その怨み、晴らします……第8話
憂う少女と視える猫と時々殺人事件①
「春氏、某は人を斬った事が無いらしいな」
佐竹政勝は狡猾な笑みを浮かべながら、春氏の顔を覗き込んだ。当の春氏は屈強な雑兵に取り押さえられ、身動き一つ出来ぬ状態。そして佐竹は春氏の眼前に、名刀『國光』を突きつける。
「人を斬った事のない者を侍と呼べるのか?」
佐竹のその言葉に、その場を囲む部下の雑兵たちはどっと笑い声をあげた。
「ええい! 放せ! 放さぬか!」
春氏はその発言を打ち消すように大声で叫び、押さえつける雑兵を振りほどこうともがいた。しかし屈強な雑兵はその抵抗にびくともせず、蔑んだ笑みを浮かべるだけであった。
「おぬしには、この姫は守れん……」
佐竹はそう言うと國光の切っ先を、今度は小田家当主貞允(さだまさ)の一人娘、允保(みつほ)の眼前に突きつけた。
彼女もまた屈強な雑兵たちに取り押さえられ、身動きを取れぬ状態にあった。
「姫には手を出すな!」
春氏は必死になって叫んだ。その彼の必死な形相を嘲笑うかのように、佐竹は邪な笑みを浮かべる。そしてその切っ先を允保の胸元に押し当てると、そこに巻かれた帯を一刀両断にした。
「嫌あ!」
身をよじらせ抵抗する允保。それにより帯は外れ落ちて、胸元から足下までの新雪のような白い肌が露になった。
「おおおおおおお……」
周囲を取り囲んでいた雑兵たちは、野卑な歓声をあげる。
「このおなごはすぐには殺さん。我らが思う存分になぶり尽くした挙句、殿に上納するか、遊郭にでも売り飛ばしてやる。このおなごなら、ええ稼ぎをするであろうな」
佐竹は邪悪な笑みのまま、今一度その切っ先を春氏に向けた。
「某は冥土で姫の弄ばれる姿に苦しみ続けるがよい」
そう言うや佐竹は國光を天にかざすと、一気に振り下ろした。
「やめろおおおお!」
春氏は、ベッドの下に頭が落ちた衝撃で目を覚ました。
彼は夢を見ていたのである。夢というにはあまりに鮮明な、それは消える事と癒える事の無い、遠くて近い過去の『記憶』という名の傷跡。
床に頭だけで転がる春氏は、離れていても顔と体が汗だくになっているのを感じていた。
「大丈夫? なんかうなされてたみたいだけど……」
隣のベッドから心配そうな功佑の声が聞こえた。
「これはこれは、面目ない……拙者としたことが……」
いつものようにおどけて返す春氏。
「うんじゃ、もっかいおやすみね~」
功佑も春氏のその応えに何気なく返すと、数秒後には浅く寝息を立て始めた。
時計の針はまだ丑三つ時を抜けきれぬ位置にあった。
春氏はその時間帯に少しだけ安堵しながらも、頭をベッドに戻して今一度目を瞑る。
しかしその瞼の裏では、悲痛な表情の允保が彼を見つめていた。その視線に耐え切れず、春氏は目を開ける。
『姫……かたじけない! 拙者が……拙者がお護り通せなかったが為に!』
春氏は允保のその後の身の上に、身も心も激しく捩らせた。同時に謝罪や悔恨、そんな自分本位な言葉では片付けられない焦燥感が、彼の体中を駆け巡る。
己は主君よりの命を果たせぬまま、最悪の事態を招いた、まさに『諸悪の根源』。
そう自分を責め、またそうする事で『事実』から目を背けている自分を感じ、更に自己嫌悪に陥る。ずっとその繰り返し。春氏がどんなに詫びようが、反省しようが、犯した過去は変わる事も、消える事もない。しかも『侍』として主君の命を果たせなかったのは、その忠義を貫かなかったのと同義。まさに謀反にも値する罪業。
『人を斬った事のない者を侍と呼べるのか?』
そして佐竹の言葉が、更に彼を責め立てる。
そう、春氏は侍でありながら人を斬った事が無い。それは主君の小田氏が戦を嫌う大名であったことに起因するが、その言葉通り彼は本当に人を斬ったことが無かった。
彼にとって『刀』とは、護る為の象徴であり、忠義の証、そして自身の写し鏡。穢れや刃こぼれ等一切厳禁。彼はその忠誠を主君と刀に誓うのだった。
当時、侍たちの中で辻斬りが横行していた最中でも、彼はそんな俗世には流されなかった。
他の侍たちからは、弱さの言い訳、『屁っ放り侍』等と揶揄されたが、そんなものは相手にしない。それを裏付けるように、小田家で開かれる武芸大会では、通年で一位を独走し、他の追随を許さなかった。
されど人を斬り、『戦』を知る佐竹の言葉は彼の根底を覆す。
佐竹ら郷原勢より城を護り切れなかったのは、『戦』に疎い春氏ら家臣たちの『弱さ』故。
『命』の駆け引きが繰り広げられる戦の場では、理想など通用しない。殺るか殺られるか。
もはや次元が違う。それを思い知らされ、憎しみと悔しさの中に、惨めささえ覚える程。
佐竹の言葉はまさに春氏の人生そのものを否定し、そして斬り捨てた。さらにはそれを裏付けるように、春氏自身が主君である貞允はおろか、姫である允保さえも護り切れなかったという事実。
『拙者が『侍』とは片腹痛いわ! 雑魚で小童、一介の雑兵に過ぎん!』
そうやって自信を蔑んだとて何も変わらない。春氏は大きく深呼吸をついて、鼓動の無い胸に手を当てる。すると瞼の裏の允保は、徐々に幼き頃の無邪気な笑顔へと変わっていく。
それに併せて春氏は息を整え、允保と紡いだ時間へと思いを馳せた。
その思い出の中では、春氏が刀の稽古中、ずっと彼を見守る視線があった。そう、それは允保からの視線。允保とは齢一回りも離れていた為、幼少期よりの彼女を春氏はよく知っていた。春氏にとっての允保とは、身分を弁えずに言えば『妹』のように可愛く、『娘』のように絶対的に護るべき存在。そんな允保が、子供ながらに稽古中の彼の刀さばきに見惚れたという。春氏が稽古を始めれば、いつのまにか無邪気な笑顔を湛えた允保が彼を見詰めていた。恐縮しつつも、悪い気はしない春氏。主君である貞允も一人娘允保の要望には寛容で、また、春氏への信頼も厚く、二人のやり取りには口を挟むことはしなかった。
「わらわは春氏の奥方になる!」
齢十六を迎えた允保は突然、そう口走った。
「それはそれは恐悦至極。さりとて、貞光様に謀反と見なされ、火炙りの刑に処されまする。姫にはちゃんと相応しい方が居られます」
笑って返す春氏ではあったが、素直にその言葉は嬉しかった。男と女の色恋沙汰とは違う、淡くて純粋、一点の曇りも濁りも無いその想いは、彼の忠義をより深く、そしてより強くするのだった。
春氏は允保の在りし日の笑顔に、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻すと、再び微睡の中に落ちていった。
