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竣と少女と周三のある暑い夏 ③


翌朝、竣は目を覚ますとソファにいた。毛布が掛けられている。
窓際に干されている洗濯物の隙間からまぶしく朝日が差し込んでいた。

 どこにいるんだっけ?

 いつも寝起きしている施設のベットの中ではない。昨日のことを思い出してみる。

 万引きの実行犯をやらされたこと。警察官の丸太のように太い腕。そして赤いスカートの少女、雑然とした部屋、壁一面の車の模型…。
夢だったのか?

そう思ったとき、

「飯はそこにおいておいたぞ。オレは出かけてくる。あとは適当に片付けておけ」

 と、周三の声。

「うん」

 竣は思わず返事する。夢じゃなかった。
昨日の疲れで身体じゅうがカラカラに乾いている感じだ。目の端に並々と注がれたオレンジジュースが鮮やかに映る。

「模型にはさわるなよ」

「わかったよ」

と竣は答えた。

周三は出かけていった。
大人から何かを言われてこんなに素直に返事をしたのはいつ以来だろう。
見ると、膳の上にその一角だけ物が片付けられて、目玉焼きにトースト、それにまぶしく輝くようなオレンジジュースが整然と並べられていた。オレンジジュースに口をつけると気もちよく体に吸い込まれていく。
トーストを口へ運んだ。
バターの香りとトーストの甘さが口に広がる。貪るようにして平らげると、すぐに車の模型に意識が奪われた。
部屋の片隅に目をやる。
壁一面の車の模型。改めて心が躍る。

 さわるなよ、という周三の言葉が頭を掠めるが、きちんと狂いもなく並べられた一台一台の車は竣の心をわしづかみにし、周三の言葉を忘れさせるのに十分すぎた。
 真っ白に輝くマツダのコスモスポーツ。今では町中ですっかり見ることもなくなったそのデザインを竣の視線が舐めるように追う。
 フロントガラスの向こうには精密に作られたシートやハンドルが見える。ワイパーやマフラーなどの細部にもこだわった精密さ。
 竣の目が輝き、ため息が混じる。
 思わず一台を手にとってはそれに食い入る。
ヘッドライトもワイパーも全てが精密に作られている。
うっとりしながら舐め回すようにして観察する。

「すげーや…。あのじいさん、模型作りの天才だ…」

そう呟くと、そっと元に戻して、次の一台。それぞれの車が自らの個性をアピールするように竣に語りかける。飽くことなく次から次へと手にとっては食い入った。
時間がたつのも忘れて没頭していると。やがて玄関のドアが開く音がした。その音に竣は我に返る。
 急いで手にしていた青の日産センチュリーDを棚に返し、陳列棚から離れた。

「帰ったぞ」

 周三がまだ居たのかと言うような目をして竣を見た。

「今夏休みだし、オレもう少しここに居てもいいだろ」

 その言葉が思わず口をついた。
 この車の模型といっしょにいたい。その気もちが素直に言葉に出た。周三は、

「ふん、好きにするがいい。ただひとつここに居る間はオレの言うことを守ることだ」

 竣は頷いた。
 時刻は昼を回ったところだった。
 周三が二人分の昼食を作った。テーブルに並んだインスタント麺を食べる。その間も竣の心は車の模型のことでいっぱいで、チラチラと横目で模型の方を覗き込んでいた。
 それを察した周三がラーメンのどんぶりを片付けながら口を開いた。

「ボウズ、まさか、オレのいない間に模型を触ったりしてないだろうな」

 竣は反射的に首を振り、「触ってないよ」とわざとらしい笑顔をつくった。

 周三が陳列棚の車を調べる。
 竣の心臓がわずかに高鳴った。

「ばかモン!このくそガキが!」

 火山の噴火のような怒声が空気を揺らした。

「あれほどさわるなと言っただろう! ふざけたことしやがって!」

 烈火のごとく怒る周三の勢いに竣は驚き、言葉を失った。
 周三は白い手袋をはめ、専用の布で一台一台の車を拭いている。はぁと息を吹き欠けては労わるように竣の手垢を拭っていく。

「お前などこの家には置いておけん! すぐに出て行け!」

 有無を言わさぬその勢いに圧倒される。

「だから、子どもなど泊めたくないと言ったのだ!」

 竣は黙って周三の家を飛び出た。外は日が傾き始めていた。竣は外灯の光の下で途方に暮れていた。
すると外灯の光がジジジ…と音を立てながら何度か点滅した。
見ると外灯に下に例の少女がいた。赤のスカートが夕日に照らされてさらに濃く映る。

「やっちゃったのね」

 少女が笑っている。

「おじいさんはカッとなるタイプなの。怒ったときは手が付けられないから」

 竣は唖然として少女を見つめる。

「とりあえず今日は施設に帰った方がいいわ。またいつでも来られるんだし」

 少女に導かれて竣は歩いた。
 いくつもの知らない路地をとおり抜けて他人の庭の中を通りぬけていくと、覚えのある町に出た。

「じゃあ、またね」

 そう言うと少女は振り返り、また戻って行った。
 竣は施設に戻った。
施設の部屋へ戻る廊下で職員とすれ違った。軽く視線が交わされたがそれだけだった。無断外泊を咎められたりすることもない。
職員たちはトラブルが起こってもよほどのことでなければ見て見ぬ振りをする。子ども達の間でおこる諍いにも、いじめにも、いたずらにもできるだけかかわらない。面倒な仕事はできるだけ見なかったことにする。あたかもそれが施設の方針のようだった。
 小学校に行かなくても咎められることもほとんどない。学校の方でも、この施設の子供たちは面倒を起こすことが多く、そのうえ保護者がいないも同然であるため、親身に関わることは少なかった。
 子ども達によって物が壊されたり、けが人が出ればすぐに警察を呼ぶ。あとは警察任せだ。
 子ども達もそれを知っているので、警察沙汰にならない範囲でやりたい放題だ。
 竣と目が合った職員も、無断外泊などいちいち咎めていられないという雰囲気だった。

 竣はまた手触りのない日常に戻った。

 赤いスカートの少女のことも忘れかけていたある晩、夢に少女がまた出てきた。赤いスカートをゆらしながら、小走りに竣の方に近寄ってくる。

 そうか思い出したぞ。どこかで見た顔だと思ったら、あいつこれまでもオレの夢の中によく出てきたやつだ。

 少女は竣が困っているときやいじめられているときに夢に現れては、慰めたり苦しい状況を脱出する方法を教えてくれたりしたのだった。

「あなた、あの家にもう一度、行きたいのでしょう。周三じいさん、本当は優しい人なの。あなたを待っているわ」

 少女は、夢の中で例の家の行き方を丁寧に教えてくれた。

 竣は翌朝、少女が夢の中で言ったとおりの道を行ってみた。
 言われたとおりの場所にその家を見つけた。
 周三は家の前の作業場で車の修理の最中だった。
 顔も作業服も黒い油にまみれた格好で車の下から出てきた。

「なんだボウズ。また来たのか」

 竣は周三の様子を伺うようにしながら、

「言うことを聞けば、ここに居てもいいって言ったよな」

と言った。

「オレの言うことをきけるのか?」

「ああ、聞くよ」

 すらりとその言葉がでてきた。
 大人の言うことに素直に返事をすることに慣れていない竣にとってそれは、自分でも少し不思議な感覚だった。それでも意外なくらい滑らかにその言葉が口をついた。
 とにかくあのたくさんの車の模型を眺めたい。その一心だった。

「いま、コイツのドライブシャフトを交換しているところだ。もう少し待ってろ」

 周三がまた車の下にもぐりこんで作業を続ける。

「車の修理がじいさんの仕事なの?」

「ああ、そうだ!」

 車の下から面倒くさそうに答える。
 竣が開いているボンネットの中を覗き込む。

「さわるなよ。それにあんまり近づくな」

 周三が気配を察して叫んだ。

「オレも手伝っていいだろう」

 それを聞いて慌てて周三が車の下から出てきた。

「…手伝う?何度も言うがな、オレの仕事の邪魔をするな。子どもは離れていろ」

 竣が眼差しを強めて言う。

「オレだって昔、車の修理を手伝っていたことあるんだ」

 意外な言葉に周三は竣を見つめた。

「ほう」と品定めをするようにして、「やったことあるのか?」と聞いた。

「ああ。大抵のことはできるよ」

 自信たっぷりに答えた。
 
 竣が八歳のとき預けられた施設は、斜向かいに小さな車の修理工場があった。そこの社長は竣たちのような親のいない子どもに理解があり、温かく接してくれた。
 竣は人一倍、車が好きだった。始めは自動車の車種や年式を覚えることに明け暮れた。修理工場に運ばれる車の車種を聞いては、覚えていくと、そのうち町中に走っている車の車種は全て言えるようになった。
 毎日、学校から帰ると夕食の時間までは工場から離れることはなかった。
次第に修理工の若者からもかわいがられるようになった。ボルトやスプリングなどの小さな部品をもらったり、使い古した工具をもらったりしては、施設に持ち帰って自分のロッカーに大切に保管した。
 大人には滅多に心を許すことのない竣だったが、工場の職人達のいうことは何でも聞いた。一年も経つと職人達は竣を信頼し、雑用を頼むようになった。油まみれの工具を拭いたり、ねじやボルトを整理整頓したりといったこまごまとした仕事だ。竣は頭の回転が速く、下手な職人より、ずっと仕事の覚えが早かった。社長も給料を払う必要のない竣が工場に出入りすることを咎めることはなかった。それどころか食事や小遣いを与えることまであった。子どものいない社長には竣のことが我が子のようにかわいかったのだ。
 一年も経つとひと通りの車の基本的な仕組みは頭に入っていた。
 やがてワイパーのゴム交換やタイヤの交換などの簡単な修理は一人でできるようになり、さらに職人といっしょに車の下に潜り、職人の横で修理を手伝える様にまでになった。

「おまえもすっかり工場の一員だな」と社長は目を細めた。

「将来はうちの工場で働くか」と社長に言われるようになり、さらには竣を養子に、という話まで出はじめた。竣は十歳になっていた。

そんなある晩、社長夫妻が突然姿を消した。

(第4回に続く)


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森田 洋之 夕張に育ててもらった医師・医療経済ジャーナリスト。元夕張市立診療所院長として財政破綻・病院閉鎖の前後の夕張を研究。医局所属経験無し。医療は貧富の差なく誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」である!が信念なので基本的に情報は無償提供します。(サポートは大歓迎!^^)