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【ピリカ文庫】こうして僕は鬼になった

ここは、人気にんきのあるキャンプ場から少し離れたところにある、誰も知らない鬼の縄張り。

大きな木の下に、リュックサックを背負った小学生くらいの男の子がうつ伏せに倒れている。

鬼は男の子を見つけると、近寄って抱き起こした。男の子の顔には泥がついていたが、鬼は一目見て「うまそうだ」と思った。

鬼は男の子を右肩に抱え上げ、森の奥へと歩いていく。しばらく歩くと川があった。鬼は男の子の服を脱がせて、男の子の身体に川の水をかけた。

「ひゃっ!冷たい!」
男の子が目を覚ました。

「なんだ、生きていたのか」
鬼は無感動にそう言った。

「おじさん、誰?鬼みたいな格好してるけど」
男の子が無邪気に言うと、鬼はニヤリと笑って言った。

「鬼だよ。お前をジャブジャブ洗って食うところだった。なんで起きたんだ」
「い、嫌だ!食べないで!」

男の子は必死になって頼んだ。

「僕、何でもやります!必ずおじさんの役に立つから助けてください!」
「何ができるんだ?」
「お、お風呂の掃除とか」
「なんだ、それは」
「え?お風呂、入らないの?」

鬼は何も言わなかった。男の子は聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれないと思って、慌てて話題を変えた。

「あ、あの、鬼のおじさんの好きな食べ物は何ですか?」

鬼は男の子をじっと見て答えた。

「肉だ」
「に、肉以外で!肉以外で好きな食べ物は?」

鬼はしばらく何も言わなかったが、男の子の心が折れる寸前、ぼそっと言った。

「豆、だな」
「豆?豆が好きなの?怖くないの?」
「怖い?」

鬼は男の子をギロリと睨んだ。

「あ、いや、なんでもない!僕、豆、探して取ってくるの得意なんだ。だから……」
「お前、名前は?」
「タカユキ。おじさんの名前は」
「忘れた」
「え?」
「帰るぞ。タカユキ」

鬼とタカユキは森の奥へと歩いていった。



「貴行!どこだ、どこへ行った!返事をしてくれー!」

警視庁捜査一課の郷田は焦っていた。たまたま休暇が取れて家族でキャンプに来たのだが、一人息子の貴行がいなくなってしまったのだ。息子の名前を呼びながら、妻の聡子と森の中を歩いている。

「聡子、お前はいったい何をしていたんだ?」
郷田は聡子のせいだと言わんばかりに詰問した。

「わ、私はバーベキューの準備をしていました。あの子は準備ができるまで辺りを散策してくるって森の方に行ったんです。三十分したら戻るように言っておいたんですけど……」
「子供が親の言う通りにするなら苦労しないだろ!なんで目を離したんだ!」
「あ、あなたは何をしてたんですか!」
「俺はトイレに行ってたんだ!どうしようもないだろう」

聡子は何か言い返そうとしたが口をつぐんで、違うことを言った。

「貴行のこと、ちゃんと見ていなくてごめんなさい。あなたから警察に貴行の捜索をお願いできないかしら?」
「……あまり気が進まないが、仕方がない。貴行の命には変えられないからな」
「ありがとうございます!すぐにお願いします!!」

郷田の依頼で警察による本格的な捜索が開始された。しかし、何日探しても貴行は見つからなかった。



森の奥の、小高い丘の上に鬼の家はあった。

家といっても、風を防ぐために四方を板切れで囲い、屋根の代わりに虎の皮を被せただけの小屋だった。隅っこの藁が置いてあるところで寝るのだろう。食卓はなかった。後は大小の壺があるだけ。

「何をしている?その辺に座っていいぞ」

タカユキは鬼の家の中に入って棒立ちになっていた。鬼の家にはトイレもお風呂もなさそうだ。タカユキの尿意は限界だった。

「あの、トイレはどこですか?」
「なんだ、それは」
「あ、やっぱり」
「やっぱり?」
「あの、オシッコしたいんです!」
「なんだ、小便か。家の裏に畑がある。桶が置いてあるからそこでしろ」
「は、はい!」

タカユキは急いで外に出て、畑の桶を目指して走った。用を足した後、改めて畑を見ると何も作っていないように見えた。タカユキは家に戻って来ると鬼に聞いた。

「あの畑では何を作っているのですか?」
「何も。面倒くさくてな」
「じゃあ、僕があの畑で豆を作っていいですか?」
「好きにしろ」
「やった!」

少し間を空けて鬼が聞いた。

「お前、何であそこで寝ていたんだ?」
「寝ようと思ったわけじゃないんだけど、家族でキャンプに来ていて、キノコを探して森の中をどんどん進んでいたら戻れなくなっちゃって。お母さんにキノコを食べて欲しくて……」

タカユキは涙声になってきた。

「ああ、もう分かった。畑で豆が取れるようになったら帰らせてやる」
「本当に?」
「ああ、鬼は嘘はつかない」

グゥゥゥゥッ。
安心したのか、タカユキの腹が盛大に鳴った。

「腹が減ったな。メシにしよう」
鬼は大きい壺から干し肉を取ってタカユキに放り投げた。

「食っていいぞ」
「あ、ありがとう!」

タカユキは干し肉にかぶりついたが、嗅いだことのない匂いでむせてしまった。

「これ、何の肉?」
「安心しろ、人間の肉じゃない。猪だ」
「そ、そう」

タカユキは鼻をつまみながら干し肉を少し噛み切り、数回噛んで飲み込んだ。

「あれ?おいしい」
「ふん」

鬼は自分の分の干し肉も取り出して食べた。

「食べたら今日はもう寝ろ。俺も寝る」

そう言って鬼は藁の上で横になった。すぐに鼾が聞こえ始めた。

タカユキは鬼が寝たのを確認すると、気になっていた小さな壺を覗き込んだ。大豆が少しだけ入っていた。

この隙に逃げようかと思ったが、夜の森を抜けて無事に帰れるとも思えず、タカユキは鬼の近くで横になった。自然と涙がこみ上げてきたが、いつのまにか寝てしまった。



翌朝からタカユキと鬼との生活が始まった。

夜明けと共に起き、日没と共に眠る。起きている時間は狩りをするか昼寝をするか、だ。

狩りの主な標的は猪だったが、食えるものなら何でもいいようだ。鬼は手刀で獣を刺し殺すのを得意としていた。残酷すぎてタカユキは正視できなかった。

獲物の肉は火を起こして炙って食べて、残りは干し肉にする。炙った肉はなかなかの美味だったが、タカユキは最初食べることができなかった。

「食べないのか?」
「いや、さっきまで生きて動いていたから、ちょっと……」
「食べなければお前が死ぬだけだ」

それ以来、タカユキは生きるために何でも食べた。何回も腹を下して鬼に笑われたが、そのうち何ともなくなった。

鬼が昼寝をしている間、タカユキは畑に行って豆作りをした。豆を育てるのは初めてだったが、試行錯誤しながら根気強く続けた。芽が出た時には嬉しくて鬼に報告した。鬼は「そうか」としか言わなかったが、どことなく嬉しそうなのがタカユキには分かった。しかし、なかなか豆の収穫には至らなかった。

いつしか五年の歳月が経っていた。



「タカユキ、今日はお前、ひとりで狩りに行ってこい」
「え、まだ無理だよ」

タカユキはそう言ったが、鬼は泣き言を一切聞いてくれない。これまで手刀を使う稽古はしてきたが、せいぜい兎を仕留めることしかできなかった。

タカユキは諦めてひとりで狩りに出かけた。
おとなしめの猪が出てこないかなと思っていたが、よりによって熊が現れた。熊は鬼の好物なので何とかして仕留めたいが、勝てる気はしなかった。

「でも、やるしかない!」

タカユキは熊の隙をついて手刀を打ち込もうとするが届かない。熊の鋭い爪に何度もやられそうになる。やがて体力が尽きてきた。もう駄目だと思って膝をついた時、熊の胸から鬼の手が飛び出してきた。鬼が熊の背中から手刀で刺し貫いたのだった。

「ありがとう……お父さん」
タカユキが思わず言うと、鬼は「なんだ、それは」と言った。

家に帰ると鬼は「これやるよ」と言って虎の皮のパンツを手渡してきた。タカユキは認められた気がして嬉しかったが、どうしても気になったことを聞いた。

「これ、新品?」
「どういう意味だ」
「何でもないよ!ありがとう」

こうしてタカユキは鬼になった。ツノはないが見た目は鬼そのものだった。

それから半年後、ついに豆が収穫できた。
小さな壺が豆でいっぱいになった。

「お父さん、豆、食べてみてよ」

鬼は豆を手づかみで取って口に放り込んだ。口の中の大量の豆を噛み砕いて飲み込んだ後、鬼は言った。

「ああ、うまい」

タカユキは嬉しくて涙が出た。

その日の晩。
鬼は珍しくタカユキに話しかけた。

「タカユキ、お前、明日の朝になったら出て行け」
「え、なんで?」
「豆が取れるようになったら帰る約束だった」
「お父さん、覚えててくれたんだ。でも、僕、もういいんだよ。ずっとここにいたい」
「馬鹿を言うな。鬼でもない人間がここにいてどうする?帰れ」
「い、嫌だよ」
「帰らないならお前を食うだけだ」

鬼は殺気をみなぎらせて手刀をタカユキに向けた。

「わ、分かったよ。分かりました」

タカユキが諦めて言うと、鬼は安心したように見えた。「分かればいい。俺はもう寝る」と言って寝てしまった。

その晩、タカユキは鬼と離れるのが寂しくて、泣きながら鬼の背中で眠った。

翌朝、タカユキが目を覚ますとリュックサックが置いてあった。中には干し肉と豆が大量に詰まっていた。

鬼はまだ横になっているが、きっと寝たふりをしているのだろう。タカユキはいろいろ伝えたいことがあったが、鬼の気持ちを汲んで声をかけずに家を出るつもりだった。しかし、家を出る直前、寝ている鬼の背中に抱きついた。

「お父さん、ありがとう。大好きだよ。元気でいてね」

タカユキはそれだけ言うと、立ち上がって家を出た。
鬼はタカユキが出ていくと、鬼のくせに泣いた。



それから数ヶ月が経った。

「お父さん、ただいま」

タカユキの声がしたので鬼は驚いて家の外に出ると、人間の服を着たタカユキが立っていた。

「何しに来た。食われたいのか」

鬼が言うと、タカユキは笑って言った。

「いや違うから待って!僕の親がね、お父さんにどうしてもお礼を言いたいって言うから連れてきたんだ」
「馬鹿だな、お前は」

鬼は言葉とは裏腹に嬉しそうに言った。

「鬼だ!本当に鬼がいたぞ!」

郷田が叫ぶと、森の木々の後ろから警察官がゾロゾロと出てきた。
そして、鬼を認めると一斉に銃を構えた。

「なにこれ、どういうこと?」

タカユキが呆然としていると、鬼は目の前にいたタカユキを突き飛ばした。タカユキは叫んだ。

「や、やめろー!!」

警察官達は構わず鬼に向かって発砲した。
鬼が動かなくなるまで、何発も。

「ウォーーーーーッ!!」

タカユキは恐ろしい雄叫びをあげて本物の鬼になった。そして、目にも止まらぬ速さで、その場にいた人間どもを一人残らず手刀で刺し殺した。

「お父さん、ごめんなさい……僕が、人間じゃなきゃよかったのに」

鬼は父親を抱き抱えると、森の奥へと消えて行った。

(4284文字)


今回、ピリカさんより「ピリカ文庫」の執筆依頼をいただき、ありがたく書かせていただきました。
お題は「鬼」ということで、先日の白鉛筆さんの桃太郎企画で魅力的な鬼が数多く描かれており、難しいなと思いながらも自分なりの「鬼」を書き切ることができました。
書き終えた後で本物の鬼が出てくる話にする必要はなかったんじゃないかとすごく思いましたが、手遅れでした。読んで面白いものになっていれば幸いです。

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