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その怨み、晴らします……第14話

元カノと毒親のブルース③

番隨涼香。

 彼女は、永きに渡りこの世を悪霊や怨霊より護り続けてきた血族、幡随院の末裔。特別な家系に生まれた彼女は、属する組織、全国霊障審議会(後略全霊審)では、特級能力者と認定され、全国津々浦々であらゆる霊障に立ち向かっていた。

 全霊審。

それは日本をあらゆる霊障から護る為に結成された組織。無数に存在する宗教団体を始め、霊媒、除霊など、個人で活動する能力者も包括し、全国から寄せられる霊障被害の救済及び、観測・捕捉された霊波や呪物への干渉、それにまつわる情報操作までを手掛けている。そもそもは太古より皇族直下の組織ではあったが、第二次世界大戦後GHQ統治下での解体を避けるために、内閣府直轄の非営利団体として形を変え、その活動は原則、秘匿とされる。

 そしてその一員である涼香。彼女の今回の派遣先は高苗市。

 そう、彼女は『篠北花』として、エッジへの派遣を言い渡されたのである。

 今回の案件は個別の事象ではなく、大きな流れを予見したうえでの潜入調査。高苗市ではその事前準備として、同じく全霊審に所属していた田所が、企業人としておよそ十五年ほどの月日を費やし、その地盤を高苗市に築き上げていた。彼の采配で、全霊審のメンバーは数多の企業への潜入が可能。そしてそこに彼女も加わる。彼女の使命は、全霊審が最も恐れる『来るべき災禍』の回避。

 そして田所は赴任早々に、彼女にとある青年の監視を言い渡す。

 そう、功佑の監視である。

「彼のおばあちゃんが以前私の所に相談に来ましてね。孫が見えない誰かと喋ってて気味が悪いと。私はその時はじめて河東君を知りました。まだ幼かった彼の周囲には、非常に能力の高い霊が集まっていて、半ば守護霊のように振る舞っていました。しかし彼らはこの世に未練を残した怨霊。いつ彼を闇の中に引きずり込むか分かりません。故に私は常に監視を続けていました。すると不思議なことに、その霊たちは順を追って成仏していくんです。そしたらすぐに入れ替わり立ち代わり、新しい霊が彼を取り巻いていくんです。しかしながら彼は生きている人間。『普通の暮らしをさせたい』というおばあちゃんの願いもあります。それ以降も私は彼の監視を続け、取り巻く霊から引き離したい、そう思ってるんです。しかし、どの霊も尻尾を出しませんでね。祓うに祓えんのですよ」


 派遣初日に田所から伝えられた言葉が涼香の頭をよぎる。田所はさらに言葉を付け加える。

「そして今、彼に取り巻いている霊たちは、今まで以上に能力が高いようです。私もまともにその姿を視れた事はありません。ただその霊らしき高出力な波動が先日、このビルと市内で観測されましてね、更には河東君らしい姿もわずかながら周囲の監視カメラに散見されました。彼が何かを企んでいるとは思えませんが、何かしら彼が関与している可能性も否めません。だからこそ尚の事、彼をこの件から引き離したい。甘いかもしれません……ですが、篠北君として、彼を助けては貰えませんか?」

「どうして……そこまで? 全霊審に報告すべきでは?」

「彼はね……汚れて無いんですよ。あれだけ霊に囲まれておきながら、一度も堕ちていません。汚れてないからこそ、ある意味霊に『光』として崇められているのでは? と私は思っています」


 その発言に涼香は当初理解に苦しんだが、功佑と数週間の間一緒に過ごした今、田所の言葉の意味を理解した。功佑は不器用ながら素直で無邪気、発言とその行動に世間擦れのしてなさが見て取れた。それは彼女にとっては新鮮で、本音を言えば心地よかった。

番隨の名を忘れる程に、功佑との時間は本来の自分に戻れる時間でもあった。

 それは彼の『優しさ』からだった。

 優しさは霊にとって格好の拠り所。その優しさゆえに霊に取り込まれ、自滅するものも少なくはない。しかし功佑は、それを味方にしているのか、その瞳に曇りはなかった。

 こんな事があった。

 とある日。

市内の爬虫類ショップを取材してきたスタッフが、トカゲと生餌のコオロギを購入して帰社。そしてその後トカゲとコオロギが逃げだす事態が発生。誰もが気持ち悪がって回収しようとしない中、功佑だけは淡々とその回収を率先する。

「爬虫類や昆虫、苦手じゃないんです。コオロギも子供の頃に飼ってたので、愛着があってなんなら友達です」

皆がコオロギの大群に悲鳴を上げる中、黙々とコオロギを回収する功佑。彼は笑顔で涼香にこう告げる。

「虫からなら、室長の事護れますよ」

 いたずらっぽく笑う功佑の手の中には数匹のコオロギが、逃げることなく包み込まれていた。ましてや、コオロギの方から彼に駆け寄って来ている。

「でも、ごめんね……君たち食べられるんだよね……」

 そう言いながら申し訳なさそうにケースに戻す功佑の横顔が、何故か涼香の瞼に焼き付いて離れなかった。

『一寸の虫にも五分の魂』

 功佑のその姿に、在りし日の父親の言葉が脳裏に甦る。それは生と死の狭間を生業とする者として、どちらに対しても疎かな態度を執ってはならないという、父親の信念だった。自分に縁した全ての命あるものに対して、その死には必ずや弔いの想いを込める、そう彼女は言い聞かせられていた。それ故、蚊やゴキブリにでさえ、幼かった彼女は手を合わせる。しかし周囲はそんな彼女を馬鹿にし、忌み嫌った。生まれる親と家を選べなかった彼女は、それを『現実』とし飲み込み続けた。その日々は彼女を孤立させ、記憶という傷跡を残し続けた。

 更に功佑は馬鹿が付くほどに真面目だった。頼まれた仕事は何を差し置いてでも期限内に終わらせる。どんなに依頼が立て込んでも、必ず期限内には終わらせているのが不思議でならなかった。それだけの技量があるのでれば、企画を一つやらせてもやり遂げられるはず。監視者としてというより、功佑の上司としてそう彼女は判断し、自分のプロジェクトに彼を選択したのだった。

故に彼女の中で功佑の存在は、監視対象者でありながら、いつの間にか大きくなっていた。

気付けば功佑の事ばかりを考えている、それも否めない。『仕事』ではあるものの、功佑と一緒に居る時間は、良くも悪くも彼女にとって、かけがえの無いものになろうとしていた。


 しかし彼女は監視者。

 このまま感情に身を任せれば、冷静な判断が出来なくなる。その懸念が彼女の首を締め付ける。私情は禁物。されど彼女の見た限り、功佑に怪しい節はない。

本当は白か、或いはよほどの霊が後ろに居るのか? そんな功佑に彼女はジャブを打つ。

 そう、霊を払う威力のある清水を混ぜたボディミストを、プレゼントと称して功佑に手渡したのだ。この清水は霊にとって酸のような作用を引き起こし、肌を焼く威力を持つ。。いくら特級の霊であっても、この清水には無傷では居られない。故にもし、功佑が霊に関与していれば、明日からの彼の動きにも変化が見られるはず。

純粋に喜ぶ功佑に少しだけ後ろめたさも感じたが、何事も無ければ普通のプレゼントで、不浄な霊から身を護るお守りにさえなる。そう自分に言い聞かせ、彼女は実行に移すのだった。



          

功佑は、深夜目を覚ました。

いつものように春氏の寝息と、けたたましい忍野のいびき、そして杏奈の寝言……

いや、その寝言が聞こえない。

功佑は慌ててベッドから起き上がると、ソファに目を向けた。そこには無造作に毛布が残され、杏奈の姿は無かった。外に出たのか、施錠されたままの玄関を見詰めると、彼女の残り香を追うように、功佑も外に飛び出した。

部屋を出ると生暖かい空気が周囲に漂っていた。空を見上げると、紫がかった念が揺蕩い、朧月夜をより一層幻想的に彩っていた。きっと杏奈から漏れ出た念に引き寄せられたのだろう。切なさや孤独を匂わせる情念が、功佑のアパートの周囲を不安げに包み込んでいた。

功佑は今日も然り、ここ数日の杏奈の態度が少し、いや、大いに気になっていた。

自分がここ数日仕事で頭が一杯だった為、杏奈たちとの時間をまともに取れていなかった。杏奈たちもきっとそんな彼に気を遣って、そっとしてくれていたのだろう。しかしあの感情の浮き沈みから察するに、確実に杏奈には何かあったはず。それに薄々気付いていながら、彼は何も出来なかった。否、何もしなかっただけ。取り戻すなら今しかない。

功佑は霧状に立ち込める情念の中を、杏奈を求めて彷徨い続けた。



「あんじー……」

 今一番求めていながらも、一番拒否したい誰何の声が、杏奈の背後に響く。

 杏奈の周りには紫色の情念が揺蕩い、その色を深く重ねるている。それは幾層にも連なって『闇』を形成し、彼女を取り込もうとしている。杏奈も一度は闇に墜ちた身。その誘惑に懐かしさと肌馴染みさえ感じるのだった。


 桜井の一件より杏奈は忍野の娘、澄子に憑依して、彼女の胸中へと潜り込んでいた。そこで彼女が目にしたものは『不運』そのもの。そして杏奈も一人の女性として、澄子の人生に胸を痛めた。

 

杏奈が視た澄子とは……

 澄子は中学卒業後、満を持して家を飛び出す。最初は友達の家をハシゴしていたが、その生活は長くは続かなかった。友達の家族に疎まれ、追い出されるように外に放り出される始末。勿論住む家もなければ金もない。自由の身になった途端に全てを失った。そんな澄子に微笑んだのは、見知らぬ初老の男性だった。

 その男は忍野とは真逆の、温和で優しい男だった。見知らぬ彼女に寝泊まりする部屋を与え、三度の食事と、そして自らが営むコンビニで、彼女に仕事まで提供するのだった。しかし、彼女が心を開いた時、男は本性を現した。

 男は与えた施しの報酬に、彼女の身体を要求する。半ば強制的に貞操を奪われた澄子は、動物と化した男の言いなりになる他なかった。きっと選択肢は他にもあったはず。されどそこに思考が辿り着くには、まだ澄子は幼過ぎた。父親程に年の離れた脂ぎった男に弄ばれたとしても、それ以上に忍野の下へ戻りたくはない、その思いが彼女をそこに留まらせた。

 それから成人を迎えるまで、澄子はその生活に身を委ねる。それ故男との共依存は緊密で、その男がいなければ何も出来ない程に、澄子はぬかるみに浸りきっていた。

 しかし男は日々の不摂生が祟り、突然その命を落とす。またもや放り出される澄子。

それから必死に職を探し回り、澄子はとある工場での職を得る。

しかしそこでも彼女は不運に見舞われる。

 その工場の従業員はほぼ女性。年齢層も澄子の二回りほど上の層ばかり。そこは派閥と序列が拮抗し合う、まさに修羅場だった。、

 そんな中に飛び込んだ澄子は、入社後すぐにいじめの標的とされる。その時の記憶がきっかけで、周囲の目を必要以上に気にし、顔色を窺うようになってしまった。

 その地獄に何年耐えていたのか、澄子も正直な所、正確には覚えてはいない。いつか抜け出そうと思うも、転職するほどのスキルとその勇気が、澄子には欠如していた。

 そんなある日、澄子は数少ない男性社員たちの会話に耳を奪われる。。

「こないだ行った箱ヘル、出できたのがババアでさあ!」

「んで? イッたんだろ?」

「まあ……ね……二回も」

「きしょ! でもいいよね! 女ってブスでも身体売れば楽して稼げるんだから……」


 その会話に澄子は耳を疑った。

『楽して稼げる……』

 澄子はその偏見に満ちた言葉に甘い希望を抱いた。

性に対する免疫は少なからず、以前世話になっていた男によって手懐けられている。

 容姿端麗ではないが、店を選びさえしなければ拾ってくれる所もあるかもしれない。

『この地獄から逃げ出せるなら、羞恥心も道徳心など捨て去ってやる!』

 そう息巻く澄子は、近場の風俗店の面接を片っ端から受け始めた。しかし、その殆どは容姿が原因で断られ、抱いていた甘い希望は徐々に光を失っていく。

「ここが最後……」

 澄子が最後に訪れたのは、歓楽街から離れた温泉街の一角に佇む、今にも潰れそうなヘルス店。在籍する女性もわずか五人。しかも皆、澄子より一回り以上の熟達者ばかり。

 店舗も老朽化が激しく、そこは場末感満載のまさに終着駅だった。

されど、澄子の若さといつからでも働けるという融通の良さで、二つ返事で採用が決まり、早速翌日より勤務開始となった。

 それから澄子は愛想も良く献身的だった故か、お茶を引くどころか、予約が相次いだ。

彼女を指名する客の中には、後期高齢者や身障者、引き籠りなど、人気嬢は毛嫌いする部類も少なくなかった。しかし澄子はそれらを区別することなく受け入れる。半ば介護のような接客も多かったが、それは苦にはならなかった。

そして澄子は彼らのその胸の内に、押さえ込まれている『孤独』を垣間見る。それは澄子自身も持ち合わせている心の陰。だからこそ放ってはおけなかった。そして澄子はその孤独にそっと触れ、優しく抱きしめた。それにより男達は澄子と胸の穴を満たし、そして『我慢』していた『自分』を開放する。

その関係性が、澄子を人気嬢へと押し上げていった。

今更ながら、歪な関係であったが家出直後に拾ってくれた男に、澄子は感謝するのだった。

その経験が礎となって、自分を必要としてくれている人たちがいる。澄子は生まれて初めて、『現在』に生きがいを感じるのだった。

 しかしまた不運が澄子に降りかかる。

 客の一人が、違反行為に走ったのだ。

欲情を抑えきれず、何も装着しないままに澄子の胎内に自らの因子をぶちまけたのだ。それは一度ならず、時間内複数回に及んだ。澄子は助けを呼ぼうにも、その巨漢に身体も口も塞がれて身動きも出来ず、声もあげられなかった。いや、敢えてあげなかったのかもしれない。勿論その行為を望んでいた訳ではない。しかし、その『彼』を見知っている澄子は、敢えてそれさえも受け入れたのだった。

 そして数週間後、妊娠検査薬は陽性を位置し、澄子の人気嬢としての日々はピリオドを打つ。

澄子を孕ませた男は、女子供を養う経済力も無ければ、人間力も無い社会不適合者。

澄子自身もその男との結婚など微塵も望んではいない。ましてやその責任を負わせる気も無かった。それを公にする事の方が余計に煩わしい。何よりも澄子の人生の中で一番輝いていた時期を、この件で塗り潰すことはしたくなかった。

自身に宿ったその命、それは今までの我慢と努力の結晶。澄子はそう位置付けて、これからを生きていこうと心に決めるのだった。


そしてしのぶを出産。

澄子は自身の経験上、親の仕事で我が子を苦しめたくなかった。その為に夜の世界からは足を洗い、ギリギリで生活できる今の職場、『マルニチ大泉店』のパートスタッフとしての職に就く。そしてそこで、中途採用で入社してきた桜井との出逢いを果たす。しかし丸っきり仕事の出来ない桜井。されど彼は仕事は出来ないにしても、真剣に仕事に向き合っていた。

それ以上に彼は優しかった。その無邪気な笑顔に澄子は安堵する。そしていつの間にか二人は互いに共鳴し合い、それは交際へと発展するのだった。


杏奈の心も、そんな澄子に深く共鳴した。

経緯は違えど『男』に翻弄され、傷付けられ、そして同じ男を愛した。憎しみも哀しみも、そして淡い想いも、杏奈はそれら全てに打ち震えた。

そんな杏奈の感情の機微を察し、腹を空かせた低俗霊たちが今、まさに彼女を再び闇へと連れ込もうとしていた。


「あんじー」

 その声は闇を貫き、杏奈の中に飛び込んできた。しかし、杏奈はそれに抗い、闇へと目を背ける。

「行かないで……傍にいて……」

 その声は杏奈を背後から抱きしめた。と、同時に杏奈が澄子に見た憎しみや哀しみ、淡い想い、その全てがその声に流れていった。その過去とそれに対して杏奈が抱いた感情を受け入れたうえで、その声は更に杏奈の不安を振り払うように言葉を紡ぐ。

「僕には、あんじーが必要なんだ。あんじーが居ない毎日なんて考えられない……」

 その言葉に嘘はなかった。しかし、杏奈が本当に求めている真意に的は絞られていない。

されど、それでも杏奈
を闇から振り向かせるほどに、それは杏奈にとっては大切な言葉であり、大切な声だった。

「ずるいよ……こうじー……」

 杏奈は安堵の涙に頬を濡らし、その声に背中を預けた。

 月を覆う紫煙の霧はいつの間にか晴れ、その空にはいくつかの星々が瞬きを取り戻し始めていた。



 翌日。

 功佑は仕事帰りに、マルニチ大泉店へと足を運んだ。

 都心から離れた寂れた郊外にあるその店舗は、およそ三十年以上も前から続く老舗のスーパーマーケット。功佑の自宅からは徒歩で十分圏内。

 功佑が訪れたのは二十時手前。杏奈に聞いた所、桜井は遅番勤務で十五時から深夜零時までの勤務らしい。そしてその桜井には今現在、忍野が連日憑依している。杏奈からの印象も含めて、忍野は彼に良い印象を抱いてない。万に一つも無いと信じたいが、よもや忍野が桜井に悪さをしないかと聞かれたら、否定は出来なかった。

彼は忍野を連れて帰るつもりで、この店へと訪れた訳である。

「ここ数日、なんか桜井さんおかしくない?」

「あの人、元からじゃない? お釣りも間違えるし、発注数も桁間違えるし」

「そんなじゃなくて、なんか、ほら、情緒が不安定っていうか、結構最近言葉もなんかキツくない?」

 店内に入り、スタッフたちの会話を耳にした功佑は、その内容に眉を顰めた。

 きっとそれは忍野の影響だ。功佑は桜井が担当している鮮魚コーナーへと急いだ。

 辿り着いたその場所には、足を引き摺りながら売れ残った商品を回収する肥満体の男が居た。彼の周りには灰色の念が漂い、彼に降りかかる小さな不運を食い物にしている。きっとこの男が桜井のはず。更に功佑は男に目を凝らす。するとうっすらと浮かび上がる人影が見えた。忍野である。

「あの……桜井さんですよね?」

 功佑は迷わず桜井の前に躍り出て声を掛けた。

「こうじー! なんでお前さんがここに居るで?」

 忍野は桜井の声で、急に現れた功佑に驚きの声をあげた。

「あんじーに聞いたよ! おやじー、帰るよ!」

 功佑は戸惑う桜井の前に立ちはだかり、彼の右手を取った。と同時にその手から忍野の手を掴んで桜井から引きはがし、店の外まで連れ出した。

「ちょっ、こうじ―乱暴過ぎやねえがか?」

「おやじーのやるべきことは、こんな事じゃないはず!」

 そう一喝されると、引きずり出された忍野は言葉を詰まらせた。

「そうじゃけども……」

「今日は帰ろう」

 いつになく功佑は強気だった。忍野の娘を思う気持ちに火が点いて、桜井に霊障を及ぼす可能性もゼロではない。更には質の悪い低俗霊を吸収して、悪霊に堕ちる可能性だってある。

それは本来の忍野の望みではない。そこが捻じれると、成仏とはまたかけ離れてしまう。

「儂はまだこいつと一緒に居るで」

 功佑の手を放し、忍野は立ち止まった。

「なんで? そんなにその桜井さんが憎い? 娘さんからまた幸せを奪うつもり?」

「若造が! 知った口を聞くんじゃねえが!」

 珍しく忍野が功佑に対して厳しい声を上げる。驚いた功佑は言葉を失った。

「すまん……言い過ぎたで……じゃんけんど、儂も人の親。我が子を預けるに値する男か、それだけ確認させてはくれんか? なんも悪さはせん。信じてはくれんか……」

「ごめん……僕も一方的過ぎた……」

 忍野の一喝に、功佑も不安に駆られた自分を反省した。

おやじーは一時の感情に左右されるような男ではない。その信頼性は今までに築いて来たはず。杏奈と忍野の気遣いが嬉しい反面、功佑はどこか寂しく感じていたのも確か。それ故に気持ちが高ぶったのかも知れない。

「分かった……でも、ちゃんと帰って来てね」

 功佑は忍野の言葉を信じる事にした。

「あたぼうよ! じゃけんど、お前さんの意見も欲しゅうてな。ちょいと報告がてら、この男の人となりを見てはくれんか?」

「かしこまり」

 功佑の返答を得ると、忍野はそっと彼の中に入っていった。功佑は周囲に怪しまれないように、右側にあった自販機の近くまで移動し、カモフラージュにスマホを手に取る。

『ええか? 儂が見たもん、今から流すけえ』

 頭にこだまする忍野の声。それが静まると同時に、功佑は過去の桜井と同化する。



 功佑が目を開けると、杏奈の遺影が見えた。

「この人殺しが! よくも抜け抜けと!」

「どうぞお引き取りください! このお金は受け取れません」

 突然、一組の男女の厳しい声が鼓膜を貫いた。そして投げつけられる香典袋。


 その記憶は、杏奈の葬儀に桜井が参列した時のものだった。

 桜井は杏奈の死によって、やっと自らの行為の卑劣さに気付くのだった。

当時は遊ぶ金欲しさにパチンコや、競輪、競馬とあらゆるギャンブルに手を染め、豪遊と貧窮の満ち引きに身を委ねていた。それは女たちからの加護があったからこそ続けられていたもの。それ故、彼を快く思わない声も多かった。だが彼は、それら一切を気にも留めなかった。しかしながら、人が一人死んだことで、それらの声はより厳しさを増し、彼への非難は熾烈を極めた。特に杏奈の両親には、二人のやり取りが明るみになった事で、更に忌み嫌われ、より一層厳しい言葉を浴びせられるに至った。

 それらの言葉によって彼は自分の愚かさに気付き、そして周囲にはもう誰も味方がいない事を悟った。

『杏奈、ごめん……』

今更謝ったとて、それはもう杏奈には届かない。そしてその声を誰も信じてはくれない。

更に杏奈の死後、職場からは解雇され、その後職を転々とする。どこに行っても中途半端な彼は、どの職場からも容赦なく戦力外通知を叩きつけられる。ここに来てやっと、自分が仕事にまともに向き合っていなかったことも自覚する。そして迫りくる加齢が更に彼の行く手を暗くする。端麗な容姿に甘んじ、自堕落な食生活を続けていた彼は、今になって日に日に体重が増え始め、張り出る腹の勢いを止めることが出来なかった。

 併せて周囲からの厳しい声がストレスになって過食は進み、更に体重は増え続け、白髪・抜け毛も多くなっていった。

 そして気付けば五十路を迎えようとしていた。なのにまともな職にありつけず、日々の生活は貧窮を極めた。そんな彼に金を積む女などもういない。

『やり直したい……』

 彼は今一度、真面目に生きようと猛省するのだった。

 そしてやっと、マルニチ大泉店での鮮魚スタッフとしての職を得る。

魚臭さに悩まされながらも、彼は今まで以上に仕事に精を出した。

しかし相変わらず周囲は彼に冷たい。されどその中で唯一、彼に優しく微笑む光があった。そう、それは澄子の優しい微笑み。

 それは見るからに今まではべらせてきた女性とは、比べるべくもなく素朴だったが、その微笑みに彼は『居場所』を見つけるのだった。

互いに身に沁みた辛苦が二人を引き合わせたのか、澄子の存在は彼を癒していく。

更にはもはや脂肪の塊と化した自分でさえ、否定せず受け入れてくれる澄子。そして桜井は半世紀近く生きてきて初めて、本当の恋に落ちる。しかし澄子はシングルマザー。その事実に躊躇したのは事実だが、それでも澄子と一緒に居たいと思う自分が居た。そして桜井は覚悟する。澄子と、そしてしのぶを幸せにすると。されど子供を持ったことのない彼は、しのぶの奔放さに毎回振り回されているのだった。


 功佑は目を開ける。目を開けても尚、澄子の優しい眼差しと、しのぶの不貞腐れた顔が、その目に焼き付いていた。それは、それだけ桜井が二人の事を想っている証。そんな桜井に、功佑は少しだけほっとするのだった。

「この人ならきっと大丈夫だと思う。だけど痛みを知った分、物凄く弱くにもなってる。下手すると低俗霊に取り込まれる可能性もあるかも知れない」

「そうじゃて。この男の周りは不運を招く念でいっぱいじゃて。自業自得じゃが、ちいとその雲さ祓うで、こうじーや、ちぃと時間をくれんかえ?」

 いつのまにか功佑から抜け出した忍野は、頭を下げて見せた。

 その声には嘘は無かった。いつも頼りになる忍野の懐の深い声。

「うん……」

 自らの人生に落とし前を付けようとしている忍野の思いに、功佑は少しだけ寂しさを感じたが、敢えてそれを飲み込んだ。

そう、忍野だけじゃない。杏奈も今回の件が片付けば……


そして功佑は思い出したかのように、ズボンのポケットに手を入れ、その中身を握りしめる。その手の中には、たくさんの付箋があった。



 同じ頃。

 春氏は夜の大戸岳にいた。

 一人取り残された感が拭えない春氏は、少しでも功佑の役に立ちたいと殺人事件、そしてその死体遺棄に使われた大戸岳について、彼なりに調査を進めていた。

 昼間は近くの図書館で、人の好さそうな利用者に憑依しては、大戸岳の歴史について知識を深めた。夜はこっそり功佑のパソコンを開き、殺人事件の関連記事をピックアップし、情報収集に奔走していた。そして彼は二つの情報を得るのだった。

 先ずは今回の殺人事件の被害者たち。ネットの掲示板を見る限り、その被害者の中には霊能力者が、数名存在しているようだ。

 しかもその霊能力者たちは、大戸岳で功佑たちが掘り起こした死体の中から発見されている。その中から一人、高名な名前が浮上した。その名も蒲生政明。その男は高苗市内在住で、除霊をメインに全国で活躍していたという。実際に彼のSNSにアクセスすると、急逝したとだけ記されており、それ以外の情報は全て削除されていた。


 そして大戸岳の過去については、図書館のデジタルアーカイブで気になる記事を発見した。それはおよそ五十年前の昭和五十二年の七月。なんと大戸岳にトンネルを開通させるという工事が着工されていたのだ。

当時、大戸岳が市の中心にある事で、都心部へのアクセスが困難であると危惧した高苗市が、当時の道路公団の協力のもと工事を計画。およそ四千億円を投じて行われる巨大な工事となった。それに対して、『神』の降り立つ山に触れてはならぬと、地域住民・高苗市に拠点を持つ、数多の宗教団体より激しい反対の声が相次いだ。しかし、高苗市はそれを押し切って強制的に工事に踏み切る。その結果、着工からおよそ二週間で、その工事は中断の憂き目にあう。

その日は更に掘削を進めるために爆薬を装填する予定だった。しかしその日、高苗市を巨大な地震が襲う。それにより掘削区間は落盤し、中に居た作業員たちは皆生き埋めとなった。

更にはその地震は群発地震へと発展し、救助活動もままならないまま、工事はそのまま中断を余儀なくされる。その間、何かしらの圧力が掛ったのか、トンネル工事は中止へと追い込まれた。更にはそれからの数か月間、高苗市はその群発地震に悩まされる事となる。

 それ以降、何故か被害者の掘り出し作業も行われず、トンネル予定地だった箇所は造成される。そして緘口令を敷かれたかのように、その事には誰も触れようとはせず、五十年の長きに渡り、風化の一途を辿るのだった。

その記事の中に春氏はとある写真を見つける。それは当時の新聞に掲載されていた写真。

そこには現場事務所として設置された、二階建てのプレハブが映り込んでいた。そう、そのプレハブは桃果を助けに行った時に、幻に見たプレハブと酷似していた。

 故に、大戸岳は何かを知っている。あの幻も大戸岳からのメッセージなのか?

 春氏は今一度、それを確かめるためにこの場所に来た。

 誰も居ない大戸岳の山頂。展望台の前にはたくさんの名前が彫られた石碑が鎮座している。その名前は、きっと五十年前の被害者達のものだろう。それから何かを感じ取ろうと、春氏はその石碑に触れ、瞳を閉じる。

 

 しんと静まり返る中、耳を澄ませる。

 すると、肌に触れる風はその温度を下げ、徐々にそれは冷気へと変貌を遂げる。

『きっと、何かを伝えたいはず……』

 周囲が肌を噛むほどに冷え込むと、春氏は目を開けた。

「……」

そして彼が目を開けた先には、濛々と立ち込める『闇』が口を開いていた……

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