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竣と少女と周三のある暑い夏 ②

 振り向くと老人が立っていた。

「いや、別に?」

 といって目を逸らすが、貧相で汚れた身なり、それに餓えた目つきを見て、老人が言った。

「腹、減ってるのか」

 竣は身構えた。警察の仲間かもしれない。
 逃げるか? そう思ったときだった。

「腹、減ってるなら何か喰っていけ。喰わなきゃ走れないぞ」

 待ってろ、と言い残し老人が一軒家の中に入っていった。
 どうやらこのジイさんも追っ手ではなさそうだ。竣にわずかな安堵の気もちが訪れると、たまらなく腹が減っていることに気がついた。
 昨日の朝から口にしたものと言えば水と少しのお菓子だけだ。施設での食事は油断をすると年長のもの達に召し上げられてしまう。昨日の昼飯と夕飯はカードゲームで負けて召し上がられたのだった。

 しばらくすると老人がカップ麺と握り飯を持ってきてくれた。
 竣はごくりと喉を鳴らすや否や、握り飯にかぶりついた。

「ずいぶん、腹が減っていたようだな」

腹が満たされると周りの景色が鮮やかに浮かんでくる。
見たことのない場所だった。
どれだけあの少女に導かれて走ったのだろう。
住宅街から大きく外れ開発から取り残された区域の中にぽつんと佇む一軒家。傍には修理中と思われる二台の自動車が見えた。

「まあ、入れ。きたないところだがな」

老人に促されて家に入る。

「うわ!」

 思わず竣の口から驚きの言葉が出た。老人の”きたないところ“という言葉の通り家の中は足の踏み場もない状態だったのだ。窓際は干された洗濯物で埋め尽くされ外の明かりも入らない。床は無造作に物が散らかっている。脱ぎっぱなしの服があちらこちらに落ちていて、中には季節はずれのコートもある。雑誌や本も床に散らばっている。テーブルの上には、食い散らかした弁当やビールの空き缶。何日分もの新聞が貯まっている。目立つのは、自動車関係の雑誌や本だ。それに模型の専門書。開かれたままの専門書が何冊もあたりに散らばっていた。
 台所には食べ終わったまま放置された椀や皿、ペットボトルやカップ麺の容器で埋まっている。あちらこちらにコンビニのレシートや病院の診察券や図書館のカードも散らばっている。

鈴木周三っていうのか。
 
竣は何気なくカードの名前を確認した。

ふと家の奥を見ると、他の空間とは別世界のように整然と整えられた一室があった。明かりがついているわけでもないのに、その部屋だけが光り輝いているように見えた。 
その部屋には、おびただしい数の車の模型があった。車の模型が壁の本棚一面に敷き詰められているのだ。

「こりゃすげーや!」

乱雑な家の中で、その空間だけはまるで対照的だった。厳しい規則に縛られるようにして徹底的に管理されているようだ。その秩序には強い意志のようなものを感じた。その家の全ての秩序がその空間に凝縮されており、あたかもその空間のためにその家はあるのかのようだ。
隅に作業机があり、作りかけの模型と専用の工具が見えた。模型用の工具もきちんと整頓されて並んでいる。
竣の目は陳列棚に釘付けになった。
竣がざっと数えただけでも300台はある。
20分の1のサイズの比較的大型のものからミニカーサイズのものまで、その空間だけは辺りの雑然さとは別世界であった。しかも一台一台、寸分の狂いもなく同じ方向を向いてきちんと並べられている。
竣の心は瞬時にしてその空間に吸いつけられた。そしてその一台一台を舐めるように眺めていった。
1970年代のスカイライン2000GTから、フェアレディZ―L、117クーペXE、コロナ・マークⅡの初期モデルに、カウンタックやランボルギーニといったスーパーカーもある。

「これ全部、じいさんのもの?」
 
竣が目を輝かせながら聞く。

「さわるなよ」

と周三はそっけない。
 
 中でも竣が好きなワーゲンバスタイプⅡや、フォルクスワーゲン・ビートル、フィアット500といった愛くるしい表情のタイプのものに心が吸い寄せられる。
以前暮らしていた施設の傍には自動車修理工場があり、竣は毎日そこに出入りしていた。
その工場の職人達は皆これらの旧タイプの車に夢中だったことを思いだす。
実用性を重視した飾り気のないデザインの中に、昭和の時代の自動車の文化を切り開いていった技術者たちの気もちが宿っているようだ。そう職人達が度々口にしていたものだ。その話を聞いているうちに竣も旧タイプの車に心を寄せるようになっていったのだった。
どれだけその自動車模型に見とれていたのだろうか。気がつくと、窓の外は日が沈んでいた。

「ずいぶん、車が好きなようだな」

「うん…」

と竣が上の空で言う。

「オレの趣味だ」

と周三が言った。竣はひととおり陳列棚を見終わると、

「ところでジイさん、こんな広い家に一人暮らしなの?」

と聞いた。

「まあ一人のようなものだ」

「それにしてもこの辺、何もないところだね」

 竣が思ったままのことを口にした。周三は黙っていた。

「しゃべる相手もいないよね」
 ずけずけと言った。

「買い物だって、お店がないし」

 周三が口を開いた。

「だから何だ。これでも電気も水道もあるんだ。買い物だって週に一回、街に出て買いだめすれば十分だ。話し相手だっているぞ」

「どこにいるの?」

「そこらじゅうに、草花や鳥達がいる。それに…」

「草や鳥に話しかけているのかい?」

「そうだ、ちゃんと耳を澄ませば返事が返ってくる。人間としゃべるよりはずっと楽しい」

 この人も自分と同じ、孤独の身なのだと思うと、妙に親近感が湧いてきた。
そのうち、疲労と興奮が竣の体の奥で拡がった。心地よいけだるさを感じるとすぐに眠りに吸い込まれていった。

「眠ってしまったようだな。」

周造は竣に毛布をかけた。修造の横にはいつの間にか赤いスカートの少女が立っていた。修造と少女は、竣の寝顔をいつまでも眺めていた。


(第3回に続く)

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森田 洋之 夕張に育ててもらった医師・医療経済ジャーナリスト。元夕張市立診療所院長として財政破綻・病院閉鎖の前後の夕張を研究。医局所属経験無し。医療は貧富の差なく誰にでも公平に提供されるべき「社会的共通資本」である!が信念なので基本的に情報は無償提供します。(サポートは大歓迎!^^)