【小説】初華 死刑を求刑された少女 ~第四章~ (4)
(4)
「皆様お忙しい中、ご足労いただきありがとうございます」
法服の袖を侍のような仕草でにさっと後ろに払うと、裁判長は顎を引いて頭を下げた。頭髪は白髪が大部分を占めていたが、それほどの高齢には見えなかった。肌艶もよく、黒く染めれば四十代なかばか、後半くらいに見えるだろう。
そういう体質なのか、それとも裁判官という職務が過酷を極めた末の結果なのか。肉体的にはそうではなくても、精神的に相当な負担を強いられるのは予想に難くなかった。なにせ、人の人生を左右する大変な仕事だ。たかが一主婦である私には到底つとまらない職業であることは間違いなかった。それに、今回の未成年少女の刑事裁判は過酷どころの話ではなく、出来ることならすべてを投げ打って逃げ出したくなるほどではないだろうか。
しかし、裁判を取り仕切る最高責任者としてそういう訳にもいかないのだろう。
職務を全うしようとする強い意志が瞳に宿ってはいるものの、顔には明らかな疲労の色が窺えた。
「それでは、被告人阿久津初華の評議を再開します」
裁判長が告げると、評議室の空気が硬くなった。
私の隣には、スーツ姿の男が神妙な面持ちで組んだ両手を見つめていた。名前は確か久保といった。その隣には眉間に皺を寄せた恰幅の良い老人の斎藤、そして税務署で働いているという女性職員の金持(かねじ)。デザイナーの阿部という女性にフリーランスの佐々木という男性が座っていた。
今回、阿久津初華が起こした連続殺人事件についての説明を聞いたとき、課す量刑について複雑な判断を迫られる事件であることがわかった。争点になったのは、5人を殺害した日時だった。寺塚莉緒と望月陽葵を殺害したのは7月6日の日中だったが、楠田心尊とその両親を殺害したのはその翌日の7月7日の未明だった。
問題となったのは、阿久津初華の誕生日が7月7日ということだった。となると、寺塚莉緒と望月陽葵を殺害したときは17歳で、楠田一家を殺害したときは18歳ということになる。少年法では、18歳未満の未成年が死刑に相当する事件を起こしても死刑とはならず、無期懲役の判決が下されるのだという。
阿久津初華の出生時間は7月7日午前2時15分だったが、年齢計算ニ関スル法律によれば、年齢は出生時間ではなく、出生日から起算するということなので、7月7日の午前0時になった時点で阿久津初華は18歳になったということになる。
もし、誕生日が7月7日以降で楠田一家殺害時も17歳であったのならば、阿久津初華に下される判決は一番重いもので無期懲役ということになるが、放火の時点で18歳になっているので、さらに重い刑罰を下すことができる。死刑だ。
彼女が犯した罪は、寺塚莉緒と望月陽葵の一件がなくとも楠田一家放火殺人だけで十分に極刑のレベルだった。極刑のレベルではあるが、被告人が事件当時18歳の少女であるということが、みんなの頭を悩ませていた。裁判員に選出されることを拒否した人の気持ちもわかる気がする。
「被告人に課す刑について評議する前に、復習という訳ではないですが、あらためて第二回目の公判についての感想をお聞かせ願いたいと思います。発言は、どなたからでも結構です」
裁判長がそう言って視線を巡らせた。
「感想と言うか、彼女についての心証はみなさん大体同じなのでは?」
すこしの沈黙のあと、最初に口を開いたのはフリーランスの佐々木だった。
佐々木の発言にまわりから唸る声がもれた。
「それって、裁判の終わりでの出来事のことですよね……?」
おずおずと口を開いたのは税務署職員の金持だった。20代前半だろうか。今風の淡い栗毛色に髪を染めてシュシュで束ねている。男性が好みそうな顔立ちと柔らかい物腰だ。確か、金持潤子(かねじじゅんこ)という名前だった。なんとも縁起のよさそうな名前だ。
「あの大暴れにはびっくりしましたよ! 度肝を抜かれちゃいました。美人が怒るとおっかないというのは、まさしく本当だったんですね」
重い雰囲気の中、つとめて明るく話すのはデザイナーの阿部だった。彼女も結構な美人だと思うのだけれど。
「ちょっと、普通な感じではありませんでしたね。『キレる』って言うんですか? それにしても、5人を殺害しておきながらあの態度は、ちょっとありえないかなとは思いました」
「ありえないどころじゃないよ。完全にイカレちまってる。ガキに調子づかせるから、こんなことになっちまったんだ。あのガキだけの責任じゃない。ガキの家族全員の責任だよ」
穏やかに話すサラリーマンの久保に鼻息を荒くしたのは老人の斎藤だった。底意地の悪そうな感じが顔に張り付いている。斎藤の言葉に私は耳が痛かった。
「斎藤さん、過激な発言は控えるようにお願いいたします」
裁判長に注意された斎藤は「フン」と鳴らして不服そうに目を背けた。
「えっと、その」
いつものように発言しそびれた私が声を絞りだすと、みんなの視線が一斉に突き刺さった。なんだか、「お前に発言権はない」と言われているような気がして居心地が悪かった。
「大丈夫ですよ。涌田さん。なんでもおっしゃってください」
裁判長が穏やかな笑顔を浮かべてうなずいた。
許しを得たような気がした私は、ほっと息をついた。
「確かに、最後の彼女の様子にはびっくりしましたけど、なんといったらいいのか、あれが本当の彼女の姿ではないと思うんですよね」
「ふん、そんなワケあるかい。人ってのはさ、プッツンしたときに本性が現れるもんさね。だけど、それを理性で抑えるのが人の本来あるべき姿だ。それを制御できないのは、どっかおかしいのよ」
〝どっか〟を強調しながら斎藤はこめかみを人差し指でとんとんと叩いた。
「ましてや5人も殺したなんて正気の沙汰じゃない。アンタだって、ビビって泣いてただろうが」
「そ、それは確かにそのとおりですけど」
斎藤に勢いよくたたみかけられて、私は思わず背中を丸めた。
「斎藤さん」と裁判長がため息まじりに名前を呼ぶと「あーはいはい」といって斎藤は肩をすくめた。もう一度ため息をついた裁判長は、視線を私に戻した。
「涌田さん。あれが彼女の本来の姿ではないとおっしゃいましたね。なぜ、そう思ったのですか?」
「それは……」
なぜ、そう思ったのだろうか。
感情、理性……プッツン、「怒り」そう。「怒り」だ。
「それは、あの子が激しく怒っていたからです」
「ほう」
裁判長は興味深いという風に目を見開いた。
「怒りの感情は、人が持っている感情の中で一番強く、そして一番エネルギーを消耗します。そして、怒りの持続時間は2時間で、そのピークは6秒間と言われています。だからそう考えると怒りという感情は一時的なものであって、強い怒りは正確な判断能力を妨げます。だから」
そこまで話し終えると、みんなが物音ひとつ立てず私に注目しているので、また気恥ずかしさが首をもたげてきた。
「どうしました? 続けてください」
裁判長が先ほどと変わらない笑顔で続きを促した。
「だから、あの時の彼女は怒りの感情にのまれてしまって、冷静な判断ができなかったのかもと、そう思いました。えっと、そう本で読んだもので」
早口で喋り終えた私は、お辞儀をして座った。ここから先は貝になろうと思った。
「私も、涌田さんの意見に一理あると思います」
裁判長がそういうと、斎藤がジロリと睨んできた。私は顎を引いて視線をそらした。その様子に気づいていない斎藤以外の4人は裁判長に注目した。
「私もいくつもの裁判を執り行ってきましたが、正直に申しまして、あそこまで激しい怒りの感情を露わにした被告人は、これまで見たことがありません」
裁判長がじっと睨んでいることに気がついた斎藤は、慌てて裁判長に向き直った。
「感情のコントロールが不安定なのも、まさしく未熟なために致し方ないところもあるのではないかとも感じておりました。閉廷間際のあの騒ぎも、一時の激情に任せ、本当はああするつもりではなかったと、拘置所に戻ってから後悔しているというのもあり得ます」
裁判長はそこでいったん言葉を切ると、ひとりずつ顔を確認するようにゆっくりと見渡した。
「確かにそう言われてみればそうかも」
ぽつりと口を開いたのは金持だった。
「私も怒っているときって、その感情に支配されてるっていうか、何も考えられなくなることがありました」
金持の言葉に皆うなずいていた。斎藤以外は。
「であるならば当然ではありますが、閉廷間際の騒ぎだけでは量刑を評議する材料とはなり得ません。ですので、あの騒ぎだけで判断はせず、審理した内容を踏まえて被告人に与える刑について評議したいと思います」
裁判長の言葉で場の空気がさらに重くなった。被告人に与える罰をみんなで話し合って決める。ただそれだけの事なのだけれど、事件の内容があまりにも重すぎた。しかも、罰を受ける人間は現在19歳の少女だ。万引きをしたとか、援助交際をしたとか、そんな次元の話ではない。人を5人も殺害しているのだ。しかも衝動的な殺人ではなく、計画殺人で。彼女の罪は、殺人罪、死体遺棄罪、現住建造物等放火罪など目を覆いたくなるようなものばかりだった。
生き埋めにされた遺体の写真を見せられたときには全員、血の気が引いた。阿部はすぐさまトイレへと駆け込んだ。金持もそれに続いた。私も吐き気を催したけれど、何とか堪えた。久保は顔が青ざめていた。佐々木も、斎藤でさえ目を背けていた。
発見が早かったから、これでも損傷は軽い方だと裁判長は話していた。何が恐ろしいのかって、損傷した遺体の見た目も確かにそうだが、元は同じ人間のはずなのに、見た目が変わったというだけで嫌悪する対象になるという事実が私にはショックだった。
犬の死体を見た犬が気分を害して吐くことがあるだろうか? 被害者に対して、土下座して詫びたくなるくらいに申し訳ない気持ちになった。しかし、遺体を見て嫌悪感を抱くからこそ、殺人はいけないことなのだと、本能的に受けとめるのだろう。人とはなんて完全で不完全な生き物なのだろうと思った。
正直、その時の私は裁判員を引き受けたことを激しく後悔していたが、今となってはそんな気持ちは消え失せていた。それはおそらく、ここにいる皆がそうだと思う。もし後悔しているのなら、写真を見た時点で裁判員を辞退しているはずだ。乗りかかった船、ではないが、最後までこの事件を見届けたいというのが全員の気持ちだった。
なぜ未成年の少女が5人もの人間を殺害したのか。
自殺をした親友のカタキを討ったのだと彼女は裁判で話していたけれど、どこか曖昧な感じが拭えなかった。いじめを苦にして親友が自殺したという割に、肝心の「いじめ」の内容がいまいち掴めなかった。3人が無理やり一桜を従わせて下校していたとか、一桜が嫌がっているのに苦手な倒立回転の練習をさせていたとか、どれも「いじめ」とよぶには首を傾げるものばかりだった。
そもそも、櫻木一桜は彼女の勧めで新体操部に入部したのではなかったか。倒立回転が新体操をやる上でどれほど重要な要素なのかはわからないが、それは新体操をやる上では必要なことではないのか。ならば、多少嫌がっても克服させてやるのが彼女のためでもあるのではないだろうか。嫌がっている彼女にその練習を強制的にやらせたとして、それを「いじめ」と捉えるのは如何なものだろうか。
その場にいた裁判員たちは全員首を傾げていた。「いじめ」というものは、もっと陰湿で嫌悪感を抱かせるものを想像していたからだ。
思いつく限りでの典型的ないじめで言えば無視をするとか、陰口を言うとか。過激になってくると物を隠したり、捨てたり、壊したりなど。今は暴力による身体的苦痛を与えるいじめよりも、精神的に追い詰めるいじめが横行しているようだった。スマホのSNSを使ってのいじめが、今では多いのだろう。しかし、それもなさそうな感じだった。
裁判員は被告人に質問をしてもよいと聞いていたので、初公判のときに阿久津初華に質問をしたことがある。内容は気になった部分をそのまま尋ねてみた。
『えっと、その、阿久津さん』
『なんでしょうか』
彼女は瞼を開けると、まっすぐ私を見つめ返してきた。綺麗な瞳だと思った。しかし、それと同時にすごく冷め切った眼だとも感じた。一瞬たじろいだが、質問した以上、途中でやめるわけにもいかないので続けることにした。
『気を悪くしたらごめんなさいね。その、お友達の一桜さん、でしたか。同じ部活のお仲間にいじめられていたとおっしゃられていましたけれど、えっと、それは本当のことなのでしょうか?』
私が問いかけると、彼女の眼が一回り膨らんだような気がした。
『それはどういう意味ですか?』
『いえね、私どもが知っているいじめというのは、その、物を隠されたりだとか、無視されているとか、部活でのいじめなら……そう、部活道具が壊されたりとか、そういうのを想像していたのですけれど』
『……』
細められた彼女の冷たい視線は、私を通り越して遥か遠くを見つめているようだった。
『いえ、そういうのはなかったですけど』
そう言った彼女の視点は私へと戻っていた。もう少し質問をしたかったのだが、彼女の冷たい瞳に気圧された私は、それ以上質問を続けることができなかった。
一回目の公判が終わり、休憩を挟んでから評議室でこの日の裁判についての評議が行われた。
まずは初公判お疲れさまでしたと裁判長が労った。
『さて、今日の初公判ですが、なにか気になる点はありませんでしたか?』
裁判長が問いかけると皆は腕を組んで唸った。
『櫻木一桜へのいじめ……でしょうか」
私がぽつりと言うと皆も同じ考えだったのか、一様にうなずいた。
『検察の人も言ってましたもんね! 一桜ちゃんに対してのいじめは確認できなかったって』
『それでも彼女は〝一桜はいじめを受けていました〟と言い続けていたな。真実はどっちなのだろうか』
『どっちだろうと構わんよ。5人を殺したことに変わりゃしないんだから。それにやったことは認めてるんだからいまさら追及するべきことでもないと思うがね』
『ちょっと斎藤さん、これって評議に大事なことなんじゃないですか?』
『しかし理由はどうあれ5人を殺したことに変わりはないし、自殺がどうとか、今注目する必要があるんでしょうか』
それぞれが自分の意見を述べた。確かに、櫻木一桜は本当にいじめが原因で自殺をしたのかどうかは重要ではない気がする。遺書を残していたわけでもないようだし、家庭に問題もなかったようだ。彼女の両親も、娘がなぜ自殺をしたのかわからないのではないだろうか。学校側がいじめを隠蔽したという可能性もなきしにもあらずだが。
年末が近いこともあって、二回目の公判は来年に行われることになった。この日の評議は裁判の感想や被告人の印象を述べあうだけに留まり、『来年も良いお年を』と言って解散した。
~第四章~ (4)の登場人物
涌田景子(わくたけいこ)
裁判員に選出された主婦。宮田宗一郎の実母。再婚し、一人娘の穂香を授かる。
金持潤子(かねじじゅんこ)
裁判員に選ばれた、税務署職員。名前にコンプレックスがある。
久保隆敏(くぼたかとし)
勤勉なサラリーマン。裁判員に選出された。
阿部香帆(あべかほ)
デザイナー。明るい性格。裁判員。
佐々木誠(ささきまこと)
フリーランス。冷静沈着。裁判員に選ばれた。
斎藤正一(さいとうしょういち)
年金暮らしをしている老人。裁判員に選出された。頑固な老人。
