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すべからく『愛』を謳え 第六話 『邂逅』

すべからく『愛』を謳え  第六話 『 邂逅』

①遭遇
    少年は常に神出鬼没だった。
    というより、ずっとそこに居るのかもしれない。何かを伝えたい、或いは何かしらの感情が高ぶった際に、その姿を具現化させているのであろうか?  その是非は分からないが、朝な夕な、その姿を見せるという事、それ相応に彼の情念のは深く、重く、苦しいものであることだと、聡太郎は察するのだった。

   その日も朝早くから現れ、聡太郎の視界の中に点在していた。
「おはよう」
   聡太郎は目を覚ますと、少年はもう目の前に立っていた。生きている子供にするように、聡太郎は朝の挨拶を投げかけてみる。しかし少年は思い詰めた表情のまま、固く口を閉ざす。
    聡太郎はにっこりと微笑んだ後、洗面所へと向かった。
    その刹那。

    少年は彼のシャツの裾を掴み、何か言いたげな表情をした。そして、すぅっと姿を消すと、また今度は玄関の前に現れる。
「どこかに行きたいの?」
   聡太郎は顔も洗わぬまま、マスクをはめ、厚手のパーカーを羽織り、彼の後を追いかけた。
   外に出ると、群青色の空が広がっており、吹き抜ける風は僅かな湿り気を帯びて、少しひんやりとしていた。比較的、彼に優しい朝だった。聡太郎は素直に、その朝に感謝する。

「ちょ!  待って!」
  少年は誘っておきながら、身勝手にもそそくさと目的地へと一人走る。
「痛っ!」
  聡太郎は右脚に残る痛みに、顔を歪める。少年の記憶の中にあった、右脚の痛みだろう。膝を曲げるだけで激痛が走る。
「ちょ、人に脚の痛み押し付けて、勝手にさっさと行くなよ!」
   珍しく聡太郎が愚痴る。しかし、その身勝手さが、どことなく憎めなくて、可愛くもさえ感じるのだった。


   右脚を引きずる事、十分程。
  少年が入り込んだ場所は、近くの公園だった。
   そこは、聡太郎も何度か立ち寄ったことのある公園だった。園内には一周一キロのジョギングコースや、ピクニックも出来る芝生や小さな池もあり、休日に過ごすには最適な場所である。

    少年は何度か後ろを振り返り、聡太郎に視線を促す。その表情からは意図的に、彼を連れ出そうとする『意思』が見えた。

   そして少年は、池の見える木陰に設置されたベンチの前で足を止めた。
   聡太郎もそこを目指してラストスパート。が、しかし、何せ脚が痛い……引きずりながらも懸命に、一歩一歩を踏み込んだ。

「ぎゃぁぁぁ!」
 
  急に女性の悲鳴が、聡太郎の耳を貫いた。前方には、二人の女性の人影が見え、後ろにいる女性が、地面に倒れ込んでいた。
   そして、彼女達の目の前のベンチの前に立っていた少年は、またもやその姿をくらますのだった。



「だ、大丈夫ですか?」
   聡太郎は、痛みに顔を歪めながらも、女性二人の前に駆けつけた。
   目の前では、年配の女性が慌てふためいており、聡太郎と同年代の女性が、必死にそれをなだめている。
「なんまんだぶ!  なんまんだぶ!なんまんだぶ……」
   その年配の女性の悲痛な表情と、その声からして、事態は尋常では無い事が、聡太郎にも感じ取れた。
 「ばあちゃん!  大丈夫だから!」
   若い女性の方は必死になって、その年配の女性を抱き締めながら、ずっと『大丈夫』を連呼していた。
「あ、あの……お手伝い出来る事はありませんか?」
  一度聡太郎を見て見ぬふりした、孫らしき女性は、伏し目がちに口を開いた。
「家に連れて帰るので、画材を片付けて貰っていいですか?」
   そう言うと、彼女はベンチの方を指さした。
   聡太郎は急いでベンチに走り、バッグの中に画材を一切合切詰め込んで、イーゼルを抱えて戻ってきた。
「さあ!  行きましょう!」
  右手を差し出す聡太郎。
  懸命な聡太郎の表情に、女性はつい、気圧されたのか、
「は、はい」
  そう言うと、彼のその手を取った。
  その刹那、年配の女性、若い女性と繋がった聡太郎に、二人の積年の艱難辛苦の記憶とその痛みが、激しい濁流となって流れ込んだ。そして、聡太郎はそれを受け入れ、歯を食いしばった。





「なんか、すみません……」
  さおりは申し訳なさそうに、頭を下げた。
「いえいえ、困った時はお互い様です」
  
  聡太郎は右脚の痛みと、彼女たちから流れてきた映像に押し潰されそうになったが、彼女の祖母、澄江を部屋まで連れて行き、寝かしつけるまで、なんとか持ち堪える事が出来た。
    さおりも見ず知らずの男性(しかもこの夏場に白い厚手のパーカーで、そのフードを外そうとしない、一見変質者じみた)に、自宅を知られるのは些か不安だったが、不器用なまでに純朴な態度と、その行動に疑いの枷を少しだけ外すのだった。そして、狼狽える澄江を見ても、少しも臆せずに、そっと肩と額に左手を添えただけで、彼女を落ち着かせた事には、驚きと共に本当に感謝さえするのだった。

「あ、あの……お礼出来るものが何も無くて……こんなのでよければ……」
  団地の玄関先で、さおりは恥ずかしそうに缶コーヒーを差し出した。
「あ、ありがとうございます!  やった!」
   差し出された缶コーヒーを見て、目を丸くして喜ぶ聡太郎。その姿を見て、吹き出すさおり。
「え?  なんか、僕、可笑しい? ですか?」
  キョトンとする聡太郎を見て、さおりは口を開いた。
「あ、いや、すみません……缶コーヒーでそんなに喜ぶ人、初めて見たので……」
「そ、そうかな?」
  聡太郎は素直に嬉しかった。誰かに何かを貰うなんて、遠い過去の記憶に埋没した『夢』でしかなかった。それが目の前で再現されて、彼にとっては或る意味『夢』のような出来事でさえあった。

「あ、あの……もし、宜しければ、少しだけ、お話伺えませんか?」
「え?」
   聡太郎は思い切って、その言葉を口にした。





「さおりさんには、少年の姿が見えたんですか?」
「はい……はっきりとではありませんが、なんて言うか、こう……うっすらと透けて見えたような……」
「その少年に見覚えや、心当たりはありませんか?」
「いえ……特には……」

  二人は近くのファミレスで、少しだけ話をすることにした。聡太郎の急な申し出にさおりは躊躇したが、彼の真摯な表情を見ると、あらゆる疑念はそっと消えて無くなった。

「信じて貰えるか分からないんですけど、僕、少しだけ、そういう霊的なものだったり、人の情念みたいなものを見たり感じたりする事が出来るんです。今日も、あの場所に居合わせたのは、その少年が僕を連れて来たみたいな感じなんです」
   聡太郎は少年との経緯を隠すことなく、さおりに伝えた。
   彼が母親を求めている事、瓦礫の山の中で息を引き取った事、そして右脚が無くなっている事。
  しかし、そのどれもが、さおりには身に覚えのないの話。子供も産んでいなければ、瓦礫の山に出くわした記憶もない。
   しかし、唯一合点するのは、誰かの囁きが聞こえていて、この話が本当だとするならは、その声は、

『お母さん』

  と言っているのではないかとの事。
  そして、澄江のあの脅え様からすると、もしかしたらあの少年が『則夫』ではないか?  という推測も立った。
   「だけど、うちの家で『則夫』っていう名前の方はいなかったと思います」
    最初は訝しがったさおりだったが、聡太郎と話していくうちに、『少年』と、囁き声の共通点が見え始め、いつしか聡太郎を信じている自分を自覚するのだった。

「その『則夫』という名前に脅えはじめたのは、いつぐらいからでしたか?」
「多分、私が高校を卒業してから以降だから、十七年程前からくらいだと思います。だけど、それ以前も私の知らない所で、何かあってたのかも知れません」

「もし可能であれば、ご親戚の方に『則夫』という少年について何か知らないか、お話を聞いて貰う事は出来ますか?」
「うーーーん、どうだろう?  でも、少しだけ聞いてみます。叔父さんなら、何か教えてくれるかも知れません」
「是非ともお願いします。僕もあの少年には、ずっと声をかけていきますので」
    そう言うと、聡太郎はナプキンに何かしらを書き始めた。

「これ、僕の電話番号です。何か分かったり、何あった時には、こちらに連絡ください。」

  スっと差し出された電話番号を見て、さおりはキョトンとした。
「あ、あ……この事以外では、お話はしませんから、安心してください」
    何かを察したようにして、聡太郎は言葉を付け加えた。
「あ、いや、そういう訳ではなくて、こんなふうに電話番号貰うのって、初めてだなあって……」
   一瞬間を置いて、可笑しくなって、二人は吹き出した。
「久しぶりです。なんか、こんなふうに笑ったの」
「僕は、初めてかも知れません」
  声をひくつかせながら、二人は素直に感想を述べると、三文芝居のような流れに、また口角を緩ませるのだった。


  二人はほんとに小一時間程喋った後に、ファミレスを後にした。お互いに久しぶりに『誰か』と話をした、というわずかばかりの充実感を覚えつつも、お互いの『道』へと帰って行った。


「ばあちゃん、ただいま」 
  家に帰りつくと、さおりは大きな声で帰宅を告げ、部屋に入る。以前黙って帰ると、澄江が彼女を泥棒やら、妖怪やら、幽霊などと勘違いをして、大暴れした事もあった。
    それを回避するために、『帰ってきた』事を理解させるために、彼女は『ばあちゃん、ただいま』と、澄江が『祖母』、その孫が帰ってきた事を認識させるのだった。
   案の定、返事は無い。
「まだ寝てるのかな?  ばあちゃん入るよ」
  襖を開けると、澄江はふとんの上に座り込んで、テレビのチャンネルをしきりに回していた。
「ばあちゃん、そんなにチャンネル回すと、テレビ、壊れるよ」
    少し気持ちがほぐれたのも束の間、澄江の奇行にどっと疲れが押し寄せる。 
「あら?   どちらさん?」
「また忘れたの?  私はばあちゃんの孫のさおり、さ・お・り」
   滑舌よく、そう答えるも、澄江は今ひとつ納得していないようだ。
   きっと澄江も、急な『則夫』の出現に、疲れたんだろう。よくよく考えたら、自分もその『則夫』を見た事になる。澄江はそれに関しては間違えてもおらず、認知症の症状でもなかったという事になる。
   微妙な安心感と、得体の知れない不安が、さおりの中でないまぜになる。
「さおりさん、おかまいもせんと、ごめんなさいね」
   澄江はそう言うと、立ち上がろうとした。その瞬間、芳醇な激臭がさおりの鼻腔を襲った。
「またか……」
  今に始まったことではないが、さおりは静かに舌打ちをする。
「ばあちゃん、紙パンツ、履き替えるよ!」
  そう言って、立ち上がろう!   としたその瞬間、目の前に一瞬だけあの、『則夫』らしき少年の顔が見えた。
   そして、一気に流れ込む大量の映像の破片の数々。
  崩れゆく街並み。
  逃げ惑う人々。
  氾濫する川。
  暗く重い闇の中。
  激しい右脚の痛み。
  そして不安と寂しさ。
  
  それ以外にも、阿鼻叫喚の映像が、瞬時に頭と心と身体に焼き付いた。

   その情報量の多さに、さおりの脳は処理速度が追いつかず、彼女の思考は事切れたかのように固まった。

   数秒後。
   やっと目の焦点が整い、少しずつ記憶と機能が回復し、『さおり』 は息を吹き返した。

『今のはなんだったんだろう?』
  急に押し寄せる恐怖と不安。
『いや、きっと疲れてるんだ……それがほんの一瞬だけ幻覚で見せたんだ!』

その証拠に先程見えた映像は、まるで『夢』を見た後のように、その殆どが鮮明さを失い、もう記憶の海の中へ埋没しようとしている。
『そうだ……きっとそうだ……』

  そう言い聞かせながら、彼女はズボンのポケットに忍ばせていたナプキンを、強く握りしめるのだった。




    つづく

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