鈍色の浸蝕者 第五話
第五話
コンビニまでの道すがら、私の視界に飛び込んできたのは、鉄槌を思わせる黒塗りのSUV車。あとほんのわずかで、私は轢き殺されるところだった。
そして……
街を行き交う数人の人影。
それらは夢遊病者の如く、無表情で虚ろにそこらじゅうを徘徊していた。そしてその人々のほとんどは鈍色の肌に、無数の黒い点が所狭しと蠢いていた。
更にはそれらは個人差があり、その黒い点が多く活発に動いている人ほど、肌の色は実際の人間のそれに近く、逆にまばらで緩慢な動きの人ほど、死んだようにくすんで見え、鈍色を通り越して、灰色然の人もいた。
信号待ちをする人、すれ違う人、背後から歩いて来る人、それぞれにその個人差があり、その動きも格段の差があった。やはり黒い点の多い方が滑らかな動きで、それ以外は緩慢で、中には目も見えていない様子で、ずっと壁にぶつかっては倒れ、立ち上がってはぶつかって倒れを繰り返している人さえも居た。
そして更には黒い点が活発な者は、視線を右往左往させており、その頻繁な往来に私は『危険』を感じ取った。そして私は、胸の内に溢れる恐怖心を抑え込み、視線を下方に落とした。また敢えて緩慢な動きで歩き、彼らと同じ所作でコンビニへと急ぐ。
このまま引き返せば奴らに何かを感じ取られる、そんな危険性を感じた私は、ゆっくりと何事も無いように、コンビニへと入っていった。
「いらぁっしゃぁいませぇ~」
私が店内に入ると、いつもなら快活に聞こえるスタッフの挨拶も、まるで再生速度を遅らせたかのように緩慢に聞こえた。店内のスタッフや、回遊する客と目を合わせないようにして、私は目当てのレジ前の食品コーナーで、無造作におにぎりを掴み、隣の棚からブリックタイプのジュースも掴み取った。
レジに並ぶ鈍色の人の列。ゆっくりと響くスキャナーの音が、執拗に焦燥感を煽る。私は震える足と背中を必死に抑え込みながら、自分の順番になるのを待った。
「うおつぎぬおくわた、どおうぞおう」
聞き取り辛い挨拶の後、私は悟られないように、徐におにぎりとジュースをカウンターに置いた。
「ろおっぴゃくはちじゅううえんですう」
黒い点が優雅に蠢く店員は、鈍色と人肌の色の明滅を繰り返しながら、私の料金を言い放つ。私はスマートフォンを取り出して、無言でバーコード決済の画面を差し出した。
画面が決裁を告げると同時に、私は商品を受け取って足早に且つ、悟られないように急ぎ過ぎずに店内を後にした。
コンビニを出ると、店内に入る前よりも、黒い車の往来が激しくなっていた。更には街行く人たちは、まるで何かを探すかのように、頭をアンテナのように左右に動かしていた。
このままこの流れの中を突き抜けるのはもしかして危険かも?
そう判断した私は周囲の動きに倣い、歩きながら頭を左右に振る。それをやったことで、わずかに感じていた、周囲からの視線が多少和らぐ気がした。
とにかくここはこのままやり過ごして、自宅へ逃げ込む事が先決。私は絶えず緊張を維持しながら、一歩、一歩と自宅のアパートへの道のりを踏みしめた。
普通に帰れば十分もかからない距離なのに、周囲の速度と動作に合わせながら歩いているので、その倍はかかりそうだ。急いでもいけない、ゆっくり過ぎてもいけない。とにかく目立ってはいけない。この状況の空気と化し、流れの一部にならなければならない。
脇と背中に冷や汗を感じながら、前方に歩く人の群れに目を向ける。それらは見紛うことなく肌に鈍色を映し、絶えず黒い点が蠢き続けている。その点が過度に集中した箇所は人肌の色を模し、滑らかな艶と動きを有していた。誰もかしこもその不可思議な色に彩られ、私は閉塞感と圧迫感に圧し潰されそうだった。
その人だかりの中、私は一人、異なる肌をした女性を発見する。
「!」
私は一瞬、声を上げようとしたが、咄嗟にそれを飲み込んだ。
その女性は他の人たちと違い、滑らかで屈託のない人の肌をしていた。そう、私と同じ肌の色。そしてなにより、その女性も周囲に合わせるように緩慢な動作に終始しているのが見て取れた。そして私の方に向かって来ている。
私と一緒!
張り詰めた恐怖の中、私は微かな希望をそこに感じた。しかし、それを声を大にして喜べば全ては水の泡。近づいて来る彼女の視線に、同じ想いを期待しつつ、私はすれ違う瞬間を待った。
その刹那、猛スピードで走っていた黒い車が急激に減速し、まるで監視するかの如く、私の右側を徐行し始めた。もしかしたら勘づかれたのか?
私の額を大粒の汗が流れ落ちた。ゆらゆらと頭を左右に振りながら、私は努めて無表情のまま歩を進める。そして近づいて来る女性。彼女も私と同様に頭を振り、無表情を装いながら、こちらへと迫ってくる。ほんの数回視線が重なり、私たちは無言のまま互いを認識し合った。きっと彼女も私と同じ境遇なはず。そして彼女の視線には『疲れ』が滲み出ていた。
更には化粧を施されていない肌と、まとまりのない髪の毛が余計に彼女をやつれて見せた。まるで未来の自分を見ているかのようだった。それほどまでに私は目の前の女性にシンパシーを感じるのだった。
そして……
「九月十九日……」
すれ違いざまに彼女が囁いた言葉。私は振り返ってそれが何の日なのか、彼女に問い詰めたい衝動に駆られる。しかし、私の右側には貼りつくようにして黒い車が徐行している。
立ち止まろうものなら、即座に車内に連れ込まれて誘拐されるか、そのまま歩道に乗り上げて轢き殺されるかのどちらか、そんな気がして、私は何事も無かったのように平静を装い、変わらぬ速度で歩き続けた。そして頭の中では、その九月十九日が何を意味するのか、記憶と過去が交差する。されど冷静に、慎重に、混乱しそうになる自分を律し、私は自宅までの道を踏みしめるのだった。
「はあ……なんなの? いったい……」
自宅のアパートに辿り着いた途端、私は玄関にへたり込んだ。たった数百メートルの距離なのに、フルマラソンを走り終えたかのような疲れと吹き出す汗、そしてその臭いが私の身体を包み込んだ。更にはあまりもの緊張に、私は今見てきたものへの恐怖が今頃押し寄せ、ガタガタと手足が震えだした。そして街行く鈍色の人々と、付け狙うような黒い車が恐ろしくなってきた。
今見てきたものはあまりにリアル過ぎた。あれは現実? これもおかしな私の仕業なのか?
私はふと、テーブルの上に置いていたあの薬に目をやった。
脳裏によぎる昨日の惨劇。身体はあの地獄をまだ覚えている。だけど、私は普通になりたい……
九月十九日というワードも引っかかったけど、部屋に戻った途端、私は目にしたものを否定したい衝動に駆られる。
あの光景を現実として受け入れるより、嘔吐と頭痛に悩まされるほうがマシ……
私はそう心に決めて、その薬に手を伸ばした。
何かが違う。何かがおかしい。
それは『私』が周囲と違い、おかしいだけ……そう、思っていた。だけど、その気持ちの水面下で沸々と沸き起こる、違和感と不快感。
本当にそうなのか? 私が間違っているだけ? その疑問は徐々に強くなり、今の私を根底から覆そうとしているかのよう。
恐怖に屈し、自らに起きてる異変に目を瞑り続けるのか? それとも、今、徐々に目の前に広がりつつある光景に向き合い、新しい真実と対峙するのか?
私にはそのどちらにも自信は持てなかった。強いて言えば、前者に傾倒したいほど。だけどそれを私の『身体』が許さなかった。事ある毎に私の意思に相反し、体調不良という制裁で断固拒否を誇示し続けている。
私には一連の出来事がそう思えて仕方が無かった。ただのストレスや疲労ではなく、何かの危険信号を身体が発している、根拠はないけどそう言い現わしたほうが、今の心境にはしっくりくる。
じゃあ、今の私に何が起きて、どうなろうとしているのか? その答えはまだこの『身体』は教えてはくれない。真実は自分で掴むしかないのか?
不意に脳裏に浮かぶ鈍色の肌をした人々。その挙動は、定義づけられた人生や人物を、規則性に従って演じ続けている、そんな印象が拭えなかった。まるで一昔前のロールプレイングゲームのモブキャラのように、それぞれが同じプログラムで動いている、私にはそんな風に見えた。
気が付けば私はベッドの上で目を覚ました。薬が効いたのか、長い時間眠っていたようだ。周囲を見渡すともう真っ暗。
「今何時?」
私はスマートフォンに手を伸ばし、時間を確認する。
二十二時三十分……またもや六時間以上眠っていたのか?
そして薬の副作用で、吐き気や頭痛が無いかを、深呼吸をしながら確認する。
大丈夫! 昨晩の事が嘘のように、私の胃と頭はスッキリしていた。
私はスマートフォンを閉じようとしたその時、以前から届いていた未読のメッセージを思い出した。何故かこのタイミングで、それらを見るべきだという気がして、私はその中身を開いた。いつも宗佑からのメッセージしか確認していなかったので、メッセージフォルダーの中身は未読でいっぱいだった。そこには俗に言う迷惑メールの類に属するものや、登録していたサイトからの広告など、本当に不要なものばかりが並んでいる。
しかし……
その迷惑メールの中に、とあるアドレスから異質なメッセージが数回に分けて届いていた。
私はその一連のメールを開封する。
『目を覚ませ』
『そこは違う場所』
『違う未来』
『過去に思いを』
等々、一通ごとに意味不明な一言だけが綴られたメッセージで、それぞれに一枚の写真が添付されていた。
私は恐る恐るそれらを開いた。
「……」
その写真に、私は息を飲んだ。
そこには鈍色の肌の人達と談笑する私が、数枚に渡って写っていた。
更には海岸沿いに乗り捨てられたワゴン車、そしてどこかの旅館の写真。
そのどの写真にも私は何故か既視感を覚えた。しかし、その全てには未だ靄がかかっており、喉元まで来ている記憶を思い出せず、もどかしさを覚えた。
「一体誰が送って来たんだろう?」
私は送られてきたアドレスをタップした。メールボックスが開き、返信は出来そうだった。
『あなたは誰?』
そう入力して、躊躇する。はたして、返信すべきか……
私の指はスマートフォンの上で迷い続けた。しかし、このメッセージの内容からすると、送信者は確実に私の事を知っている。そして何かを伝えようとしている。返信をすることで、今の事態が好転するのか、或いはより一層悪くなるのか? さっぱり分からない。
どちらにせよ、不穏な状況は変わらない。更に言えば、もう私は引き返せない場所まで来ているのだろう。掴める物なら藁でも掴んでやる。
半ばどうにでもなれ! と、私は送信ボタンをタップした。
その後、私はベッドから起き上がると、そっと寝室のドアを開けようとした。その瞬間、思い出したかのようにふっと胸中に恐怖心が湧きたった。もしかすると夕方に見た鈍色の誰かが、部屋に忍び込んでるかもしれない。
私は音を立てないようにドアをわずかに開いて、リビングの様子を窺う。
リビングも電気は消えたままだったけど、わずかに明滅する光が部屋の先に見受けられる。私はもう少しドアを開いて、リビングの奥にまで目を走らせた。
その光はテレビから発せられているようで、微かに響く金属音も同じ方向から聞こえてくる。そのテレビの手前にはソファーがあり、そこには宗佑が座っていた。
私は駆け寄りたい衝動を抑えて、しばらくその様子を観察した。
テレビの画面には、放送終了時に見かける八色のカラーバーが並ぶテストパターンが映し出されていた。その各色は数秒ごとにその配置を変え、その度に激しい明滅を繰り返す。
更には金属音も徐々に大きくなり、あのノイズ音へと変貌した。
私は固唾を飲んでそれを見詰めた。
そして微動だにしない宗佑の背中。私は寝室をそっと抜け出すと、恐る恐る宗佑の背後へと忍び寄った。彼は私に気付いていないようで、ピクリとも動かない。その明滅に照らされている彼は、まるで何かの啓示を受けているかのようだった。だけど、その明滅には神々しさは微塵も無く、私の目には威圧感と禍々しさに満ち溢れて見えた。
そして私は宗佑を覗き込む。
「!」
またもや私は絶句する。
そう、宗佑の顔や腕が以前見えたように半分肌色で、半分鈍色に混濁し、その中を無数の黒い点が泳ぎ回っている。
私は飛び出しそうな悲鳴を必死に堪えて、音を立てないように冷静に後ずさり、寝室へと舞い戻った。
『もう、おしまいだ……』
私は胸の中で、そう絶望した。唯一の愛すべき人が、三度に渡って一番私が望まない姿を露わにした。これが現実でも幻でも、見えてはいけないものが見えている時点で、私はおしまい……
宗佑はもう、私が知っている宗佑ではない。だけど、心のどこかで夢であって欲しいと願う自分もいた。
そっとドアを閉め、私はそのドアに背中を預ける。そしてそのまま座り込んだ。
『これからどうしたらいい?』
この状況を持って、その答えは皆目見当もつかない。
その時だった。
ベッドに置き去りにしていたスマートフォンが、メッセージを受信し振動した。
慌てて私は着信フォルダを開くと、そこには先程送信したメールの返信が届いていた。
『今日の深夜二十六時に、この場所へ来てください』
とだけ書かれた文面に、とある住所が添付されていた。
『岬ホテル二〇三号室』
ここから徒歩数分の距離のホテルだ。あまり評判の良いホテルではなく、女性が利用するには正直、不安の残るホテル。もし普通の状況でこのメッセージを受け取っていたなら、決して信用しない内容。だけど、私はそのメッセージを信じる事にした。
宗佑という心の拠り所を無くした今、私は目の前に降りて来るもの全てをそのまま受け止め、差し出された手にすがる他、もう術はない。
このまま物音を立てずに、私はこの時間を迎えなければならない。気が触れそうになるほどに事態は困惑と緊迫を極めている。何の根拠もないけど、私はいつの間にか、そう認識していた。
私は寝過ごさないように、寝ない事にした。最近、気が付けば寝ていたりすることが多かったし、ややもするとその睡眠は誰かに眠らされていた可能性だって否定は出来ない。
私は頑なにそう決めると、スマートフォンを握りしめた。
つづく
