見出し画像

ヒロシマ2005

2005年12月20日に刊行されたこの写真集をご存知でしょうか。今から20年前、広島が被爆60年を迎えた2005年夏、平和記念公園の式典前後---公園内での準備、式典後に繰り広げられる私的なイベントや市民の自由な示威行為など、お祭りのように賑やかな公園空間の記録をカラーで。そしてもうひとつ、1970年代後半に『原爆の子』に作文を寄せた100名以上の被爆者を訪ね歩いた記録からの継続として、その内の数十名を2005年に再び取材した記録をモノクロームで。ふたつのルポタージュを一冊に混在させています。

写真集のコンセプトは、被爆という重大な悲劇的事実の節目が、もはやお祭り騒ぎのような催事になっている現実、過ぎ去った60年という時間の経過の中に歴史的な事実が消失していく危惧される大状況をまとめたものです。
絶版で入手しにくいことなどもありほとんど知られていませんが、この写真集は2000年前後のパラダイムシフトの中で、ヒロシマの写真表現においても重要な示唆と提案をしたものです。この本なくして、土田の〈ヒロシマ〉を語ることは不可能であるとも言えます。

例えば私の〈ヒロシマ・コレクション〉について、〈ヒロシマ〉以外のシリーズはおろか、ヒロシマ三部作の他のシリーズの基本学習さえもなく、既出の論文の(事実誤認だらけの)記述をそのまま引用し、解ったかのように語っている事例がいくつも確認されているようです。その程度の学習でヒロシマを語ろうとする者たちには、ヒロシマは無論、写真についても語る資格はないと言えよう。

これまで私はこういったことに敢えて言及してきませんでしたが、環境変化や世代交代に伴い、写真や写真評論を評価・精査する側の基礎知識やリテラシーがあまりにも低下していること、特にヒロシマというテーマにおいて、個人の勝手な解釈や虚言などが指摘されぬまま波及している事実を(自作に対する滅茶苦茶な解釈が活字化されている)当事者として問題視しています。50年間ヒロシマの写真表現を継続してきた者として、事実確認と修正はしっかり行います。

土田ヒロミ『ヒロシマ2005』(NHK出版、2005)

土田ヒロミ〈ヒロシマ2005〉2005, Hiromi Tsuchida, Hiroshima 2005



いいなと思ったら応援しよう!