その怨み、晴らします……第10話
憂う少女と視える猫と時々殺人事件③
それから数日間、功佑たちは桃果の居場所を探し当てるために、それぞれに奔走し続けた。
功佑は仕事の傍ら、桃果の両親や事件の詳細について、何度もネットやテレビのニュースを見直した。何故、両親が殺されるに至ったのか、はたまたどこで桃果は殺害されたのか、幾度となく推論を立てた。しかし素人探偵に出来る事はごくわずか。その中で見い出した事はたったの二つだけ。
一つは、桃果の父親が働いていた職場が、ちょうど彼女が見つかった場所付近にある、保険会社であった事。
きっと桃果もその職場を訪れた事があったのであろう。あの場所で見つかったという事は、父親に助けを求めに来ていた、という推測も立てられる。
そしてもう一つが、ここ数か月の間に高苗市内を含め、その近隣で殺人事件が数件、立て続けに発生しているという事。しかし被害者や場所、手口などは様々で、どれも統一性は無く、また犯人も捕まっていない。それと桃果の両親の殺害を結びつけるには、あまりに具体性に欠けている。
そして杏奈は、桃果の現れる時間の全てを彼女と共有し、その心を開こうと必死だった。
しかし彼女の力では、その時間、桃果の霊体を維持させるだけで精一杯だった。そこに責任を感じた彼女は、桃果が消えた後も、忍野、春氏と共に低俗霊たちの聞き込みにも力を入れる。されど、こちらも有力な情報はなく、日々桃果と対峙しているにも関わらず、悶々とやるせない日々が続いていた。
「やはり、なんか、おるな……」
夕食後に焼酎をたしなんでいた忍野が、ふと呟いた。
「居るって、何が?」
杏奈が彼の言葉に反応した。
「あそこら一帯の低俗霊たちは、なんかを吹き込まれとるで。儂らがこうして、のうのうと酒を飲んどる間も、得体の知れん何かが、悪さを企てとる……桃果ちゃんの件は氷山の一角に過ぎんのではなかろうかと……儂の直感じゃが……」
「拙者もそれを感じてたでござる。なんと申すか、おやじー殿の凄みとは別物の、何とも形容のし難い、一種の意思のような……あの一帯の低俗霊たちの醸し出す空気が、少し歪でござってな……」
春氏も賛同の声をあげる。
「悪霊が居るって事?」
そして功佑も声をあげた。
「いや、そんなちんけな玉じゃねえ気がするで……」
忍野は静かに答えた。
「じゃあ、僕らじゃお手上げって事?」
間髪入れずに功佑は少しだけ声を荒げた。
「そうは言わん。じゃけんど、腹括って掛からんと、儂らも無傷じゃ済まんかも知れんぞ」
いつになく忍野は厳しい口調で答えた。その言葉に、杏奈も春氏も浮かない顔をする。そして三人の周りには、重く暗い念が立ち込める。
だが、桃果は色を失うことなく、彼らの前に現れている。それは彼女自身が『助けて欲しい』その気持ちを諦めていない証。延いては、功佑たちに自らを託してくれている、そう言っても過言ではない。だからこそ弱気になってはならない。功佑は一度唇を噛みしめると、その念を振り払うべく口を開いた
「僕はその覚悟あるよ。だからこそ今までやってこれたんだ。正直に言えば、みんなと知り合った時も一緒だったよ。言い方はごめん、あれだけど、一度死んだ人間は言わば『人』ならざる者。僕たちはたまたま波長が合ったから、こうして仲良くなれたけど、相手によっては自分も闇に取り込まれる危険だってある訳だし、これからもその可能性はゼロじゃない。でも僕には『声』が聞こえるんだ。それは時に言語を伴わない場合もあるし、こじれて捩じり曲がって、本当の気持ちが視えないものもあった。でも、そこに込められた想いは『助けて』その一言なんだ。そのどんな小さな声も僕は聞き逃したくない。今回だってそうだよ。おやじーの言う通り、何かが動いてるのかも知れない。もし、そうだったとしても、窮状であることには変わらない。僕は純粋に桃果ちゃんを助けたい。その気持ちは今も、これからも変わらない」
功佑の言葉に、しばし沈黙が流れる。それを破ったのは春氏だった。
「合点招致! 拙者も腹を括ったでござる! 一度は散ったこの命、一思いにまた咲かせてやるでござる!」
「そうじゃな! 儂等死人じゃて! 先ずは死にゃあせん! やりたい放題やらかすだけじゃて!」
そう言って、忍野は盃を頭上に掲げた。それに合わせて、他三人もそれぞれにコップとグラスを重ね合わせ、その中身を一気に飲み干した。
「ありがとう……みんな」
桃果を連れてきた杏奈は、声を震わせながらそう呟いた。
「みぎゃああお!」
四人が一致団結した刹那、それに呼応するようにみちゅうも雄叫びをあげた。その声の力強さに驚いた功佑たちは、ソファーに居るみちゅうに視線を合わせた。
そこにはいつもとは様子の違うみちゅうが、凛々しく立ち上がっていた。そして、ソファーから降りると、勢いよく功佑たちの前のテーブルに飛びあがった。
「みゃ……」
みちゅうは低く唸ると、テーブルの上を歩きだし、四人の目をそれぞれに見据える。
功佑はその視線に見覚えがあった。それは、厳しくも全てを見透かし、真偽を問うあの視線だった。みちゅうは四人と視線を重ねながらテーブルの上を練り歩くと、瞬く間に玄関口へと走っていった。
「みゃああああお!」
玄関に立ったみちゅうは徐に四人に振り向き、厳しさを含んだ声をあげた。
「みちゅう殿は何かを知っているようでござる! 着いてきなさい……きっとそう、言っているでござる!」
一番みちゅうと時間を共にした春氏がそう叫んだ。
「分かった! 行ってみよう!」
功佑の声に杏奈たち三人は、力強く頷いた。
みちゅうはまるで脱兎のごとく、暗い夜道を早急に駆け抜けた。その足ぶりは仔猫の脚力とは思えない速さ。功佑たちはみちゅうに着いて行くのがやっと。
「はあ、はあ、はあ……」
一人だけ実体を持つ功佑は息も絶え絶え・そんな彼の手を杏奈と春氏が引っ張り、背後には忍野が回り込んで背中を押す。
家を飛び出し、高苗市の中心の商店街であるアーケード通りを抜け、市の管理する公園に入り、そのまた奥にある、大戸岳という山の麓の林へと、彼らは足を踏み入れた。
功佑たちは既存の登山ルートとは違う方向から、大戸岳へと入っていく。雑然と生い茂る木々と雑草、あちこちに点在する岩肌が、彼らの行く手を阻む。功佑たちはそのけもの道を掻き分けながら、みちゅうの後を追う。さらに身の丈程もある草や、幾何学的に重なり合う木々の枝たちが、彼らの視界に立ちはだかる。それでもその隙間をぬって、みちゅうは軽快に登り進めていく。それに追随する四人は功佑も含め、春氏たち三人も功佑の体力の限界に連なり、霊力を著しく消耗し始めていた。
『ちょっと、待って……』
四人がそう叫びそうになった瞬間、周囲の空気が一変した。
彼らは気が付くと、草と蔦にまみれた二階建てのプレハブの小屋が鎮座する一角に辿り着いていた。
「みゃ!」
みちゅうは低く唸ると、プレハブの小屋に向かって歩き始めた。
「気を付けなさいと言っているでござる」
後を追いながら、即座に翻訳する春氏。四人はその空気の異様な冷たさと重さに、改めて息を飲んだ。しんと静まり返った空気は、全てを抑圧するかの如く重く、部外者を許さない、一触即発の緊張感が張り巡らされていた。そしてその中に蠢く無数の低俗霊たち。その静寂の中で音も声も漏らさずに、隙間なく身を寄せ合うようにして、彼らはひしめき合っている。
その霊気の冷たさは絶対零度。意思や思考さえも凍てつかせ、粉砕するほどの勢い。
四人は息を潜め、互いに手を繋ぎ合った。その瞬間、少しだけ温かい息吹が四人の中に繋がり合う。それを命綱に、春氏を先頭に功佑、忍野、杏奈の順番で、みちゅうの後に続き、プレハブ小屋の中へと入っていく。
小屋に入ると、その霊気は一段と強くなった。それは肩に重く覆い被さり、更には息が詰まるほどに胸を締め付ける。四人はその霊気を吸い込まないように、浅くゆっくりと深呼吸を繰り返す。
春氏と忍野は懐刀を取り出し、その霊気に牽制する。
「全ては写し鏡。こんなこけおどしには儂等は屈せんぜよ!」
忍野は力強く喝を飛ばす。その声にその場に漂う低俗霊たちはにわかにざわついた。
功佑は室内隅々に目を凝らす。四方は薄いベニヤ板で囲まれ、中央に作業時に使われていたであろう机と椅子が四台。その上には資料や書類が、無造作に散乱していた。また壁面には背の高さほどある白い什器が立てられ、そちらもあらゆる資料や書類が散乱し、廃墟然の様相を呈していた。
『ここは何だろう? 何かの工事現場の事務所?』
そう心の中で呟くと、功佑は散乱した資料に目を向けた。しかしそこに記されているであろう文字は、彼が目を向けると同時にぼやけ始めた。それでもわずか見えたのは、
『高苗市』
『トンネル』
という二文字だけ。功佑はその二文字を訝しんだ。そもそも高苗市にはトンネルなど無い。
「みゃあお」
みちゅうの呼び声に、功佑は我に返った。みちゅうは室内の内階段の前に立っていた。その表情はまるで、功佑だけを呼んでいるかのよう。功佑は階段の先に桃果の存在を感じた。
「ごめん、ここからは一人で行ってくる」
「大丈夫でござるか?」
「だめ! 危ないよ!」
功佑の言葉に春氏と杏奈は異を訴えたが、功佑は皆と繋いだ手を放し、みちゅうの方へ駆け寄った。
「こうじーは大丈夫じゃて。儂等はこの霊気を増長させんように集中した方がええ」
忍野は心配する二人を喝破し、即座に彼らの手を強く握りなおした。そして、目の前の霊気と対峙するように、強く目を見開いた。
「みゃ」
みちゅうに促されながら、功佑は軋む階段を一段ずつ登っていく。階段の数歩先は闇に包まれて何も見えない。一段上がるごとに、視界は薄暗がりの中に浮かび始め、背後には漆黒の闇が迫っていく。
何段登ったか分からなくなった時点で、目の前に薄汚れたサッシの引き戸が現れた。
功佑はそのガラスの向こうに目を凝らすも、その先は暗闇以外のなにものでもなかった。
『この中に入れという事か……』
功佑は今一度腹を決める。
「みゃああお」
功佑の足下で、みちゅうが声を上げた。功佑は屈みこむと、みちゅうの頭を優しく撫でる。
「ここまで連れてきてくれてありがとう。桃果ちゃんがこの先に待っているんだね?」
功佑がそう言うと、みちゅうは答えるようにして身体を摺り寄せ、喉を鳴らしながら彼の目を見詰めた。その目は先程までの厳しい視線ではなく、まるで懇願するかのような、想いを託すような眼差しだった。功佑はそれ受け取ると、立ち上がって引き戸に手を掛けた。
「冷たっ!」
凍てつくようなその冷たさに声をあげる。両手をこすり合わせ、息を吹きかけて今一度引き戸に手を掛けると、功佑は一思いにその扉を開け放った。
「うっ!」
開口一番、尋常ではない腐敗臭が彼の鼻を突いた。まさに腐れたチーズ、煮詰まった硫黄、発酵した生ゴミ、形容し難くも極めて強い悪臭が、引き戸の向こうには充満していた。功佑はその悪臭に絶句したが、意を決してその闇の中へと足を踏み入れた。必死に両手で鼻と口を覆い、功佑は闇の中を歩き続けた。暫くすると、ぼんやりと周囲の輪郭が整い始める。
そこは一種の倉庫で、木製の棚が数列ほど並んでいるようだ。その棚の上はまた薄闇に包まれていたが、じっくりと目を凝らすことで、またその輪郭が伴い始める。功佑は一カ所に集中して目を凝らし続けた。
「うっ!」
功佑の前に現れたのは、もさもさとした髪が渦を巻く人の頭。目を疑い、凝視するも、そこには頭だけが無造作に置かれていた。そして、その隣には切り取られた手首や足、指、胴体など、周囲の棚全てに目をやれば、そこは切断された身体の部位で、所狭しと埋め尽くされていた。その中の一部は原型を留めていない程に腐敗し、醜悪な様相を更に助長する。
流石の功佑も、その光景には戦慄を覚えた。
『なんだよ? これ……』
異臭と霊気を吸い込まないように、両手の中で浅く深呼吸を繰り返しながら、頭の中を整理する。
ここにあるのは死体。しかも、その全てが切断された部位ばかり。
『もしかして?』
功佑は悟った。もしかしたら、この中に桃果の切断された死体が埋まっているかも知れない。しかし、それをどうやって見分ける?
『嫌……助けて……』
『きゃあ!』
しんとした霊気の中、微かに聞こえる断末魔の叫び。死体それぞれが、今際の際の恐怖に打ちひしがれている……功佑にはその声が聞こえた。
功佑は恐る恐る、目の前の切断された手に指を伸ばし、実際に触れてみる。
すると……
「痛っ!」
その瞬間、誰かの記憶が彼に流れ込み、痛烈な痛みがその手を襲った。それはその瞬間の残像と恐怖。そしてその痛み。死体それぞれにそれが残っているようだ。意図せずとも触れればそれは功佑へと流れ込む。その度に功佑はその死に際の恐怖と痛みに晒される。
『この中に桃果ちゃんが居る!』
もはや悪臭など遠い存在のように、功佑は手当たり次第に死体に触れて回った。
『助けるなら今しかない!』
そう自分を鼓舞し、幾度も見ず知らずの誰かの死に際に、彼は対峙し続けた。
「はあはあ……痛い……、怖い……」
何人の死体に触れただろうか? それさえも分からない程に何人もの記憶に触れ、自分が誰であるか見失う程に、功佑の心は破壊されていった。
「みゃああお」
その度に後方から耳に届くみちゅうの鳴き声。その声に功佑は息を吹き返し、次の列、また次の段と、群がる死体にその手を伸ばしていくのだった。
「みぎゃああお!」
最後の棚に差し掛かった辺りで、みちゅうの鳴き声に緊張が走った。
「急げって……」
その緊迫した鳴き声に、功佑は焦りを覚えた。
『飲み来れたら負け』
激痛に苛まれながらも、実際には無傷な身体。しかし、その痛みを受け入れなければ、答えには辿り着けない。受け入れても飲み込まれない、その強い心が必要だった。
「大丈夫! 僕にはみんなが付いている!」
そう言葉にし、春氏、忍野、杏奈の顔を思い浮かべる。そして最後の棚に目をやると、うず高く積まれた死体の一番下に、小さく幼い子供の指を発見した。
「桃果ちゃん!」
功佑はすかさずその指に手を伸ばした。
『桃果! 逃げなさい! 早く!』
その指に触れた途端、激しく叫ぶ女性の声が聞こえた。そして目を開けば、黒ずくめの誰かに押さえられている女性が見えた。
『おかあさん……』
桃果の心の声に、それが彼女の母親である事が分かった。
『逃げなさい! 早く!』
叱責に似た母親の絶叫に、桃果は言われるがまま部屋を飛び出した。
『逃げる』
幼い少女はその一言だけにすがり、無我夢中で夜道を裸足で駆け回った。しかしどこに逃げていいのか分からない。また、必死に走り続けた為、足の裏は血だらけに。
少女は痛みに立ち止まり、ふと周囲に目を向ける。ここはどこかで見たことが……
『おとうさん……』
そう、そこは父親の勤める会社がある付近だった。いつも帰りの遅い父親がまだ働いてるかも知れない。そうだ、おとうさんに助けてもらおう! 少女はそう思い、痛い足を引きずりながらも、懸命に父親の会社を探し回った。
「おとうさん! おとうさん!」
泣き叫びながら少女は走り回った。何度も同じ場所を繰り返し回り続け、記憶に重なる場所を探し続けた。
しかし、少女はまた立ち止まった。足は痛み、身体を突き抜ける風は冷たい。そして耳にこだまし続ける母親の叫び声。そして……
「みちゅう!」
少女は思い出した。数週間前に拾ってきた仔猫の事を。護るべき小さな命を置き去りにしていた事を。みちゅうは自分が居なければご飯も食べられないし、トイレだって出来ない。
『助けなきゃ……』
少女は再び走り出した。おかあさん、みちゅうを助けるために。
『いろは生命』
足の痛みが限界に達したその時、少女の記憶と目の前の光景が一致した。
『これでおとうさんに助けてもらえる! 』
一縷の希望が見えたその瞬間、左肘と右膝を痛烈な痛みが襲い、彼女はその場に倒れ込んだ。
功佑はその痛みに我に返った。そして、握りしめた幼い手のもっと奥に手を伸ばし、冷たくなった少女の身体を引き摺りだした。懸念していた左手と右足は、全て切り落とされている訳ではなく、それぞれ途中で斬り止められていた。きっと桃果に『痛み』を与える為に、敢えて切り落とさなかったのだろう。功佑はそう察し、その思惑に怒りを覚えた。
「みぎゃああお!」
背後でみちゅうの叫び声が響く。功佑はその声に周囲を見渡した。すると先程まで見えていた死体や、それが並んでいた棚がことごとく闇に侵食され、周囲を漆黒の闇が囲い始めた。
「桃果ちゃん、行くよ!」
功佑は桃果の左手と右足が落ちないように抱きしめながら、みちゅうの声のする方へ走り出した。しかし、闇を纏った低俗霊たちが、全方向から二人の行く手を阻む。
『終わりだ……』
『おしまいだ……』
『諦めろ!』
それらの声は功佑の意志を削ごうと必死だった。歯をカタカタと鳴らしながら、功佑に噛みつこうと躍起。ついには鋭く尖った乱杭歯が、彼の右足首に突き刺さった。
「痛あっ! く! 」
嚙み千切る勢いで食らいつくそれに足を取られながらも、功佑は走り続けた。
『桃果ちゃん! 絶対助けるからね!』
功佑は心の中で、間髪入れずにそう連呼し続けた。
「みぎゃあ……」
みちゅうの声が途中で途切れると、功佑の足下の数歩先に深い闇の穴が現れた。闇は桃果共々、功佑を飲み込もうとしている。
この闇が何の意思か分からない。悪霊か、怨霊か、その漆黒の闇の中に見えるものは何もない。唯一そこに感じ取れるのは絶望。一歩踏み間違えれば、即その絶望に墜ちてしまうのは必至。霊障は全てまやかし。そうは分かっていても、目の前に広がる光景はそれを遥かに凌駕する。しかし、そうまでするという事は、『そっち』も焦っているという事。功佑はそこに勝機を掛けた。
『僕は飲み込まれない!』
そう強く決意し、彼はその深い闇の穴の上を跳躍する。その最中も闇は彼の背後にも周り込み、全方位から功佑を飲み込もうとした。
『この闇を越える! そしてみんなのもとへ帰るんだ!』
足元が定まらない中、飛んでいるのか、それとも落ちているのか分からないままに、功佑は闇に取り込まれないように、そう自分を鼓舞し続けた。
幾何かの静寂に包まれた後、
「みゃあおう」
途切れかかっていたみちゅうの声が、はっきりと彼の耳に届いた。
「こうじーまだかな?」
短刀をかざす春氏と忍野の背後で、杏奈が小さく囁いた。
「勝機は我にあり! わずかじゃが霊気が弱まったようじゃて。心配せんでええ! あの男は帰ってくる!」
「こうじ―殿は不死身でござる! 拙者らがこうして存在出来ておるのも、こうじ―殿が無事な証拠でござる!」
忍野と春氏は、声を大にしてそう叫んだ。
「だよね!」
そして、杏奈も功佑の無事を心に決めた。
その刹那、後方の階段から激しい落下音が聞こえた。春氏たちが振り返ると、そこには少女の死体を抱きしめた、血だらけの功佑とみちゅうが倒れていた。
「こうじー!」
杏奈が叫び声をあげ、功佑の元へ駆け寄る。春氏と忍野も短刀を振りかざし、霊気に威嚇を続けながらそれに倣う。
「みちゅう殿!」
春氏は血だらけになったみちゅうを見つけると、慌てて駆け寄った。そして震える手で抱きしめながら、嗚咽を漏らす。
「何ゆえに! 何ゆえに!」
春氏がそう叫び、涙を流した瞬間、周囲の様相が一変し、プレハブの小屋の中から、数時間前まで走り続けていた大戸岳の山林の中へと変貌を遂げた。
「え? あれ?」
三人はその視界の変化に戸惑う。
「霊気が収まったようじゃて。儂等はまやかしの中に居ったようじゃ。誰かの手の中で踊らされておったのか、或いはそこに潜入しておったのかは、その化け猫に聞いてみるしかないようじゃ!」
忍野は春氏に抱きしめられたみちゅうに近づき、短刀を振りかざした。
「だだだだだだだだだだ! だめでござる!」
春氏は即座にしゃがみ込んで、忍野の短刀からみちゅうを遠ざけた。
「おやじー殿! 後生でござる! それだけは、それだけはご勘弁下され!」
未だ少しの温もりと鼓動をみちゅうに感じた春氏は、泣きながら忍野に懇願した。その姿に、忍野も短刀を握る拳を少し緩めた。
「みちゅうは、僕らの味方だよ」
戸惑いの空気を断ち切ったのは功佑だった。
「こうじー! 大丈夫?」
功佑はゆっくりと身体を起こす。霊気が消えた事で、血だらけだった彼の身体は無傷に戻ってはいた。しかし体力と精神力は著しく消耗し、もはや満身創痍。
「うん、大丈夫。みちゅうがずっと僕が迷わないように声を掛け続けてくれたから、僕は戻ってこれたんだ。だからその子は僕の命の恩人。延いては僕を守る事でみんなの事も守ってくれてたんだ」
功佑はそう言いながら、四人が無事であることを、改めてみちゅうに感謝した。
「でも……」
「でも、なんでござるか?」
言い澱む功佑に、すかさず斬り込む春氏。
「その子の想いには、その身体は幼過ぎた……もう少し成長していれば……」
「どういう意味でござる?」
春氏は血相を変えて功佑に詰め寄った。
「みゃう……」
その途端、春氏の腕の中でみちゅうが小さく囁いた。
「みちゅう殿? どうしたでござる? 返事をするでござる……」
その囁きの後、止まった鼓動に気付いた春氏は、激しくその事実に抗った。
わずか数週間ではあったが、春氏にとって、みちゅうとの時間はかけがえの無いものだった。四六時中離れずに寝食を共にし、稽古中もずっとみちゅうと一緒だった。もはや一心同体。そしてみちゅうのその命尽きるまでの間、彼は護り続けると深く心に誓っていた。
それにも関わらず、護る事も許されずに志を折られる事、そして護れなかった事実に、また同じ過ちを犯したと、春氏は自分を激しく責めた。
むせび泣く春氏に、三人は掛ける言葉を見失った。
「相変わらず、泣き虫でございますね……」
どこからか、優しく響く女性の声が、四人の耳に届いた。
功佑たちは周囲を見渡したが、誰の姿も無い。
「え? 何?」
杏奈もその声に周囲を見渡すと、春氏の胸の中に灯るわずかな光に気が付いた。
「うっじー! み、みちゅう!」
杏奈の声に我に返った春氏は、抱きしめていたみちゅうの亡骸に目をやった。
「どういう事でござる?」
涙と鼻水だらけの春氏は、冷たくなったみちゅうの身体に、僅かに灯る光を見つけた。彼はそっとその光に手を当てる。その光は温かく優しく、どこか懐かしい匂いがした。そして彼はその光にさらに想いを馳せる。それは遠い記憶の中でずっと輝き続け、色褪せなかったもの。そして、護るべきもの……
「姫!」
春氏がその光をそう受け止めた瞬間、それは鮮烈な閃光を放ち、そして一人の女性の姿へと変貌を遂げた。
「ひ、姫! 允保姫でござるか?」
春氏は、咄嗟にその名前を口にした。
「さよう、小田家当主貞允の一人娘、允保でございます。春氏……逢いたかったですよ……」
「姫! 拙者もあなたを探し求め、幾星霜の時を紡いだことか……」
「わらわも同じ。春氏、そなたをずっと探し求めて、輪廻を繰り返しておりました。何故にこんなに時間のかかった事か……」
二人は寄り添い、功佑たちの視線も憚らずに、強く抱きしめ合った。それは互いに互いを認め合ったことで生まれる物理的な感触と匂いに包まれ、二人を五百年前の時分へと連れ戻した。そしてその抱擁は永遠とさえ錯覚するほどに、二人は互いを強く、深く感じ合った。
功佑は、みちゅうの厳しくも鋭い視線の意味が分かったような気がした。
きっとみちゅうは允保の生まれ変わり。輪廻を繰り返しながら、ずっと春氏を探し続けていたのだろう。その強い想い故、霊が視えるなどの特殊な力が、彼女の輪廻にも付きまとったのであろう。そして五百余年の月日が流れ、その想いはやっと共鳴し合い、再会を果たした。しかしながら生まれ変わった仔猫のタイミングで允保にはもう一つの使命が課せられた。飼い主である桃果たち家族が無残にも殺されたのである。更には桃果が闇に囚われ、いずこへと連れ去られた……彼女は桃果を連れ戻してくれる人物を探し続けた。それが神の悪戯か、春氏との再会、そして功佑たちとの出逢いへと繋がったのかも知れない。
そのためみちゅうは、仔猫ながらにその強い霊力で、桃果を助けるに値する存在であるか、功佑たちを見定めていたのであろう。荒唐無稽だが、そう仮定すればあの厳しい視線には納得がいく。
「その通りですよ。こうじー殿」
允保は急に功佑へと語り始めた。
「誠に恐縮ではありましたが、そなたたちの人としての立ち振る舞い、そしてその心の強さを見定めさせていただいておりました。ご無礼を深くお詫びいたします。さすが春氏の見初めた方々。見事な働きをしてくださいました。誠にありがとうございました。しかしながら、わらわにも誰が両親を殺め、桃果ちゃんを連れ去ったかは分かりませぬ。気が付けば父上と母上は血の海。わらわに聞こえるのは桃果ちゃんの声だけ。ずっとあの子はわらわの名前を、あの闇の中から呼び続けておりました。されど、わらわだけの力ではあの子の元へはいけません。桃果ちゃんを連れ戻すには、わらわと一緒にあの闇に立ち向かえる誰かの力が必要でした。そう考えると今回の邂逅は、運命の引き合わせだったのかもしれません。春氏がこうじ―殿と出逢い、そして春氏とわらわの再会。そのおかげで、本日あの場所へたどり着けたのです。あそこが何処で、誰が繕ったものかも分かりませぬ。ただ言えるのは、何かの意思が働いているという事。おやじー殿の予見はあながち見当違いではない、わらわもそう感じます。期待していた答えを持っておらず、申し訳ございません。されど、桃果ちゃんを助けて下さったこと、深く深く感謝いたします」
「僕らの考えてることもお見通しなんですね。お恥ずかしい限りです」
聞きたかったこと全てを先に答えられた功佑は、敬意を払いながら頭を下げた。。
「五百年という時間は伊達ではありません」
微笑みながら、允保は腕っぷしを叩いて見せた。
「それと春氏、安心なさい。わらわは辱めも受けておりませぬし、遊郭にも売られてもおりませぬ。あの後すぐに郷原勢は館川氏の急襲に遭い、落城に至りました。その時点でわらわは解放され、庶民としてその余生を全う致しました。そなたの考えておるような卑猥な行く末には堕ちておりませぬ」
「さようでござりましたか! もう、それが心配で心配で……」
春氏は泣きじゃくりながら、その言葉にひたすらに安堵した。
「これ春氏! わらわはそなたの思うとるほど、弱いおなごではござりませぬ」
「はっ! これはこれはかたじけない!」
春氏は允保の言葉に平身低頭、地面に額を叩きつける勢いでひれ伏した。
その姿に允保、功佑たちも笑みを零した。
『もしかしたら……』
功佑たちは優しく二人を見詰めていたが、ふとした寂しさを覚え、互いに顔を見合わせた。
そう、春氏の成仏が叶うかもしれない。允保を探して、今世を彷徨い続けていた春氏。それが、思いもしないこの瞬間に叶ったのである。五百余年を跨いでの逢瀬。これ以上に成仏するチャンスは無い。功佑たち三人は少しだけ暗い表情を浮かべたが、互いに笑顔で頷き合った。
「春氏や……そろそろ時間のようです。そなたはいかがされますか?」
「い、いかがとは……」
春氏は言葉を詰まらせた。誰もその後の言葉を繋げられず、春氏の発言に功佑たちは固唾を飲んだ。
「拙者は……」
暫くして、春氏は声を漏らした。
「はて? どうされまする? わらわと共に逝きませぬか?」
少しだけ寂しさを匂わせ、允保は春氏に問いかけた。そして彼女の姿は徐々に薄く透き通り始めている。間もなく成仏の時間だ。功佑たちは今一度、春氏の発言に刮目する。
「姫……拙者は、拙者は……」
涙に震えながら、春氏は言葉を続けた。
「護れなかったご無礼、深く、お詫び申し上げます。この五百余年、拙者はその贖罪にこの身を捧げました。その中で……」
「その中で?」
その声も少しずつ低くなり始め、允保は今まさに成仏の瞬間。一緒に逝くならこの瞬間を逃してはならない。功佑たちは複雑な想いの中、春氏の次の句を待った。
「その中で、このこうじ―殿という新しい主君を見つけました! こうじ―殿を護り抜くまではこの魂、今世に留まる所存でござります! どうか、どうかご無事で……拙者がそちらに向かうまで、天の国にて待っていてはくださらぬか?」
春氏は涙ながらにその胸の内を允保へと打ち明けた。
功佑たちはその言葉に、切なくも胸を撫で下ろし、安堵した。三人とも目を真っ赤にしながら、その安心を認めるように互いに微笑み合った。
「よくぞ申した! 春氏、そなたはあっぱれじゃ! されどわらわは待たぬぞ!」
允保は快活に言い放つ。
「え?」
待たぬという言葉に顔を上げて驚く春氏。よもや姫を傷付けてしまったのかと、後悔先に立たずという面持ち。
「わらわはそなたほど悠長ではありませぬ。輪廻を繰り返し、また生まれ変わってそなたに逢いに来ます。その際は早う気付いてくださらぬと、そっぽを向きますよ」
そう言うと允保は優しく微笑んで見せた。
「姫!」
春氏は泣きながら立ち上がり、薄く消えかける允保を強く抱きしめた。もう、その感触はわずかしか残っていない。それでもその感触を慈しむように、春氏は強く彼女を抱きしめた。
「春氏……良き仲間を見つけましたね……」
そう告げると、允保はその姿を小さな光へと変える。そして星の輝く夜空へと昇って行った。春氏たちはその光が消えてなくなるまで、その星空を見つめ続けた。
「うっじー! これからもよろしく!」
「ったく! この女ったらしが! またお姫様に出逢うまでに『男』磨きなさいよ!」
「ええ決断をした! おめえさんは儂の盟友じゃて!」
功佑・杏奈・忍野はその光との別れを終えると、それぞれに春氏に声を掛け、肩を寄せ合った。そして春氏も涙を流しながら、首が落ちる程に何度も頷くのだった。
そして四人は、今一度厳しい現実に向き合う。彼らの足下には桃果の死体があり、その後方、プレハブ小屋が見えていた辺りには異様に盛り固められた土の山があった。そこには功佑が闇の中で見た、見知らぬ誰かたちの亡骸が埋まっている。彼らはその山に近づき、それぞれの手で土を掻き分け、その中に眠る彼らをそっと掘り起こした。
その作業は丑三つ時まで続き、およそ二十人近くの、まさにバラバラの死体の山がそこに出来上がった。功佑が闇の中で見た死体ははまやかしではなく、本当に実在し、その窮状を訴え続けていたのだ。
何故?
誰が?
その答えは、当事者であるその死体たちでさえ知らないだろう。この死体は巷で囁かれている殺人事件に関与するものなのか、それさえも分からない。ただ、世に報道された桃果の事件はその一部。その他のここに遺棄された死体は、殺された事さえ誰にも気付かれていない。『死んだ』という事実が誰かに認識されない限り、ここに積み上げられた人たちは人知れず今世に彷徨い続けるだろう。功佑たちはそれを防ぐために、泥まみれになりながらも、彼らの死体を掘り起こした。
そして再燃する疑問。
両親は自宅で殺害されたのに、桃果だけ何故この場所へ連れてこられたのか? はたまた、功佑が視た桃果の最後の記憶は本物だったのか? よくよく考えれば、あの記憶が本物であったとすれば、いくら夜道とは言え、幼い少女の徘徊を誰も無視は出来ないはず。それにあの記憶には誰一人として通り過ぎる者は居なかった。あれは桃果が死に際に見た、最後の夢だったのかもしれない。その是非を彼女に問うのはあまりにも酷。結局どこで誰が彼女が殺したのかも判然としない。されどせっかく見つけた彼女の遺体。どうか、厳しい現実と記憶には蓋をしたまま、『発見』したという事実で、彼女が安らかに成仏してくれることを、功佑は切に願った。
「これで、姫が桃果殿を護ってくれるでござる」
春氏はそう言って、みちゅうの猫御殿に使っていた手拭いを、桃果の切れかけの左肘と、右膝に巻き付けて、まっすぐに繕いなおした。そして功佑は死体の山に対して、深く頭を下げた後、心の中で無礼を詫びながらも、その光景をスマホのカメラで写真に収めた。そして、スマホに内蔵されているGPSでこの場所を特定する。
「さ、戻ろうか……」
重くなった気持ちを引き摺りながら、功佑は三人に帰宅を促す。
「うん……」
杏奈を筆頭に力なくそれに応え、鬱蒼と生い茂るけもの道へと四人は姿を消すのであった。
一時間ほど、無言で山中を彷徨い続けた四人は、その後に見えたアスファルトの道路に、懐かしさと共に安堵を覚えた。
「ねえ! 見て! あれ!」
四人がアスファルトに降り立ったと同時に、一番最初に降りた杏奈が、後方の夜空を見上げて叫んだ。
「あ……」
四人は息を飲んだ。その夜空には、数本の光の柱が伸びており、誰かの成仏を静かに物語っていた。その方向は彼らが先程まで居た、死体の山があった方向。あの中の数人でもいい、無事に成仏してくれていたら。功佑はそう願わずにはいられなかった。そして三人にも促し、その光に手を合わせ、四人で鎮魂の黙祷を捧げるのだった。
翌朝。
桃果はいつもの時間より、少し遅れてその姿を現した。
「え?」
四人は彼女の出現に驚くも、すぐにその意図を汲み取った。
薄く消えかけていた桃果の左手と右足はその色を取り戻し、その背後には彼女が連れてきたのか、両親であろう二人の男女が顔をほころばせながら立っていた。
桃果の顔も、昨日までの痛みを堪えた表情ではなく、柔らかく微笑んでいた。
その三人は功佑の部屋の玄関に立って、揃って彼らに頭を下げた。
功佑たちもそれに倣い、四人揃って深々と頭を下げた。そして頭をあげると、にこやかに手を振る桃果の姿が見えた。そして彼女の足下にはみちゅうが寄り添い、功佑たちに更なる安堵をもたらした。
数秒後、桃果たちは玄関のドアをすり抜けて消えていった。その刹那、ドアの隙間からわずかな光が漏れ、彼らが天に召された事を暗示する。
「桃果ちゃん……元気でね……」
杏奈は鼻を真っ赤にしながら、ずっと手を振り続けていた。功佑も杏奈に倣い、もう一度玄関先に手を振った。
そして世間は、殺人事件の急展開に騒然とする。
それは、誰かが匿名で警視庁に送り付けた死体の山の写真と、その特定された正確な位置情報。それにより回収された死体は検死と解剖を経て、その個人情報が明らかになっていった。そのネタを嗅ぎつけた週刊誌やネット上のニュースサイトは、面白可笑しく尾鰭を付けてその事件を脚色し続け、世間に意味のない波紋を立て続けた。
しかし。
未だに犯人が分かっていない。それだけは変わらない現実だった。
