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竣と少女と周三のある暑い夏 ⑧


「お!助かるよ」

周三は軽く礼をいい、グビグビと水筒を飲み干した。飲み終えた周三は満面の笑みで水筒を太郎に返す。二人は自動車工場の気の合う同期だった。気さくに談笑する二人の姿はまるで青春映画の一コマのようだ。

 ある日、若い娘が事務職として工場へ就職した。容姿端麗で受け答えもハキハキとした、笑顔の素敵な美枝という娘だった。周三も太郎も一瞬にして美枝に惹かれた。しかし、恋愛ごとに奥手な二人は自分たちの気持を、友にも美枝にも伝えることが出来ず胸に秘めていた。沈黙のときは長くは続かなかった。最初に動いたのは太郎だった。太郎は周三に気持ちを打ち明けた。どうしても美枝が好きだということ、美枝と結婚したいということ、そしてそれを周三にも応援して欲しいということ。顔を真赤にしながらも、太郎はそれらをしっかりと周三に伝えた。周三は自分も娘を思っているということを太郎には伝えられなかった。成り行き上、周三は太郎の恋路を応援する立場になった。

 太郎の恋は叶わなかった。美枝は周三を選んだのだ。周三・美枝と太郎の間には冷たい空気が流れた。
 一年後、美枝と周三は結婚した。そして街の外れに小さな自動車修理工場を作った。周三夫婦と太郎はそれ以来疎遠になった。しばらくして、太郎も独立しその後結婚したと言う噂を耳にした。
 
 
 

「爺さんたち、知り合いなの?」

 周三は首を振りながら言った。

「さあな。大昔に知っていたかもな。」

理恵は、「やぶ蛇だったかしら?」と言わんばかりに肩をすぼめて母屋へに戻っていった。

竣は言った。

「爺さんたちが知り合いなら丁度いいや。オレ、明日から、またアイツを直すんだ」

「一人じゃ何も出来ないだろう」
と周三。

「オレ、何でもするから、じいさんも分からないところを手伝ってくれよ」

「何でもするって言ったな」

「ああ、何でもするよ」

「よし、それならお前はオレの弟子になれ」

「デシ?」

「そうだ。弟子になると約束したら、何でも教えてやる。一人前の修理工になりたいんだったら、オレの弟子になることだ」

 そう言う周三の目が生気に満ちている。
一人前の修理工になれるという言葉で竣は躍り上がった。

「わかった、弟子になるよ」

竣は、こんなにうれしいことはない、と言わんばかりに声を張り上げてそう言った。

「十年ぶりに弟子を取って鍛えてやる。」

 それは弟子を鍛えることで、自分自身の輝きを取り戻すことでもあった。周三もどこか嬉しそうだった。

 翌日から竣と周三の生活が始まった。
 竣はすぐにでもワーゲンバスの修理に取り掛かるつもりだったが、周三はそれを許さなかった。
 周三がまず言いつけたのは、身の回りのことだった。部屋の掃除に始まり、掃除、洗濯、窓拭き、庭の草むしり、屋根の修理に街へ出ての買い物…。

特に買い物は大変だった。
往きは自転車で山を下るので三十分で着くが、帰りは荷台いっぱいの荷物を積んで自転車を押して登ってこなければならない。休みながらの二時間半の道のりだった。

 竣は毎日、家事と片付けを山ほど言いつけられた。ワーゲンバスの修理どころか、工具ひとつ手にできない日が続く。せめてガレージに入りたいと思いうらめしそうにガレージを見つめる日が続いた。

ある日、

「そろそろ修理を始めさせてくれよ」と作業中の周三に言った。

「何でもすると言っただろう。それくらいで音をあげてどうする」

と叱咤の声が飛んでくる。

 かつての竣であれば不貞腐れて飛び出していたところだ。しかし今はワーゲンバスが待っている。それだけで耐えることができた。

 次第に家事や買い物の作業にも慣れてきた。
 始めた頃は要領も段取りも悪くて時間ばかりがかかっていたが、最近は段取りが格段によくなっていた。
朝一番で洗濯機を回し、洗濯機が動いている間に二人分の朝食をつくる。湯を沸かしている間に卵とパンを焼く。食事が終わるころ洗濯機から洗濯物をとりだし、干す。干している間に部屋の掃除をする。段取りを整えると仕事は速やかに進んでいくことを学んだ。

「ドライバーとレンチを貸してくれよ」

 ある日、竣が言った。周三が

「まだ車をいじるのは早い」

と拒絶した。竣が、

「ちがうよ、車じゃないんだ」

周三が理由を聞く。

「洗濯機がゴトゴトと変な音を立ててるから修理するんだ」と言う。

「もう十年近く使っているから軸がぶれてきたのだろう」

「だからオレが直してみるよ。中を見てみるから、工具を借してくれ」

 周三はそれを許すと、竣は洗濯機の分解を始めた。

軸の周りの支えが削れてしまってるんだ…。

 竣は原因を探り当てた。

「こりゃ。専門の部品を取り寄せるしかないだろう。それをするなら買い換えた方が安いかもしれん」

周三が諦めたように言う。

「うちのガレージで同じ部品を作れるよ。」

竣はグラインダーとボール盤を巧みに使いこなし、同じ部品を作り出した。

「これでしっかりと軸が固定されたぞ」

洗濯機のスイッチを入れてみた。
新品同様に静かな音で動くようになった。
周三は思わず唸った。
どこで覚えたのか知らんが、相当器用なヤツだ。
それからというもの、芝刈り機も扇風機も家にある機械類はみな、竣が直すようになった。


不思議なことがあった。
機械類を修理して、動作確認のスイッチを入れると必ず、数秒間スイッチランプやライトなどがジジジ…と点滅するのだ。まるで機械がお礼でも言っているかのように。その現象はどの機械でも同じ様に起こった。
その度に竣は首をかしげた。

やがて周三は、

「竣、そろそろ車をさわりたいだろう」

と、竣がガレージに入ることを許した。


 ほそぼそと再開した修理の仕事を手伝わせ、車の仕組みを基礎から叩き込みなおした。

 竣は次から次へと知識を吸収し、技術を身につけていった。
 周三はその吸収力に舌を巻いた。仕事に向かう手先の器用さ、段取りの整え方、すべてにおいて飲み込みが早く、それは天賦の物と言うよりほかないと思った。たったの数週間でかなりの仕事を竣に任せることができるようになった。

 周三はワーゲンバスの修理の許可も出した。周三が病院へ出かける午前中、竣は一人で太郎の工場へ行きワーゲンバスと格闘する。午後にはまた周三の弟子として働く。太郎の工場では、理恵の幼稚園児の男の子二人が竣によくなつき、一緒に遊んで遊んでとねだられた。

 竣は子どもたちにボルトとナットをいくつか与えたりして作業の脇で遊ばせながらなんとなく世話を焼いた。傍から見たらそれはまるで仲の良い3兄弟のようだった。
 理恵はその様子を微笑ましく見ていた。太郎も理恵と同じ思いだったようで、毎日竣の作業に顔を出しては、無愛想ながら一言二言アドバイスをして去っていった。

 赤いスカートの少女もたまに現れては子どもたちの相手をしてくれた。彼女が教えてくれる草笛や草で作る風車は子どもたちにはとても新鮮だった。子どもたちは少女にもなつき、とても楽しそうに遊んだ。そうやって少女が遊んでくれると竣も作業に没頭することが出来て助かった。ただ、理恵などの大人が居るときには彼女は顔を見せなかった。

 竣は次第に、太郎の工場の昼休みの食事にも呼ばれるようになった。太郎や佐々木さん、理恵夫婦や子どもたちと一緒に食事をしながら車のことや、子どもたちとの遊びのことを話すのはとても楽しかった。時には子どもたちと一緒に風呂に入ることもあった。子どもたちは、

「竣兄ちゃんと一緒にお風呂に入れる!」

と大喜びだった。そんな子どもたちとの時間は竣にとっても幸せな時間だった。誰を警戒することもなく、何を心配することもなく暖かな家庭にただ包まれるという経験は竣にとって初めてだったのだ。


 夜は周三と仕事をし、夜は専門書を読み、わからないところは模型の手入れをしている周三に質問した。夜は夜で竣にとって別の意味でとても楽しい時間だった。周三は質問されれば惜しみなく知識を披露し、竣はそれをしっかりと頭に叩き込む。二人はまるで、高校の部活の合宿のようなノリで夜遅くまで車の構造や修理技術について、和気あいあいと話をした。

 竣の苦手な電気系統の修理に入ると、周三もワーゲンバスの修理に顔を出すようになった。太郎と周三は、最初こそ気まずそうによそよそしくしていたが、竣や理恵の子どもたちが楽しそうに仲良くしているなかで、お互いに笑顔を交わすようになっていった。

 竣の一日は、すべての時間が充実していた。みんなが竣のことを受け入れてくれていた。周三も、太郎の工場のみんなも、全員が僕のことを僕がここに居てもいい、と思ってくれている。竣にとってこんなに楽しい日々は生まれてはじめてだったかもしれない。

 竣は改めてこれまでの虐げられた生活に思いを馳せた。施設では年上の者たちに、いじめられ、職員は見てみぬ振りをする。好物のおかずがでれば必ずと言っていいほど取り上げられ、せっかく集めたカードやお気に入りの洋服は必ずと言っていいほど盗まれた。
施設の職員は日常的に起こるトラブルを取り上げることもなく、竣はいつでも泣き寝入りしなければならなかった。
上級生の顔色を常にうかがいながらのビクビクした生活。表面上は子供同士で心を通わせているように見えても心の中ではいつでも孤独であった。自分を愛し、心から大切にしてくれる大人と出会ったことはない。当然、他人を愛するという経験もなく、愛情その言葉の本当の意味も分からない。
それに比べ今の生活ほど心が休まり、気もちが充実した生活はない。心を通わせることのできる相手がいるということが生きていくうえで大きな支えになることも知った。いつでも温かく心地よい布団に身体全体を包まれているような感覚。この生活がずっと続いてほしいと心から願っていた。

 周三の生活も一変した。
 これまでのように夜更かしすることもなくなった。部屋の中はきちんと整理され、生活の全てに秩序が与えられた。
 朝起きれば「おはよう」というあいさつが交わされ、それぞれの役割を果たすために働く。食事は一人でとるより二人でとる方が三倍美味しく感じる。

 まるで身体の中心に熱せられた芯が通ったような充実した気分だった。
竣の技術も日増しに上達してゆく。周三の受ける仕事を計画立てて竣と共に裁いていく。自ら車にもぐりこんで手を施すこともあったが、竣に任せることのできる修理も徐々に増えていった。

 竣は車の仕事に関しては記憶力が良い上に、手先の器用さも備わっていた。その上、仕事の段取りを整えることにも長けていた。
なによりも仕事に向かう姿勢が周三を喜ばせた。決して妥協を許さずに機械や部品と向き合う仕事振りは周三を満足させるのに十分であった。まるで生まれたばかりの雛が疑いもせずに親鳥についていくように、周三の言うことを全て吸収していった。

 そんな生活が続き、夏も終わりが近づいてきた。
周三は一日も休むことなく病院に通い、竣も一日も休むことなく働いた。それでも竣は不満や苦痛を感じることはなかった。自動車に向き合っていることは竣の生活の全てであり、それ以上望むことは何もなかった。

そんなある日のことだった。
いつものように昼すぎには見舞いから帰ってくる周三が帰ってこない。
竣はカップ麺をひとりで食べて、車の部品を磨いていた。
夕方近くになり、そろそろ竣が心配し始めたころ電話がなった。
「鈴木さんのお宅ですね。警察の者ですが、周三さんのことで…。大人の方いますか?」


(第9回に続く)

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森田 洋之 夕張に育ててもらった医師・医療経済ジャーナリスト。元夕張市立診療所院長として財政破綻・病院閉鎖の前後の夕張を研究。医局所属経験無し。医療は貧富の差なく誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」である!が信念なので基本的に情報は無償提供します。(サポートは大歓迎!^^)