『転んだ日のメッセージ ― 秋の土用にて』
秋の土用。
季節の変わり目で、少し落ち着かない時期。
気になっていたテナントを2件、内見した。
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1件目は、ドアを開けた瞬間に違うと感じた。
広さは足りなかったが、それ以上に、
入った途端に“ここではない”という感覚が強く残った。
2件目は、広さも十分で「まぁ、悪くないかな」という印象。
最高ではないけど、どこか落ち着く。
ただ、もう少し確かめておきたいことがあった。
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いくつか確認したい点があったので、
仲介業者を通してオーナーに確認をお願いした。
内見したのは17時半。
その数時間前、午前中に別の方が契約を決めていたと聞いた。
少し残念ではあったけれど、不思議と悔しさはなかった。
「タイミングなんだな」と思った。
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翌日、家族でお墓参りに行った。
先祖に感謝を伝え、
命をつないでくれたこと、今ここにあることを話した。
末っ子の娘は、
亡くなったおばあちゃんに「4歳になりました」と報告していた。
前回のお墓参りの帰りには、
その娘が犬のうんちを両足で踏んだ。
「うん(運)がついたね」と笑って、
家族で笑顔になったのを思い出す。
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お墓参りのあと、公園に寄った。
鬼役の私は長男を追いかけていた。
ゆっくり走っていたが、スピードを上げた2歩目。
まさかの濡れた芝生の上で転んだ。
足を滑らせて倒れ、右肘を擦りむいた。
大人が転ぶのは、そう多くない。
痛かったけど、自分でも笑ってしまった。
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転んだあと、
「足元をすくわれる」「足を滑らせる」という言葉の意味を考えていた。
テナントを内見した次の日に、
お墓参りをして、公園で転ぶ。
その流れを思い返すうちに、
どこかで自分なりに“意味をつけてみたくなった”。
こじつけかもしれないけれど、
それでもいいと思えた。
焦っても、足元を見失うだけ。
そんな単純なことを、
転んでようやく思い出した気がする。
ご先祖への感謝と、
日常の中から気づきを得ること。
それは、誰かに教わるよりも
自分で感じ取る方が、静かに沁みてくる。
もっと早く気づくべきだったが、
理解していなかった私に「滑る」をプレゼントしてくれた。
粋なメッセージだったが、
まあ、まだちょっとだけ、肘が痛い。。
