれる存在。
神は、世界のすべてを創られた方であり、 今もそれを、本来あるべき姿へと回復しようとしておられる方です。
そして、神はこの世界を、そして―――あなたを、深く愛している。
僕が静かに祈るとき、がんばることをいったん手放したとき、ふと、こんな声が聞こえてくる気がします。
「おまえは私の子だよ。 私は、おまえを誇りに思っている。 おまえは壊れてなんかいない。 私の大切な子だよ。」
13. 最後に:あなたの声は、変えられる
もし今、あなたの中の声がずっと厳しかったり、冷たかったりするなら――
それは永遠に続くものじゃないということを、どうか知っていてほしい。
その声は、変えられます。
少しずつ、自分との関係をやり直していけばいい。
ときには助けを借りながら、癒しと勇気と、ちょっとの神さまの力を借りながら。
あなたはひとりじゃない。
過去に何があっても、あなたにはやり直す力があります。
そしてその旅の先に、こんな声が聞こえてくるかもしれません。
「あなたは、愛されている。
もう大丈夫だよ」
