西野さんは東野さんを外部ブレーンにおいてはどうか。(プペル鑑賞)
映画『えんとつ町のプペル』、応援も兼ねてついに3回目の鑑賞に行ってきました。 1回目は本編、2回目は西野さんの副音声、
そして今回は……東野幸治さん×西野さんの副音声回です。
人生で初めて同じ映画を3回も見ることになりましたが、結論から言うと、これまでで一番の収穫がありました。前回の記事で私が書いたことについて、一つの大きな解決策が見えた気がしたからです。
東野幸治が代弁した「整合性」への違和感
前回の考察でも触れましたが、この作品の批判の多くは「脚本の粗」や「設定の整合性」に向けられています。
今回の副音声で面白かったのは、東野さんがまさにその"批判層"が気にするポイントを、西野さんにガンガンぶつけていたことです。
「ここはなんでこうなってる?」 「ここは何が言いたいのか?」
東野さんは単なる賑やかしではなく、極めて冷静で鋭い「批評家」の視点を持っていました。それは沢山のエンタメを見ているからでしょう。
西野さんの意図を汲み取りつつも、視聴者が抱くであろう「違和感」を逃さず突っ込む。このやり取りこそ、今のこの作品に最も必要なエッセンスだと感じました。
面白かったのは「異世界の朝食にあのパンは無い」でした。その視点はなかった。
いじりも忘れない
もちろん、東野さんらしい「西野さんいじり」も健在でした。
Barのシーンで「CANDY」の看板が出た時に
「聞いている人。聖地巡礼しないでください!」
「ルビッチの記憶」の話を聞いた後、ガス達が演奏するシーンで
「ここはルビッチではなく、西野の記憶やな」と言ったとき、
さっき聞いた話を応用して、昇華させる手腕に拍手しそうになりました。
西野亮廣は、東野幸治を「アドバイザー」にするべきなのでは
今回、3回目を見て一番強く思ったこと。 それは、「西野さんは東野さんに脚本を見せた方がよいのでは」ということです。
西野さんの才能を理解しつつ、これだけガッツリいじり倒し、かつ作品を純粋に見て忌憚のない意見を言える人は、そう多くないのでは。
私が前回の記事で書いた「ガスはシャイではなく遊び人の手口だ!」なんて話も、東野さんなら「いや、これ絶対お前やったことあるやろ!」と笑いながらツッコんでくれそうです。
制作の段階で東野さんのような視点が加われば、作品の強度はさらに増し、批判の隙を与えない完璧なエンタメに化ける気がしてなりません。
副音声、やっぱり面白いですね。次はどんな発見があるでしょうか。
(追記)動画で一部公開されました。ぜひ見てください。
上で書いた聖地巡礼やパンのくだり入ってます!
