月給はぼくたちの麻薬/慰めと欺き
佐藤大朗(ひろお)です。早稲田の大学院生です。15年以上続けた会社員生活を辞めて、博士課程の学生をやっています(研究対象は三国志)。
就職活動すべきか??博士課程に進学すべきか??
という20代の後輩たちと話していて、ふと口を突いて出た言葉が、「月給は麻薬だからね」でした。
就職さえしてしまえば、いま大学院生として日々問われているような「自分は何を研究したいのか」という問いに晒されなくなる。「きみなりの視座は?独自性・新規性は?」「きみの研究方法とそれを選んだ理由は?」なんて質問も免れる。そして、超絶に不利な経済状況を脱出できる。
原典は、「宗教は民衆のアヘン」です。

月給をもらっていると、生き方の慰めになります。
何がしたいか、どう生きたいか、他人とどんな関わりを持ちたいか、3年後や5年後にどうなりたいか、それらの悩みや苦痛を和らげてくれます。
「お金をもらっているのだから、これをやらねば/こうあらねば」「お金をもらっているのだから、今月の活動はこれで良かったのだ」と思考停止でき、心の安楽を得られるのみならず、
さらにオトクなことに、食費や家賃のみならず、旅行も貯金もできる。職場の信用力でお金を借りて、自動車や住宅も購入できる。
就職さえすれば、一足飛びに《きちんとした社会人》《自立したオトナ》に自動的になることができます。大学院生として日々味わっている《きちんとした社会人》ではない、《自立したオトナ》ではない、という苦悶と屈辱が一瞬で消える。このままあと40年あまり惰性で過ごしても、老後まで破綻することはないだろう。
いかに「世界的に競争が激化する」「地政学的リスクが増す」「AIに仕事を奪われる」「老後資金や年金制度が不安だ」と言われようと、そんな脅威は、就職先が組織全体で受け止めればよいのであって、偉い人が考えてくれますし、個々の雇われ職員は、言われたとおりのことをやっておけば、月給はもらえます。
いやいや、就職を舐め過ぎじゃないか?社会人を皮肉ってないか?と言われそうですけど、
少なくとも、大学院生が日々味わっている「オレは何をしたいか」「どうなりたいか」「将来どうするのか」という悩みは、薄っぺらい財布と銀行口座をえぐってきますが、勤めびとにさえなれば、それらの問いが、《おままごと》レベルに緩和されます。
むしろ、
「あなたの意思は?」「あなたの独自性は?」「あなたの価値は?」という問いが《おままごと》になってしまい、雇用主・上司ともに、きみの話に本気で取り合うつもりがない(それっぽく聞いているふり/言葉を飾って意識が高い組織のふりをしているだけ)というのが、本当の地獄という気もしないでもないですが、
心の痛みが増したら、麻酔を追加すればいいだけです。
「でも、月給をもらっているしな」「月給をもらえたということは、現状のままで良いということだろう」「月給がとだえてしまったら、月々の支払いに困るし。家賃や食費をどうするのよ」
ふわ~!すっー!キラキラキラ!
月曜日の朝が憂鬱で、ああ、仕事がつまんないな、と思うこともあるけれど、すべての仕事がつまらないわけじゃないし、職場のみんなは「いいひと」ばかりだ。
むしろ、「つまらないから月給がもらえている」「プロならば、つまらなさを職場で悟らせない」という精神修行と捉え、これも運命・試練、救済のための準備だ、という屈節したプラス思考に飲み込まれていく。現実と向き合う力、生き方を変える力を失っていく。けれど、毎月決まった日になれば、銀行口座に数十万円が投げ込まれるのだから、それでよくなくない??
だったらどうするか
月曜の朝から、なんて記事を読ませるんだ、という感じですし、ぼくの場合は会社がイヤすぎて辞めちゃいましたが、
この記事で主張したいのは、「いきなり仕事を辞めろ」ではありません。「通勤電車で、逆方向の電車に乗れ」「乗り換えの駅で、違う路線に飛び乗れ」みたいなアグレッシブなことは、いきなり全員には勧められません。※ぼくはやったことあるけど
宗教二世と同じだと思うんです。自分が十分な判断力がないときに、とりあえずそのような運命に投げ込まれた。そのなかで適応できずに苦しんでいる。しかし、その環境から逃れることは容易ではない。親に無視されたら凍死・飢え死にする。だから信仰の仕草をせざるを得ない。
就職活動も同じですよね。十分な判断力もないのに、「大学を出たら就職するものだ」という常識を突っぱねることもできず、勤め人という運命に投げ込まれた。しかし、いまの環境から逃れることができない。月給をもらってとりあえず生きている現状=宗教=麻薬の依存から抜け出せない。
就職活動という強制的な思考停止によって《社会》の輪に投げ込まれ、月給によって成り立ってしまう生活があり、とりあえず現状肯定をせざるを得ず、しかも現状の立場により強く縛り付けられる、というループに入っていると思うんですが、そのループを、考え方のなかだけでも、断ち切ったらどうでしょうか。
月給をとりあえずはもらいながら、「いまの経験と判断力を持った自分が、就職活動中の学生だったら、どう考えるか」を夢想する。
あなたはもう、いろいろな我慢をしてきたのだから、
昨日まで持っていた組織への忠誠心を失ったとて、惰性で月給をもらい続けることぐらいは、許されるでしょう。わざわざ今月の給料の振り込みを拒否するほど、高潔である必要はないはずです。
月給をもらっているから構成員としてこうあるべき、という思考停止を仮想的に中断し、思考を再開させる。すると、「痛み」が再発すると思いますけど、その「痛み」と向き合うことから、何か見えてくるかも知れない。
「痛み」が強すぎたら、またすぐに、つかのまの忠誠心への揺らぎなんかなかったかのように、麻薬・麻酔を再投与すれば、ナニゴトもなかったかのように、日々は続いていきます。
一瞬だけ、麻薬を中断するかのように、正気に戻ってみて(でも月給の受け取りは中断しなくてOK)、自分の痛みと向き合ってみるのがよいかも。
