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朝鮮戦争 Korean War 1950-1953

    朝鮮戦争勃発は1950年6月25日。76年前のこと。そのためか最近、朝鮮戦争に関する記事を多く目にする。
    1948年8月15日、38度線の南では、李承晩が大韓民国成立を宣言した。これには南北分断を固定化するとの批判があった。他方、北では9月9日に金日成が朝鮮人民民主主義国の成立を宣言した。南北の2つの国家は互いに、南北の統一を主張していた。
 東欧では、ユーゴを別にすると1948年頃までに、ソ連の影響の強い社会主義政権が相次いで成立した。また1949年8月29日。ソ連は原爆の実験を行い成功している。さらに1949年10月1日には、中国で「中華人民共和国」の建国が宣言された。
 こうした中、アメリカの国務長官ディーン・アチソンは1950年1月の演説の中で、国の不退転の防衛ラインとして、日本、沖縄、フィリッピンのラインを示した。韓国、台湾を含まないラインを示した。このアチソンライン(Acheson Line)の提示は、北朝鮮が侵攻しても、アメリカは反撃しないとの期待を、ソ連ー北朝鮮に抱かせることになった。
 朝鮮戦争は1950年6月25日午前4時。北朝鮮軍の砲撃により戦闘は始まった。当時、北朝鮮軍はソ連製の戦車240両を保有するなど、これに対抗できる火力を持たない韓国軍に比べ、火力で圧倒的に優勢でわずか3日後の6月28日には、ソウルを陥落させた。
 この時、北朝鮮軍の南下を避けるため、韓江(ハンガン)にかかる橋が避難民がまだ通行中だったのに爆破され、多くの避難民が犠牲になったほか、首都防衛にあたっていた韓国軍まで、橋を通って避難することができなくなる韓国軍の不手際があった。
 このあと韓国軍は一気に南に追いつめられる。その過程で、南北双方による凄惨な虐殺事件が起きている。1950年6月27日、李承晩は南朝鮮労働党関係者の粛清を決定実行したほか、保導連盟関係者の虐殺に進んだ(保導連盟事件)。保導連盟は転向者などを登録させたものだが、これを虐殺した。犠牲者は20万におよぶとされる(犠牲者の数は諸説あり)。なおその後、北朝鮮でも、南朝鮮労働党関係者は粛清の対象となった。
(これより3年まえのことだが、台湾では国民党軍により極めて残虐な本省人:もともと台湾に居住していた人の虐殺事件が起きている。1947年2月28日から5月16日。2・28事件である。その犠牲者は2万近いとされる。ここで重要な問題は、統治への不満を示した台湾省人に血の弾圧を加えて、国民党が台湾統治を始めたという歴史的事実である。他方、台湾が国民党による独裁政権国家となった時期に、李承晩は大韓民国を成立させ、自身に反対する人への弾圧を始めていた。そして1950年6月の朝鮮戦争の開始により、その手法に歯止めがかからなくなり、粛清という露骨な手段に向かった。)

 ところで1950年6月の北朝鮮による侵攻当時、ソ連は国連のすべての会合をボイコットしていた。ソ連は中華民国に代えて、中華人民共和国を常任理事国にするべきだと主張して、中華民国の国連からの排除を求める決議案を国連に提出。それが否決される(1950年1月13日)と、国連のすべての会合をボイコットする戦術にでていた。米国は、ソ連の国連離脱を利用して、国連の各会合において、北朝鮮による武力侵攻を批判し、国連軍派遣を決めた(6月27日及び7月7日)。この結果、米国の主導のもと国連軍が派遣されることになった(サムネイルは南東端まで押し込まれた1950年8月末の戦況 図版はBritanicaより)。

 北朝鮮が有利の形勢を逆転させたのは、米軍内部の異論を抑えてマッカーサーにより1950年9月15日に断行された仁川(インチョン)上陸作戦。南方に奥深く展開して仁川の防衛を軽く見るミスを犯した北朝鮮軍は、これに対応できなかっただけでなく、南北から挟み撃ちに会い敗走することになった。国連軍は、9月末にはソウルを奪還した。こうして形勢は国連軍に有利になり、多くの人が国連軍の勝利を確信したとき(以下は国連軍がほぼ半島をおさえた1950年10-11月頃の形勢)、再び事態を変化させたのは、1950年10月19日、義勇軍の名称による中国軍の参戦である。

形勢図 Britanicaより


 この日、1950年10月19日、中国人民義勇軍は鴨緑江を超えて、進軍を開始した。中国軍の参戦を得た北朝鮮軍は勢いを取り戻し、戦線は38度線を挟んで、前進後退を繰り返すようになった(追記 その後、戦線の拡大を主張するマッカーサーとトルーマン大統領が対立。1951年4月11日、マッカーサーの解任に至る。このことも戦線の膠着につながる。) 

 1953年7月27日 朝鮮戦争はようやく休戦協定に至る。背景として指摘されるのは1953年3月5日、ソ連の指導者のヨゼフ・スターリンの死である。スターリンは3月4日早朝、脳出血を起こし、結果として翌3月5日に亡くなった。北朝鮮の後ろ盾であるスターリンの死は、朝鮮戦争休戦をもたらした。


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福光 寛  中国経済思想摘記 main page: https://note.mu/hiroshifukumitsu  マガジン数は20。「マガジン」に入り「もっと見る」をクリック。mail : fukumitu アットマークseijo.ac.jp