自分にウチカツ
今日はジムでバイクをこぎながらの録音という初の試み。
最近すごく気に入ってしまい、ずっと聞いているポッドキャストがある。
「愛の楽曲工房」という番組で、ポッドキャスターの樋口聖典さん、その弟で音楽プロデューサーの樋口太陽さん、そして2人の中学からの友人で芸人の青柳貴哉さん、の3人が、毎日の生活の事から社会、アート、音楽、子育て、遊び方、生き様、まで幅広く語り合う。
福岡県田川出身の九州弁で緩く語られている話はとても心地よく、いい意味で頭の回転が速い3人の会話のリズムがたまらなく面白い。 この、中学校以来の(さらに兄弟の)長い付き合いだからこその距離感や、きちんとしたお互いへの配慮も感じられつつ、時に遠慮のない愛のあるツッコミを聞くのが今や私の日課だ。(外でこれを聞いているときも、本当に遠慮なくニヤニヤしながら聞いている)
そこで「坂の途中の家」というドラマの森ガキ侑大監督とそのアシスタントさんがゲストの回で、ドラマ制作にまつわる話をしていたので、わざわざNord VPNを入れて日本のネットフリックスで、ひと晩でイッキ見をしてみた。
私は基本的にこういうドラマを見る時、わーっと一気に見てしまう。中だるみのところなどは飛ばしたり、倍速などで見てしまう。もちろん映像のトーンや時間と空間の間なども拾いつつ。が、まずは大きな物語の流れをつかみたくなってしまうのである。
このドラマのように、常識というカイブツにとらわれて、そのカイブツで自分を縛ってしまう、なんてほんと、現実でもあるあるな話だなーって思ったし、自分のそういう一面と呼応してハッとしたところもあった。
周りからの同調圧力という話もあったけれど、やはり問題は自分の中にある。 基本的には周りから何を言われようと、自分のモノサシで測ることができるのであれば、 自分がこう、と思っていることに対して 何が違うのか、それはどうしてなのか、と冷静に見ることができたら 起きた問題をまた外に投げ返してしまうのではなく、 結果自分の中で消化していくべきなんだと思う。
この主人公の女性も最後はそうしたのだ。 そうでなければ人は変わらないし、変化もしない。
そうなのだ。自分のテキはいつも自分なのだ。
こんなテキは、周りに協力をお願いすることを惜しまずに 一緒に打倒することが理想的だ。 それはたんに友人とのおしゃべりでも良いし、プロのカウンセリングでも、ブログでシェアしてみるのでも良い。
自分一人で戦おうとするところに問題があるのだ。
なんだかドラマの中の「こうでなければいけない」同調圧力があまりにもティピカルで極端だったので、主人公の女性と私の距離はあまりにも遠かったけれども、 確かに、こうやって自分の中に勝手にカイブツを作っていってしまうのね、と共感できるところもたくさんあった。
私の両親はかなりいろんな意味で自由にさせてくれていたし、いわゆる常識みたいなことはあまり言わなかった。
そんな私は世の中の常識に対する「なんで、どうして」がたくさんありすぎて、その疑問がずっと未解決のまま大人になってしまったので、まるでその答え合わせをするかのように、日本を出た。
それでもこういった同調圧力的なカイブツは、ちゃんと私の中にも生息している。 これはおそらく小さい頃から植え付けられたもので、そんな自分の一面を発見したときは、 いつも小学校の子供時代を思い出してしまう。
小学校高学年の3年間の担任の先生は、すごく昔気質の正義感の強い年配の女性で、 今でも彼女の影響はとても強かったなと思う。 あの頃の私はかなり浮いていたし、 私の頭の中のたくさんの「なんで、どうして」に、答えをくれるような大人は小学校には一人もいなかった。
そしてそこでは倫理や道徳と言う名の、ねじ曲がった正義感と共存をするしかなかった。
あの頃の学校の教育者は、倫理と道徳の区別もついていなかったのではなかろうか、と今では思う。自分個人の「道徳」が社会の倫理と同義語で語られていた。
そういった「こうでなければいけない」的なものはひっそりと私の中に生息しつつ、それがワリと自由な私の両親の環境にくるまれて今に至るという感じなんですが。
たまにそのねじ曲がった正義感というバケモノが出てきて私に悪さをする。 私はそいつが大嫌いなので、いつかウチ勝ってやろうと思う。
