配慮?それともわがまま?
私は今わからないの中にいる。
先生に配慮を求めたのだけど、わがまま、親のエゴだっただろうか。
わからないから怒りもせず、反省もせずただただあいだにいて、時々こころがチクチクと痛む。
娘は学習障害がある。
英単語のつづりを覚えるのが難しく、繰り返し書くことでは覚えられない。
言語聴覚士の先生に教えてもらったフォニックスという規則に基づいて学習すると、最近少し覚えられるようになってきた。
また書くことも苦手でとても時間がかかる。
英単語の小テストの前にノートへの書き取り宿題が出されるのだが、1ページ書くのに40分以上かかる上に繰り返し書くことでは覚えない特性なので、意味がないと言いとても嫌がる。疲労感も強い。
そこで親子で話し合い、書くのに時間がかかり、たくさん書いても覚えることにつながらない特性があるので宿題の書き取りは1ページだけにしたいと提案した。
先生はすぐに「いいですよ!それで」
と言ってくれたけど、そのあと
「でもたくさん書いてきた子と評価は差をつけます」
と付け足した。
「ん?これでいいのか?」と一瞬頭がこんがらがる私。
先生は畳みかけるように
「評価はテストの点数だけじゃない。点数が取れない子もたくさん書いた宿題で評価されるようにしています。だからそこは平等に評価します。」
と言った。
それはその通り。
テストの点数以外にも頑張りを認める視点はあっていい。
でもこれって、英単語をノートに何ページも書いた子は評価されて(それは良い)、繰り返し書くのが辛く、またそれでは覚えられないと知りながら1ページ書く娘は評価されないということでは?
それは平等、というか公平なのか?
単純な宿題のページ数だけで「平等に」頑張りの量を測っているのでは?
私は結局混乱したまま「そ、そうですかね…」と電話を切った。
もちろんその後色々考えた。
書字障害で書くことでは覚えられない、書くのに時間がかかる。ここは配慮を求められるのではないのか。
でも私の考え通り宿題のページ数のみでの評価を公平でないとした場合、どのように評価するのがよいのか。
意味のないことを繰り返すのが苦痛というのはギフテッドの特徴と言われるが、ギフテッドは病気ではなく、この部分の配慮を求めるのは間違っているのか(娘はギフテッドの特徴があるとして心理士から学校に説明してもらっている)
何が正しいだろう。
何が間違っているだろう。
過保護な親だと思われたかな。
合理的配慮を履き違えた人、にはなりたくないのだけど…
娘には出来る分だけでいいよと話した。
彼女は1ページ分を、英単語書き取りの宿題が出されるタイミングを予測し、数日に分けて少しずつ書き進めておくことで解決するようだ。
それは間違いなく、彼女の『頑張り』だと思う。
