顔色をうかがい続けた私が、自分の人生を取り戻すまで
両親のケンカの中で覚えた「顔色をうかがう」生き方
私が物心ついた時から、
両親はいつもケンカをしていました。
父:「俺に口答えするな!」
母:「アンタのそういうところが気に入らない!」
口を開けば罵り合いが始まるような、
そんな両親の間に生まれました。
幼い頃の私は、
ただ黙って見ているしかありませんでした。
この頃にはすでに、
「他人の顔色をうかがうこと」が、
「当たり前なこと」になっていました。
父親の口ぐせは、
こうでした。
「俺の言うことを聞けばいいんだ!」
「口答えするな!」
「じゃ勝手にしろ、俺は知らないからな!」
自分の思い通りにならないと、
気がすまないし、
自分の考えが「正しい」と、
「決めつけ」ているような人でした。
一方、
母親は、
直接何かを言うというより、
「不機嫌」を利用して、
「察する」ことを求めることで、
言うことを聞かせようとする人でした。
私がなにか言おうものなら、
「否定」が倍以上になって返ってくるため、
次第に「何も言わない」ようになりました。
たとえ、
「こうしてほしい」、
「こうしたい」があったとしても、
次第に自分から
誰かに伝えることをしなくなっていったのです。
自分の考えや気持ちを、
「受け止めて」もらえなかったから、
「諦めた」のかもしれません。
今思えば、
幼い頃にはすでに、
「他人の顔色をうかがう」ことと、
「自分の言いたいことが言えない」ことの、
土台が出来上がっていたのかもしれません。
「画家になりたい」という夢を諦めた日
小学生の頃、
私は絵画教室に通っていました。
絵を描くことが好きで、
絵画教室を通じて出品した作品が、
賞を取ったこともありました。
当時は、
「画家になりたい」という夢がありました。
その夢を、
両親に話したこともありました。
ただ、
父親からは、
こう言われました。
「画家なんか食えないからやめておけ」
成長したとはいえ、
まだ知識も経験も乏しく、
世の中のことを知らない私に、
反論するだけの力はありませんでした。
いつしか、
誰かの「言われた通り」にする生き方が、
無意識のうちに染みついていったのです。
「期待に応えること」が自分の価値になっていった
そうして、
母親から言われるままに、
「中学受験」をしました。
別に私立に行きたかったわけでも、
勉強が好きだったわけでもありません。
母親に、
「ほめられる」から、
「喜んでもらえる」から。
ただそれだけの理由で、
それほど興味もない私立受験の勉強を、
頑張り続けました。
小学生の頃には、
「他人の期待に応える」生き方が、
いつの間にか身についていたのです。
ただほめられるだけの勉強のために、
「遊び」をあまり知らずに育ちました。
「ポケモン」は知っているものの、
「ドラクエ」や「FF」など、
「みんな」が遊んでいるものの「楽しさ」を、
知らないまま時間を過ごしたのです。
「遊び」や「楽しさ」を、
「犠牲」にしてまで勉強を頑張っても、
「中学受験」はうまくいきませんでした。
「失敗」をし、
「挫折」も味わいました。
どこにも合格できず、
一番悲しんだのは母親でした。
その姿を見て、
自分の「失敗」によって、
誰かが「悲しむ」という経験をしました。
そこから、
誰かを「悲しませない」ために、
相手の「期待に応えなければならない」、
という考えが固まったのです。
息を殺して過ごした小学6年生
そんな受験一色で、
殺伐とした1年を過ごしたのが、
「小学6年生」の時でした。
クラスは、
「私立受験組」と、
「地元の公立進学組」とで分かれていました。
そして、
「私立受験組」の生徒達が、
「地元の公立進学組」の生徒達を、
「見下す」ようなところまでありました。
私も一応「私立受験組」でしたが、
こわくて「見下す」ことなどできませんでした。
クラスの雰囲気は、
小学校6年間の中で、
間違いなく「最悪」なものでした。
クラスの中の「空気」を読みながら、
ひたすら目立たないように、
誰かに目をつけられないように、
じっと息を殺してやり過ごす。
それに、
「たいしたことない」、
「使えない」などとみなされれば、
「見下される」ことのほかに、
「なにをされるかわからない」という恐怖。
こうしたギスギスした雰囲気が、
クラスの中にありました。
私はこの時初めて、
「死にたい」と考えるようになりました。
ただ、
親が悲しむと考えて、
死を選ぶことはしませんでした。
やりたくないことでも、断れなかった中学時代
中学に入ってからも、
「期待に応える」生き方が続きました。
中学2年になり、
ある教師からこう言われました。
「生徒会役員になってくれないか?」
私は正直、
「やりたくない」と思いました。
ただ、
何度も説得され、
ついにやることにしました。
誰かの「期待に応える」ことによって、
相手に「喜んでもらえる」ことに、
疑いを持っていなかったからです。
ただ、
いざ生徒会役員になってから、
うまくいかないことがたくさんありました。
資料をうまく作れないだけで、
馬鹿にされ、見下される。
うまくいかなかったことを話題にされ、
「吊し上げ」られるようなこともありました。
言い返したいことはあっても、
何も言い返すことができませんでした。
どうせ無駄なことだと、
諦めていたのかもしれません。
そんな、
「理不尽」や「不条理」を感じながらも、
なんとか生徒会の役目を務め終えました。
自分の中では、
「やりきった」ことで、
「自信」になりました。
ただ、
それは、
「他人の期待に応える」ことを、
補強するための「自信」に過ぎなかったのです。
そうやって、
誰かの「顔色をうかがい」ながら、
「自分の言いたいこと」を言えず、
「他人の期待に応える」ことを続けてきたため、
「自信」が育つことがなかったのです。
社会に出ても、自分の本音は押し殺したままだった
公務員試験がうまくいかず、
民間の就職に切り替えて活動を始めたものの、
ここでもうまくは行きませんでした。
元々自信がなかったのに、
書類を送っても通過せず、
面接でも次に進めないことが続き、
より自信がなくなっていきました。
ようやくなんとか、
実家にも近い中小企業に就職が決まりました。
照明器具の、
販売代理店の会社に、
営業として採用されました。
「やりたいこと」だったわけでもなく、
「入りたい」会社でもなく、
「内定が最初にもらえた」から。
ただそれだけの理由で入社しました。
入社してからも、
一向に結果を出せず、
ずっと低空飛行が続いていました。
わからないことを教えてもらおうとしても、
返ってきたのはこんな言葉でした。
「自分で考えろ」
「それくらい自分でできるだろ」
「そんなこともできねぇのかよ?」
わからないから聞いているのに、
なにも言わない、なにも教えない、
「放置」が続きました。
それならと、
自分で考えて、
自分なりにやってみても、
うまくいかずに「失敗」をすると、
こうも言われました。
「なんでもっと早く聞かないの?」
「なんで自分1人でやろうとするの?」
「1人で勝手にやるなよ」
内心、
こんな「怒り」が湧きました。
こっちから聞いても、
教えてくれなかったのはアンタの方じゃないか!
まともに取り合ってくれなかったくせに、
都合が悪くなったらこっちのせいにしやがって。
なんでこっちが「悪い」、
みたいに言われなきゃならないんだよ!
ただ、
こうした「本音」を、
自分で必死に抑え込もうとしました。
こんなことを言ってしまったら、
大変なことになると考えて、
自分で自分の「本音」を、
押し殺そうとしたのです。
そんな自分のことが、
「嫌い」でした。
言いたいことがあるのに、
まともに言えない、言い返せない自分。
自分は悪くないはずなのに、
相手の態度を見て、
自分を抑えつけようとする自分。
なにもできない、
なにも役に立てない、
なにも自信が持てない自分。
そんな、
「価値のない」自分のことが、
「嫌い」で仕方ありませんでした。
この頃から、
「生きる意味」がわからなくなりました。
「このままでは無理だ」と糸が切れた日
それから数年して、
ようやくお客さんから、
引き合いをいただけるようになったり、
メーカーの担当者とも仲良くなったり、
少しずつ軌道に乗り始めました。
ただ、
「コロナ禍」をきっかけに、
今までのことを振り返ることになりました。
ちょうど30歳になる時に、
「これから」のことを考えました。
毎日21時、22時まで残業しても、
終わることのない仕事。
トップダウンで、
朝令暮改が当たり前の職場。
「助け合う」がない空気。
このまま定年まで、
何十年と続ける未来を、
私は描くことができませんでした。
そして、
その矢先に、
原因不明の高熱が出ました。
時期も時期で、
「コロナ」を疑われましたが、
「陰性」でした。
この時に、
まるで「腫れ物」扱いされ、
体調が悪い中でも、
働き続けなければならない状況を、
「おかしい」と感じてもいました。
そしてある時、
「糸が切れる」音がした後に、
急に我に返ったのです。
「具合が悪いのに、
どうしてこんなに必死にならないといけないの?」
「なんで誰も気にかけてくれないの?」
「なんで自分ばっかり身を削り続けなきゃならないの?」
次は決まっていませんでしたが、
「辞めたい」ことは明確にわかりました。
30歳を過ぎて、初めて手にした静かな暮らし
幸いすぐに次の職場が見つかり、
それに合わせて一人暮らしも始めました。
よくホームシックになる、
と言われていましたが、
私の場合は逆でした。
両親のグチやケンカを聞かずにすむし、
いきなり話しかけられることもない。
自分のペースを乱されることなく、
静かな時間を過ごすことができる。
そんな「快適」な暮らしを、
30歳を過ぎてようやく味わうことができました。
また居場所を失い、身体が動かなくなった
転職しても、
職場の雰囲気自体は、
多少はマシくらいで、
あまり変わりませんでした。
むしろ、
「疎外感」を感じる場面もありました。
2社目は、
「地元」の人達が9割近くで、
話題はいつも「地元あるある」でした。
「よそ者」の私は、
ついていけなかったり、
知らなかったりするため、
「取り残される」ような感覚がありました。
それに、
次から次へと人が入れ替わり、
途中から入ってきた人のことを、
覚えるのをやめたくらい、
激しいものでした。
ある時から、
あまり思うように成績が振るわなかった私は、
同じ部署の責任者に目をつけられました。
「指導」のもとに、
「否定」をされ続け、
「認められる」ことはありませんでした。
誰も文句が言えず、
むしろ私が彼からの「否定」を受け止め続ける、
「スケープゴート」状態になっていました。
元々自信がなかった私が、
「否定」によって自信を削られ、
さらに自信をなくしていきました。
ある朝、
身体が動かなくなりました。
全身が鉛のように重くなり、
どうにもならないだるさを感じました。
なんとか会社に休みをもらい、
ネットで症状について調べた後、
心療内科に行きました。
そして、
「適応障害」と診断されました。
ただ、
不思議と、
あまり驚きませんでした。
「やっぱりか」
やけに冷静なところもありつつ、
ホッとしたことを覚えています。
翌日診断書を持って会社に行き、
ほどなく「休職」になりました。
これで、
しばらく会社に行かずにすむことについては、
安心したことを覚えています。
「適応障害」と、「婚約破棄」という大きな別れ
ただ、
それ以上に、
つらい「別れ」がありました。
「適応障害」になる前に、
「婚活」をしたことがありました。
「マッチングアプリ」や、
「婚活パーティー」を経て、
「結婚相談所」で「パートナー探し」を
したのです。
幸いご縁があり、
「結婚」の約束をした相手でもありました。
ただ、
「運命」は、
私達2人を一緒にすることはなかったのです。
「適応障害」をきっかけに、
「婚約破棄」となりました。
彼女から、
電話口で泣きながら、
「別れ」を告げられることになり、
当時の私は、
受け入れるしかありませんでした。
後になって、
「どうして一緒にいてくれなかったんだろう」、
と考えることもありました。
ただ、
それは彼女なりの、
「最後の優しさ」だったと、
今では思っています。
「わだかまり」はなく、
「感謝」しています。
初めて「自分」と向き合った自己理解プログラム
そんな当時は、
「自己理解プログラム」を
始めた時でもありました。
また転職しようと考える中で、
自分が「やりたい」ことはなんだろう、
と考えたからです。
1社目に勤めていた時から、
八木仁平さんのことは知っていました。
YouTubeも見ていたし、
転職したいと思っていたので、
受講することにしました。
・価値観(大事なこと)
・得意(得意なこと)
・好き(好きなこと)
この3つの要素を組み合わせて、
自分の「本当にやりたいこと」を見つける、
3ヶ月間のコーチングサービスです。
このプログラムを通じて、
自分の「内面」と向き合うことになりました。
自分がやりたいこと。
自分が好きなこと。
自分がどうしたいか。
いわゆる、
「自分軸」と呼ばれるものを、
「育てる」機会となりました。
また、
担当していただいたコーチに、
私の考えや思ったことを「受け止め」て、
「肯定」していただいたことも、
私にとっては初めての経験でした。
両親や教師、
会社の人間関係では、
「受け止め」てもらうことも、
「肯定」してもらうことも、
ほぼなかったからです。
将来の夢や進路、
仕事のやり方など、
「自分」を出すことが認められず、
「誰か」が決めたことに沿って、
言われた通りにすることが、
「いいこと」だと教えられてきたからです。
だから、
コーチからの、
「いいですね!」、
という言葉が、
とても新鮮に思えたのです。
誰かから、
自分のことを受け止めてもらい、
肯定してもらえたことで、
ようやく自分のことを、
自分で認められるようになったのです。
これが、
私の「自己受容」の始まりでした。
私がカウンセラーになろうと決めた理由
そして、
3ヶ月の「自己理解プログラム」を終え、
私は「カウンセラー」になろうと決めました。
それは、
かつての私のように、
「自分」のことを受け止めてもらえずに、
「自信」を持てずにいる人の気持ちを、
「受け止める」存在になりたい、
と思ったからです。
他人の顔色をうかがい、
言いたいことを言えずに、
誰かの期待に応えることが、
「当たり前」になっていたことで、
「自分」を表に出すことができず、
「自分」を押さえ込み、
「自分」のことが、
わからなくなっていたからです。
「自分」よりも「他人」を優先して、
「自分」のことがわからなくなったからです。
そうやって、
「他人」に振り回され続け、
「他人」に合わせ続けてきたからです。
だから、
「自分」の中に、
「自信」が育つことがなかった。
それどころか、
「自分」で自分のことを「否定」して、
そんな「自分」のことが「嫌い」になる。
私自身が、
そういう「経験」をしてきたからこそ、
「悩み」を持ってきたからこそ、
似た経験や悩みを持つ人のために、
「力になりたい」とも思ったのです。
「ここに自分の居場所はない」と思い、逃げることを選んだ
「自己理解プログラム」の修了とともに、
「休職」も終わりを迎えました。
会社側から、
復職先の説明がありましたが、
あくまで「会社都合」の内容でした。
その時思いました。
「ここに自分の居場所はない。」
それ以前に、
「もうここにいたくない」、
という気持ちもありました。
それは、
「逃げたい」でもありました。
だから、
「逃げ」ました。
転職先は決まっていないけど、
「進路」は決まっていたので、
復職はせず、「退職」をしました。
悩むことを肯定してくれる場所で、カウンセリングを学んだ
それから、
カウンセラーになるために、
カウンセリングを学べる場所を探しました。
見学に行ったり、
説明を聞きに行ったりする中で、
1つのスクールを選びました。
「成長したい、と願っているからこそ悩む」
こういう趣旨のことを言われている先生がいる。
「悩む」ことを、
「受け止め」て、
「肯定」する人がいる。
私はここで学ぼうと決めました。
半年以上通って学び、
カウンセラー資格取得のために、
試験を受けました。
試験に合格し、
資格を取得するまでは、
比較的順調に進みました。
独立を選んだものの、焦りと不安で動けなくなった
ただ、
これからどうするかで、
迷いました。
どこかのカウンセリングルームに勤めるか。
アルバイトをしながらカウンセリングをするか。
それとも、
「独立」してやっていくか。
安全で確実なのは、
どこかに勤める道です。
ただ、
私の場合は、
全く食指が動きませんでした。
採用されるためには、
履歴書や職務経歴書を書くことが、
必要だとわかっていても、
書く気力が起きませんでした。
ただ、
「自分でやる」ことについては、
「やる気」が起きたのです。
それは、
「組織」での働き方に、
「限界」を感じていたからかもしれません。
さんざん、
誰かの顔色をうかがい続け、
誰かに合わせ続け、
誰かの期待に応えようとし続けてきたことで、
「自分」が「疲弊」したからかもしれません。
「組織」に戻るくらいなら、
「独立」を選ぶ方がまだマシ。
そう考えて、
「集客」や「マーケティング」、
「ビジネス」などについて、
自分で学び始めました。
単純に、
今まで知らなかったことを知ることができるし、新しい知識や学びが得られることで、
学ぶこと自体は楽しかったです。
ただ、
「焦り」や「不安」がありました。
「やらなきゃ」いけないことだけが増えていき、
「どれ」から手をつけていいのかわからない。
わからないから、
まだまだ足りないと考えて、
さらに学びだけを増やそうとする。
そして、
学びは増える一方で、
こう考えて動きはどんどん鈍っていきました。
「もっと自信をつけるために学ばなきゃ」
「自信がついたらやろう」
「できるようになってから始めよう」
本当は、
「行動」が必要なのにもかかわらず、
「不安」や「恐怖」から逃れるために、
「学び」を「言い訳」にしていたのです。
「学び」が増えるのに、
「焦り」も一緒に増えていく。
変わりたいのに変われない。
変わっているようで、
なにも変わっていない。
そんな「焦り」が、
私の中に常にありました。
noteで発信を始めたことで、出会いが生まれた
それでも、
「カウンセラー」になり、
誰かの力になるためには、
まず自分のことを知ってもらう必要がある。
そう考えて、
最初はnoteで発信を始めました。
「カウンセラー」を名乗り、
「カウンセリング」をしていきたい。
ひねりもなにもない、
ストレートな想いだけで始めました。
そうして発信をしているうちに、
ある方からメッセージをいただきました。
私がこれから、
どんな風にやっていきたいのかなどを聞かれ、
これからどうしたらいいかわからないことも
伝えました。
今思えば、
不思議なくらい、
素直に話をしていました。
私はこの時、
行き詰まっていました。
自分1人だけの力で、
自分1人だけで、
「なんとかしよう」としていました。
ただ、
「どうにもならなかった」のです。
ちょうどそんな時に、
声をかけていただいたのです。
その方とお話をすることになり、
今の状況や、
これからやりたいことなどを話しました。
一通り話し終わった後、
相手の方からこんな提案がありました。
「私も先生から教えていただいたので、
Hiroshiさんも教わってみてはどうですか?」
正直、
寝耳に水でした。
「え、先生に教わる?」
「ビジネスって、教えてもらえるものなの?」
「そもそも、教えてくれる人がいるの?」
こんな疑問がわきつつ、
意外な答えが返ってきたため、
すぐに返答ができませんでした。
ただ、
当時の私は、
「選択」をしました。
1人だけではなく、
誰かに教わるという選択です。
そこから、
先生をご紹介いただき、
お話を聞く中で、
お世話になる「決断」をしました。
そして、
今に至ります。
出会いによって、私の世界は変わった
今の私があるのは、
「出会い」のおかげです。
出会いをきっかけに、
「世界」が変わりました。
出会う人々も、
自分が身を置く環境も、
出会いの前とは異なります。
人々や環境が変わったことで、
自分の考え方や行動も変わりました。
今までは、
悩んでしまい、
なかなか動けないことがほとんどでした。
ただ、
今では、
もちろん悩みや迷いはあるものの、
比較的すぐに行動に移せるようになりました。
それは、
教えてくださる先生や、
一緒に歩む仲間がいるからです。
新しい学びが得られるだけでなく、
焦りや迷いも受け止めてもらえる。
そんな「安心」があるからこそ、
「行動」に移すことができるのだ、
と今では思えるようになりました。
小さな一つの出会いが、
大きな「変化」をもたらすということを、
身を持って感じました。
今まで、
自分に自信が持てずに、
自分のことを否定して、
自分のことが嫌いだった私。
そんな私が、
今は「カウンセラー」を名乗り、
活動ができている。
それは、
出会いによる、
環境の変化を通じて、
自分の考え方や、
物事の捉え方が変わったから。
ネガティブ一色だった私の世界が、
ポジティブな色も含めた、
彩りの世界になったからだとも思っています。
今は、「自由」がある
今は、
「自由」があります。
自分が関わりたいと思う人を選ぶ自由。
自分がやりたいと思うことをやれる自由。
途中で少し休みたいと立ち止まれる自由。
こうした、
様々な「自由」があるおかげで、
私は今、自分を大切にした、
「自分らしい」暮らしができています。
私がダメだったのではなく、ただ知らなかっただけ
かつて、
他人の顔色をうかがい、
言いたいことを言えずに、
誰かの期待に応えることが、
「当たり前」だったことが、
「当たり前」ではなくなりました。
それは、
私がダメだったからでも、
おかしかったわけでも、
まして、
悪かったわけでもありません。
ただ、
「知らなかった」だけだったのです。
他人の顔色をうかがい過ぎず、
言いたいことも言える機会があり、
誰かの期待に過度に応えなくても、
生きられる世界があることを、
ただ知らなかっただけのことなのです。
ひとりで抱え込まなくていいと知った
そういう世界は、
どこかに存在する。
自分が住みやすい世界に身を置くためには、
待っているだけだと、
見つかる可能性は少ないのです。
少しずつでもいいから、
自分からも見つけていく必要があります。
そんな中で、
「出会い」があるはずです。
その出会いの中から、
自分の住みやすい世界へ、
導いてくれる人が現れるかもしれません。
導いてくれる誘いを、
受け止められるかどうか。
ここが1つの分かれ目になると、
振り返ってみて思います。
それに、
出会う前の私は、
「孤立」していたことがわかりました。
「つながり」もなく、
「仲間」もいない。
ただ1人だけで、
黙々と取り組み続けていました。
1人だけで、
なんでも全部こなさなきゃいけない。
むしろ、
1人でこなせないと一人前になれない。
そうやって、
1人で全部抱え込んで、
1人で全部背負い込んで、
つぶれかけていたのです。
あの時、
出会いがなければ、
選択をしなければ、
決断をしなければ、
また「つぶれていた」はずです。
サラリーマンの頃のように、
「つぶれて」しまって、
また身動きが取れなくなるところだったのです。
そう考えると、
怖くなりました。
だからこそ、
出会いに「感謝」することができました。
あの時、
誘いを受けて、
選択し、決断をした自分を、
「肯定」することも、
今ではできるようになりました。
それは、
自分の中で、
自信が育ってきたからです。
自分のことを、
「受け止めて」もらえ、
「肯定」してもらえた経験を少しずつ重ねて、
自分でも、
自分のことが受け止められるようになり、
肯定もできるようになってきたからです。
自信を育てることにしても、
カウンセラーとして活動するにしても、
1人だけでは難しいのです。
植物が、
水や日の光、
肥料が必要なように、
私達人間もまた、
自分がどこに身を置くかの「環境」と、
自分が誰と一緒にいるかの「仲間」が
必要なのです。
どんなに前半生が、
不遇で芽の出ない、
冬のような時だったとしても、
春がやってくることで、
雪解けを迎え、暖かさを受けながら、
少しずつ芽を出し始める。
そうして、
やがて成長し、
大木となっていくことで、
自立しながらも、
誰かを支える拠り所にもなる。
そういう生き方ができることを、
私は今実感しています。
小さな光でも、発することで見つけてもらえる
だからこそ、
「諦めなくてよかった」、
と心底思います。
今まで何度も、
「死」を選びそうになりました。
それでもなんとか踏みとどまり、
ここまで生きてきました。
決してきれいでも、
順風満帆でもありませんでした。
むしろ、
下ばかり見続けて、
地べたを這いつくばりながら、
遠回りをし続けてきた人生でした。
それでも、
ようやく少しずつ、
前に進み始めてきた感覚があります。
それは、
私が「才能」があるからではありません。
「天才」だからでもありません。
「特別」なわけでもありません。
ただ、
「出会い」があったからです。
出会いがあったのは、
noteで発信をしていたからです。
だから、
「見つけてもらえた」のです。
灯台も、
光を発さなければ、
暗闇の中ではわかりません。
どんなに微かな光でも、
どんなに小さな光でもいいから、
自分から発することが必要なのです。
そうすれば、
必ず見つけてくれる人がいる。
光のある方へ、
導いてくれる人がいる。
それは、
選ばれた人だけの「特権」ではありません。
誰にでも、
等しく持っている「権利」なのです。
あとはその権利を、
使うかどうかを選び、決めるだけです。
なによりも、
自分の「やりたいこと」や、
「自分らしく」いられる人生を、
実現するために。
これから一歩踏み出したいあなたへ
ここまで読んでくださり、
本当にありがとうございます。
私のこれまでのことを書いてきましたが、
「特別」なことはありません。
むしろ、
「普通」なことばかりです。
そんな「普通」な私でも、
今は自分らしく、自由に、
過ごしやすい毎日を送ることができています。
私がなにより求めていたものは、
「自由」でした。
だからこそ、
今の環境が私には合っています。
それは、
誰しも求めていいものだし、
誰しも手にすることができるはずのものだ
とも思っています。
もしあなたが、
「自分らしく」や、
「自由」を求めているなら、
チャンスは必ずあります。
あとは、
そのチャンスをつかむことを選び、
チャンスを活かすと決めるだけです。
そのための「勇気」が必要なら、
私が力になれるはずです。
なぜなら、
私もかつて、
「小さな勇気」を持って、
一歩を踏み出したからです。
これから一歩踏み出したい。
それでもやりたいことがある。
このまま終わるのは嫌だ。
そんな「本音」から出る、
あなたの「勇気」を、
私は「応援」します。
あなたが、
「勇気」を持って前に進めるための、
お手伝いをします。
自分らしく、
自由に生きるための第一歩を踏み出したいと思ったら、こちらからつながっていただけるとうれしいです。
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