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ヒロシマの写真表現について/ヒロシマ三部作


〈ヒロシマ三部作〉

私は50年間ヒロシマを、過去の出来事ではなく常に「現在形」として、多角的に記録してきました。当初(1970年代)、被爆者「原爆の子」100人、被爆遺跡の風景100ヶ所、被爆遺物100点の撮影を目指したのは、ひとつの側面やわずか数点の事例だけで、このテーマを表現しようとすることは不可能だと判断したからです。 1979年までに取材をした被爆者は107人、風景は100ヶ所→50ヶ所の45年間の定点撮影に、被爆遺物は1982年から現在まで約400点の撮影を行っています。2025年の今年、被爆80年、2005年に再取材した30人の「原爆の子」のうち、連絡を取ることができたのは10名のみです(一名は死亡連絡)。 どこまでやってもヒロシマを理解し得た、表現し得た、などと思えることはないでしょう。ただ、時代の中で「拒否」の意思表示を含め、様々な思いを抱きながらも撮影に応えてくれた「原爆の子」の皆さんに対しての、自らこのテーマに関わった責任を全うするためにも、最後までヒロシマに向き合っていくのみです。


・説明にあたり

ヒロシマの写真表現に関する、事実誤認や虚偽の発言や記述は多数確認されています。ほぼ共通するのは、書き手の写真史や写真技法など基本的な専門知識の欠如です。特にモノクロ写真を読む訓練や学習が全くなされていないこと、当時の印刷技術やアナログ時代の写真技術(暗室の作業行程等)についての無知、さらにはヒロシマの表現史について、思い込みや偏見に基づく記述が多く、一次資料にあたる綿密なリサーチがほとんどなされていないことも特徴です。
私自身のヒロシマの表現についての動機や当時からの社会状況の変遷などを、記録も兼ねて、いくつか書いていきたいと思います。

〈ヒロシマ三部作〉撮影動機と時代背景

私がヒロシマを撮るべきと考えたのは、今から50年前、1974年頃です。当時の状況は、反戦反核運動などが政治的イデオロギー対立の中で混乱を極め、市民らによる反核運動が一時衰退していました。戦後30年が経過し「今更、ヒロシマなど。(もう原爆の問題は終わった)」といった無意識の世論が生まれ、今では想像し難いことですが、反戦反核運動が最も下火になっていた時期でもあったのです。
写真表現はといえば、戦後すぐに撮影を始めた福島菊次郎、プレスコード失効後、1957年に広島に向かった土門拳が1950年代後半に発表した生々しい”叫び、怒り”のヒロシマの表現は、写真界外にも大きな影響を与えましたが、1960年代から70年代にかけて、上記状況とともに、社会的な関心が安保問題に関する市民運動や沖縄の問題に移行していく実感がありました。土門の広島行きに同行した川田喜久治の『地図』(1965) 、東松照明『〈11時02分〉NAGASAKI』(1966)、石黒健治『広島 HIROSHIMA NOW』(1970)など、土門とは全く異なるそれぞれの新しい視座で被爆地を捉えた表現からの示唆や限界を考えながら、私は、同時代の写真家たちがもはやあまり関心を向けていなかった「被爆30年、表層はほとんど見えなくなった」ヒロシマに向き合うことになります。

(補足)この時代の社会の激動変化や写真表現の変遷を「(過去の)ヒロシマ写真」と一括りにし、さらには「当時は男の報道写真しかなかった(ヒロシマの表現はなかった)」などという暴言を疑いもなく掲載している美術界隈での記事・論文が多数あります、2000年以降の写真しか知らない書き手の無知と不勉強に驚愕します。
報道と表現の問題は、特に被爆地の写真表現においては時に都合よく解釈されてしまいますが、報道とは一言で言えば、時代に合わせてタイムリーに発信していく目的で多くは為されるものと定義します。私に関しては、発表する媒体の予定はなく、全く私的な表現として、しかし100年先といったスパンでの時代の経過に耐えうるヒロシマの写真表現とは何かということを最初から考えながら〈ヒロシマ〉シリーズを開始しました。「報道」ではなく紛れもなく「表現」ですが、一方で「記録」という概念は表現と報道、双方に共通する重要な意味を持つものだと考えます。

ヒロシマを撮影するに至った大きな動機は2つあります。
ひとつは、日本に生まれたドキュメンタリストとしてヒロシマは避けて通れないテーマであること。原子爆弾というのは、これまでの戦争や殺戮兵器とは人類史の観点から全く違う次元のものであったこと。原爆投下は、人類が築いてきた文明や文化を一瞬で消滅させ、地球上のあらゆる生物を滅亡させる可能性の実証でした。つまり、叡智としての科学と人間の存在の関係が逆転した状況が示されたのです。
そしてもうひとつは、写真美学的な問題への挑戦です。すなわち、原爆投下後、壊滅した都市は表向きは復興し、ヒロシマの事実が時の経過とともに見えなくなっている。目に見えるものだけを写す写真という方法で、ヒロシマという見えない事象を写真化でき得るかという挑戦、この二つが大きな動機となりました。



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