やさしさに疲れたあなたへ|思いやりと現代のあいだで|#2|SNSの「いいね」は思いやりか?
クリックひとつぶんの、やさしさについて
― SNSの「いいね」は思いやりか? ―
「ねえ、きみは『いいね』って、
ほんとにいいと思って押してるの?」
そうわたしが言うと、
きみは、コップの水を口に含んだまま、
ちょっとだけ目を泳がせた。
「うん、まあ。そういうときもあるよ。
写真がかわいかったり、おもしろかったりしたら」
「じゃあ、たとえば、だれかが絶望してる投稿だったら?
たとえば『もうだめかもしれない』ってつぶやいてたら?」
「……それでも押すかも。
なんていうか、その、無視するよりはマシかなって」
わたしはスマホを取り出して、
適当なタイムラインを開いてみせた。
アイスクリーム、
猫、
赤ん坊、
病院の廊下。
どれも、同じ速さで、なめらかに、音もなく流れていく。
「この中にさ、たぶん、ほんとうにどうでもいいものと、
ほんとうに大切なものと、混ざってるんだよね」
「そうかも」
「でも、わたしたちは、それを同じ指で、
同じ重さで、同じ『いいね』を押していく」
しばらく、だれも何も言わなかった。
水のコップの表面が、
照明を反射してわずかに揺れていた。
「わたしね、ときどき思うの。
『いいね』って、
すこしだけこわいなって」
「どうして?」
「たとえば、わたしが疲れてて、ぜんぜん気力もなくて、ただ空っぽなことを書いた日にさ。そういう日に限って、たくさんの『いいね』がついたりするの。なんだか、わたしの空っぽが肯定されたみたいで、ちょっとだけ、さびしい」
きみは小さくうなずいて、
それからスマホをポケットにしまった。
「でもさ、それでも押すことに
意味があると思いたいんだ」
「うん」
「だって、言葉にできないことって、たくさんあるでしょ。伝えたいけど、うまく書けないこと。声に出せない気持ち。そういうのを、たった一個の『いいね』でしか伝えられない人もいるんだよ」
それを聞いて、わたしは少し黙った。
きみの目の奥が、
すこしだけ揺れていたのを見たからだ。
「わたしね、これからは、
『いいね』を押すとき、
すこしだけていねいにしたいなって思うの」
「ていねいに?」
「うん。なんていうか、心臓にそっと触れるみたいに。雑に押さないで、
その人の背中にそっと手を置くみたいに。そんなふうに」
きみは、ふっと笑った。
「いいじゃん、それ。そういう『いいね』なら、ぼくも押されたいかもしれない」
外では、雨が降っていた。
細い雨が、
音もなく窓ガラスをすべっていた。
わたしたちは、しばらくその音を聞いていた。
スマホを閉じて、
両手をあたたかいままにして。
考察:クリックひとつの「いいね」が織りなすやさしさの意味
「いいね」という行為は、かんたんに見えて、
実は複雑で繊細なコミュニケーションのひとつだ。
無数の情報が流れゆくSNSの海で、
私たちは時に「いいね」を通じて、
見えない声に寄り添おうとしている。
しかし、それは単純な賛同や称賛だけではない。
ときに「いいね」は、言葉にならない感情の代わりであり、ときに励ましのかわりであり、ときに「ここにいるよ」という存在の証明となる。
だが同時に、その「いいね」は、受け取る側の心に思わぬ影響を与えることもある。疲れて空っぽな気持ちに押された「いいね」が、肯定と裏腹に孤独を深めることもあるのだ。
だからこそ、「いいね」を押すときには、ほんの少しだけ立ち止まって、相手の胸の奥にそっと手を触れるような意識が大切になる。
たったひとつのクリックが、誰かの気持ちを軽くし、温めることもあれば、逆に無意識のまま傷つけてしまうこともあるから。
人と人を繋ぐデジタルのやさしさは、決して見た目や数だけでは測れない。
それは、静かな雨音のように、確かにそこにあって、そっと心を撫でるもの。
だから、わたしはこれからも「いいね」を、ていねいに押していきたい。
ひとつひとつのクリックに、
ほんの少しだけ、
やさしい気持ちを込めて。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
良かったらスキ、フォローお願い致します。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!