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僕が家内に頭の上がらないわけ

僕の家内は,僕より5歳半年下です。大体女性の方が大人なので、同年代だと女性の方がしっかりしているものですが、僕ら夫婦はこれだけ歳の差がありますが、どうもやはり家内の方が精神的に上に立っています。

これは、台北で結婚をする際のいくつかの出来事が、諸々家内の指示通りに動かざるを得なかった、その経験に端を発しています。

台北で結婚式を挙行

僕らは、台北で一緒に生活を始めてから1年半後に結婚しました。生活の基盤は台北。僕は松山路の設計事務所で、家内は北投の不動産会社で働いていました。
その時点で、僕は台北で暮らし始めてまだ間もなく、中国語は何とか仕事の場では使えるようになりましたが、かえって日常のスモールトークになるとついていけないという状態でした。電話でのやりとりにも自信がなかった。

僕の家族と親戚は皆日本、家内の家族は皆屏東なので、結婚式と披露宴は台北で行うことにしました。家族と親戚は皆台北に呼び寄せるということになりました。
台湾で結婚する際には結婚写真を撮らなくてはならないということも、その時に初めて知りました。日本にはない習慣ですが、台湾では必ず結婚写真を手配しないと、結婚式の際のウエディングドレスが準備できないということでした。
結婚式は士林の法院(裁判所)で行うことにしました。合同結婚式という形式で、裁判官の前で結婚の宣誓をし、その場で結婚証明書を受け取るというものです。僕らの時は僕らを含めて3組のカップルが結婚の宣誓をしました。
披露宴の場所は、その頃の著名なホテルをいくつか調べて、圓山大飯店が価格的には安いので、そこにしました。
日本の家族は3泊4日で台湾にやってくるので、その間のホテルとレストランに観光バスの手配、アテンドする際の友人の協力も必要でした。
また、台湾ではあまりやらないのですが、日本式に結婚式でケーキカットを行うということで、その手配もしました。披露宴の会場には5段に積まれた巨大な本物のケーキが届けられました。(日本ではカットする部分だけがケーキらしいです。)
披露宴が終わって、家族を日本に送り返した後は、ハネムーンもあります。グアム島への4泊5日の旅を計画しました。

そして、ここにあげたイベントの手配は、全て家内がやったのです。結婚する時点で僕は30歳、家内は25歳。この30歳の新郎は、台湾ではまだ半人前で役に立たず、全てを新婦が仕切ることになりました。
これだけ諸々のイベントが重なると、仕事のできる人間でないと処理できないですね。ウェディングコンサルタントに相談すれば終わりというわけにいきませんでしたので、一つ一つ交渉相手を探して、注文を確認して手配をしないといけません。それを、25歳の家内に任せざるを得ませんでした。

僕がやったことと言えば、日本から来る家族と親戚の旅行の連絡と、この結婚式の後に東京で行った、日本の友人に家内を紹介するためのパーティーの準備だけでした。

家内は、大学生の時からアルバイトをやっていて、そこそこに社会経験はありましたが、基本的に仕事のできる、事務処理能力の高い人間だったのです。それで、自分の結婚式をほぼ全て自分でプロデュースして、セッティングしてしまいました

家族を見送った際のトラブル

この結婚式の際、もう一つ印象的な出来事がありました。

日本から来た僕の家族と親戚は総勢14名になっていました。台北滞在中の食事と観光は無事に済みました。宿泊は披露宴を催した圓山大飯店で、皆満足していました。

僕らはハネムーンの1日前に、彼らをバスに乗せて桃園国際空港(昔は蒋介石国際空港と言っていましたね。)に送り届けました。出国手続きをしようとした時に、親戚のうち2人が荷物の一部が手元にないことに気がつきました。バスに乗る時に、ホテルのスタッフがバスに荷物を乗せてくれたものと思い込んでいたのです。
この事態に、親戚の中では比較的海外慣れした叔父が、僕に彼ら2人を連れてタクシーでホテルまで戻るようにと指示しました。出発までまだ2時間半あるのでそれで間に合うという判断だったのでしょう。

しかし、それに家内がストップをかけましたホテルに電話をして、スタッフに荷物を探させて空港まで届けさせるというのです。そして、携帯電話でホテルに連絡をしました。
親戚から日本語で荷物の様子を聞き出して、それをホテルのスタッフに中国語で伝えます。ホテルの方から、荷物を発見したと連絡があり、すぐに届けると伝えてきました。
そして約40分後、親戚2人の荷物は無事に手元に届きました。ホテルのスタッフには交通費とプラスαでチップを渡しました。家内の機転で、荷物を運ぶ時間は往復ではなく,片道で済みました。

この時、僕は叔父さんがそのように言うなら、そのまま彼の言う通りに動いていたと思います。時間的には、或いは間に合ったかもしれません。しかし、家内の判断の方がより合理的だったと思います。叔父は僕より15歳上だったので45歳、僕は30歳、家内は25歳です。それだけ歳が離れていたら、その時の僕では、叔父の指示のままに動いたに違いありません。この叔父は、父の兄弟の中では出世頭で、会社の経営者でもありました。

しかし、家内は違いました。相手が年上であろうが、男性であろうが、社長であろうが、自分でそれがより良い方法であると思えば、それを伝えて実行するのです。これは、我が家の母親ではあり得なかったことです。
我が家の両親は、亭主関白に近い夫婦関係でした。ほとんどの重要事項は父親が決めていました。年の差が9歳。父親が大卒の電気技師で会社社長であるのに対し、母親は高卒でほとんど専業主婦だったという社会経験の差もあったかもしれません。

しかし、家内は違いました。自分で意見があればそれを主張するのです。女性であることに物怖じはしません。このことは,台湾の設計事務所で勤めていたので、薄々感じてはいたのですが、自分の身近に起こって、自分とは違った判断を示され、どうもその方が正しかったと腑に落ちた時に、台湾の女性に対する見方が変わりました。
性別に関係なく、主張すべきところは主張し、受け入れるべきところは受け入れる。日本と比べるととてもフラットに男女関係、そして上下関係があるということです。

自分で考えることの大切さ

翻って考えると、僕はそれまで組織の中で、或いは友人や家族関係の中で、年功序列や男女関係の中で、物事を決めるのは誰か特定の人物で、それが自分でなければ判断はその人物に預けると考えていたように思います。そして,その判断の良し悪しについてはあまり議論はしない。

家内が、このトラブルの際に自分の考えを主張できたのは、恐らくそれに似た対応をした経験があったからだとは思います。また、中国語でコミュニケーションができるので、電話で処理することも可能でした。日本人の集団でガイドがいなかったら、直接ホテルに戻るのが最適な対応だったかもしれません。
しかし、これが日本の社会であったら、20歳も年上の叔父さんの判断に水を差して、自分で処理をしたかどうかと考えると、殊更に口を出さなかったのではないかと思います。

この様なことがあって以降、僕はあらためて家内の判断を尊重するようになりました。そして、台湾の女性をそのように見るということが、今の台湾での仕事にも役に立っているように思います。

日本の社会が男性主導になっているのに対し、台湾はそうではありません。女性の社会進出が進み、組織のリーダーに女性がなっている場合も少なくありません。その環境を受け入れやすいメンタリティーが、この結婚式の時にできたように思います。

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