部屋と外のあいだに、まだ“名前のない風”が吹いている。#8│音楽をかけない朝に…
こんにちは。
"クラ"の世界へようこそ🌠
Welcome to the world of "clu"tch 🌃
前回は、洗濯物がゆれる午後に、
父の背中を思い出した話を綴っていきました。
今回は、音楽をかけない朝にだけ、耳を傾けてみると聞こえてくることを綴っていきますね。
音楽をかけない朝にだけ、
聞こえること

朝、ふと、いつもの習慣を止めてみた。
スマホ📱を触らず、音楽🎶もかけない。
(本当は、通知気になる~
でも今日は我慢!我慢!)
ただ静かな朝を迎えてみたくなったのだ。
コーヒー☕を淹れ、トースト🍞を焼く。
いつもなら音楽が流れ出すタイミングで
スピーカーは沈黙を守っている。
最初は少し心細かった。
部屋にいる自分の存在まで薄れて
しまうような気がした。

しかし、沈黙に身を委ねていると、その “薄さ” が、
逆に世界を鮮やかに浮かび上がらせてくれることに
気づいた。
冷蔵庫の低い唸りは、まるで生きているかのような
呼吸音。
隣室の小さな物音は、なぜか愛おしく響く。
カラスの鳴き声や遠くを走るトラックの音は
空の奥行きを教えてくれる。
音楽をかけない朝は、世界そのものが奏でるBGMが
流れ出す時間だ。
それは誰かが用意したメロディではなく、
今この瞬間にだけ存在する“生きている音”。
トースターが「カチン」とパンを跳ね上げた。

その乾いた音に、思わず
(久しぶりに聴こえたわ…kachin😊…
小さく「おはよう」)
いつの間にか、わたしたちは“無音”に耐えられない生き物になってしまったのかもしれない。
イヤホン、テレビ、通知音…静寂を追い払い、
常に何かに囲まれて生きている。
でも、たまにはこうして、
音のない朝に身を浸して
みるのも悪くない。
むしろ、そこにこそ、自分の輪郭が
浮かび上がってくるような気がするのだ。

バターを塗ったパンをかじる。

咀嚼音すら、今日はひどく繊細に聞こえる。
自分の身体が確かにここにあること、
朝が“日常のはじまり”として存在していること。
それを音楽なしで確認できる朝は
少しだけ大人になったような感覚をくれる。
ふと、子どもの頃の朝を思い出した。
まだ家族が眠っている時間に目が覚め、
階段を下り、冷たいフローリングの感触に
足をすくめながら牛乳を飲む。
聞こえていたのは、
自分の呼吸と、
遠くの鳥の声だけ。
(心が整っていくような… 心がニコッと^^)
あの静けさが、わたしにとっての “最初の朝”
だったのかもしれない。
だから今、こうして静かな部屋の中でコーヒー☕を
飲んでいると、
なぜだか、その頃の感覚がそっと背中に触れてくる。
名前のない記憶。説明のつかない懐かしさ。
そして、音楽をかけていない朝にだけ、聞こえてくる
「なにか」。
たぶん、それは「自分の本音」なのだと思う。
ぼんやりと、でも確かにそこにあって、
日々の喧騒では掘り当てられない、
深い井戸の底にある声。
音楽は、それを包んでくれる。
守ってくれる。
けれどたまには、
裸のまま、
その声に耳をすませてみるのもいい。
少し勇気がいるけれど、
そのぶん、自分の輪郭が
はっきり見えてくる。
時計の針が小さく鳴っていた。
パン🍞の匂いが空気に広がって、朝が完成した。
今日のBGM🎶は、わたしが今ここにいるという
証だった。
(きっと毎日違うBGM🎶が流れるんだろうなぁと…
目をつぶって妄想^^)
そしてそれは、音楽じゃなかった。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
この記事が、ちょっとでもヒントや気づきと
なったなら本望です。
また、次の記事でお会いましょう!
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