その怨み、晴らします……第9話
憂う少女と視える猫と時々殺人事件②
「こうじー、この子助けてあげられないかな?」
翌朝。久しぶりの土日の連休を満喫する功佑。
朝食を食べながらテレビを見ていた彼の前に、杏奈が一人の少女を連れてきた。ちょうどテレビでは、数日前に発生した殺人事件を特集していたところだった。
「うん、話、聴こうか?」
功佑はコーヒーを一口すすると、杏奈と彼女の後ろに隠れている少女の方に振り向く。
「ごめんね、波長が合っちゃって、連れてきちゃった……なんかほっとけなくて……」
申し訳なさそうに唇を噛む杏奈に微笑むと、功佑はその後ろの少女にも微笑んで見せた。
少女の名前は桃果。
見るからに四、五歳くらいの幼いお呼び。
杏奈が小林に憑依するために興亜物産に出向いた際に、その道中で知り合ったのだという。最初は杏奈にさえ警戒の色を見せていたそうだ。しかし数日間顔を見合わせる中で、杏奈の放ってはおけない気持ちが伝わったのか、少女は差し伸べられた杏奈の手を握りしめた。
桃果はここ数日のうちに家族と離れ離れになったという。その理由について尋ねてみると、『分からない』『覚えていない』の一点張り。しかしその質問の際、彼女の瞳孔が大きく開いた事を功佑は見逃さなかった。きっと、思い出したくないような怖い思いをしたのであろう。また、その返答の曖昧さ具合から彼女自身、自分が死んでいる事に気付いていない、或いは受け入れていないのかも知れない。
功佑はそう推測する。
更に桃果には、不明な点が二点ほどあった。
一点目は彼女の左手の肘から先と、右足の膝から下が、やけに透けて見えた事。功佑という媒介的存在との波長が適合していないのか? いや、そうであれば、そもそも姿さえも見えず、杏奈の目にも留まらなかったはず。だとすれば死亡した時に何かしらの力が、その箇所に作用しているのか? しかしその答えを今の彼女から引き出すのは至難の業。
『みちゅうに会いたい』
そして二点目はその『みちゅう』。
きっとそれが、彼女の成仏への到達地点。
おおよそ、離れ離れになった両親に会いたいのだろうと予想していたが、それがまさかの『みちゅう』。
ペットなのか、アニメやゲームのキャラクターなのか、さっぱり分からなかった。
それを聞いてもまた瞳孔が大きくなるばかりで、その唇はへの字に歪んだまま。インターネットで『みちゅう』と検索をかけてみたが、ヒットした中には四、五歳の女の子が夢中になれそうなものは見当たらなかった。
「ね、あんじー、桃果ちゃんとはどこで出合ったの?」
「どこっていうか、こうじーの職場のビルの裏路地を歩いていたのを見つけたの。物凄く辛そうな顔しててさ、多分、家に帰ろうとしてたのかな? 帰り道が分からなくなったのかも?」
桃果をまるで我が子のように見据える杏奈。一方の桃果は、ずっと『みちゅう』と囁きながら、功佑たちの声には上の空。更に時折差し込まれる、不安げな表情と大きく見開かれる瞳。彼女はまだ、今際の際に体験した恐怖の渦中に居るのかも知れない。彼女を成仏へ導くには恐怖の渦中から、今現在の『こちら側』に連れ出し、死んだことを受け入れさせなければならない。
功佑は少女のここに至るまでの経緯を確認した後、彼女の前に跪き、その目を見据えてこう言うのであった。
「桃果ちゃん、その哀しみ、僕らが晴らします!」
その言葉の意味が届いたのか、桃果は小さく頷いた。そして霊体で居られる時間に限りが来たのか、徐々にその姿は透け始めた。
「儂が出おうた場所さ、ちいと見てくるで。現場に何か手掛かりが落ちとるかも知れんで。こんな小さな子、放っておけんで。桃果ちゃん、このじいじも助太刀するで、もう暫し待っときんしゃい!」
その姿に声をあげたのは忍野。桃果の姿が娘と重なったのか、居ても立っても居られない様子。忍野は強面の顔をくしゃくしゃに和ませて、消えかける少女に笑って見せた。少女もその満面の笑みが面白かったのか、少しだけ口角を上げる。そして彼らの前から姿を消すのだった。忍野はそれを見届けると、肩で風を切るようにして部屋から消えていった。
「僕は行方不明とか、誘拐だとか、そんな事件が最近起きていないかを調べてみる!」
「私は少しでも桃果ちゃんから話が聞きだせるように、可能な限り一緒に居てみるね」
それぞれが桃果の出自に関して動き始めた。
しかし、春氏だけはこのタイミングでは、この件に加担していなかった。
その頃彼は……
「はっ! はっ! せいっ!」
春氏はその頃、近所の公園で毎日欠かさない稽古に励んでいた。
武士の家庭に生まれた彼は厳格な父のもと、幼き頃から刀に触れ、その鍛錬には余念が無かった。生前は勿論の事、死して尚も、一日たりとて稽古を休んだ事は無い。腰元に鎮座する一本の刀は、彼にとって父であり、母でもあり、そして神だった。いつ何時も動向を目され、甘えや嘘を許さない。稽古こそが、刀への忠義。故にその精神と技巧が錆びつかぬよう、雨が降ろうが槍が降ろうが、彼は日々刀を振り続けた。またそれが、彼が『侍』であり続ける根拠と礎。未来永劫、それは変わる事は無い。
「やっ! せいっ! かっ!」
声だけは威勢のいいものの、その刀身には迷いが見受けられた。
春氏の刀は二尺三寸(約七十cm)の長さに、およそ二斤(約一・二kg)の重さ。それが今日に限っては、その倍の長さと重さに感じられる。五百余年もの間、休まずに振り続けたが、今日だけは相性の悪い刀のように扱いづらかった。刀を振り下ろすというよりも、刀に振り回される、そんな感じだった。
『落ち着け! 落ち着くのじゃ! 』
心の中で叫びながら刀との呼吸を合わせようとしたが、今日は空振りに終わった。
「なんたるや! 拙者としたことが……」
刀身を鞘に戻すと、春氏は溜め息とも深呼吸ともつかぬ、深い息を漏らした。
今朝見た夢が、未だに引っかかっていた。癒えぬ傷は彼の行く末にも暗い影を落とす。
もう五百年以上の昔の事。無論姫は生きているはずもない。ならばこれからどうすれば良いのか? 春治自身、正直見当もつかない。果たしてこの魂は成仏出来るのだろうか? 発狂しそうなほどに胸に渦まく虚無と孤独。
さりとて彼は『侍』。その混沌を吐き出さぬように、きつく、強く唇を噛みしめる。
「みぎゃーお」
暫くすると、彼の背後から甲高い仔猫の鳴き声が聞こえた。その声はしきりに誰かを呼び続けているようで、悲痛な叫びに聞こえた。
「はて、どこでござろうか?」
春氏は導かれるようにして、その声のする方へと歩き出した。
「みゃーお、みゃーお」
切羽詰まった鳴き声に、春氏の中に強い使命感が湧き出した。
『さては親猫と離れてしまったのであろう。このまま放置すれば小さな命が潰えてしまう』
その鳴き声に感化され、彼は必死になって公園中を探し回った。
「ここでござったか!」
再三探し回った挙句、彼は公園内のトイレの裏側で、小さく身を潜めていた仔猫を発見する。そこは雑草が生い茂り、仔猫一匹くらいは優に隠れる程。その草を掻き分けて、春氏が仔猫の傍に駆け寄ろうとすると、それよりも早く仔猫の方が春氏にすり寄ってきた。
「お主、拙者が見えるのでござるか?」
痩せ細った茶色の身体を引き摺りながらも、喉を鳴らして春氏の手や膝に自らの身体を擦り付ける仔猫。その感触は物理的なもので生きているという温もりがあった。そして見紛うことなく、その仔猫は春氏を『見て』いた。
「誠に不思議でござる! 死者の見える猫が居ったとは」
しばし感動するも、春氏ははたと困った。
野良猫に餌をやるのは簡単なこと。しかしそれは、その猫の生涯に対して責任を持つという事。ましてや功佑の家はアパートでペット禁止である。
しかしこの小さな命を放置するのはあまりにも忍びない。せめて里親だけでも……と言っても己は死者。結果的に功佑にあれやこれやと頼まざるを得なくなる。
自分の無力さに地団太を踏む。
「ええい! こうなれば!」
春氏は心を鬼にして、仔猫に背を向けて歩き始めた。
「みゃんみゃんみゃん……」
声を揺らしながらそれに追随する仔猫。
「着いてきたら駄目でござる!」
厳しく言いつけるも、行く宛のない仔猫の表情にほだされ、春氏は今一度その仔猫に駆け寄るのだった。
「本日十七時ごろ都内の住宅地で、男女二人の遺体が発見されました。被害者は芹沢大樹さん三十九歳とその妻、芹沢恵美子さん三十四歳の二名。警察の調べでは、二人の身体には十数カ所もの刺し傷があり、寝室で寝ていたところを何者かに襲われたとみられています。また、二人には『桃果』さんという一人娘が居り、行方が分かっていない事から、その安否が気遣われています」
テレビの画面に『桃果』、あの少女の顔写真が映し出された。
「ああーー!」
夕食時に七時のニュースを見ていた功佑たち四人は、その報道に声を揃えて叫んだ。
「そっか、やっぱり見つかってないんだ……」
「ちょっと待ってよ! 両親まで殺されてんの?」
「あんな幼い子供にまで手を掛けるとは、人として生かしちゃおけねえ!」
功佑、杏奈、忍野はその事実に無念の言葉を零した。
そんな中春氏は……
「さようでござったか……解せぬにも、程があるでござるな……」
そう言って、食べかけのおかずやごはんを、何やらタッパーに詰め込み始めた。
「どうしたの?」
それを見て鋭く突っ込む杏奈。
「あ、いや、最近胃の調子がどうも悪いようで、後程またいただくでござる」
「死人が身体気遣ってどうすんのよ!」
「ははは……全くでござるなあ……」
お茶を濁すようにして、席を離れる春氏。
「拙者、夜の鍛錬も始めたでござる! 戌の刻には戻りまする故」
そう言って、颯爽と玄関に向かう春氏。
その背中を見て、杏奈は呟いた。
「実にあやしい……」
「猫殿……お待たせでござる」
春氏はまたあの公園へと足を運んでいた。そう、あの仔猫に会う為である。
昼間は公衆トイレの裏側に身を潜めていたが、そこは人通りも多く何より衛生的ではない。そう危惧した春氏は捨ててあった段ボール箱と、公園内の植樹の枝を数本拝借して、公園の小さな森の中に、簡易的だが雨風は凌げる猫御殿を作成。仔猫にもその思いが伝わったのか、喜んで出入りしていた。はたして、あの仔猫はまだ御殿の中に居てくれているだろうか?
「猫殿……」
春氏は御殿の扉をそっと開くと、そこには毛布代わりに与えた自身の手ぬぐいを、抱きしめるようにして寝ている仔猫の姿があった。
「さっそく愛用してださったか。眠い所かたじけない。ご飯の時間でござるよ」
そう言って、仔猫の鼻の頭をそっと撫でると、いそいそとタッパーに詰めた食材を、仔猫の前に並べ始めた。
「みぎゃーお」
眠たそうな声と共に、食べ物の臭いに惹かれ、仔猫も目を覚ました。
「ささ、召し上がれ」
春氏が広げ終えると、仔猫はよほど腹が減っていたのか、貪りつくようにして目の前の食事にがっつき始めた。
「これはこれは、良い食べっぷりでござる! されど喰らい過ぎて腹を壊さぬようお気をつけなされ」
はみゅはみゅ言いながら、実に猫らしく食べるその姿に安心した春氏は、ほっと胸を撫で下ろした。
その刹那。
「ちょっと! それって、なんの鍛錬なのよ!」
振り返った先には、杏奈を筆頭に功佑、忍野の姿があった。
「こ、これはこれは……かたじけ、ない……」
三人を前にして、合わせる顔と言葉が見つからず、春氏は無難な言葉に終始するのだった。。
「言ってくれればよかったのに――」
功佑は春氏の杞憂を、笑顔で吹き飛ばした。
「されど、それでは無駄な迷惑をまたこうじー殿に押し付ける羽目になるでござる」
「迷惑? うーーんと、ずっと隠されている方が結果的に哀しいかな? だってさ、うっじーを成仏させるのが僕の目的なんだから、この子の事が気になって成仏できないなんてなったらさ、ほら、うん? ちょっと待てよ、そうするとまだ長くうっじーと居られる? うんと、えーーと、もうわかんないや!」
そう言うと功佑は春氏の指にじゃれる仔猫に、森の中で拾った草を猫じゃらしのようにして揺らして見せた。見事に反応してそれに飛びつく仔猫。
「この子、ほんとに可愛いね! 多分すぐに里親出来ると思うよ」
子供のようにはしゃぎながら、功佑はそう言うのであった。
かくして人間一人、霊三人、霊が視える猫一匹の共同生活が始まるのであった。
翌朝。
杏奈は今日も桃果を連れてきた。少女が可視化できるのは、朝の七時過ぎから十時頃まで。きっとこの時間に命を落としたか、深い未練を残したか、それはきつく閉じられた唇の中に、未だ秘められたまま。
「おはよう、桃果ちゃん」
「おお! よう来たで。ゆっくりしていくがええ」
「よくぞ、おいでなされました。温まって行って下され」
男三人は満面の笑みで少女を迎え入れた。特に忍野は、どうも気がかりな様子で、ぬりえやら折り紙、ぬいぐるみや少女漫画雑誌など、どこから持ってきたのかわんさかと用意する勢い。
「はい、桃果ちゃん、良かったら飲んでいって」
杏奈はマグカップに温かいココアを注ぎ、テーブルの上にそっと置いた。少女は椅子に座ると、そのココアに手を伸ばした。
その時だった。
「みゃーお」
ソファーでくつろぐ新しい家族が、寝息まじりに小さく囁いた。
「みちゅう!」
桃果はその鳴き声に椅子から飛び降りると、ソファーの方へと駆けだした。
「みちゅう! みちゅう! だいじょうぶ? げんき? いたいところない?」
『みちゅう』と呼ばれたその仔猫は、その言葉に目を見開き、身を翻した。そして目の前にいる少女の姿に歓喜するかの如く、声と喉を激しく鳴らすのだった。
少女と仔猫は感極まった様子で、暫くもみくちゃになりながらも、互いに強く抱きしめ合った。
「みちゅうって、あの猫のことだったんだ……」
急な展開に少しだけ肩透かしを喰らったかのように、功佑は呟いた。
『みちゅう』は桃果が飼っていた猫だった。二人の仲睦まじい姿がそれを物語っている。
さすれば『みちゅう』に逢えたという事は、桃果は成仏出来る筈。四人はそう信じた。
しかしそうは問屋が卸さない。少女の姿は一向に薄まる気配もない。更には念願のみちゅうに逢えたにも関わらず、食いしばるようにきつく閉じられた唇。そのへの字に曲がった唇が、少女をこの世に縛り付ける最後の鎖。その鎖を解くことが本当の成仏への道。功佑はそう悟るのだった。
「痛い……んだよね?」
功佑は桃果に歩み寄り、薄くなっている右手と左足をそっと優しく撫でた。
桃果はほんのわずか小さく頷いて、への字に曲がった唇を震わせた。
昨日と今日の二日だけだが、桃果の歩き方や喋り方を見て、功佑はこう、推論を立てた。
その固く閉じられた唇は、『痛み』によるもの。心因的だけでなく、物理的な痛みが今も尚、左手と右足を圧迫し続けている。それを取り除かなければ、桃果は成仏には至らない。
その為には、今、桃果が何処にいるのか、そして、どういう状況に置かれているのか、それを突き止める他ない。
「ね、桃果ちゃん、今、どこに居るか分かる? 何か見えるものは無い?」
功佑は務めて優しく、少女に問いかけた。
「くらいとこ……」
少女から出た言葉はそれだけだった。そして桃果の身体は小刻みに震えだした。
「寒いの?」
身体を震わせながら、桃果はほんの少しだけ頷いた。
「あんじー、こっち」
功佑は杏奈を呼び、桃果を前から抱きしめるように指示した。
「おやじー、うっじ―も」
そして忍野・春氏にも左右から。
時計の針は朝の十時を過ぎようとしている。桃果が霊体として存在できる時間は残り僅か。暗く寒い場所で、痛みに耐え忍ぶ少女に、功佑は少しでも『安心』を与えたかった。その為には隙間のない温もりが必要だった。そして功佑も桃果の背後に回り、その背中に唯一鼓動する胸を押し当てる。その鼓動は脈を打ちながら、春氏、忍野、杏奈にも連鎖し、みちゅうを抱きしめる桃果を、全方位から温めた。そして打ち合わせることなく四人は同時に呟いた。
『だいじょうぶ……』
そう呟いた途端時間が過ぎたのか、桃果はその姿を消した。
「みぎゃあ……」
桃果が消えた事で床に落ちたみちゅうが、寂しそうに鳴き声を漏らした。
功佑たちはそっと身体を離すと、それぞれ無言で誓い合う。
必ず桃果を助けると。
功佑はテーブルに戻ると、わずかに減っていたココアを見て、少しだけホッとした。
「みゃーお」
背後でみちゅうが低く鳴いたのが聞こえた。
その声に功佑が振り返ると、仔猫の目はじっと彼を見据えていた。その目は愛玩される可愛い仔猫の目ではなく、何かを見定めるような、鋭く厳しい目をしていた。
「うん?」
不思議に功佑も見返すが、その目は変わらぬまま彼を見据えている。
「みちゅう殿、稽古に行くでござるぞ」
「みゃーお」
春氏の声で仔猫に戻ったみちゅうは、まさに目の色を変えて春氏の元へと駆け寄っていく。
「なんだろう?」
功佑はそのみちゅうの視線に、強い緊張感を覚えた。恐怖ではなく緊張。そこに悪意はなく、あくまでその真偽を問うかの如く、厳しくも険しい眼差し。そのあまりもの厳しさに、功佑はここ数日間の日頃の行いを思い浮かべたほど。
「どうしたの?」
戸惑う功佑の表情に気付いたのか、杏奈が少しだけ心配そうに顔を覗かせた。
「いや、大丈夫」
「なら、いいけど……」
そうは言ったものの、功佑の胸の内は確かにざわついていた。
