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戯曲「ラッキードラゴンの朝」全文公開…第5福竜丸のビキニ事件と、東日本大震災原発事故をモチーフに描いた、ミステリーファンタジーです! 今回大幅に書き直しアップデートしました!

戯曲【ラッキードラゴンの朝】   広島友好
 
【あらすじ……】
 ある日、私立探偵エイチは夢のなかで「助けてあげて」という亡き息子の声を聞く。
 その朝、ある幼い姉妹がブタの貯金箱を持って探偵事務所を訪ねてくるのだった、
「助けてあげてください…!」と泣きじゃくりながら。
 エイチは女の子たちの依頼を受け、丘の上に打ち上げられたラッキードラゴン号に乗り、南の海へ旅に出るのだったが……
    「助けてあげる」相手とはいったいだれなのか?
     そして西の空に昇る太陽とは———?
 
    「ボクはどうしてもあの西の太陽の下に行かなければなりません。
      それがボクの運命なんです。友達を助けるんです。
      津波に流されチリヂリバラバラになった友達を助けるんです」
 
第5福竜丸と東日本大震災原発事故をモチーフにした芝居。
 
登場人物4名  70分

 ☆ 

ラッキードラゴンの朝

           作・広島友好

   ○時…現代

   ○所…エイチの探偵事務所と洋上のラッキードラゴン号。

   ○登場人物

    エイチ(私立探偵)

    トシ(コイキチの妹)

    ネリ(コイキチの妹)

    コイキチ(片目の少年)

    船長

    海上でデモ活動を行う抗議船の人々(声)

    カンコウ鳥(ザネリ)

    あとで出てくるカンコウ鳥(コイキチ)

※舞台はシェイクスピア劇を思わせるようなほとんど何もない(つまり簡潔でかつ適切な舞台セットしかない)空間を想定しています。

☆ 

      私立探偵エイチの事務所。

 

エイチ 私立探偵エイチです。

   今、厄介な仕事を抱えています。

   ……普段は暇なんです。ビルの三階のこの事務所で、日がな一日客を待ち続けている。探偵稼業は「マチ」の商売。大きな「街」に事務所を構え、依頼人を「待ち」ます。決して営業したりしない。

   そんな探偵稼業のABCを習ったのは、前の所長のダブリュウから。ここは、彼が引退するときに引き継いだ事務所でしてね。

 

      間。

 

エイチ 始まりは夢です。夜寝て見る夢。「助けてあげて……!」という幼い息子の声を聞いたんです。それが切実で、夢じゃないみたいなリアルさでした。そういう夢ってたまにあるじゃないですか。

   ……その日の午後、女の子の姉妹が事務所を訪ねてきたんです。上は九歳、下は七歳ぐらいでしょうか……

 

     トシとネリが事務所のドアに立っている。

 

トシ・ネリ 助けてあげてください。

エイチ ……ってね。泣き出すんです。ブタの貯金箱を持って。目がウルウルしてました。こんな悲しそうな顔見たことない。わたしは胸を衝かれた。

トシ・ネリ (さらに泣いて)助けてあげてください……!

エイチ 確かに看板には「よろず相談承ります」と書いてある。古い文句だ。前の所長のダブリュウがこしらえた看板です。

……でも、ブタの貯金箱の依頼だなんて。(トシとネリに)ここはね、子どもの来るとこじゃないんだ、残念ながら。もっとも大人になっても、関わらないほうがいいんだけどね、探偵とは。

トシ・ネリ (必死に)助けてあげてください!

エイチ どうかな、クラスの学級委員か、学校の先生に頼んでみちゃ。ここはね、大人の訳ありの依頼を受ける所なんだよ。ごめんね。

トシ・ネリ 助けてあげてください……助けてあげてください!

エイチ はい、さようなら。

 

   エイチはトシとネリを事務所から追い出す。

 

エイチ ふぅ……。あれ――?(ブタの貯金箱が忘れられている。ドアの外に呼びかける)おぉーい。おおぉーい。忘れ物。おぉーい!

 

      エイチはブタの貯金箱を手に取って。

 

エイチ ……こりゃ、依頼を受けたことになるのかな?

しばらくして封書の手紙が届きました。

 

      封書の手紙が事務所のドアの隙間から投げ入れられる。

 

エイチ 中には船のチケット一枚と、捜査の経費としてお金が同封してありました。(おもちゃの紙幣を取り出す)子ども銀行発行、百万円札……!

なぜだかわたしはそのチケットを持って、丘の上の船着場へとふらふら出かけました。

 

      そこは丘の上の船着場。

      ラッキードラゴン号が丘の上にさみしく停泊している。

 

エイチ この街には丘に打ち上げられた船があるんです。街の中にポツネンと浮かぶ船……フェリーのような大きさの。それは異様な光景でした。まるで巨大な津波に……。でも慣れるとそうでもないんです。だれも振り向きもしない。わたしはモギリのおばちゃんにチケットを見せると、その船に乗り込み、――旅に出ました。

 

   船のデッキにいるエイチ。

      ラッキードラゴン号の案内人である片目の少年が出てくる。黒い眼帯をしている。

 

片目の少年 ラッキードラゴン号、出航します!

エイチ 背の低い船の案内人が……それは、そう、片目の少年でした……出港の合図を告げます。

片目の少年 ラッキードラゴン号、出航します!

エイチ わたしはその片目の少年を見て、死んだ息子の面影が頭をよぎりました。息子も彼と同じぐらいの年でした……。

片目の少年 ラッキードラゴン号、出航しまーーす!

エイチ (船の周囲の風景を見回す)デッキの手すりにもたれて眺める陸地の風景は――荒れ果てた瓦礫の海。理不尽な津波の力に建物を根こそぎにされたような。まるで空襲のあとの焼け野原。いや、どこか夢の島を思わせるような……。

ひるがえって船の様子は至って平凡。潮でさびたデッキ、狭いドアをくぐると、中はゆったりとした客室部分になってました。客室にいる乗客はみな疲れた様子。乗客乗員は全部で二十三名でした。

 

      ラッキードラゴン号の船長がやってくる。中年。威厳がある。だが取っ付きにくくはない。赤い制帽を被っているが、服は漁師のような作業着である。

 

船長 ご乗船の皆様、わたくしはラッキードラゴン号の船長です。本日は天候も快晴、波も穏やか、凪の海です。これから進路を南に取り、大海原を音もなくゆっくりと進んでまいります。どうぞ快適でクリーンな船の旅をお楽しみください。

エイチ 船長さん。

船長 なんでしょう。

エイチ この船はどんな食事が?

船長 お乗りの船は、マグロ漁を兼ねておりましてな。南洋取れ立てのマグロを、その場でさばいてお召し上がりいただけますよ。

エイチ マグロですか。それも取れ立て。

船長 新鮮。活き活き。決して……心配ありません。

エイチ 楽しみだ。

船長 ハブ・ア・ナイス・トリップ!

 

      船長はエイチと握手をすると、その場から立ち去っていく。

      出航の汽笛がなる。ラッキードラゴン号は海へ出ていく。

 

エイチ 女の子たちの依頼を受けたのは口実でした。わたしには旅が必要なんです……長い休みが。そこに送られてきた船のチケットは好都合でした。「ラッキードラゴン号」。名前もいいじゃないですか。この先の幸運を約束してるみたいで。

   ところで、探偵稼業も二十二年になります。ダブリュウから独り立ちして七年。もう十分じゃないか……そんな気もするんです。

実は、大学時代、探偵事務所にアルバイトで働き出したころに、手伝いに来ていたダブリュウの娘に惚れましてね。彼女と抜き差しならぬ仲になり……。しかし……あれやこれやありましてね、今は彼女と離婚しようと思ってるんです、ここだけの話……。

 

   夜になる。無数の星が出てくる。

 

エイチ 夜にはデッキに出て、夜風に当たりました。ある出来事があってから眠れなくなりましてね……。いつもは薬を飲んでるんですが、忘れてきてしまった。

   (夜空を見上げて)ほら、星がこんなにいっぱい瞬いて。(そして視線を海に落として)星空の下に揺れる海の波頭のひとつひとつも、また「星」の瞬きのようです。瞬く星と「星」が向こうのほうまで果てしなく広がって。夜空と暗い海の境がひとつになって。星の暗がりに浮かぶラッキードラゴン号は、まるで宇宙の天の川をゆく銀河鉄道のよう。こんな風景を、息子にも見せたかったなと……。

   (思い出し微笑む)フフ。息子は子どもらしい子どもでしてね。「ボク星をたべれるよ、見てて、パパ。(星に手を伸ばして食べる仕草)パクパクパク。パクパクパク。おいしいねえ。パクパクパク。パパにもあげる!」。(思い出し、涙がにじむ)

   「この子はわしなんかよりずっと頭がいい。いい大学に入れて、決して探偵にはしない」……祖父であるダブリュウがよく言ってましたっけ……。

 

   間。

 

エイチ さて、今回の依頼です。そもそもなんですか、「助けてあげてください」って? その助けてあげる相手っていったいだれなのか。……バカでしょ、「だれか」を聞くの忘れてました。だって、あの女の子たちの依頼を受ける気がなかったんだもの。

   (手帳に書きつける)「助けてあげてください」とは、だれのことか? お父さん、お母さん。兄弟姉妹。おじいちゃんにおばあちゃん。おじおば。いとこ。はたまた友達。先生。近所の人。習い事関係……。大切な人であり、かつ、身近な人であることは間違いない。

   第一に、女の子たちのお父さんの線が強い。船乗りなのか。あの船長かな? この船の乗客か。それとも、この船の行く先にその「だれか」はいるんだろうか。この船は南へ進んでると言ってたから、南の国にいるのかな。サンゴ礁に浮かぶ南の島に……?

 

      間。

 

エイチ なんの手がかりもないまま一週間経ちました。ラッキードラゴン号は南へ南へと進んだ。南洋の広い海の真っただ中に。四方が海。見渡す限り海。海。海……。

   眠れないわたしはいつものように、デッキに出て夜明け前の風に当たっていました。きょう三月一日は息子の命日なんです。わたしは朝日に手を合わせようとしました。いつもあの方角に、東の空に太陽が――

 

      コイキチが現れる。片目の案内人の少年は実は……

 

コイキチ (思いつめて)ボクはどうしても行かなければなりません。それがボクの運命なんです。友達を助けるんです、津波に流されチリヂリバラバラになった856人の友達を。今あなたと帰ることはできないんです。それをいつ言おうかと……

エイチ わたしはそのとき――、この案内人の少年が、この片目の少年が、探している「だれか」だと気づきました。船に乗るときに気づいてれば、仕事はすぐに終わったのに。――きみ、名前はなんていうの?

コイキチ ボクはコイキチです。エイチさん。

エイチ なんで知ってるの、わたしの名前を?

コイキチ ボクは無線ができるんです。無線通信士なんです。(無線を打つ仕草をして)ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……

エイチ みんながきみを、コイキチ君の帰りを待ってるんだ。

コイキチ ボクは帰れません。

エイチ あれはきみの妹たちだろ。わたしに依頼して来たのは。ね。引き返そうよ。

コイキチ ダメです。航海の途中に帰ればきっとあとで後悔します。目的を遂げるまでこの船は帰れません。使命があるんです。

エイチ う~ん、ここから二人だけ帰るって訳にもいかないもんなぁ。

 

      間。

 

エイチ 見つければ、帰るんだね? 絶対に。

コイキチ 友達を見つけられれば……船を見つけられれば……。

エイチ 必ず無事にこの少年を……この息子の面影に似た少年を。わたしは、ブタの貯金箱の依頼を受けたのだから……。

 

      エイチは意を固める。

 

コイキチ ところでエイチさん、この船のチケットを持っていますか?

エイチ チケットなら、ここに。

コイキチ んん? これはニセモノです。

エイチ ええ⁈ でもこれは、女の子たちから送られてきて――

コイキチ どこにもラッキードラゴン号と書いてありません。

エイチ ホントだ……

コイキチ 船の規則により、あなたを拘束します。

エイチ いや、わたしはきみを連れて帰らなきゃ、そういう仕事が――

コイキチ あなたはいったいぜんたいなんですか。

エイチ 探偵だよ。

コイキチ 探偵⁈ ハハァン……スパイですか。この船の秘密をさぐってる?

エイチ ちがうんだよ、探偵とスパイとは。

コイキチ でもスパイも探偵でしょ。

エイチ スパイは、ありゃ国に雇われた探偵、言わば国立探偵。わたしは、ブタの貯金箱で雇われた探偵、言わばブタ私立探偵。

コイキチ 何を言ってるのかわかりません。船長に会ってください、船に残りたければ。

エイチ 仕方ないなぁ。

コイキチ 船長! 船長!

 

      船長が来る。船長はコイキチからかくかくしかじかと耳元で説明を受ける。

 

船長 ふん。ふん。ん。わかった。(エイチに)一つあなたに質問します。身元を確かめるためです。よろしいですかな?

エイチ ええ。構いません。

船長 あなたはこの船がなんの船か知っておられるか? このラッキードラゴン号の目的を? 探偵ならわかるでしょ?

エイチ この船の目的? 南へ進むんじゃ?

船長 ブーッ! 残念! この船はあてどなく流されておるんですなァ。

エイチ 流されてる? あてどなく?

船長 波にさらわれてどこまでも行くんです。あてどなく、どこまでも。どこへ行くのかわからんのですな、だれにも。船長のわしにも。

エイチ そんなどこへ行くかわからない船なんてあるんですか。船長は南へ行くって……

船長 左様、南へ南へ……あてどなく流されておるんですな、潮の関係で。

エイチ じゃ、いったいいつ港に帰るんですか。いつ!

コイキチ そうじゃないんです。船長はいつも言葉をはしょってしまわれる。この船は捜索船なんです。大津波によって、沖へ沖へと押し流されてしまった迷い船を捜しているんです。この海には856隻の船が今も助けを求めて漂ってる。その船を捜し出すんです。波に流されてどこへ行ったかわからない船を捜すには、自分も波にさらわれてみるしかないでしょ?

船長 その通りだ。

エイチ (船長に)わたしはコイキチ君を連れて帰らなきゃならないんです。彼の妹たちに頼まれたんです。ブタの貯金箱をもらって。

船長 しかしニセモノのチケットしか持ってない。

エイチ だからこれは――

船長 あなたに、心優しき海の男であり、かつまたラッキードラゴン号の船長でもあるわしから、二つの選択肢を差しあげましょう。

エイチ ……ええ。

船長 船での労働を選ぶか。船底の監禁室を選ぶか。

エイチ そりゃ……仕事を。労働を。

船長 では――船底へ。

エイチ ええ⁈

船長 違うんです。そこのバケツを持って、船底に溜まった水をかき出してください。それがあなたの労働です、その手になんのチケットも持っていない者のね。では、よろしいかな。(船底へエイチを連れて行こうとする)

コイキチ 船長! 待ってください! 流されている船と無線がつながりました。ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……

 

      コイキチは見えない無線機で無線交信をする。背中に見えない無線機を背負い、歩き回りつつ電波のいい位置を探り、片手を耳に当て無線を受信し、片手でモールス信号を打っている。

 

エイチ トーツートーツーって、何してるんです?

船長 見えないんだなァ、心の腐った大人には。たとえ両目がついておっても、コイキチ君の背負っている無線機が。彼は無線交信をしておるんです。コイキチ君はね、このラッキードラゴン号の立派な無線長なんですよ。

エイチ 無線交信……無線長……。

コイキチ ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……

エイチ 船長には見えるんですか、無線機が?

船長 わしぃ⁈ 見ようによっては……見えんことも……(ト無理に目をすぼめたり見開いたり)

エイチ ………。

船長 (ごまかして)ど、どうかね、コイキチ君?

コイキチ やはりそうです、この広い海を856隻の船が、チリヂリバラバラに散らばっています。星屑のように船たちが漂って流されてる。ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト。みんなふるさとへ帰りたいと言っています。ふるさとの港へ。だけど、潮をかぶってエンジンがやられてしまったようです。波間を漂い続けて燃料の尽きてしまった船もある。ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト。みんな、津波の大波をかぶって流されてしまったと言っています。津波にさらわれてあっという間に沖へ沖へと。

船長 コイキチ君、これはじっくりと取りかかるしかないな。

コイキチ ひとつひとつ船を見つけていって、ひとつひとつロープで結んでいきましょう。そうして一艘残らずふるさとに連れて帰りましょう。

船長 この広い大洋に星のように散らばる船をロープでつなぐと、まるで星座のようになるだろうな。ん、きっときれいだろうなァ。

コイキチ 星はみんなつながってるんです。ボクらの船もつながってる。

 

      間。

 

船長 その船のひとつに彼も、きみの友達も乗っておるんだったな。

コイキチ 友達じゃありません。ネズミみたいなヤなヤツです。ふざけてボクの片目を盗ってっちゃった。

船長 でも、そのお陰で見えるんだろ、海の果てが。

コイキチ ええ、ザネリが盗ってったボクの片目が、ザネリの乗る船の景色を、ボクに見せて寄こすんです。(その動作をしながら)ザネリがボクの片目を空にかざすでしょ、そうすると向こうの空が見えるんです。ザネリがボクの片目を海に向けると、向こうの海が……。(今ある片目を手で押さえて隠し、盗られて今はない片目で遥か遠くを見て)ザネリの見てる景色が、ボクの盗られた片目を通して、遠く離れたボクにも見えるんです。頭に浮かぶんですはっきりと。でも、それがボクにはつらいんです。

船長 何度聞いても不思議だなァ。盗られた片目でねえ、海の向こうの景色が……。きみはここに居ながらにして漂っておるんだなァ。で、そのザネリ君は今どこに?

コイキチ わかりません。見えるのは同じような海ですし、同じような空ですから……

船長 (口ずさむ)うみは らららら~ ららららら~ つきは らららら~ ひは――

コイキチ (光に驚いて)アッ――!

 

      トそのとき、西の空が焼けるようにまぶしく光る、目が開けていられないほど。

 

エイチ そのとき遥かかなたの西の空から、火の玉のような太陽が昇ってきたんです……!

 

      エイチとコイキチと船長の三人は、今昇る西の太陽に惹きつけられ、まぶしく見つめる。船全体が燃えるように不吉な七色の光に照らされる。

 

エイチ いつもと真逆、確かにその方角は東ではありません。振り返ると、東の空からも朝日が昇ってきていました。西と東、二つの太陽が、同時に辺りを激しく照らし出したんです。

コイキチ 西から太陽が――。きれいだねえ。ボク、お日様が好き。お星様と同じぐらい好き。

エイチ しかしその西の太陽は、なぜか恐ろしいほど大きいのでした。海を呑みつくしてしまうほど。まぶしい黄色から燃えるような赤へ、七色に狂ったように燃えているのでした。

 

エイチの息子(声) 助けてあげて……助けてあげて……!

 

      エイチの亡き息子の声がかすかに無線交信のように聞こえてくる。

 

エイチ そのときわたしの耳に、息子の声が聞こえてきたんです。かすかでか弱い声なのですが、はっきりとわたしの耳に……!

 

トシ・ネリ(声) 助けてあげて……お兄ちゃんを助けてあげて……!

 

エイチ あの女の子たちの声も! (懸命になって)コイキチ君、西の太陽を見ちゃいけない。日の光を浴びちゃいけない。

コイキチ なぜ。こんなに気持ちいいのに。

エイチ なぜだかわからないけど……、声がす(るんだ)――アッ!

船長 ムムッ!

 

      まるで三人を打ちのめす天の雷(いかづち)のように、不吉で激しい爆発音が轟く。

 

エイチ それは悪魔の打ち鳴らすティンパニのように、胸の底へ不気味に轟くのでした。まるで、これから死の舞踏会が始まるように。

 

      と今度は立っていられないほどの爆風が三人を襲う。激しく船を吹き過ぎる爆風の音。

 

エイチ アアッ!

コイキチ 飛ばされるよ!

船長 (コイキチをつかんで支える)大丈夫か!

 

三人は身をかがめて爆風をしばしやり過ごす。

 

コイキチ アッ、あれ見て!

 

      西の空に黒味を帯びた巨大なキノコ雲がわき上がる。その黒い影が船全体を不気味に覆う。

 

エイチ あっという間に西の空に……!

コイキチ 入道雲みたいだ! もっくもっくもっくもっく。

エイチ (畏れを感じて)入道雲なんてもんじゃないよあれは。黒味を帯びて。それに大き過ぎる。

コイキチ 入道雲がもっくもっく。三つも四つも重なって、もっくもっくもっくもっく。アアッ、お空の屋根についちゃった……!

船長 まるで巨大なキノコだな……巨大な巨大な毒キノコ……!

コイキチ うん――毒キノコ雲だ!

 

海鳴りの音 (人の声で……遠くかすかに)

どっどど どどうど どどうど どどう……

 

エイチ (エイチの体も揺れる)船が大きく揺れ始めました。二度、三度……いや、もっと! 大波が西の海からやってきたんです。海鳴りだ……海鳴りだ!

 

海鳴りの音 (初めは小さく、やがて大きく)

どっどど どどうど どどうど どどう……

どっどど どどうど どどうど どどう! ………

 

      海鳴りとともにラッキードラゴン号は大きく揺れ、三人を足元からひどく揺らす。海鳴りの音が重く深く轟く。

 

海鳴りの音 (だんだん大きく)

どっどど どどうど どどうど どどう!

どっどど どどうど どどうど どどう! ………

 

      ラッキードラゴン号は西から来た大波に乱暴に揺すられる。

 

エイチ (立っているのがやっと)助けてッ! 助けてッ! アアッ! アアッ!

船長 ムムッ! こりゃどうしたことか!

コイキチ (揺れを楽しんでいる)ハハハ! アハハハ! まるで銀河鉄道遊園地だ! ハハハハ!

 

海鳴りの音 (さらに大きく激しく)

どっどど どどうど どどうど どどう!

どっどど どどうど どどうど どどう! ………

 

エイチ (立ち上がり、倒れ、またデッキの手すりにしがみつく)アアッ! アアァッ!

コイキチ ハハハ! アハハハ!

 

海鳴りの音 (やがて小さくなって消えていく)

どっどど どどうど どどうど どどう……

どっどど どどうど どどうど どどう……

 

エイチ ハァハァハァ………治まっ……た……みたいだ……

船長 こ、腰が……(抜けた)!

コイキチ チェッ、つまんないの。

船長 コイキチ君! 周りの船の状況を確かめてくれ。情報を集めるんだ。

コイキチ (無線通信の用意をする)はーい。

エイチ 引き返しましょう、船長!

船長 な、何を言っとる、これしきのことで。海に嵐はつきものだ。南へ南へ、ヨーソロー……!

コイキチ ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……(無線交信しながら行ってしまう)

 

      エイチはコイキチのうしろ姿を見送る。

 

船長 何をボウっとされておる?

エイチ こんなことはいつもあることなんですか。

船長 西から昇る太陽のことかね?

エイチ ええ。

船長 実は……悪い噂が……

エイチ いったいどんな?

船長 (「見ざる聞かざる言わざる」のポーズをする)! ! !

エイチ なんですそれは⁈

 

      間。

 

船長 さあ、バケツを持って船底へ。

エイチ この状況で、ですか。

船長 義務からは逃れらんよ、きみ。

エイチ (困惑して)ん~~。

 

      エイチは仕方なく、船長とともに階段を歩いて降りて(階段を降りるパントマイムをしながら舞台をぐるりと一周、二周して)船底へいく。

 

エイチ しかし……本当なのかなあ。

船長 ん?

エイチ コイキチ君ですよ。盗られた片目を通して、その先の景色が見えるなんて?

船長 話を合わせるしかないですな、心優しき大人としては。コイキチ君は詩人ですからな、人と変わっておるんです。見えないものを観、聞こえないものを聴く。父親が……わしの親友だったんだが……ラッコを獲る猟師でしてな。

エイチ (腹の上で貝を割る仕草)ラッコって、あのラッコ?

船長 (あきれて)他にラッコがおりますか。そのラッコの皮をはぐ仕事を、ザネリって子にからかわれておったようですなァ。「コイキチ、お父さんからラッコの上着が来るよ! ラッコの上着が来るよ!」。――おっと、そうだ。その前にこれを着てもらえますかな。

 

      船長は階段に備え付けてある棚から何か服のような物を手に取る。しかしそれは目には見えない。

 

エイチ ん? これって、何も見えないですが?

船長 これは、透明な防護服です。この船の船乗りは「裸の王様防護服」と言っとりますがね。

エイチ 裸の王様防護服。

船長 着ているような着ていないような。

エイチ 意味がわかりません。

船長 このラッキードラゴン号は……原子力発電船なんです!

エイチ ええ! このオンボロ船が⁈

船長 (ムッとして)オンボロ船?

エイチ いえ、この、素晴しいラッキードラゴン号が?

船長 半永久的なクリーンなエネルギーを使わずにして、どうやってこの長い航海を続けられるとお思いかな。

エイチ しかし。

船長 さっさと着たまえ。裸の王様防護服を。

エイチ (しぶしぶ着る)はあ……。

船長 大丈夫、大丈夫。着てても着てないのと同じなんだから。気休めだからな。着ていないような服を着ているつもりで着ていなさい。

エイチ じゃ、着なくても。

船長 安全委員会の規則だ。着なさい。

エイチ はあ……。

 

      二人は船底に着く。水の漏れている音が船底に響く。

 

エイチ それでこの船底で、何をすればいいんです?

船長 ほら、船のエンジン部分から、チョロチョロチョロチョロ水が漏れ出てる。あの水は核エネルギーの本体を循環して冷ましてる水なんだが……あの水をね、汲み出してほしいんだ。

エイチ この水を、バケツで。

船長 (エイチを制して)いかん! 決して素手でさわったり、ましてや飲んだりしないように。それはすべて自己責任になるからな。

エイチ それって、体に何か良からぬ影響があるってことですか。

船長 ただちに人体に影響を及ぼす範囲ではないのではないかと思われておるとの、専門家の心強い見解をもらっとる。

エイチ それって危険だってことでしょ⁈

船長 (「見ざる聞かざる言わざる」のポーズ)! ! !

エイチ ええッ⁈ できませんよ。こんな仕事。

船長 ではこの船を、ただちに、即刻、なんの猶予なく、降りてもらうしかない。

エイチ でも……

船長 周りはサメがうようよ。

エイチ でも……

船長 コイキチ君ともおさらばだ。

エイチ ………。

船長 お嬢ちゃんたちも泣いて悲しむだろうねえ、コイキチ君の妹たちが。ありゃかわいい。天使みたいだ。心優しき大人は女の子を泣かしちゃいかん。

 

      間。

 

エイチ ……仕方ない。

船長 だれかがそれをやらねばならぬ。汚れ仕事を。防護服も着たことだし、大丈夫だよ。(船底から階段を上がっていく)

エイチ 船長、もう一つ。この汲み出した水はどこに捨てればいいんです?

船長 (なんのためらいもなく)海へ!

エイチ これを海に⁈ この汚染水を!

船長 「状況は完璧にコントロールされておる」。できればそこに転がっとる除去装置で、水をよく濾(こ)してから捨ててくれ。ほらそこの、除去装置で。

エイチ (見つけて)ザルですよ、これ! ザル!

船長 ザル? (「見ざる聞かざる言わざる」の動作)! ! !

エイチ 船長!

船長 (口ずさむ)うみは らららら~ ららららら~……

エイチ 船長……!

 

      船長は一人階段を上がっていく。トふと足を止めてポケットから妻の写真を取り出す。

 

船長 (写真に語りかける)そう怒るな……これも仕事だ。

 

      船長は船長室に去っていく。

 

エイチ (仕方なく作業に取りかかる)……だれかがそれをやらねばならぬ。汚れ仕事を。そうしてそれは、この手になんのチケットも持っていない者の仕事になる。底の底に落ちた者の仕事に……。

 

      エイチは汲み上げた水を持って階段を登り、その汚染水をデッキから海に投げ捨てる。それをくり返す。

 

エイチ (作業をしながら)わたしは溜まり続ける汚染水を汲み上げ、海に垂れ流し続けた。何杯も何杯も。何杯も何杯も。最初は良心がチクチク痛んだ。だが、次第に鈍感になって……。人間ってやつはどうしようもない。

抗議船の人々(声) やめろー! やめろー! 海を汚すな―!

 

      そこに海上でデモ活動を行う抗議船に乗った人々が来る。拡声器の声。

 

抗議船の人々(声) 何をしてるんですか、あなたは!

エイチ わたしは、その、水を海に。

抗議船の人々(声) 水は水でも、ただの水じゃないでしょ!

エイチ あなた方はいったいぜんたいだれですか?

抗議船の人々(声) 海をー、汚すなー! 海の生き物をー、守れー! 海に暮らす人間のー、暮らしを返せー!

エイチ 困ったな……。わたしはただの乗客なんですよ。

抗議船の人々(声) うそをつくなー! 責任者ー、出てこーい!

エイチ 船長はどこだろ? 船長! 船長!

 

      コイキチが騒ぎに気づいてやってくる。

 

エイチ あ、コイキチ君。

コイキチ 何事ですか、探偵さん。

エイチ あのボートの人たちがね、怒ってるんだ。

コイキチ あなたたち、また来たんですか。いい加減にしないと、ボクも怒りますよ。(エイチに)あの人たち、動画を撮ってSNSに流すんだ。その広告料でお金を儲けてるんだよ。

抗議船の人々(声) 海をー、汚すなー! 海の生き物をー、守れー! 暮らしをー、返せー!

コイキチ これはね、クリーンなエネルギーなんですよ。CO2も出さないし、安心で安全なんだ。偉い大人の人たちがそう言ってるんだ。

抗議船の人々(声) 政府の言うことにー、だまされるなー!

コイキチ 友達を助けに行くのが遅くなるから、邪魔しないで!

抗議船の人々(声) 責任者を出せー! 金で魂をー、売るなー!

コイキチ 船長がこの船に乗ってるのはね、病気の奥さんの治療代を……

抗議船の人々(声) 海をー、汚すなー! 海の生き物をー、守れー! 暮らしをー、返せー!

コイキチ (バケツの汚染水を抗議船の人たちにかける)うるさい人たちだ。えいッ。

抗議船の人々(声) ギャーッ! 口に! 口に入った! ペッ、ペッ!

コイキチ ごめんなさい。手がすべっちゃった~。

抗議船の人々(声) (汚染水に混乱する)アアァッ! アアァアアッ! クソォ、ただじゃすまないぞー!

 

抗議船が遠ざかっていく。

 

エイチ いいのか、あんなことして?

コイキチ だって仕事の邪魔するんだもの。大事な大事な仕事があるのに……。

 

      間。

 

コイキチ アッ――! 雪だ。雪が降ってきた……!

 

      ラッキードラゴン号の上に白い雪が降ってくる。

 

エイチ 南の海に白い雪が、巨大なキノコ雲から白い雪が――。さらさら、さらさらと……粉雪がこの船を覆うように……!

コイキチ (舌を出して雪を受ける)えーーっ。

エイチ ダメだよ! 雪を食べちゃ。

コイキチ またぁ。どうして。

エイチ ここは南の海なんだよ。おまけに夏なんだ。雪が降るなんておかしいじゃないか。

コイキチ (舌を出して)えーーっ。えーーっ。なんの味もしないよ。やっぱり雪だ。

エイチ やめなよ、コイキチ君。

コイキチ あれ? なんだかこの雪、ジャリジャリする。なんだろ、これ?

エイチ 吐き出すんだよ、コイキチ君。ペッ、ペッて。

コイキチ もしかして――サンゴかな……?

エイチ サンゴ……? サンゴ礁のサンゴ……?

コイキチ 船長ー! 船長ー!

 

     船長、出てくる。

 

船長 なんだ、周りの船と交信できたのかね?

コイキチ (上空を示して)ほら!

船長 (雪に気づいて)あっ!

コイキチ 雪です! 雪が降ってきましたよ。

船長 ウムム……これは奇怪な……。

 

      雪が降り続ける。甲板にうっすらと雪が積もる。

 

コイキチ ね、船長。雪合戦しましょ! ボク、雪合戦がしたいなあ。

船長 なんだ急に。子どもっぽいこと言って。

コイキチ だってボク、子どもなんだもの。

船長 ハハハ、そうだった。あんまりしっかりしてるもんで忘れてたよ。

コイキチ 探偵さんもやろうよぉ。

船長 きみもやりたまえ。

エイチ それは船長命令ですか。

船長 いや、きみの選択だ。

コイキチ さあ、裸になって、お日様の光を浴びながら雪合戦をしましょう。よーい、初め!

船長 コイキチ君、きみは雪国生まれの、雪国育ちだったな。肌が生っちろい。

コイキチ 船長、いいから始めましょ。

船長 言っとくが……わしゃ負けんぞ!

コイキチ それっ! ハハハハ! アハハハ!

船長 アハハハ!

 

      船長とコイキチの雪合戦が始まる。夢のように楽しそう。童心に帰って無邪気に雪の球を投げ合う。

 

コイキチ ハハハハ!

船長 ふふふ。ハハハハ! (ふと雪をほうばる)ジャリッとしてるな。

コイキチ 探偵さんも、ほらほら。

エイチ わたしは遠慮させて――

コイキチ (雪の球をエイチの顔面に投げつける)えいッ!

エイチ アッ――やったな! コノッ! 待て、コイキチ! コイキチ!(笑顔で雪合戦に加わっていく)

コイキチ ハハハハ! アハハハ! それぇ!

 

      三人の雪合戦が楽しく続く……そこに残りの乗客乗員たちも加わって、二十三名の雪合戦が……楽しく……

      かすかに遠く「助けてあげて」「助けてあげてください」とエイチの息子とトシとネリの声が聞こえてくる……だが、雪合戦に夢中になっている彼らの耳には聞こえない。

やがて……

 

船長 アハハハ……ハァ、ハァ、もう降参だ。もうやめだ。ハハ……ハァ、なんだか……気分が……ちょっと……

コイキチ 見て見て! あそこ! あそこ!

 

      そのとき海の向こうで、西の太陽とは逆方向へ必死に逃げるものの影が見える。

 

エイチ え? どこ?

コイキチ ほら、あそこ! トビウオだ。トビウオ!

エイチ トビウオ? ……ホントだ。

コイキチ すっごい勢いでどっかへ飛んでく。

船長 こんな数のトビウオは初めて見たぞ……。

 

      三人は必死に逃げていくトビウオたちをじっと見る。

 

コイキチ あっ! あれクジラだ、クジラもいる!

エイチ クジラ? ホントだ。

コイキチ すっごい勢い。

船長 こりゃ何かおかしい……逃げてるんだな、この雪から。

コイキチ クジラが三頭一緒に泳いでる。おとうさん……おかあさん……真ん中の小さいのは男の子だな。親子のクジラだ。

エイチ 親子の……

コイキチ あっ、なんだか変だ。あれ? 子どもクジラがいなくなっちゃった……! クジラさん、おとうさんのクジラさん! 子どもクジラがいなくなったよ。あんまり急いで泳ぐから、ついてけなくておぼれちゃったんだ! ねえ、おとうさんのクジラさん! 待って待って! 子どもクジラが……子どもクジラが……!

エイチ (わがことのように激しく動揺する)ああッ……!

 

      エイチは波間に消えた子どもクジラに大きなショックを受ける。

 

エイチ ねえ、コイキチ君、もう引き返さないか。胸騒ぎがするんだ。きみの仕事が大事なのもわかるけど。

コイキチ 待って――、探偵さん。

エイチ 何?

コイキチ 交信が入ってきた。(無線交信を始める)ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……

船長 どうしたね、コイキチ君。異常気象情報か?

コイキチ あっちでもこっちでも雪が降ってるようです。さらさら、さらさらと真っ白な粉雪が。真夏の海に雪が降りそそいでいます。ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……「夏と冬が、盆と正月が、いっぺんにやってきたみたいだ。西の空と東の空に太陽が二つ昇って、地球は……どうなってしまうのだろう」……

 

     沈黙。コイキチはしなだれる。

 

エイチ (ふとコイキチを見て)どうした?

コイキチ なんだか……疲れてきちゃって……

船長 はしゃぎ過ぎたんだろ。

コイキチ ええ……そうでしょうね。

 

間。

 

エイチ あれ? コイキチ君、顔がなんだか腫れぼったいぞ。

コイキチ 顔が……熱いや……

エイチ こりゃ、ヤケドじゃないか。水ぶくれだ。

コイキチ かゆかゆかゆかゆ、目がかゆい。目が痛かゆい。

船長 (コイキチの手を止める)こら、こすっちゃいかん。

コイキチ 手をどけて。

エイチ (異変に気づいて)船長ッ、あなたも顔が真っ黒ですよ。黒ずんで。顔色が悪いですよ。

船長 いやどうも……さっきから気分が。どうしたんだろ。

エイチ 船長、大丈夫ですか?

船長 ダイジョブ、ダイジョブ……(大丈夫ではない)

 

      トこのとき、一羽の鳥――カンコウ鳥(かんこうちょう)――が鳴きながら飛んできて、デッキの手すりに止まる。

 

カンコウ鳥 ア~ンシン、ア~ンゼン。ア~ンシン、ア~ンゼン。アアアアア~~!

船長 おっ、カンコウ鳥だ。

エイチ カンコウチョウ?

カンコウ鳥 みなさん、カンコウ鳥からのお知らせです。この雪とおぼしき物体は、人体にはただちに影響はありません。この雪とおぼしき物体は、人体にはただちに影響はありません。ア~ンシン、ア~ンゼン。アアア、アホ~~!

エイチ どけ、うるさい鳥だ。

コイキチ あれはね、探偵さん、カンコウ鳥だよ。お知らせ鳥だ。

エイチ お知らせ鳥?

コイキチ お上(かみ)のほうからやってきて、下々のボクらに大切なお知らせを知らせてくれるんだ。神話にも出てくる鳥なんだ。

エイチ 神話? どんな神話? ギリシア神話?

コイキチ うぅん、安全神話。

カンコウ鳥 ア~ンシン、ア~ンゼン。この雪とおぼしき物体は、人体にはただちに……

エイチ うるさい。あっち行け。バカ鳥め。

カンコウ鳥 ア~ンシン、ア~ンゼン。アアア、アホ~~!(飛び去る)

コイキチ カンコウ鳥のお知らせ鳥が去ってゆく……。

 

      とエイチが、カンコウ鳥が飛び立つ海の向こうの何かに気づいて。

 

エイチ ――ん? 船長、あれはなんでしょう?

船長 ん? どこだ?

エイチ あの海の向こうに大きな穴があいてます。ほら、西のほうにサンゴ礁の島々が見えるでしょう? あの青い青い海に、あそこだけ真っ暗な、まるで海のブラックホールみたいな大きな穴が。

船長 きっと海の石炭袋だ。海のまさしくブラックホールだ。

コイキチ なんだか怖いや。海は大好きだけど、ときどき怖い。あの穴、まっくら闇で吸いこまれそう。

船長 (両掌を合わせ拝む)きっとあそこから西の太陽が生まれたんだな。新しいお日様が誕生したんだ。海から西の太陽がすっぽり抜け出て、穴があいておるんだ。

エイチ いや、船長、あれは何かの大爆発でできた穴じゃないでしょうか? 何かが爆発してサンゴ礁の島が吹き飛んだんじゃ?

船長 まさか! 西の太陽が大爆発したとでも……ハハハ……

コイキチ 怖いやボク。なんだか怖い。

船長 心配するこたぁないよ。この探偵さんは海を知らんのだよ。海で大爆発……だなんて……。

 

      でも、どうやら三人とも、西の太陽の大爆発なのではと思えてくる……

 

コイキチ (船長の袖をつかんで揺する)ねえ、船長、いつもみたいにお話してよ。おやすみするときみたいに。

船長 (自身の体調に異変を感じ、ある思いが駆け巡る)ん……すまんが今はちょっと……

コイキチ 探偵さん、何かお話してくれる?

エイチ お話って……?

コイキチ ねえ、お願い。ボク胸がつまるような気がして……

船長 すまんが、わしは考えごとが……(二人から離れてだるそうに手すりにもたれる)

 

      船長は、二人の話の間中、頭痛、吐き気、目まいに襲われ、血の気も失い、立っているのもやっとの有り様。その苦しむ姿は暗黒舞踏を踊っているようでもあり、なぜかサイとナナギリの話を踊っているようにも見える。

 

エイチ そうだな……息子が好きだったお話がある。

コイキチ うん。なんでもいいから。

エイチ 怖がりのサイの話なんだ。

コイキチ サイ? あの、アフリカにいる?

エイチ そのサイはね、とっても怖がりなんだ。硬いヨロイを着たような体を持ってて、ケンカをすればゾウだってライオンだって負かしちゃうのに、でも見かけとちがって怖がりなんだ。

コイキチ 怖がりのサイ……。

エイチ んでね、草を食べに出る以外は、サバンナの大きな穴に身をひそめてるんだ。だれとも口をきかないで、ジリジリ焦げるような熱い太陽が昇っては沈むまで。話をするのは、体についてる小さな虫を食べにやってくるナナギリという鳥だけ。

コイキチ サイの虫を食べるナナギリ。

エイチ このナナギリがちょっとイジワルなヤツでね。きみの友達のなんとか言った――

コイキチ ザネリ?

エイチ そう、ザネリ君みたいに。でも、だれもいない広いサバンナでは、嫌なやつでも友達になるしかない。

コイキチ そのサイはきっと、たくさんたくさんいじめられただろうね。たくさんたくさん泣いただろうね。

エイチ ああッ、わたしの息子もそう言ってた――「パパ、そのサイはきっと、たくさんたくさんいじめられただろうね。たくさんたくさん泣いただろうね。だけどね……、サイはナナギリをきっとゆるしただろうね」

コイキチ えッ、どうしていじめっ子をゆるせるの!

エイチ 「だって、トモダチだから。サイとナナギリはトモダチだから。たとえどんなヤなヤツでも」。

 

      間。

 

コイキチ トモダチだから……どんなヤなヤツでも……。

 

      船長が意を決して二人に近づいてくる。

 

船長 諸君。話が盛り上がっとる最中だが、わしから大事なお知らせがある。みなには悪いが……、わしは帰ろうと思うんだ。

コイキチ 帰るって?

船長 ふるさとに帰ろう。ラッキードラゴン号は、今からふるさとの港へ引き返す。

コイキチ 何言ってるんです、船長! カンコウ鳥もア~ンシン、ア~ンゼンって言ってるじゃないですか。

船長 ありゃここだけの話、うそばかりつく。

コイキチ 海に散らばってる船を連れて帰らなきゃ。一緒に帰らなきゃ。

船長 そりゃそうなんだが……こぅ体調が悪くては。こりゃ異常だよ、きみ。船長には船を無事に港に帰す責任がある。乗客乗員の安全を守る義務が。コイキチ君、きみも自分の顔色を見てみたまえ。

コイキチ 船長! 助けてあげてください。ボクの友達のザネリを。ザネリの持ってるボクの片目を。ボクの片目が見てる船たちを。海に漂ってる友達たちを。

船長 そうなんだがねえ。いかんせん体が……気力が……

コイキチ 船長、助けてあげて! 助けてあげて!

 

      トそこへまたカンコウ鳥が飛んで戻ってくる。

 

カンコウ鳥 ア~ンシン、ア~ンゼン。アアア、アホ~~!

コイキチ あ、またカンコウ鳥だ。

カンコウ鳥 おい、コイキチ! おまえまだわかんないのか! コイキチ、ラッコの上着が来るよ!

コイキチ だれ、きみ? なんでボクの名前を?

カンコウ鳥 相変わらずバカだな。オレだよ、オレ。

コイキチ ザ、ザネリ⁈ ザネリ? ――ああッ、ザネリだね。きみ、鳥になっちゃったの。アア、髪がぬれてるねえ。潮水をかぶったんだね。船長、ザネリが見つかりました! 船長? ……あれ? 船長動かないや。探偵さんも固まってる。

 

      辺りは不気味に暗くなり、コイキチとザネリの二人だけの影の世界になる。

 

ザネリ (コイキチの片目を取り出して掲げて)おまえにはガッカリだよ、コイキチ。世界の果てまで見せてやったのに。海のすべてを見せてやったのに。

コイキチ ザネリっ! ボクの片目を返して!

ザネリ なぁんにもわかんないんだからな。

コイキチ ザネリ、ボクね、その目で見たんだ。だけど片目で見えるのは世界の半分なんだ。正しいことの半分なんだ。ようよう見えるのは四方八方、海ばかりで。八方四方、空ばかりで。

ザネリ ホントにトロいなあ! サンゴ礁を見ただろ。サンゴ礁が輪っかになって島になってるのを。オレはたどり着いたんだよ、そのサンゴの島に、あてどなく流されてさ。

コイキチ アア、そうだったの!

ザネリ 結局助けてくれなかった。友達を見殺しにしてさ。見てるのに見えないんだったら、こんな目いらない!

 

ザネリはコイキチの片目を海に投げ捨ててしまう。

 

コイキチ アアッ、ひどいや! ザネリ、ひどい! なんでこんなことするの!

ザネリ オレはねえ、コイキチ、まるで狂った竜のような津波にさらわれて、サンゴの島まで流れ着いたんだ。そこでおまえの片目を取り出して、おまえに美しいサンゴ礁の景色を見せてやった。エメラルドグリーンの海に、椰子の実たわわに実る美しいサンゴの島を。ビキニのような腰ミノをつけて踊る島の人たちを。海に沈むでっかい夕日を。そうして助けを待ってたんだ、日がな一日……。そしたら突然、夜明けとともに、西の太陽が「ブラボー!」って叫びながら大爆発を起こしたんだ。オレはコッパミジン、サンゴもろとも、お空の果てまで飛んでった! 何万匹の魚とともに、何万羽の鳥とともに、キノコ雲に乗って高く高く噴き上げられたんだ! ……気づいたら、このありさま。(敬礼をして)九つのダンダンを登った坂の上で、今もさまよってる亡霊たちのように、お上のために働くカンコウ鳥になってたんだ。(鳴き声に涙と怒りをにじませて)ア~ンシン、ア~ンゼン。アアア、アホ~~!

コイキチ ザネリ、ボクどうしたらいい? 何ができる? 何をすればきみの幸いになる?

ザネリ なんでオレだったんだよ!

コイキチ ボク、もう片方の目をあげてもいい。

ザネリ なんでおまえじゃなかったんだよ!

コイキチ 耳も、鼻も口も、なんでも!

ザネリ ウソつけッ! 命は惜しいくせに。命はくれないくせに。アアッ、この世界は狂ってるよ! 大人たちは狂ってる!

コイキチ ボクにはね、妹たちがいるんだ。トシとネリがボクの帰りを……

ザネリ おまえはね、帰れないよ、コイキチ。西の太陽の大爆発で、粉々になったオレのカケラを、雪と一緒に食べちゃったからねえ。

コイキチ ザネリのカケラを? でもあれは、ただの白い雪だよ。

ザネリ バカだなァ。あれは毒の粉だ。ポイズンだ。オレのカケラだ。粉々になったサンゴの粉だ。毒まみれの死の灰だよ。

コイキチ アァッ、バカだった。食べちゃった、ゲーッ、ザネリ、きみのカケラを!

ザネリ 待ってるぞ、コイキチ。お空の果てで。英霊になって戻っておいで! ア~ンシン、ア~ンゼン。アアア、アホ~~!

 

      ザネリのカンコウ鳥が飛び去っていく。

 

コイキチ ザネリ! ザネリ! ……アアッ、取り返しがつかないや。アア、どうしよう。片目もなくなっちゃった! 船長、船長! 探偵さん! 起きて。ねえ、起きて。ボク大変なことになっちゃった!

 

      船長とエイチが目覚める。

 

船長 ……ん? なんだ? どうした?

エイチ 何泣いてる、コイキチ君?

コイキチ ボク――、ボク――

船長 海の男が泣くなんて情けないぞ。とにかく今は進路を北に取るんだ。帰れソレントへ……もとい、帰れふるさとへ。北はどっちだ? コイキチ君、コンパスだ。ほら、泣いてないで。

コイキチ (パニックになりつつもポケットからコンパスを取り出して)ボクどうしたらいいんだろ……、ああッ、船長、見てください。コンパスの針がクルクルクルクル回ってます。クルクルクルクル、クルクルクルクル。コマネズミみたいに。それともボクの目が回ってるの? どっちが北でどっちが南でどっちが東でどっちが西でしょう? どっちがふるさとの港でしょう?

船長 ムムッ。む、無線をつないでみてくれ。

コイキチ (見えない無線機で無線交信する)ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……船長、応答がありません! ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……まったく応答が! 港も船も応答なし。ボクらはぐれたんだ、このでっかい海の真ん中で。

船長 んな、バカな。

コイキチ (次第に投げやりになってくる)ト・ツー…ト・ツー・ト・ツー…ツー・ト・トト……(見えない無線機を放り出す)なんだかボク、ヤんなってきちゃった。

船長 そんな仕事は教えてないぞ。途中でものを投げ出すなんて。

コイキチ だって――だって……

船長 わが子同様育ててきたが、こんな根性なしの人間だとは。情けない。

コイキチ ごめんなさい、船長。ボク……ボク……

船長 言いわけはいらん。

コイキチ (両手で頭をまさぐる)アアッ、頭が痛い。割れそうだ。

エイチ (気づいて)コイキチ君、髪が、髪が――

 

      コイキチが驚いて、頭をまさぐっていた手を離すと、その指の間に自分の髪が抜けている。

 

コイキチ アアッ! アアッ!

船長 (ハッとして自分の髪を引っぱる。ト髪が抜ける)ムムッ……!

コイキチ ボク、坊主になっちゃうのかな……!

エイチ (コイキチの体の異変に気付いて)これは……! 紫の斑点が……体中に!

コイキチ ああ、なんだかのども……。熱っぽいし……。ぶらぶらぶらぶら、怠け者になったんでしょうか。こんな自分はヤだなぁ。東に困ったお百姓がいれば、助けに行きたいのに。西にお年寄りがいれば、おんぶしてあげたいのに。雨にも負けず、風にも負けず、船を連れて帰らなきゃならないのに。津波に流された友達を助けられる、そういう者にボクはなりたい――そう思ってたのに。

 

      コイキチはふらふらとうずくまる。

 

エイチの息子(声) 助けてあげて……助けてあげて……!

トシ・ネリ(声) 助けてあげて……お兄ちゃんを助けてあげて……!

 

      そのときまた、遠くかすかにエイチの息子とトシとネリの声が、エイチの耳にだけ聞こえてくる。

 

エイチ ……聞こえる。聞こえる。息子の声が……きみの妹たちの声が。

コイキチ ボクには全然、まったく、なぁんにも。悲しくなっちゃう。

エイチ 船長、聞こえるでしょ? 船長?

船長 ああっ、気分がッ……

エイチ (両の耳に手を添えて)こっちだ。こっちから声がする。コイキチ君、わたしが代わりに無線交信士になるよ。船長、こっちの方角です。こっちが北です。ふるさとです。

船長 ………。

 

      船長は二十秒じっと考え込み、やがて苦渋の決断をして。

 

船長 すまんがね、きみ。

エイチ なんです?

船長 代わりに……船長を務めてくれんかな?

エイチ わたしが――、船長を?

船長 ここで職務を投げ出すのは断腸の思いだが……。舵を握るだけでいいんだ。ヨーソローと叫ぶだけで。……雪を食べ過ぎてしまったんだ、年甲斐もなく。ハハ……。

エイチ でも船長、わたしは海の男じゃないんですよ。操縦なんて――

船長 緊急事態なんだよ! 元気なのはきみしかおらんのだから。これだよ、これ、裸の王様防護服を着とったのがよかったんだよ。頼むよ、日ごろ頭を下げんわしが、この通り。

 

      間。

 

エイチ や、無理です、どう考えても。

船長 コイキチ君を連れて帰らにゃならんのだろ? きみに何があったかは深くは知らんが……きみは、コイキチ君を。

 

      エイチは弱っていくコイキチをじっと見て。

 

エイチ だれかがそれをやらねばならぬ……ですか。

船長 (ふと)ねえ、きみ。わしはこのまま死ぬんだろうか。――や、こりゃもちろん冗談だがね。しかしなんだなァ、船長失格だ、ハハ……。

 

      船長は「頼んだぞ」というようにエイチの肩をポンッと叩き、そして歩くのもやっとの様子で船底へ行く。

   エイチは操舵室に入り、船の舵を握る。

 

エイチ わたしは生まれて初めて舵を握った。自分の人生の舵さえうまく操れないのに。ダブリュウはよくわたしに言ったもんだ……エイチ君、きみはどうも事態をややこしくする。もっとシンプルに考えなきゃ。もっと正しく、シンプルに。――今は舵を握ることだけを考えよう。北へ北へ、ふるさとへ。ヨーソローー!

 

      ラッキードラゴン号は西の太陽の下から北へと進路を変える。

 

コイキチ (朦朧としている)ああ……、どこへ行くんです?

エイチ ふるさとだよ。きみの妹たちの元へ帰るんだ。(耳に手を当て声を聴く)ん、こっちだ。

コイキチ (激しく抗う、魂の底から)ダメだ、アアッダメだよ……! 船を連れて帰らなきゃ。もっともっと友達がいるんだ。ザネリの他にも。マルソもカトウも。

エイチ すぐだから。十日もすればふるさとへ……

コイキチ (エイチの体にすがりつく)ダメだよ! ダメだったら――

エイチ わたしはなんにもできない大人だが……せめて子どもとの約束は守りたいんだ。

コイキチ 探偵さんッ、頼みを聞いて。ね、船を助けようよ。

エイチ 走れ、ポンコツ船め。もっと早く。おまえそれでも原発船か!

コイキチ 兄さんは船を助けたよ、たくさんたくさん、友達を救ったよ、少しは役に立ったよって……妹たちに自慢したいんです。

エイチ わかってる……。でもそれは元気になればいつだって――

コイキチ アアッ、大人は気休めばかり言う。ボクもうダメなんでしょ? ザネリのカケラを食べたんだから。

エイチ 帰ろうッ、コイキチ君!

コイキチ 兄さんは一生懸命働きましたと。雨にも負けず、風にも負けず。一生懸命友達を捜しましたと……。

エイチ 帰ろう、ふるさとの街へ……一緒に……!

 

急にコイキチは痙攣するように何度も背中を激しくのけぞらせる。

 

コイキチ アアッ、アアッ! 体を食い破ってく……ザネリのカケラが! アアァッ……!

 

   船長がよろめきながら船底から顔を出す。

 

船長 実はね……、西の空に昇る太陽は、あれは海の向こうの世界一ブラボーな国がつくった物なんだ。壮大な化学工場で、十年分の国家予算をつぎ込んで。それでね、その西の太陽のエネルギーを、わしらも使っておるんだよ。大人しくて小さな西の太陽につくりかえて、ごくごく平和的に、積極利用してるんだ。わしらは西の太陽のお陰で暮らしておるんだよ。

エイチ 命を奪う太陽なんてあるもんか!

 

      船長は赤い制帽を脱いでじっと見る。制帽をはたくと白い死の灰がバッと舞い上がる。

 

船長 (苦しそうに激しく咳き込む)ゴホゴホッ……! ブラボーな国が求める平和は、辺りに灰をまき散らす。

コイキチ (弱っていく体の力を振り絞って)船長……! 元気でいなくちゃ! おばちゃんが帰りを待ってるんだから。

 

      船長は赤い制帽を叩きつける。

 

船長 クソッ……! (ポケットから妻の写真を取り出して)アアッ、幸せにしてやれんかったなァ……!

 

      船長はまるで沈む月のようによろよろと船底に引っ込む。

 

コイキチ 船長……!

 

      エイチは舵を握り続ける。

      コイキチは操縦するエイチの体に力なくもたれる。

 

エイチ ラッキードラゴン号は全速力で走りました。帰る先があるから旅なんだ。帰るふるさとがあるから、わたしたちは安心して航海していられる。

……九日目の朝でした。

ほらほら、コイキチ君! ふるさとの港が見えてきたよ。日本の面影が。きみの妹たちが心配して待ってるよ。トシちゃんとネリちゃんが。

コイキチ (頭をやっともたげて陸を見る)トシ……ネリ……!

 

   九日の間にコイキチは衰弱しきっている。

 

エイチ わたしはね、コイキチ君……きみを港に届けたら、探偵を辞めようと思うんだ。どっか田舎で暮らそうと。畑でも作ってね。……実は、わたしはきみぐらいの息子を亡くしてね。目の前でおぼれる息子を――「助けて、パパ!」って深い川に流されてく息子を――助けられなくて……!

妻はね、息子の動画を見ようとするんだ。三人で川にキャンプに行ったときの。毎晩毎晩……。それがわたしには耐えられない。やめろって言うんだけど、やめやしない。妻はね、目の玉が穴ぼこなんだ。穴ぼこの目で動画を見て、穴ぼこの目で涙を流すんだ……!

コイキチ ああッ、最期に炊き立てのマンマで、卵かけご飯が食べたかったなぁ……。

エイチ なんだよ、いきなり?

コイキチ 探偵さんは、なんのために生きてるの? 子どものため? 奥さんのため? 仕事のため? 探偵さんの本当の幸いって何?

エイチ それが、わからないんだそれが。息子がいなくなってから……!

コイキチ 息子さんに会ったら、ボクが何か言ってあげる。伝えたい言葉がありますか?

エイチ そんな悲しいこと言わないでくれよ……!

 

      コイキチは暗黒舞踏を踊るように激しく苦しみ出す。

 

コイキチ アアッ、アァアッ! ボクの体に……アアッ西の太陽が……穴ぼこを! アアッ! アアッ……アアアッ!

エイチ (涙が込み上げて)コイキチ君……! もっと早く走れ、ポンコツめ!(速力を上げる。船が苦しそうなエンジンのうなりを上げる)みんながきみの帰りを待ってるよ、みんなが。……わたしはね、ブタの貯金箱をもらってるんだ。女の子たちと約束したんだッ。息子みたいな目に合わせたくないんだよ!

 

   コイキチは最期の力を振り絞って――

 

コイキチ ボクはね……探偵さん。ウソをついてたんだ。ザネリなんてどうでもよかった……「ラッコの上着! ラッコの上着!」ってあいつはボクを笑ってた。――ボク、ホントは片目を取り戻したいだけだったんだ……!

エイチ そんなことないだろッ。友達を助けようとしてたじゃないか、あんなに必死に。

 

      コイキチは残りの片目を手に取って、エイチのポケットにそっと入れる。

 

コイキチ ほら、探偵さん。探偵さんに残りの目をあげる。この目で世界の行く末をボクに教えてね……!

エイチ コイキチ君……!

コイキチ (朦朧として、目のない目で前を見て)ああ、大きな穴だ……まっくら闇の……アアッ、ザネリを噴き飛ばした穴だ……

 

    目の前に陸が近づいてきた。

 

エイチ ほらほら見えてきた! 陸が。港が。ふるさとに着いたんだ。コイキチ君、しっかりしろ。コイキチ君。おい! ふるさとに着いたんだよ!

 

ふるさとの街に何かが降っている。黒い雨粒のシルエット。

 

エイチ アッ、アッ、なんだあれ? ……雨だ。黒い雨だ。コイキチ君。ふるさとの街に黒い雨が降ってるよ、街が水墨画のように黒く染まってく。ふるさとの港に――山に――川に――黒い雨が……!

 

      コイキチの魂が、体からそっと離脱する。

 

コイキチ (魂として)アアッ、ザネリに悪いことをした。ザネリ、ボクそんな気はなかったんだ……!

 

      魂のコイキチは静かに去っていく……エイチはそれに気づかない。

      さらに港に近づいていく。ふるさとの港はもう目の前だ。

 

エイチ ほらほら港はもうすぐそこだ。コイキチ君! 目をあけろよ。おい! コイキチ君! (気づいて驚く)……アアッ、ブレーキがッ! ブレーキがッ! アアッ――陸が――港が――‼ ぶつかるッ‼

 

      港にぶつかったラッキードラゴン号は、岸を飛び越え、陸地に乗り上げ、突き進んでいく――その轟音。

 

エイチ (猛烈な振動に見舞われながら)わたしの操縦するラッキードラゴン号は、まるで竜がのたうち腹を打ちつけるように、岸を飛び越え、陸地を突き進みました。その弾みで、コイキチ君の体はどこかへ投げ飛ばされてしまった――。(姿の見えないコイキチを捜す)コイキチ君! コイキチくーん! おーい、おぉーい! コイキチ……君! コイキチくーーん……!

 

   しかしコイキチの返事はない。姿も見えない。

 

エイチ 船は……出航したときと同じ丘の上に、その竜のような体を横たえ止まりました……。

 

      そこは丘の上の船着場。

 

エイチ 不思議なことに船には大量のマグロが乗り上げていました。そうです、この船はマグロ魚船でもあったのです。しかしそのマグロはどれもこれも、あのときのコイキチ君のように死んだ目をしていました……その死んだような目から汚染された涙を……。

 

象徴的に、ガイガーカウンター(放射線測定器)の不快音が大きくガーッガーッバリバリと響く。マグロが鳴いているのである。

エイチは逃げるように船から降り、コイキチのふるさとの街を見渡す。

 

エイチ コイキチ君、きみの愛した北のふるさとだよ。やっと着いたんだ。やっと。きょうも変わらずふるさとの山はここにあるよ。ふるさとの川はここにあるよ。何もかも変わらない……見た目には……。(怯えを含んで)ただ……人がだれも住んでないんだ。だれも、ひとりも。街だけが取り残されて。黒い草がぼうぼう生えて……。

 

      海からカンコウ鳥が一羽やってくる。そのカンコウ鳥は紛れもなくコイキチの面影を宿している。

 

鳥コイキチ ア~ンシン、ア~ンゼン。アアア、アホ~~!

エイチ (コイキチだとは気づかない)あ、カンコウ鳥だ。

鳥コイキチ このふるさとの街は住むのになんら問題はありません。街のクリーニング作業は完了しました。いつでもだれでも戻ってきて、好きなだけ好きな所に住むことが可能です。ただし……自己責任で!

 

      もう一羽、南の海からお知らせ鳥がやってくる。ザネリのカンコウ鳥だ。

 

鳥ザネリ ア~ンシン、ア~ンゼン。この国は世界一安全です。なぜなら世界一厳しい安全審査の元、世界一クリーンなエネルギーを使っているからです。この国は世界一美しい国なのです。「美しい国、アンゼン!」

鳥コイキチ・鳥ザネリ アアア、アホ~~!

エイチ もうわかったよ。あんまりしつこくくり返されると、人間バカだから、それが本当に思えてくる。さ、行け。

鳥コイキチ・鳥ザネリ (飛び立つ)アアアア~~!

エイチ (カンコウ鳥を目で追いつつ)ゾンビみたいにしぶといなぁ。

 

      間。

 

エイチ ……さて、それからのことです。わたしは自分の街に戻り、だれかの訪問を待つでもなく、呆然と日々を過ごしていました。

 

      そこはエイチの探偵事務所。エイチはふとブタの貯金箱を手に取る。

 

エイチ しばらくして、わたしの事務所に……

 

トシとネリ、ふたりの姉妹が事務所を訪ねてくる。

 

エイチ それは事前の連絡もなく出し抜けで、わたしを戸惑わせました。わたしはブタの貯金箱を女の子たちに返しました。仕事は……成功しなかったのですから。

トシ・ネリ どうもありがとう……。

エイチ え?

トシ・ネリ (次第に激しく泣いて)どうも……ありがとう……一生懸命やってくださって、どうもありがとう……!

エイチ (激しく涙が込み上げて)ありがとうって……そう言われると――。

 

      トシとネリは一葉の写真をエイチに渡すと、手をつなぎ去っていく。

 

エイチ それは、さみし気に微笑むコイキチ君の遺影でした。そしてそのコイキチ君の遺影を抱くふたりの姉妹の写真でした。その写真の女の子たちほど、悲しそうな顔で泣く子どもを、わたしは知りません……!

 

      明かりの中に、まるで白黒の写真のように、トシとネリがコイキチの遺影を抱いて泣いている姿が浮かぶ。

 

トシ・ネリ「(激しく泣きじゃくる)助けてあげて! お兄ちゃんを助けてあげて!」

 

エイチ こういう涙を止めなきゃいけないッ。それが大人の仕事だ。それが――いつもあとになってわかるんだ。バカだなぁッ。

 

トシ・ネリ「(涙声は遠くなり消えていく)助けてあげて! 助けてあげて……助けて……あげて……」

 

エイチは、トシとネリからもらった写真を机に飾る。

 

エイチ ……さて、それからのちの話です。結局わたしは探偵を……辞めませんでした。田舎にも引っ込みませんでした。探偵の仕事が好きなんでしょうか。

仕事をしていると、ふとした拍子に、「探偵さんの本当の幸いって何?」ていう、コイキチ君の問いかけが心に蘇るんです。わたしはなんのために生きているのか……。

   あるとき、妻に尋ねました……「どうする?」って。彼女は四六時中家にいて、ソファに寝転がり、息子の動画を見ているんです。動画を見ながら穴ぼこの目から涙を流して……。その妻にわたしは尋ねました、その辺を散歩でもするみたいに……「どうする? もう少し一緒に人生を歩いてみる?」

 

間。

 

エイチ こうしてきょうもまたダブリュウから引き継いだ探偵事務所で、日がな一日客を待っています。代わり映えのしない毎日です。何事もなかったかのような。変わったことと言えば……

 

      エイチはスマホを取り出して、自分のSNSに文字を打ち込みながら、一人つぶやく。

 

エイチ ……『始まりは夢です。夜寝て見る夢。「助けてあげて……!」という幼い息子の声を聞いたんです。それが切実で、夢じゃないみたいなリアルさでした。そういう夢ってたまにあるじゃないですか。

   ……その日の午後、女の子の姉妹が事務所を訪ねてきたんです……』

 

      エイチはポケットから、コイキチから託された「目」を取り出して、語りかける。

 

エイチ だれが読んでくれるかわからないけど……どこかに発信すれば、だれかとつながれる気がするんだ……。

 

      ――思わず咳が出る。西の太陽の毒の影響か……

 

エイチ (不安げに甲状腺の辺りを押さえる)アアッ、のどがッ……。ゴホゴホッ……!

 

とノックの音がする――客が来たのだ。

 

エイチ (めまいにふらつくが、ドアの所まで出迎えに行く)はい――。どうぞ。

 

エイチは来客に驚く。だが、優しく来客の子どもの目線に腰をかがめて。

 

エイチ 探偵事務所だよ、ここは。何か用かな?

 

エイチは相手からブタの貯金箱を手渡され、驚き戸惑う。

 

エイチ え……!

 

エイチはコイキチの遺影のそばに行き、ブタの貯金箱をそのとなりにそっと置く。心を決めて振り向いて。

 

エイチ さ、だれを助けに行けばいい?

 

                         (幕)
 

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